保守主義Series-15--- Burke『フランス革命の省察』;悪徳の極み、フランス暴力革命 [政治]
読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
この度は、私的な諸事情によりブログ更新が大変遅くなりましたことを読者の皆様に深くお詫び申し上げます。
なお、今後とも、読者の皆様の忍耐と寛容の心をもって、拙ブログとお付き合い頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。
さて、今回Series 15は、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』の中から、“悪徳の極み、フランス暴力革命”と題して、バークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。
本ブログでは、社会主義・共産主義思想の唯一無二の強力な解毒薬である保守主義の父・エドマンド・バークの『フランス革命の省察』の最強の保守哲学を日本国民に拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党、社民党、共産党その他の社会主義政党に破壊的打撃を与えていくであろうと確信して、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』を真正保守(自由)主義の立場から邦訳し直して逐次ブログに掲載し、日本国中に復活させるスタンスを保守していく。
読者の皆さまにおかれましては、我々の祖国日本を社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制+議会制デモクラシー”の真正の日本国の姿へと救出・奪還・復活するため、“バーク保守哲学”、“真正保守(自由)主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。
邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎としながら、その詳細についてバーク哲学の基本原理を明解にするため、私〔=ブログ作成者〕が補足・更訂して理解しやすく改善したものである。
さらに、今回は、サミュエル・スマイルズ『品性論』の中から、現在の多くの日本国民に最も欠落しているように思えてならない「克己心(自制心)」について、数段落を抜粋して邦訳し、「CHARACTER, CHAPTERⅥ--- SELF-CONTROL」と題して掲載することにした。
おそらく現在の若者たちの中には「克己」の読み方と意味すら解らない者も多いのではなかろうかと心配になるが、それが、解ろうと解るまいと「克己心(こっきしん)」なくして、文明人が自らの属する文明社会の中で善く(上手に)生きることなど決してできないのが避けがたい現実なのである。
故に、ここでは、サミュエル・スマイルズ『品性論』における「克己心」に関する内容を選別して読み易くして掲載したので、若者たちは、少なくとも一度は目を通して頂きたいと思う。
「道徳なんか、超うざい!超面倒!私は人権で守られている!!」などと思っている者もスマイルズの『品性論』を一度でよいから読んでみて欲しい。
「こんな大切なことを知らなかったなんて、こんな大事なことを学校で全く教えてくれないなんて、マジ、ヤバイ!マジ、文科省、教育委員会、日教組、最低!」と思うかもしれない。
さらに「こんな道徳も知らず、こんなヘンテコな言葉遣いしかできない自分は、日本人として超ヤバイ?」と痛感するかもしれない。
私〔=ブログ作成者〕はそのような反応が若者たちからどんどん返ってくることを期待してやまない。
が、現役世代の大人たちも高齢世代の大人たちも「そうだ!全くその通りだ!!」と納得ばかりしている場合ではない。幼児や子供や青少年の品性は、彼らを育てた大人の品性の「鏡に過ぎない」のだから…。
This was unnatural. The rest is in order.
They have found their punishment in their success.
Laws overturned; tribunals subverted; industry without vigour; commerce expiring; the revenue unpaid, yet the people impoverished; a church pillaged, and a state not received; civil and military anarchy made the constitution of the kingdom; everything human and divine sacrificed to the idol of public credit, and national bankruptcy the consequence; and to crown all, the paper securities of new, precarious, tottering power, the discredited paper securities of impoverished fraud, and beggared rapine, held out as a currency for the support of an empire, in lieu of the two great recognized species that represent the lasting conventional credit of mankind, which disappeared and hid themselves in the earth from whence they came, when the principle of property, whose creatures and representatives they are, was systematically subverted.29
29) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.36-37.(『フランス革命の省察』、みすず書房、50~51頁に対応)
この反逆は、自然に反した(=異常なこと)でした。
(ゆえに)残りの出来事は自然の道理に従って起こりました。
彼ら(フランス人)は、(自然に反した行為)に成功したがゆえに、罰を受けたのです。
(フランスの)法は覆され、法廷は瓦解し、産業は活力を失い、通商は途絶し、歳入は納税されないにも拘らず国民は貧窮し、教会は略奪され、聖職者身分は救済されず、国民(文民)と軍隊(軍人)双方における無法が(フランス)王国の国体となりました。
人間に関すること(=政治)も神に関すること(=宗教)もすべて公債という偶像(=人間理性の象徴的産物)のための犠牲とされ、結果は国家の破産でした。
そして極めつけは、新参で頼りなく今にも倒れそうな権力が発行する紙幣(=アシニア紙幣)だったのです。
それは窮乏した詐欺師が発行した信用できぬ保証の紙切れにすぎず、それは帝国を支えるための通貨として約束された表現困難な略奪にすぎませんでした。
そしてその紙幣で以て、恒久的慣習的に人類の信用を代表してきた二大正貨(=金貨と銀貨)に取って代わろうというのです。
この二大正貨は、所有の原理
――紙幣とは、二大正貨の被造物であり、またその表現にすぎません――
が組織的に破壊された時点で消失し、自らの生まれ故郷である大地の中へと自ら姿を隠してしまいました。
Were all these dreadful things necessary?
Were they the inevitable results of the desperate struggle of determined patriots, compelled to wade through blood and tumult, to the quiet shore of a tranquil and prosperous liberty?
No! nothing like it.
The fresh ruins of France, which shock our feelings wherever we can turn our eyes, are not the devastation of civil war; they are the sad but instructive monuments of rash and ignorant counsel in time of profound peace.
They are the display of inconsiderate and presumptuous, because unresisted and irresistible authority.
The persons who have thus squandered away the precious treasure of their crimes, the persons who have made this prodigal and wild waste of public evils(the last stake reserved for the ultimate reason of the state) have met in their progress with little, or rather with no opposition at all.
Their whole march was more like a triumphal procession than the progress of a war.
Their pioneers have gone before them, and demolished and laid everything level at their feet.
Not one drop of their blood have they shed in the cause of the country they have ruined.
They have made no sacrifices to their projects of greater consequence than their shoe-buckles, whilst they were imprisoning their king, murdering their fellow citizens, and bathing in tears, and plunging in poverty and distress, thousands of worthy men and worthy families.
Their cruelty has not even been the base result of fear.
It has been the effect of their sense of perfect safety, in authorizing treasons, robberies, rapes, assassinations, slaughters, and burnings throughout their harassed land.
But the cause of all was plain from the beginning.30
30) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.37-38.(『フランス革命の省察』、みすず書房、51~52頁に対応)
こうした恐るべき行為は皆必要だったのでしょうか。
愛国者が、平穏で繁栄した自由という心安らかな彼岸にたどり着くには、殺戮と騒乱の中を踏み分けて進むのを余儀なくされ、決意を固めて死に物狂いの闘争したことによる不可避の結果だったのでしょうか。
いいえ、違います。
それとはおよそ似ても似つきません。
フランスの新たな廃墟は、どこを見渡しても我々の感情に衝撃を与えますが、内乱による惨禍ではなくて、深い平和時代の中で無分別で無知な企てがもたらした、悲しいが教訓を多く含む(王国の)遺跡なのです。
それは、抵抗もされず、また抵抗することもできないからこそ無思慮で傲岸な権力の見世物です。
このように自らの犯罪によって得た貴重な財産を惜しみもなく使い果たした連中、国家(政府)による悪事〔国家の究極的な存在理由として、保留されてきた、触れてはならぬ身代金というべきもの〕という放蕩で野蛮な老廃物を生み出した連中は、その過程において殆ど、というよりはむしろ全く反対者に出会いませんでした。
彼らの進軍全体が、交戦中の前進というよりも(戦争後の)凱旋行進に似ていました。
先陣(=ルソーやボルテールらの啓蒙思想家)が彼らの前を進み、すべてを足下に破壊し去り、平らに均しておいた(=虚偽の平等主義などの思想をまき散らしておいた)のです。
彼らは自らが破滅させた国家の大義のために一滴たりとも自分の血は流しませんでした。
彼らは国王を投獄し、同胞国民を殺戮し、幾千もの優れた人々や優れた家族を涙で溢れさせ、貧困と苦悩に陥れながらも、他方甚大な結果をもたらした彼らの計画のためには、靴の留金以上の犠牲は何も支払わなかったのです。
彼らの残酷さは、恐怖に起因した卑劣な結果でさえありませんでした。
それは、疲弊しきった国土のいたる所で、叛逆、強盗、略奪、暗殺、虐殺、放火などの行為を正当化して(許可を与えて)も、自分達だけは完全に安全であるという彼らの意識がもたらしたものだったのです。
いずれにせよすべての原因は最初から明白だったのです。
This unforced choice, this fond election of evil, would appear perfectly unaccountable, if we did not consider the composition of the National Assembly; I do not mean its formal constitution, which, as it now stands, is exceptionable enough, but the materials of which in a great measure it is composed, which is of ten thousand times greater consequence than all the formalities in the world.
If we were to know nothing of this Assembly but by its title and function, no colours could paint to the imagination anything more venerable.
In that light the mind of an enquirer, subdued by such an awful image as that of the virtue and wisdom of a whole people collected into a focus, would pause and hesitate in condemning things even of the very worst aspect.
Instead of blameable, they would appear only mysterious.
But no name, no power, no function, no artificial institution whatsoever, can make the men of whom any system of authority is composed, any other than God, and nature, and education, and their habits of life have made them. Capacities beyond these the people have not to give.
Virtue and wisdom may be the objects of their choice; but their choice confers neither the one nor the other on those upon whom they lay their ordaining hands. They have not the engagement of nature, they have not the promise of revelation for any such powers.31
31) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.38.(『フランス革命の省察』、みすず書房、52頁に対応)
強いられた訳でもないこの選択――つまり、好んで悪へと向かうこの選択――は、国民議会の構成を考えてみない限り全く不可能でしょう。
私が言いたいことはその形式上の構成――現状ではそれも異議を唱えるのに充分なのですが――のことではありません。
私が言いたいのは、世界中の形式問題を合わせたよりも1万倍も重要な、国民議会の大部分を構成している実質の方なのです。
もし、我々がこの国民議会について、その(表面上の)肩書きと職務による以外何も(実体を)知らないとするならば、どのような色彩を以てしてもこれ以上尊ぶべきものを想像力に向かって描いて見せることは不可能でしょう。
そうした見方をすれば、(国民議会の)質問者の心は、(あたかも)一点に集められた全国民の美徳と智恵の心であるかのような畏怖のイメージによって抑制され、事態のまさに最悪の側面についてすら、強く非難するのに気が引け、躊躇することになるでしょう。
そうした(事態の最悪の側面についてすら批判を躊躇するような)態度は、非難されるどころか、かえって神秘的であると思われるだけなのです。
しかし、如何なる名称、如何なる権力、如何なる職務、如何なる人為的制度といえども、ある権力機構の構成者たち(=政府の構成者たち)を、これまで神や自然や教育や彼らの生活習慣によって規定されて来た存在以外の存在に変えることなど不可能なのです。
また、(政府が)与えようにも、そもそも(受け入れる側の)国民が、それを上回る許容能力など持っておりません。
確かに美徳と智恵は、国民による選択の対象たり得るでしょう(→国民は、国政選挙において、立候補者の美徳や智恵らしきものを判断して投票行動することはあり得るだろう)。
だからと言って、国民による選択(=国民による選挙)が、国民自らが聖職の按手を行った人々(=国民による選挙で当選し、国政を担うよう運命づけられた政治家)に対して美徳と智恵を授与したことにはなりません。
国民は、そのような選挙による権力者の誰とも、原初契約を結んだわけでもないし、権力者との間に、神の啓示に基づく契約を結んだわけでもないからです。
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【平成23年10月30日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)




バーク保守主義者さん、御無沙汰しております。
中川八洋氏の最新の論文に関する情報を拡散して頂き、有り難うございます。そして、お礼のお返事が遅れて申し訳ありません。
今回の撃論は、良質な論考が多数ありましたので、値段以上の価値があるものでした。特に放射線関連の良書を紹介している章は、私の様な文系学生だった者に対しては本当に大助かりです。
原子力工学・物理学などに通暁していない真正保守主義者は、私も含めて偽情報に惑わされない様にする必要があります。
福島原発事故で極左の手先となった民族派は、敗戦のショックで憲法9条の狂信者と化し、客観的思考が不可能になった進歩的文化人と全く同じです。「福島瑞穂のペット」とは、それを鋭く洞察した中川氏の賢明さを象徴している単語だと思います。
何れにせよ、民族派と極左に対して二正面作戦を続けなければいけないので、真正自由主義者の結束をより強める事が最優先の課題となるでしょう。
by 錬金術師 (2011-10-30 23:48)