保守主義の哲学---(第八回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)が平成23年6月30日に刊行されます。
中川八洋 筑波大学名誉教授は、英国のエドマンド・バークの保守(自由)主義哲学を正統に継承されている現代日本国における碩学の中の碩学の政治哲学者です。
私〔=ブログ作成者〕は、ぜひ多くの日本国民に中川八洋 先生の新刊書(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)他多数の著作を読んで頂き、「真正の保守(自由)主義とは何か」を知り、学んで頂きたいと思っております。
(参 照)→オークラ出版・近日発行情報
http://www.oakla.com/htm/news_book.html
さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ八回目は第七回目の続きである。
(8) 「北畠親房『神皇正統記』の暗号=法の解読の結論…すべての時代の日本国民は“『正統』を遵守する義務”を果たさねばならない…これが『神皇正統記』の本義である(『神皇正統記』最終章)」
と題して、全三回に及んだ『神皇正統記』の解説を終えたいと思う。
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神皇正統記に曰く、
「大(おほ)かた天皇(てんわう)の世(よ)つぎをしるせるふみ、昔(むかし)より今(いま)に至(いたる)まで家々(いへいへ)にあまた(=多く)あり。
かくしるし侍(はべる)もさらにめづらしからぬことなれど、神代(かみよ)より繼體(けいてい:皇位継承)正統(しやうとう)のたがはせ給はぬ(=間違いのない)一(ひと)はし(=一種姓・唯一の血統、26頁)を申さんがためなり。
我國(わがくに)は神國(かみのくに→本シリーズ第5回を参照のこと)なれば、天照太神(あまてらすおほみかみ)の御計(おほんはからい)にまかせられたるにや。
されど其中(そのなか)に御(おほん)あやまりあれば(→お間違いになる時もあるが、その場合は)、歴數(れきすう)も久(ひさし)からず。
又(また)つひには正路(しやうろ)にかへれど、一旦(いつたん)も(=ひとたび・・・の事態になれば、もとの状態に戻るのが困難の意)しづませ給(たまふ)(=地位・身分が下がる、没落する)ためし(=例)もあり。
これはみなみづからなさせ給(たまふ)御(おほん)とが(=罪、あやまち)なり。
十善(じふぜん)の戒力(かいりき)にて天子(てんし)とはなり給(たま)へども、代々(よよ)の御(おほん)行迹(かうせき)、善悪(ぜんあく)又(また)まちまちなり。
かかれば、本(もと)を本(もと)として正(しやう)にかへり、元(はじめ)をはじめとして邪(じや)をすてられんことぞ祖神(そじん)の御意(おほんこころ)にはかなはせ給(たまふ)べき。
・・・仲哀(ちうあい)應神(おうじん)の御後(おほんのち)に仁徳(にんとく)つたへ給(たま)へりし、武烈(ぶれつ)惡王(あくわう)にて日嗣(ひつぎ)たえましし(=仁徳天皇の血筋が絶えてしまった)時(とき)、應神(おうじん)五世(ごせい)の御(おほん)孫(まご)にて、繼體天皇(けいていてんわう)えらばれ立(たち)給(たまふ)。
これなむめづらしきためしに侍(はべ)る。
されど、二つをならべてあらそふ時(とき)にこそ傍正(ばうしやう:傍系と正系)の疑(うたがひ)もあれ。
群臣(ぐんしん)皇胤(くわういん)なきことをうれへて求(もとめ)出(いだし)奉(たてまつ)りしうへに、その御身(おほんみ)賢(けん)にして天命(てんめい)をうけ、人(ひと)の望(のぞみ)にかなひましましければ、とかくの疑(うたがひ)あるべからず(=どうして、その御身が傍系か正系かで、正統であるか否かなどを疑う余地があろうか)。
・・・天武(てんむ)の御(おほん)ながれ久(ひさしく)傳(つたへ)られしに、稱徳(しようとく)女帝(によてい)にて御(おほん)嗣(つぎ)もなし、又(また)政(まつりごと)もみだりがはしくきこえしかば、たしかなる御(おほん)譲(ゆづり)なくて絶(たへ)にき。
光仁(くわうにん:第49代 光仁天皇)又(また)かたはらよりえらばれて立(たち)給(たまふ)。
今(いま)の光孝(くわうこう:第58代 光孝天皇)又(また)昭宣公(せうせんかう:藤原基経のこと)のえらびにて立給(たちたまふ)といへども、仁明(じんみやう)の太子(たいし)文徳(もんとく)の御(おほん)ながれなりしかど、陽成(やうせい:第57代 陽成天皇)惡王(あくわう:)にしてしりぞけられ給(たまひし)に、仁明(じんみやう)第二の御子(みこ:光仁天皇のこと)にて、しかも賢才(けんさい)諸(しよ)親王(しんわう)にすぐれましましければ、うたがひなき天命(てんめい)とこそみえ侍(はべり)し。」(北畠親房『神皇正統記』、岩波書店、111~113頁)
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→私〔=ブログ作成者〕の解釈:
① 天皇(てんわう)の世(よ)つぎをしるせるふみ、昔(むかし)より今(いま)に至(いたる)まで家々(いへいへ)にあまた(=多く)あり。
かくしるし侍(はべる)もさらにめづらしからぬことなれど、神代(かみよ)より繼體(けいてい:皇位継承)正統(しやうとう)のたがはせ給はぬ(=間違いのない)一(ひと)はし(=一種姓・唯一の血統、『神皇正統記』26頁)を申さんがためなり。
② 本を本として正にかへり、元をはじめとして邪をすてられんことぞ祖神の御意にはかなはせ給べき。
→私〔=ブログ作成者〕は、この部分が北畠親房『神皇正統記』の『正統』の核心部分であると考えている。
北畠親房が『神皇正統記』全体を通じて述べている内容を総合的に解釈すれば、この一文は次のような意味になるであろう。
本(もと:真の皇位継承・世襲つまり血統の連続性の継承『神皇正統記』58頁→本シリーズ第六回を参照)を
本(もと:根本・根拠)として
正(しやう:正系)に
かへり(=変える/転じる/戻る→皇位の系統を代えて、『神皇正統記』58頁→本シリーズ第六回参照、かたはらより出給/かたはらよりえらばれて立給『神皇正統記』112頁)、
元(はじめ:天地開闢の初『神皇正統記』17頁、我朝の初/天地ひらけし初『神皇正統記』25頁→本シリーズ第五回参照、根元『神皇正統記』26頁、天照太神の神勅/三種の神器につきたる神勅『神皇正統記』38~39頁→本シリーズ第五回参照)を
はじめとして(=初心に帰って/今日の初めとして、「天地の始は今日の始とする理あり」『神皇正統記』66頁とある)
邪(じゃ:よこしまな心、黑心〈きたなこころ〉『神皇正統記』65頁)を
すてられんことぞ(=捨てる)
祖神(そじん)の御意(おほんこころ)にはかなはせ給(たまふ)べき(=『神皇正統記』71頁→本シリーズ第七回参照)。
すなわち、これらを纏めれば、
「現在の天皇の血統(=正系の皇統)が途絶えそうになった時には、『血統の連続性を根本(根拠)』として、近親の(→ちかき皇胤『神皇正統記』73頁、本シリーズ第七回参照)支系の皇統を皇位の正系に代えよ(=皇位を移して変えよ)。
そして、正系に転じた天皇の皇統は、『天地ひらけし初の神明の御誓/天照太神の神勅/三種の神器につきたる神勅』という『正理』を初心として、邪心を捨てて世を治めることこそが、祖神の御心にかなうことである。」
ということになる。
つまり、北畠親房『神皇正統記』とは、「正系(直系)」継承の場合と「傍系」継承の場合のどちらが皇位継承として「正統」であるのかを論じた書ではない。
換言すれば、『神皇正統記』とは、「正系(直系)」と「傍系」のどちらが皇位継承として『正統』であるかなどについて、我々子孫が判断する(決定する・選択する・変革/改革する)「権利」を持っているなどと論じているのではない。
実は全く逆であって「正系(直系)」あるいは「傍系」のいずれの皇位継承の方法によってでも、必ず「皇位」は「天地開闢の初・我朝の初・我國の天地ひらけし初」に既に定まっている『正統=唯一の皇統(=一種姓・日神の統・天祖神の種)』に世襲・継承せねばならないという 我々子孫の“『正統』を遵守する義務”を論じた書なのである。
さらに、『神皇正統記』は、正系(直系)であれ傍系であれ、即位した天皇は必ず『正統な道理(=正理)』
つまり、『天地ひらけし初の神明の御誓/天照太神の神勅/三種の神器につきたる神勅(=正直・慈悲・智慧)』の初心に立ち返り、それらの精神を根本に据えて、世を治めなければならないという「天皇(皇祖皇宗)の治世の義務」も論じているのである。
要するに、
すべての時代の日本国民は“『正統』を遵守する義務”を果たさなければならない…これが『神皇正統記』の本義であり、それは国体(国憲・国法)護持の保守主義の哲学そのものである。
このような観点で北畠親房『神皇正統記』を読むならば、
「女系天皇」や「女性(=男系女子)天皇」に対する「直系主義」を唱える、極左系の天皇制廃止論者による天皇(皇室)に関する論文や著作、小林よしのりの漫画『新天皇論』や皇室典範有識者会議の「報告書」などは、
日本国の『正統』を“遵守する義務”を放棄して一顧だにしない態度(=国民主権の「主権」=「絶対権力・絶対権利」の傲慢)を基礎にして、論理を展開しているのであるから、その論理は入り口から既に皇位継承の『正統』の概念から真っ逆さまに転倒しているのであって、そのような言説が「虚言」・「妄言」・「歴史歪曲」に帰結するのは自明であろう。
さて、本ブログの「小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう」シリーズは次回あるいは次々回の1、2回で終了させる予定である。
その後は中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版、平成23年6月30日刊行)のハイレベルの学術的論駁に期待したいと思う。
あくまで噂だが、中川八洋 筑波大学名誉教は、小林よしのり『新天皇論』の出鱈目にすぎる内容に大激怒されているとのこと。
ならば、新刊書にますます期待が膨らむではないか。
【平成23年6月23日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
>すべての時代の日本国民は“『正統』を遵守する義務”を果たさなければならない…これが『神皇正統記』の本義であり、それは国体(国憲・国法)護持の保守主義の哲学そのものである。
清寧天皇や武烈天皇が崩御した後に起きた皇位継承者問題の際、臣下の者達がとった行動を平泉澄氏は以下の様に評しています。括弧内の補足は私がやりました。
「理想は、そこにありますけれども(君臣の垣根を臣下が守り抜くこと)、普通はなかなかそれが行われず、後嗣が少年であったり、あるいは不徳であったりすれば、昨日までの臣下が居直って競争者となり、主人を亡ぼして国を奪うという暴行がありがちであるのに、我が国では清寧天皇に御子がなく、また武烈天皇にも御子がなく、皇統ここに断絶し、国家も終わるかと思われた時に、重臣豪族の人々、少しも競争反乱の害心を起こさず、御代代の天皇の御恩を思い、その御血統の皇族を捜し求めて、御位におつきになるよう尽力した事は、まことに美談とすべきであります。」
「すべて国の健実性も、人の偉さも、その隆盛光栄の時に現れるだけでなく、かえってまたその不運薄幸の際に見られるものです。山部連小楯の感動といい、大伴金村の重厚といい、ともに美しい話といわねばなりません。」
物語日本史・上巻(講談社学術文庫)82~83頁
by 錬金術師 (2011-06-27 19:40)
「以上二つの危機(清寧天皇や武烈天皇が崩御した際に生じた皇位継承問題)は、もしこれが外国であれば、必ず革命が起こって、勢力家が政権を奪い取り、別の国家を立てたでしょう。それが、そうはならずに、重臣豪族、苦心して皇統を求め、あるいは播磨から、あるいは越前から、正しい御血統の皇族をお迎えしたという事は、一方からいえば御代代の天皇の御得が高く、国民皆心服したからであり、他方からいえば重臣豪族それぞれおのれの分を守り、決して野心野望をいだかなかったからであります。全ての人の本心は、非常の時に現れるものですが、かような危機に際して、上下ともに道義道徳の力が、正しくこれを解決していったことは、めざましいといわねばなりません。」
前掲書・79~80頁
平泉氏は20年以上前に鬼籍に入られたので、現在の皇位継承問題に対して何と仰るかは分かりませんが、皇統に属する御方を求めよと恐らく主張するのではないかと私は思います。
少なくとも生前に書かれた著書を読む限り、女系継承を導入せよなどと述べる様な雰囲気が毛筋ほども感じられません。
by 錬金術師 (2011-06-27 19:59)