保守主義の哲学---(最終回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
いよいよ本日、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)が出版されます。
中川八洋 筑波大学名誉教授は、英国のエドマンド・バークの保守(自由)主義哲学を正統に継承されている現代日本国における碩学中の碩学の政治哲学者です。
私〔=ブログ作成者〕は、ぜひ多くの日本国民に中川八洋 先生の新刊書(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)他多数の著作を読んで頂き、「真正の保守(自由)主義とは何か」を知り、学んで頂きたいと思っております。
さて、逆賊・小林よしのりの漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ最終回は、前回第九回の続きとして、これまでに私〔=ブログ作成者〕が触れなかった、漫画『新天皇論』の妄言・暴言を幾つか抜粋して、その虚偽・虚構を指摘し、封印・封殺して本シリーズを終了したいと思う。
ゆえに、(10最終回)「天皇制廃止論者の虚偽・虚構の言説の集積箱、それが逆賊・小林よしのり『新天皇論』の本質である(其の二)」と題して、解説したいと思う。
シリーズ第九回 「①日本国の伝統“君臣分定”を弁えぬ逆賊 小林よしのり」からの続きである。
②「姓」のない天皇(皇室)の皇統は日本国の国是であり、「支那文明」とは全く異質の国体である。
逆賊・小林よしのりは、漫画『新天皇論』で次のように嘯いている。
『この「シナ文明・換骨奪胎説」は、わしも以前から繰り返してきた。
だからこそ、わしは女系天皇を公認する!
なぜなら、「男系絶対主義」とはシナ文明の家族制度そのものであり、日本の文明でも伝統でもないからだ!』(『新天皇論』226頁)
『皇室も特定の父親〔神武天皇〕の血統による親族集団である。
そして男子の跡継ぎがいない場合は、同じ宗族内の他の家(宮家)の男子を迎える。
女系継承は認めない。
似ているのは当然で、古代日本の豪族・貴族層が一夫多妻制によってシナ文明の男系主義の家族制度を輸入し、それが皇室にのみ、側室制度という一夫多妻制と共に残ったというのが天皇が「男系継承」である理由なのだ。
「天皇の男系継承は、美しい日本の伝統・文化である」
「男系天皇こそが日本の国体だ」とまで言う人がいるが、これはシナの風習である。
・・・本物の「男系絶対主義」では、たとえ男系女子だろうと、中継ぎだろうと、女帝は「ニセ天皇」でしかない!
女帝が入った時点で、皇統は断絶したことになるのだ!』(『新天皇論』228~230頁)
→私〔=ブログ作成者〕の解説:
ここまで馬鹿げた論理を展開されると批判するのも「うんざり」だが、妄論・暴論は消し去っておく必要がある。
(ⅰ) 日本国では天地開闢以来「君臣の分」定まり、「君」たる皇統には「姓」はない。
万世一系、男系男子の皇統は「姓」がないという事実において「シナ文明の家族制度」とは明確な一線が引かれ、シナの風習ではない。
「臣」の側において、シナの家族制度の影響を全く受けなかったとまでは言い切れないが、文明間に国交があれば文明間で相互に影響を及ぼし合うのは常識である。
重要なのは、シナと国交が在りながら、日本国の「君」である皇統は、「姓」を持たないことによってシナの宗族制度の影響を完全に排除し、“君臣の分”を常に明確にしてきたことである。
「姓」を持たずに万世一系、男系男子皇統を護持・継承してきた日本国の朝廷と、「姓」を持つシナの宗族制度によって幾度も「易姓革命」が繰り返されてきた「分断の連続のシナ王朝(最近では「支那共産党という新独裁王朝」)と比較すれば、文明の相違は明白ではないか。
北畠親房『神皇正統記』に曰く、
「三韓(さんかん:新羅、百濟、高麗)震旦(しんだん:支那)に通じてより以來(このかた)、異國の人おほく此國に歸化(きくわ)して、秦のすゑ(=末裔)、漢のすゑ、高麗百濟(かうらいはくさい)の種、それならぬ蕃人(はんじん)の子孫(しそん)もきたりて、神皇(じんわう)の御(み)すゑと混亂(こんらん)せしによりて姓氏錄(しやうしろく)と云(いふ)文(ふみ)をつくられき。
それも人民(にんみん:臣)にとりてのことなるべし」(『神皇正統記』岩波書店、62頁)
(ⅱ) 皇祖皇宗の遺訓、天皇の万世一系、男系男子皇統は、日本国天地開闢以来の日本の国是(伝統)である。
逆賊・小林よしのりは、
『「天皇の男系継承は、美しい日本の伝統・文化である」、「男系天皇こそが日本の国体だ」とまで言う人がいる』
とまで述べている。
賤しい逆賊の戯言である。
逆賊・小林よしのりの「言う人」には当然、シリーズ第九回で私〔=ブログ作成者〕が述べた、皇祖皇宗、『古事記』、『日本書紀』、『令義解』、『續日本紀』『神皇正統記』、幕末の山鹿素行、山崎闇齋の崎門の学の門人と水戸の藤田東湖や越前の橋本景岳ら、松下村塾(=長門の國、松下邑の塾)の吉田松陰とその門人、薩摩の西郷南洲、幕府有司の川路聖謨、朝廷縉臣の英明第一と言われた三條實萬、明治の元勲や井上毅・・・などの日本国の碩学中の碩学の祖先らも含まれている。
逆賊・小林よしのりは、これらの人物が異口同音に唱え継承してきた『天皇の万世一系、男系男子皇統論』がすべて誤謬であったと論駁せねばならない。
また、逆賊・小林よしのりは漫画『新天皇論』の前置きである、漫画『天皇論』375頁において次のよう嘯いている。
『・・・元々、天照大神は女性神である。ならば日本の天皇は女系だったと考えることができる(→?)』
さらに『新天皇論』321~322頁では、次のように続ける。
『正統とは、血統は天照大神の血脈を受け、精神は天照大神の神意をうけたことを言うのだ!
田中卓先生も、重要なのは『天常無窮の神勅』であり、「吾が子孫」が国体の根本だと仰っている。
女神である天照大神の血脈と神意を受けることが「正統」である以上、皇統から女系を排除する理由はない(→?)』
逆賊・小林よしのりは、女神である天照大神の血脈と神意を女系天皇論の根拠に据え、あたかも天照大神を尊重・崇拝している芝居をする。
だが、「逆賊・小林よしのり、何をかいわんや」である。
逆賊・小林よしのりこそ、漫画『新天皇論』に描いた虚偽・虚構によって多くの日本国民を欺く行為をすることによって、天照大神の“三種の神器につきたる神勅(=正直・慈悲・智慧)”のすべてを完全無視して、天照大神を最大限に冒瀆しているではないか!
つまり、逆賊・小林よしのりとは、天照大神に対する畏怖の念も天皇(皇室)に対する畏敬の念も日本国の祖先に対する尊崇の念のかけらも抱いておらず、無神論者よろしく天照大神を「女系天皇論・女性天皇論」肯定のために悪用し、最終的に両者とも(→天神〈神道〉も皇統も両者同時に)破壊することを目的としている。
このように分析すれば、「天照大神が女性神であるから、日本の天皇は女系だった」のような言説を根拠とする「女系天皇・女性天皇」容認論とは、日本共産党の「コミンテルン32年テーゼ」の「天皇制の廃止」と「政教分離を利用した神道の撲滅」を忠実に踏襲した天皇制廃止運動の手段に過ぎないという本質が明白になる。
また、天照大神の「血脈」などは、ハイエクの言う「神人同性同形論」という「デカルト的設計主義的合理主義」の思想から発している。
『古事記』の「上巻」や『日本書紀』の「神代」における日本神話の神々と日本国の天皇(皇室)及び日本国民とは日本神話における“美徳の精神”・“高貴なる精神”において繋がっているのであって、物質的に直接の繋がりを持つことを意味しない。
“日本神話”とは、日本国固有の天皇(皇室)と日本国民の“美徳と高貴の精神”の“源泉”である。
“天地開闢の初め以来の万世一系、男系男子皇統”とは、日本神話を源泉とする“美徳と高貴の精神”を(現実の)日本国の治世において最初に体現されたのが初代神武天皇であり、神武天皇以後、約二千数百年間を経て現在に至るすべての日本国民が、美徳と高貴による治世を体現されんとする男系男子皇統を途絶えることなく護持し続けてきた歴史事実を言うのであって、このような日本神話(→後に神仏習合して仏法も加わるのだが)と皇統と日本国民の三位一体の不変の存在価値の伝統が、日本国の誇るべき“国体・国憲・国法”なのである。
ゆえに、この三位一体の“国体・国憲・国法”を変革・革新・革命する時、我々日本国民の民族固有の存在意義は白紙となり、国民精神は頽廃し、国民は名誉と誇りを喪失した根無し草の市民に為り、国家は廃墟と化して滅亡に至る。
③「易姓革命」とは「ルソー主義・ジャコバンのフランス暴力革命」、「マルクス・レーニン主義のロシア暴力革命」の代替手段としての「国体破壊革命」にすぎない。
逆賊・小林よしのりは、漫画『新天皇論』で次のように嘯いている。
『第二にこれが重要だが、日本では「姓」は天皇が下賜するものとされ、天皇には氏も姓もない!
・・・もともと天皇に「姓」はないのだから、「易姓革命」など起こらない。
まして(明治)4年以降はすべての日本人から「姓」がなくなったのだから、なおのことである。
・・・それでも今なおシナ文明の残滓でしかない「男系継承」にこだわり、とっくに日本人に「姓」はなくなっているのに、「姓」と「苗字」を混同してまで「易姓革命が起きるぞ!」と言っている連中の精神は「シナ文明の奴隷」みたいなものだ!』(『新天皇論』239~240頁)
→私〔=ブログ作成者〕の解説:
逆賊・小林よしのりは漫画『新天皇論』(233~240頁)において延々と「姓」、「氏」、「苗字」の相違について語っているが、日本国の皇統には「姓」も「氏」も「苗字」もないことが伝統であるから、そもそもこれらの用語の定義の説明など無用の長物であり、意味を為さない。
問題なのは、『天皇に「姓」はないのだから、「易姓革命」など起こらない』という天皇制廃止論者の詭弁である。
私〔=ブログ作成者〕は、以前に数学史上「ゼロ(0)」の概念の発見が極めて重要な発見であったことに触れた(→本シリーズ第3回参照)けれども、この易姓革命の場合はゼロ(0)を壱(1)に変える(→「無」から「有」)場合の方が壱(1)を弐(2)に変える(→「有」から「有」)場合よりもその変化の意味が重大となるケースである。
つまり日本国の皇統においては「易姓革命」という用語に「姓Gの王朝が姓Sの王朝に取って代わる」という意味だけでなく、「姓無しの正統な皇統に、いかがわしい姓Kが附与される」という意味も含まれる、ということに十分に注意しなければならない。
天皇制廃止論者の唱える「女系天皇・女性天皇」容認論とは、この「易姓革命」に照準を絞った日本国の天皇(皇室)の消滅論(=国体の破壊論)にすぎないのである。
さて、エドマンド・バークを信奉する保守主義者である私〔=ブログ作成者〕は、「小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう」シリーズ全10回に渡って、逆賊・小林よしのりが、天皇制破壊論者である左翼・極左系・偽装保守系の天皇(皇室)学の似非学者・自称専門家・門外漢の論説を集積して漫画として描いたにすぎない『新天皇論』の妄言・暴論による虚偽・虚構に正面から対峙し、浅学の微力ではありながらも、日本国の万世一系、男系男子皇統の正統と、現代日本国民も過去の祖先がそうしたように、皇統の正統を世襲・継承せねばならぬ義務について、読者の皆さまを含む多くの日本国民に理解して頂くために、図表や古典や明治皇室典範などを引用しながら、私〔=ブログ作成者〕なりに可能な限り解り易く解説するように心掛けて、『新天皇論』への反論・反駁を試みたつもりである。
私〔=ブログ作成者〕としては、逆賊・小林よしのりの漫画『新天皇論』の言説ついて反駁したい点はまだまだ山ほどある。
特に、臣籍降下された当時の当主を含む旧宮家の嫡男系嫡出の男子子孫の皇籍復帰と皇位継承権の回復のための「現行・皇室典範」の早期改正(=旧典範への復元)問題と“皇族會議”ならぬ「皇室会議」の在り方及び皇室典範改正(=旧典範への復元)に係る有識者会議という(自称)専門家委員会の在り方の問題については、本来、触れたかったが、時間と紙幅の都合上割愛せざるを得なかった。
しかしながら、20・21世紀日本国におけるエドマンド・バークの再来と言っても全く過言ではない、碩学の中の碩学の政治哲学者である中川八洋 筑波大学名誉教授の著書『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』が、いよいよ本日平成23年6月30日(木)に発売開始されるから、徹底的な学術的論駁は、中川八洋先生のこの著書に期待することとし、この「小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう」シリーズ全十回は、今回をもって終了とさせて頂きたいと思う。
なお、最後になりましたが、
「小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう」シリーズ最終回にあたり、シリーズ連載中を通じて私〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆さまと多くの初来訪者の皆さまが、拙ブログに興味を示してアクセス頂き、毎回お決まりの纏まりのない長文であるにも関わらず、我慢強く、寛大な心で拙ブログを読み続けてくださったことが、私〔=ブログ作成者〕がこのシリーズ全10回を書き続けることができた大きな原動力となりました。
また、私〔=ブログ作成者〕のブログを応援して下さる真正保守(自由)主義グループの盟友たち、私〔=ブログ作成者〕の稚拙なブログに対し丁寧かつ貴重な智慧のコメントを御教示くださった方々の支えなくしてこのブログシリーズ全十回を書き終えることは出来なかったと思っております。
上記のすべての方々に対し、深く感謝の意を表しますとともに、心より厚く御礼申し上げまして、私〔=ブログ作成者〕のブログ「小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう」シリーズ全10回を終了させて頂きます。
読者の皆さま、御清聴ありがとうございました。
なお、次回からは、ブログ内容を現在の政治問題に戻して、反日・極左(詐欺師)菅直人民主党政権批判と真正保守(自由)主義哲学の解説に努めて参る所存ですので、読者の皆様におかれましては、今後も本ブログと末永くお付き合い下さいますよう、よろしくお願い申し上げます。
【平成23年6月30日AM2:00】
祝・中川八洋『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』発売
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
中川氏の著書を入手して読みました。若干気になった部分があったので言及しておきます。
1、誤植が散見されます。
「見ても読めなこと」は「見ても読めないこと」の間違いでしょう(71頁13行目)。
「手続きだけでも十全であると」は「手続きだけでも十分であると」の間違いだと思います(77頁10行目)。
「影山彰二」は「」影山正治」が正しいです(102頁最終行)。
里見岸雄の名前を「里見」と「里美」で混同しています(105~112頁)。
「女系主義」とすべきところを「女性主義」としています(175頁9行目)。
2、旧皇族の復籍方法を「特別立法」としています。
318頁等に書かれていますが、これではいけません。以前私が指摘したとおり、父子一系の「皇位継承権の世襲」をも復活させなければ、復活した宮家は全て「ニセ宮家」となります。
また、現行憲法も現行典範もGHQとの契約ないし条約に過ぎませんから、それらを正統と認める中川氏はおかしいと思います。
中川氏本人も「契約」であることは気づいているようですが…(国民の憲法改正・ビジネス社・57頁)。
「降伏後における米国政府の初期対日方針」の一つとしての皇室財産の解体の理由はいろいろ憶測されているが、この理由はともあれ、それによって、一九四七年二月二十日に皇室は財産税として三三億四二六八万一二九〇円という巨額を納付した。お手元には僅かしか残らなかった。このGHQの皇室財産解体の方針は現憲法にそのまま記載された。現憲法第八条の「皇室に財産を譲り渡し、・・・・・・」と、第八八条の「すべて皇室財産は国に属する・・・・・・」である。この両条項の存在は、現在の憲法がGHQと占領下の日本政府との間の占領にかかわる "契約書" であったことを示している。日本国憲法は、通常の憲法でなく、あくまでも占領行政当局と被占領国の間の契約書である。
3、平泉澄氏への批判は誹謗中傷レベルのものが少なくない。
大東亜戦争中の平泉氏の「犯罪」行為については本書で初めて知ったので、これ等については別に検証してみます。
ですが、平泉氏が「革命論」で主張したのは「先哲を見習い、革命を否定せねばならぬ」事であるにも拘らず、主旨を意図的に曲解しています(230頁)。
平泉氏がルソー主義を徹底的に排除した業績を見て見ぬふりをしています(264頁)。彼の本格的なルソー批判・フランス革命批判は「武士道の復活(錦正社)」に収録されています。
なお、この書の355~356頁には、日本に左翼思想が跳梁跋扈している元凶をフランス革命であると推定している行があります。296~297頁にはルソーの哲学を正しく読み説いている証拠が記されています。
今のところ気になる部分はこれだけです。新たに気づいた部分があれば、また色々と報告したいと思います。
by 錬金術師 (2011-06-30 17:21)
錬金術師 殿
いつも深淵な叡智を御教示いただき、深く感謝いたしております。
今後とも、ご指導の程よろしくお願い申し上げます。
さて、平泉澄氏の思想・哲学についての私の意見は、(貴殿は既に御承知の通り)盟友ブログ「真正保守政党を設立する」
→http://blog.livedoor.jp/shinseihoshu/archives/51857489.html
書籍紹介:「知識人とファシズム」「小林よしのり「新天皇論」の禍毒」
のコメント欄で述べさせて頂きました。
私の読者の皆様も「皇国史観とは何か」を知る上で、是非上記のコメントを読んで頂きたいと思います。
論点は、天皇(皇室)への忠義とは何か。
真の「武士道」とは何かという問題です。
ちなみに、「春」、「桜花」、「梅」、「正直」を詠んだ、古の日本人の心の歌をいくつかあげておきます。(千人万歌より抜粋)
我々は、天皇(皇室)、皇統を考えるためにも、「大和心の根本は何か」を問いなおしてみなければならないでしょう
紀友則
ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(古今84)
【通釈】日の光がやわらかにふりそそぐ今日――風もなく穏やかなこの春の日にあって、落ち着いた心なしに、どうして桜の花が散ってゆくのだろう。
み吉野の山べに咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける(古今60)
【通釈】吉野の山に咲いている桜の花は、雪かとばかり見間違いされてしまうのだった。
持統天皇
春過ぎて夏来(きた)るらし白たへの衣(ころも)乾(ほ)したり天(あめ)の香具山(万1-28)
【通釈】春は過ぎ去って、夏がやって来たらしい。白い布でつくった衣が乾してある。天の香具山に。
小野老
青丹(あをに)よし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり(万3-328)
【通釈】奈良の都は、咲く花の照り映えるが如く、今真っ盛りです。
志貴皇子
石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌え出づる春になりにけるかも(万8-1418)
【通釈】岩にほとばしる滝のほとりの蕨が、芽をふくらませる春となったのだなあ。
菅原道真
海ならずたたへる水の底までにきよき心は月ぞてらさむ(新古1699)
【通釈】月は、どんなに深く湛えた水の底まで照らすけれども、海よりも深く一点の濁りもない私の心は月が照らし出し、天が照覧して下さるだろう
このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま)もみぢの錦神のまにまに(古今420)
【通釈】このたびの旅は、出発の慌ただしさに、御幣の用意もできかねました。ところが手向山に来ますと木々の紅葉はさながら錦を織り成したよう。代りにこの紅葉を御幣として捧げますので、どうぞ神の御心のままにお受け下さい。
こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな(拾遺1006)
【通釈】東風が吹いたら、匂いを配所の私のもとまで寄越してくれ、梅の花よ。主人がいないからといって、春であることを忘れるなよ。
本居宣長
咲きにほふ春のさくらの花見ては荒らぶる神もあらじとぞ思ふ(枕の山)
【通釈】咲き映える桜の花を眺めるにつけ、この国に暴悪の神などあるまいと思うのである。
敷島のやまと心を人とはば朝日ににほふ山ざくら花(石上稿)
【通釈】日本人本来の心とは如何なるものかと人が問うならば、私はこう答えよう、「それは朝日に美しく映える山桜の花のように、うるわしいものである」と。
賀茂真淵
うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山ざくら花
【通釈】やわらかな陽が射してのどかな春の天地――その心が現れたかのように咲き出た、山桜の花よ。
かげろふのもゆる春日(はるび)の山桜あるかなきかの風にかをれり
【通釈】陽炎がたちのぼる春の日の山桜は、吹いているのかどうか分らないほどの微風に香っている。
在原業平
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(古今53)
【通釈】この世の中に全く桜というものが無かったならば、春を過ごす心はのどかであったろうよ。
紀貫之
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(古今42)
【通釈】住む人はさあどうか、心は変ってしまったか。それは知らないけれども、古里では、花が昔のままの香に匂っている。人の心はうつろいやすいとしても、花は以前と変らぬ様で私を迎え入れてくれるのだ。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-07-06 23:08)
こんばんは、丁寧なご説明をいつもして下さり感謝しております。
「皇族降下準則」の全文の資料が見つかったので、転記しておきます。
条文は現代語で表記します。
皇族ノ降下ニ関スル内規
第一条 皇玄孫ノ子孫タル王 明治四十年二月十一日勅定ノ皇室典範増補第一条及皇族身位令第二十五条ノ規定ニ依リ 情願ヲ為サザルトキハ 長子孫ノ系統四世以上ヲ除クノ他 勅旨ニ依リ家名ヲ賜ヒ華族ニ列ス
第二条 前条ノ長子孫ノ系統ヲ定ムルハ皇位継承ノ順序ニ依ル
第三条 長子孫ノ系統三世以上ニ在ル者 子孫ナクシテ父祖ニ先チ薨去シタル場合ニ於テ兄弟タル王アル時ハ 其ノ王皇位継承ノ順序ニ従ヒ之ニ代ルモノトス 四世ノ長子孫ナクシテ父祖ニ先チ薨去シタル場合亦同ジ
第四条 長子孫ノ系統四世以上ニ在ル者重大ナ事故アルトキハ他ノ系統ヲ以テ之ニ代フルコトアルベシ
前項ノ場合ニ於テハ皇族会議及枢密院顧問ニ諮詢シタル後之ヲ勅裁ス
第五条 前数条ノ規定ハ皇室典範第三十二条ノ規定ニ依リ親王ノ号ヲ宣賜セラレタル皇兄弟ノ子孫ニ之ヲ準用ス
附則
此ノ内規ハ現在ノ宣下親王ノ子孫現ニ宮号ヲ有スル王ノ子孫並兄弟ノ子孫ニ之ヲ準用ス但シ第一条ニ定メタル世数ハ故邦家親王ノ子ヲ一世トシ実系ニ依リ之ヲ算ス
博恭王ハ長子孫ノ系統ニ在ルモノト看做ス
邦芳王及多嘉王ニハ此ノ内規ヲ適用セズ
なお、私のパソコンでは見れないのですが、ウィキペディアの外部リンクに皇族降下に関する重要な文書が閲覧できると書いてありました。
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E6%97%A7%E7%9A%87%E6%97%8F/?from=websearch#.E6.B0.B8.E4.B8.96.E7.9A.87.E6.97.8F.E4.B8.BB.E7.BE.A9.E3.81.A8.E6.97.A7.E7.9A.87.E6.97.8F
by 錬金術師 (2011-07-08 21:08)
>ですが、平泉氏が「革命論」で主張したのは「先哲を見習い、革命を否定せねばならぬ」事であるにも拘らず、主旨を意図的に曲解しています(230頁)。
こんばんは、この主張についても「訂正宣言」を出します。
中川氏が仰る通り「革命はいけませんよ」と平泉氏は述べているだけで、思想防衛の戦略などについては何も言及していません。
よくよく考えてみれば、「革命はいけませんよ」と「先哲を見習い、革命を否定せねばならぬ」は全く同じ内容です。詰まり、中川氏の要約は間違ってはいません。
中川氏の知力に改めて敬意を表するとともに、自分の未熟さに基づく錯誤を謝罪したいと思います。
by 錬金術師 (2011-07-09 21:35)
錬金術師 殿
貴殿の深淵な叡智には感服いたしますし、「皇族降下準則」の全文資料のような丁寧親切極まる心遣いに、私は大変感謝しております。
しかしながら、最も私が貴殿に敬意を表するのは、鋭く深い叡智をお持ちでありながら、常に柔軟かつ謙虚に自己の思考を正しき方向へ導こうと努力される態度についてであります。
まさしく、真正保守(自由)主義の思考法であり、真の紳士、真の武士道の姿ではないでしょうか。
私は、そういう意味でも、貴殿を心から尊敬申し上げます。
ところが、中川八洋氏が、『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』で挙げられた左右論壇人や学識者(二名を除く)らは、貴殿の程度の深遠な叡智も持ち合わせないにも関わらず、学問と学識に対して極めて態度怠慢でプロ意識が全く欠如し、自己の浅薄な知識のみに基づく、自己主張だけは頑として枉げようとしない知的傲慢さです。
これでは、彼らには学識者として飯を食う価値すらありません。
さて、民族系と名指しされた、民族系諸氏は中川八洋氏の与えた各自の宿題をやり遂げるのでしょうか?
それとも、反発して憤怒するのみで結局逃げ出して放棄するのでしょうか?
私は、そういう意味において、今後の彼らの出方を注視しています。
それでは、今後ともよろしくお願い申し上げます。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-07-09 23:52)
>鋭く深い叡智をお持ちでありながら、常に柔軟かつ謙虚に自己の思考を正しき方向へ導こうと努力される態度についてであります。
おはようございます。私はそこまで頭脳明晰ではありません(笑)。
中川氏と異なり、高校は無名の中堅高校、大学は某私立大学の出身です。エリートコースとは無縁の人生を送っています。
「真実は何か」を調べる事を重視し、自分の主張が正しいと思いつつも、ひょっとしたら間違っているかもと考えているに過ぎません。
>さて、民族系と名指しされた、民族系諸氏は中川八洋氏の与えた各自の宿題をやり遂げるのでしょうか?
余り期待できないと思います。皇位継承問題に真剣に取り組んでいるなら、中川氏に宿題を出される以前に、浅見雅男や小田部雄次の説を完全粉砕している筈です。
望みがあるとすれば、宿題を免除された新田均氏くらいでしょう。今月号(8月号)の正論で、笠原英彦の知的不誠実さを早速暴いています。
>それとも、反発して憤怒するのみで結局逃げ出して放棄するのでしょうか?
逃げ出してくれた方が寧ろ助かるとすら考えています。「弱い味方は敵よりも始末が悪い。故に味方にする相手も慎重に選べ」という危機管理の鉄則があるからです。
例えば、第一次世界大戦の時、イタリアの二股外交に激怒したドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(在位1888~1918)に対して、フォン=ファルケンハイン参謀総長は明快に答えました。
「陛下、御懸念には及びません。もしイタリアが我が軍の味方には、ドイツ軍を五個師団程度増強する必要があろうかと存じますが、敵側となったいまでは、増援の必要はありません。現有兵力で十分対処できます」と(①)。
上記を含めた複数の例から、佐々淳行氏は以下の様に述べます。
「敵と戦う前に、味方の害を防ぐことを考えておかなくてはいけない。
敵を恐れるあまり、弱い、信頼のできない味方の頭数をそろえることに意を用いすぎると、<弱い味方は強い敵より悪い敵>という副作用に中毒してしまう危険があることを忘れてはならないだろう。」(②)
民族系男系派は信頼に足る味方と言えるでしょうか。中川氏の批判の仕方を見れば、明らかに「敵より厄介な弱い味方」に該当します。根本的な戦略は共通していても、足を引っ張られてはたまったものではありません。
彼等が出てくれば、「二正面作戦」を強いられる事になります。中川氏が個別の論考を深められなかったのは、これが原因ではないかと思います。
真正保守主義者のグループは彼等に期待する必要はありません。兵力集中で女系派を撃破する為には、彼等には引っ込んで貰った方が都合が良いでしょう。
① 危機管理のノウハウPART3・佐々淳行著・PHP文庫72頁
② 前掲書・74~75頁
by 錬金術師 (2011-07-12 09:08)
錬金術師様
そうなると、ブログで中川先生の著作を「失望した」と批判した谷田川氏は、どうでしょうか。谷田川氏は「チャンネル桜2000人委員会」にも名を連ねています。
by ストライクイーグル (2011-07-12 19:38)
ストライクイーグルさん、こんにちは。
谷田川惣氏は「頼りになる味方」だと見なして差し支えありません。
「皇統護持」の精神が民族派よりも抜きん出ています。そうでなければ、あれ程緻密な小林批判は出来ないでしょう。
因みに、中川八洋氏に対する批判は一理あります。
読者数・売上高を勝敗の根拠にするなら、中川氏の著書は何れ程売れているのかという問題に答えなければいけません。
仮に小林以下なら、中川氏の負けが自動的に決定します。
但し、中川氏への違和感はこの件以外に表明していませんので、残りの主張には賛成していると考えています。
チャンネル桜との関係も特に問題視する必要はないでしょう。谷田川氏の主張は民族派のそれと異なりますし、善意で入会しているだけだと思います。
どうしても気になるならば、谷田川氏に直接聞いてみてはどうでしょうか。
by 錬金術師 (2011-07-13 12:17)