保守主義の哲学---保守主義(哲学)の神髄---7/11参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(17) [政治]
―――――――エドマンド・バーク保守主義―――――――
―――――保守主義(哲学)の神髄―――――
E・バーク、A・ハミルトン/J・ジェイ/J・マディソン、
A・トクヴィル、オルテガ・イ・ガセット、F・A・ハイエク、
D・ヒューム、ギュスターヴ・ル・ボン ・・・
世界の偉大な保守主義(哲学)者からの現代日本国への警鐘
――7/11参議院選挙投票日までに必読の政治哲学(17)――
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―――F.A.ハイエク『法と立法と自由Ⅲ 自由人の政治的秩序』、春秋社、139~142頁(ここから)―――
● 「国家」と「社会」
政府の任務は個人や集団がそれぞれの目的をうまく追求できる体制を創出することであり、また時として、何らかの理由から市場が供給できないサービスを提供するために、資金を調達する強制権力(=徴税権など)を使用することである。
だが、(徴税権などの)強制は次のような体制を用意するためにのみ正当化される。
すなわち、万人は、(“法”の支配によって)他人の等しく保護された個人的領域を妨害しないかぎり、自分の能力と知識を自分自身のために使用できる(=法の支配の下での自由主義)という体制がそれである。
・・・こうした問題(=政府が、社会を「形成(=設計)」したり、その成員を特定目的に奉仕させたりする権力を持とうとする問題)の混乱の多くは、「国家」と「社会」を同一視する傾向からきている。
この傾向はとくに大陸の伝統において強いが、社会主義思想の急激な広まりと共に、アングロサクソンの世界でも見られる。
国家すなわち単一政府下にある領土の人民の組織は、進歩した社会の発展にとって不可欠ではあるが、社会、すなわち自由を持つ人間によって形成され成長した多様な自己増殖的構造〔この全体だけが社会という名に値する〕とは同一であるどころか、全くかけ離れたものである(→間を飛ばして、国家は社会とは全くかけ離れたものである、と先に結論を読めば、間の修飾語が何に係るかが理解し易い。思想書・哲学書を正確に読む一つの方法である)。
自由社会において、国家は多くの組織のなかの一つである。
つまり、それ(=国家)は自己増殖的秩序が生まれる効果的な体制を準備するために必要とされる組織であるが、政府機構に限られ、しかも自由な個人の活動を決定しない組織(=政府機構は、“法の支配”を超越する、いかなる自由と権利の制限も国民に課してはならないということ)である。
また、この国家という組織は多くの自発的組織を含んでいるが、社会を構成するのは個人と個人が創出する種々組織との間に自生的に成長した関係網である(→社会とは様々な個人と組織間の自生的関係網を意味するにすぎない)。
社会(=組織と組織間の関係網)は生まれるが、(この個人と組織間の関係網が自生的成長できる体制を準備する)国家は(その絶対的必要性という共通の信念によって)つくられる。
・・・社会は個人と組織化された集団との自発的関係の一網状組織であり、厳密に言えば、どんな人であれ、ただ一つの社会だけに属することはほとんどあり得ない。
それどころか、ある文脈との関連で、しばしば、階層的関係を持つ網状組織からなる複雑な秩序の一部を、論議されている話題に関係するものとして選び出すことも害はないであろう
(=論議されている話題との文脈上の関連で、階層的関係を持つ網状組織つまり「社会」全体の複雑な秩序の一部分のみを“社会”の意味として、意図的に使用することも害はないであろう)。
また、話し手や書き手がこの複雑な(階層的関係を持つ網状組織である社会の)秩序のどの部分を「社会」として示しているか、聞き手や読み手にはわかるであろうと(意図的に)仮定(して隠蔽)することも同様である。
しかし、決して忘れてはならないことだが、今日、多くの個人や組織は国境を超えて広がる網状組織に属しているのと同様に、国内にあってもこの種の多くの異なる構造の一要素であるかもしれない(=一要素である)。
自生的な秩序形成力の作用やわれわれが社会と呼ぶような、秩序立った構造(=階層的関係を持つ網状組織からなる複雑な秩序)の形成を可能にする行動ルールの作用は、われわれが多くのそうした相互に重なり合う構造(=社会という階層的関係を持つ網状組織の構造)に気づいている(=を把握できている)場合にのみ完全に理解できるようになる〔(が、)また同時に(われわれ人間には)そうした(社会の)構造の機能を詳細に理解する能力がないということも明らかになる〕。
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→私〔=ブログ作成者〕の解説:われわれ、人間は、「社会という階層的関係を持つ網状組織の構造」を理解した場合にのみ、社会の自生的な秩序形成力の作用や秩序形成を可能にする行動ルールの作用を完全に理解できるようになるのだが、われわれ人間には、社会という複雑な網状関係の構造を完全に理解する力がないことは自明であるから、結論的には、人間が社会の自生的な秩序形成力の作用や秩序形成を可能にする行動ルールを完全に理解する能力など持ち得ない、ということである。
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社会過程を決定するこの網状関係の複雑な性質に気づいている人(=人間)は、社会が何かを「行なう」あるいは「意図する」と考える誤った神人同形論をも容易に見分けるであろう
(→私〔=ブログ作成者〕の解説:社会の構造が何であるかを理解できないのにが、社会が何かを「行なう」とか「意図する」と考える人間とは、『「完成された人間」が何かも解らないのに、「人間は完成する」とか「人間の完成は無限である」などと論理転倒的な思考する左翼哲学者とは、精神的に正常でない』と私〔=ブログ作成者〕が以前に述べたのと同じように、精神的に正常でないということを、ハイエクは「誤った神人同形論を唱える人間」と隠喩的表現をしているだけのこと)。
それは言うまでもなく、社会主義者の試みであった(→社会主義者の試みとは、精神的に正常ではないということ)。
すなわち、かれらの提案は要するに(国民に対する)強制的な政府権力を高める努力であるという事実を偽装するための試みである
(→私〔=ブログ作成者〕の解説:逆に、己の唱える試みが「精神的に正常でない」と解っていながら、うまく国民を欺き、国民に対する強制的な政府権力を高めようとしているならば、社会主義者とは「究極のペテン師」であり、「真の極悪人」であるということであるが、歴史はそれを見事に証明している。
ジャコバン党のロベスピエールもソ連共産党のレーニンやスターリンもナチスのヒトラーも中共の毛沢東も、北朝鮮の金日成/金正日もカンボジアのポルポトも、自国民や他民族を弾圧し、大量虐殺した超一級の極悪人であった)。
そこで、かれら(=社会主義者)は(国民を欺くために)生産手段等々の「国有化」あるいは「政治化」と言うよりも、むしろ「社会化」と言うほうを好んだのである。
だが、これらがかれら(=社会主義者)をますます深く社会(について)の神人同形論的(=精神欠陥的)解釈に引き込んだ。
これは(社会の)自生的過程(=自生的な秩序形成力の作用や秩序形成を可能にする行動ルールの作用)の結果を、なんらかの「意思」によって管理されるものとして、あるいは計画によって生み出される、ないしは生み出すことができるものとして、解釈する傾向であり、この傾向は原始的思考の構造に深く染み込んでいる。
社会的進化の過程の大部分は誰も(=社会の構成員の誰もが)そうした(進化の)過程を(自由に)意図あるいは予知することなしに起きるわけではない。〔まさにこのために、これらの過程が(=構成員各々の社会の進化への自由な意図や予知が)文化的進化を引き起こすのである〕。
(政府の無制限の権力によって自由と権利が奪われて)管理された過程からは、管理者が予知できる以上のことはなにも起こり得ない。
かれ(=管理者)だけが経験から(自由に)学ぶことを許される。
発展する社会が進歩するのは、政府が新しい考えをその社会におしつけることによってではなく、(社会が)思考錯誤の過程で新しい様式や方法が絶えず試みられることによってである。
―――F.A.ハイエク『法と立法と自由Ⅲ 自由人の政治的秩序』、春秋社、139~142頁(ここまで)―――
→私〔=ブログ作成者〕の解説:ハイエクは、社会の進歩が「なんらかの意思によって管理される」あるいは「計画によって生み出される、生み出すことができる」とする思想をデカルト的設計主義的合理主義と名付けた。
そこで最後に、デカルトの設計主義思想を『方法序説』から引用しておく。
デカルトは言う、
「たくさんの部品を寄せ集めて作り、いろいろな親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度が見られない。
・・・一人の建築家が請け負って作りあげた建物は、何人もの建築家がもともと別の目的で建てられていた古い壁を生かしながら修復につとめた建物よりも、壮麗で整然としている。
同じく、はじめは城壁のある村落にすぎなかったのが時とともに大都市に発達していった古い町は、一人の技師が思い通りに平原に線引きした規則正しい城塞都市(=新しく建設された幾何学的構造を持つ都市)に比べると、ふつうひどく不揃いだ
・・・建物がここに大きいの、あそこに小さいのと立ち並んで、曲がりくねった高低の多いものになっており、それを見ると、こんなふうに配置したのは、理性を具えた人間の意志ではなく、むしろ偶然なのだ、と言いたくなるほどである。」
「半ば未開だった昔、わずかずつ文明化してきて、犯罪や紛争が起こるたびにただ不都合に迫られて法律をつくってきた民族は、集まった最初からだれか一人の賢明な立法者の定めた基本法を守ってきた民族ほどには、うまく統治されないだろう」
「唯一の神が掟を定めた真の宗教のあり方は、他のすべてと、比較にならぬほどよく秩序づけられているはずなのは確かである」
「むかしスパルタが隆盛をきわめたのは、その法律の一つ一つが良かったためではない。というのは、ひどく奇妙な法律や、良俗に反する法律さえも多かったからだ。そうではなく、それらの法律が、ただ一人によって創案され、そのすべてが同一の目的に向かっていたからである」
「書物の学問、少なくともその論拠が蓋然的なだけで何の証明もなく、多くの異なった人びとの意見が寄せ集められて、次第に嵩を増してきたような学問は、一人の良識ある人間が目の前にあることについて自然(生まれながら)になしうる単純な推論ほどには、真理に接近できない」
「われわれはみな、大人になる前は子供だったのであり、いろいろな欲求や教師たちに長いこと引き回されねばならなかった。しかもそれらの欲求や教師は、しばしば互いに矛盾し、またどちらもおそらく、つねに最善のことを教えてくれたのではない」
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エドマンド・バーク保守主義者である私〔=ブログ作成者〕には、以上のデカルト的な左翼哲学の権化的思考方法は、決してできないし、絶対にしたくもない。
逆に私自身がデカルトやルソーやマルクスなどの崇拝者などではなく、エドマンド・バークを崇敬できる人間であることに誇りと名誉と安心を感じるのである。
そして、私〔=ブログ作成者〕からデカルトに一言。
キリスト教の神であれ、仏教の仏であれ、神道の神々であれ、その他のいかなる正統な宗教の神々も、あなたに向かって、口を揃えて言うであろう。
世界の神々集まりて、困惑して曰く、
「私たち神々が合意した人間社会の設計図から、これほど傲慢不遜に逸脱した人間は、あなたが初めてです。では、そのあなたが恣意的に計画できると言う、人間社会の設計図とはいったい何なのでしょうか?」と。
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【2010/07/07ブログ掲載】
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