保守主義の哲学---「原子力規制委員会」委員人事に国会同意を与える“愚行”について [政治]
◆◆新聞記事(ここから)◆◆
電力各社「廃炉費、負担する余裕ない」 国への訴求検討の動きも 原子力規制委の調査団報告書案(産経新聞 2013.1.28 20:33)
→http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130128/biz13012820340035-n1.htm
原子力規制委員会の調査団の報告書案で、日本原子力発電敦賀原発(福井県)の直下に活断層がある可能性が高いと示されたことを受け、日本原電に出資している電力各社に動揺が広がっている。日本原電に廃炉費用を負担する力がなく、電力各社が支援せざるをえないからだ。
エネルギー政策の混乱を招いた政府に対し、廃炉費用の請求を検討する動きも出始めている。
「契約していた電気をもらえない上に、廃炉費用も負担することになるなんて…」。
規制委の判断に電力大手幹部は頭を抱える。
日本原電は株式の大半を電力9社とJパワー(電源開発)が保有し、発電した電気は東京電力など5社に販売している。電力各社にとって共同開発した日本原電の原発は「自社電源と同じ位置づけ」(電気事業連合会)だ。日本原電が廃炉費用を支払えなければ、少なくとも受電する5社は一定の負担が必要になる。
電力各社は、原発の廃炉に備えて積立金をしており、廃炉が決まった際に積立金が不足すれば、費用を一括計上する。
経済産業省の試算では、原子炉直下に活断層が延びる敦賀2号機の廃炉が今年度内に決まると、日本原電は200億円超の積立金不足になる。
電力各社は原発停止に伴う燃料費負担で財務状況が悪化しており、日本原電の廃炉費用を全て負担する余裕はない。
電事連の八木誠会長(関西電力社長)は「政策的な面で廃炉になるなら負担は国と協議する」と述べ、国に肩代わりを求める考えを示唆している。
◆◆記事(ここまで)◆◆
安倍晋三首相の所信表明演説が本日行われた。
→http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130128/plc13012814390015-n1.htm
そこで、安倍内閣に一言、助言申し上げたい。
安倍内閣の「経済再生」・「強い経済」という政策の主柱は、上記記事のような「原子力規制委員会」委員人事に国会同意を与え、極左思想に偏向する同委員会に「無制限の権力」を与えるならば、即座に足を引っ張られて、遠からず「挫折」へと向かう運命となるだろう。
昨年末の総選挙で自民党に大勝(圧勝)された、極左・左翼主義者らの日本経済破壊・自民党政権打倒・今夏参議院選勝利への“最期の頼みの綱”の一つが「原子力規制委員会」委員の国会同意人事である。
もし、3条委員会としての「原子力規制委員会」に内閣・国会から独立した「無制限の権力」を与えれば、同委員会にみられる思想傾向により、遠からず、すべての原発に「廃止」「停止」「建設不可」の烙印を押すというマルクス主義の反大企業闘争(反資本主義闘争)・反自由主義という総攻撃に出てくるのは火を見るより明らかではないか。
マルクス主義者あるいは共産主義者は、自己の信仰教義
(→この場合には、反原発・脱原発を決定づけること、そのためにはどこであれ、必ず「活断層があると結論づけねばならない」こと)
に従がって、「主体的革命運動をする(=宗教運動する」ことのみが目的である。
彼らには、電力不足で日本の産業が空洞化していく危険とか、経済活動の停滞や縮小から日本経済がどれほど下降し、どんな深刻な影響を及ぼすかなど、一般(=普通の)国民にとって最も核心的な重要問題については黙して語らない。
語っても、国民騙しのデマゴギーばかり。
さらに、彼らは、戦後の日本国に安定的に電力を供給した東京電力やその他の電力各社に対する感謝も敬意も一かけらもなく、代わりに東電や(無関係の)電力各社にまであらん限りの罵詈罵倒を浴びせ、デモなどによる営業妨害を続けるだけ。
敦賀原発の「報告書」を読んでみよ!
断層(→活断層とは限らない)が発見されたことに歓喜し、強調文字や着色でアピールしているが、結論部分を読めば、それでなぜ原発直下に活断層があると断定できるのか極めて疑問であり、まじめに読めば、むしろ「活断層がある・活断層である、とは断定できない」というの結論とするのが自然ではないか?
一体どこが、中立・公正なのか?
果たして、安倍内閣及び自民党は、このような極左・左翼主義者の運動(=政府打倒・政策挫折の運動)にわざわざ手を差し出し、自らの「経済再生政策」を挫折に導く必要があろうか?
安倍内閣・自民党及び良識ある日本国民は、次のことを胸に刻むべきであろう。
我々が為すべきことは「原発の灯(=原発のエネルギー)」を消すことではなく、あらゆる政策分野において戦後の日本国に跋扈してきた「マルクス主義/マルクス・レーニン主義」の反日・極左の「運動の灯(=目的と運動エネルギー)」を消し去ることによって日本国の復興と再生を図ることにある、ということだ。
最後にもう一度、安倍内閣及び自民党に申し上げるが、政権は発足したばかり。
早速、自らの政策の手を自ら縛るような愚行は避けるべきであろう。
(過去のブログ、参考まで。)
→「フェミニズム」の禍毒---ジェンダー・フリー教育を全廃せよ!
→日本国の天壌無窮の繁栄あらんことを願ひて平成24年1月掲載〔PDF〕




初めまして。今晩は。
今更で大変恐縮なのですが常々思っていましたことで質問させて頂きます。
中川系統の皇統論について全面的に賛成で文句の付けどころもないのですが一つ疑問に思ったことがあります。
中川先生は「悠仁天皇と皇室典範」の中で「養子論はその男系維持の意に反して女系への道を不可避にするのでやめろ」的なことを仰られていましたが今や養子論の筆頭である竹田恒泰先生に批判をされているのを見ません。やはり旧皇族で在らせられる方ですのでかの中川教授でも敬して遠ざけていらっしゃるのでしょうか?
それとも別のところで批判をされているのでしょうか?
何分高校生の身ゆえ入手できる情報が限られています。手持ちの情報は「国民の憲法改正」「悠仁天皇と皇室典範」「小林よしのり新天皇論の禍毒」のみです。
貴兄の知りうる範囲の情報と貴兄の竹田氏に対するスタンスをお教えください。
竹田氏の影響は大きく知恵袋などで養子論を一つづつつぶそうと思っても難しいです。
因みに僕は彼女と友達に反ルソー,人権主義を広めることに成功しました。そしてこのブログを読んで政治家を志しました。それもこれもすべて中川先生とエドマンドバーク保守主義者さんのおかげです有難うございました。
by 相続の原理 (2013-01-31 20:29)
相続の原理さん
竹田さんは、独自に皇統論を述べておられるわけではなく、中川先生が「新天皇論の禍毒」で批判されている日本会議系の保守知識人の影響を受けつつ連動して述べておられます。また、竹田さんは、皇族は自らの利益を図る言説をなさず(私心を去る)ということに立脚され、自らがその対象となってしまう「旧皇族男系男子末裔の即時全員復帰」などをお話になることはありません。本来であれば、「養子論でございますか、その大御心はありがたい限りでございます。然れども殿下、皇統が無窮であるためには、その方法はならぬことでございます。殿下は御立場上養子論をお話下さいませ。下々の我々は、旧宮家復帰をお話させていだきます」と申し上げるのが、臣下の努めではないと思うのです。
by うまやど (2013-02-02 10:45)
うまやど樣
貴兄の大変に素晴らしく分かりやすいご教示のおかげで自分が長年抱いてきた疑問を晴らすことができました。有難うございました。
竹田先生の養子論が立場上やむを得ない選択でありそれは日本会議などの保守系とみなされている団体に歩調を合わせられているのであれば私たちにできることは日本会議の唱える養子論は亡国の政策であるということを国民に知らしめるとともに日本会議などを我々の勢力とすることでしょうか?それとも彼らとは袂を分かつべきでしょうか?
by 相続の原理 (2013-02-06 21:20)
相続の原理殿
上の文章の一番最後に「努めではないのか」の「か」が欠落しているにも関わらず、文意をとっていただきましてありがとうございます。
日本会議系とは一線を画しつつ、日本会議系の正しい部分はほめ、間違っている部分は叩く、という風にするよりないと思います。最近チャンネル桜にも登場してマスコミ人となってからは劣化が激しい谷田川さんなどは、徹底して叩く必要があると思います。現在は、南出さんの一派が叩いておられるので、必要に応じて助太刀されればよいと思います。
竹田さんは宮様ですので、よほどのことがない限り直接たたくのは不敬ですので、日本会議系知識人の誤りを撃つのがよいと思います。
>日本会議などを我々の勢力とする
これは困難でしょうねぇ。まだまだ何十年もかかりますよ。日本会議は進歩主義を取りいれてしまっていますし、明治維新観、大東亜戦争観、GHQ観などいろいろ齟齬があります。
by うまやど (2013-02-08 12:10)
うまやど樣
確かに最近の谷田川さんには何か違和感を覚えていました。コラムブログの中でも「日本国憲法の国民主権とは西洋の主権概念とは単純に同じにはできない。」などと仰っていましたし。おやっと思っていました。倉山さんも同じような節がありますよね。
しかし私は南出さんの論理には全くと言っていい程納得がいきません。日本国憲法を無効にする目的が彼の論理からは見えません。帝国憲法の復元?それならまだ倉山さんのやり方のほうが現実味がありますし,帝国憲法が戻れば未来はバラ色なのでしょうか?曲げられた法が直ちに戻るのでしょうか?保守主義とは形式よりも内容を重んじるのではないのでしょうか?我々は帝国憲法を日本国憲法の改正により我々の手で再発見するべきだと思います。そうすることで明治開国以来我が国に害をなしてきたルソー主義一掃の機会も出てくると思います。そうすることでケルンの言った「法は曲げられ、偽造されることもあるが、やがて法は再び自己を回復し、結局はやはり、法を冒涜した罪人を粉砕する。」を達成することができると思うのです。
日本会議系との距離感はすごい微妙で難しいですね。あまり叩けばいくら正しいことを言っても多勢に無勢で保守主義者のほうが不利になりそうですね。
長くなったうえに若造が生意気言ってすみませんでした。
by 相続の原理 (2013-02-13 20:23)
相続の原理殿
倉山さん、谷田川さんは、国民主権という虚構を受け入れ、民衆による積極的な支持によってあらゆるものは成立しなければならない、としています。「伝統における先祖代々による支持」に積極的な意味を見出さず、刹那の民衆の支持にこそ意味を見出していますから、「ニセ保守」なり、「偽装保守」なり、「ア保守」なりと表現するよりありません。
南出さんは、保守側からの憲法改正(改悪)阻止運動という点では評価できると考えています。しかしながら、南出さんの理論は、現在の憲法学会の説や判例に齟齬のない現行憲法典無効理論ですので、究極のところよって立つ理論体系がドイツ法学となっています。その結果、我々が問題視するところの、現行憲法典そのものの問題よりもさらにもっと根本的な問題は、「まっとうな(歴史法学的な、英米法的な、古来の慣習尊重的な)憲法解釈」そのものが損なわれていることだ、という問題意識に対しては頓珍漢な意見を提示するだけになっていることです。
>保守主義とは形式よりも内容を重んじるのではないのでしょうか?
>我々は帝国憲法を日本国憲法の改正により我々の手で再発見するべき
そうですね。私がひっかかりますのは、「日本国憲法の改正により」の部分ですね。なぜなら、おっしゃる「内容」というのは、実は、現行憲法典の「中にすら発見」可能だからです。テキストがあってその解釈をする、というのが大陸法ですが、本来歴史法学というのは歴史に即した常識があってそれに合わせて書かれているはずの法文を常識に基づいて正しく解釈するものです。そういうわけですので、歴史に即した常識で現行憲法典を解釈し、どうにもならない部分は、その部分を無効化しそれを迂回する慣習を再発見・修復することで法を再生すればいいわけです。
簡単に模式化すれば、
不文法 > 帝国憲法典 > 現行憲法典
という形で「有効/無効」が定まりますから、現行憲法典は帝国憲法典に反しない限りで有効であるに過ぎず、明治憲法典以降に生じた新たな状況については、不文法・帝国憲法典の趣旨にそった「法」を再発見することになります。
by うまやど (2013-02-14 16:43)
承前
不文法 > 帝国憲法典 > 現行憲法典
というのは、南出さんもお使いなのですが、法典全部にそれを適用してしまっています。本来の保守主義、歴史法学の立場に立てば、法文の一つ一つについて上の模式を適用するものではないかと思うのです。
ルソー・デカルト主義のドグマに汚染され、解釈をすり替えられてしまっています現行憲法典ですが、こちらがわがアイデンティティを取り戻し、解釈の方法論を再発見いたしますと、なかなかに面白いものです。以前みなさまに教えてもらいつつ書き連ねましたものをご紹介いたします。
国民の「総意」って何? 直系主義は憲法違反!
http://togetter.com/li/251911
皇位の世襲って何? #女性宮家 は「憲法違反」です。
http://togetter.com/li/247237
「法の下の平等」は公家制度の復活を禁止しているのではない
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/63169176.html
ご参考までに
by うまやど (2013-02-14 16:58)
うまやど樣
確かに貴兄の仰るように歴史法学的,英米法学的に現行憲法を解釈することで法を取り戻すことが良いと思います。
ただ私が「帝国憲法(もっと言えば法)を日本国憲法の改正によって再発見されるべき」というのは国民の手によってこの憲法を一言一句”全面改正”することで古来からの法を再発見することを体験(適語が見つかりません)できると考えさらに政界,教育界,官界などに巣食うルソー主義者を一掃でき国民の間に免疫を作れるのではと考えたからです。
解釈で何とかなるならそれに超したことはないのですが解釈では広く国民に伝わらないのではと思いました。改正ならば国民の間でも議論が深まり広く伝わるのでは思います。
また若輩が生意気言ってすみませんでした。
by 相続の原理 (2013-02-15 20:58)
相続の原理殿
>国民の手によってこの憲法を一言一句”全面改正”することで古来からの法を再発見することを体験(適語が見つかりません)できる
なるほど、一見一理ありますが、3つ致命的な問題がありませんか?
1.国民の手でっていうのは、いわゆる国民主権(人民主権)説では?
2.大衆である国民の各自に憲法という統治の法を発見する能力は?
3.2が可能だとしたらその場合は教育によるでしょうが、そもそも、
歴史法学的な憲法典の解釈や成文化に成功している言説はありや?
そもそも、一般国民にそんな能力があるわけではないという厳然たる事実を出発点に、君主制、貴族制、代議制が肯定されており、国民の暴走を防ぐべくということを含んで立憲制が肯定されているのではいですか? これを逆にして、国民こそ抑圧されており、それを解放し、国民の天国とするのだ、というのがルソーの社会契約説です。もっとも、ルソーの理論はさらにひとひねりあって、そんな状態にすると実際は無茶苦茶になるので、そこで俺様という独裁者の登場さ、となっているわけですけれど。
こういうのは、会社の中でだれが社長をやっても大丈夫だ、とか、だれでも学校の先生をすべきだ、とかというようなのと同様の問題です。人は親としてそこそこの教育をなすことはほぼ皆出来ますが、10人、100人、1000人を育てられるかどうかは別です。そこそこおいしい食事をつくることはほぼ皆おかあさんたちは出来ますが、美味しい料理となればおのずとできる人は減ってしまう。統治の技は微妙なものですから、その任に耐えるものに委ねるというのが、君主制、貴族制、代議制の妙です。その妙を形にしたのが「憲法典」なのです。
現在、歴史法学的に我が国の統治の妙を形にしたものは明治憲法典があるだけです。しかし、残念ながらその解釈はドイツ法のものとなりまったく運用に失敗しました。国民にまっとうな知識を普及して、それをベースに国民運動をおしすすめようにも、ベースとなる知識がない。極めて断片しかない、むしろ、「誤った解釈」を推進するような知識が無数に普及されている、というような塩梅なのですよ。
by うまやど (2013-02-17 09:56)
うまやど様
ずっと今の憲法をいただいていると、
「ゆでガエル」状態になりませんかね。
改正で一致団結して、ベターな憲法に改正した方が
よくありませんか?
by ただのぶ (2013-02-23 13:05)
ただのぶさん
憲法典を改正するだけのエネルギーがあるなら、その前に憲法典を変えなくてもできるような事は当然できるはずなのです。
例えば、
・旧宮家の男系男子末裔の即時復帰
・農協の廃止
・男女共同参画法の廃止
・スパイ防止法の制定
・不敬罪の復活
・学校教育における社会科の即時廃止
・生活保護の水準半減、対象者半減
・地方交付税交付金の全廃
・京都議定書からの離脱
・パチンコへの懲罰課税
・国家財政を収支均衡させる
・混合診療の徹底
・最低賃金を十分に引き下げる
・差別是正政策を廃止
ここに上げたようなことの実行には、憲法改正は全く必要ありません。
なぜ、これをやらないのでしょう? もし、これらが不可能だと思うのなら、憲法典を改正したところで、これらと真逆の憲法典改悪しかできないことでしょう。
憲法奴隷から離脱しない限り、憲法改正ごっこという幻想から覚めることもありません。
by うまやど (2013-02-23 21:28)
うまやど様
ご回答ありがとうございます。
確かに、現憲法を解釈しながら、併せていく方が、
本来のわが国のやり方なのかもしれません。
であれば、難癖をつけてくる輩に対抗するため、
解釈する際の思考をなるだけ多くの国民が
腑に落ちるようにならなければなりませんね。
ループしてしまいますが、そのように解釈しない輩の
声が大きいことが問題で、それをわざわざ取り上げる
マスコミがいることも問題。
by ただのぶ (2013-02-24 09:11)
うまやど樣
お久しぶりで御座います。なにぶんテスト期間なもので・・・
そういえば今日各自で考えた「世界一有名な日本人は誰だ」というテーマの一対一の英語のスピーキングテストがあり私は偉大なる先帝陛下にさせて頂いたのですが私が昭和天皇と言ったとたん普段はおとなしいおじいちゃん先生の目が変わり聞き直され発表の後の質問タイムでは「君はどうして彼を尊敬するんだ?私は彼が温かい心の”人間”としては尊敬できるがたくさんの人を殺した日本のトップとしては尊敬できない。」とつめよられ(にこやかでしたが)恐怖を覚えました。まさに高教組恐るべしって感じでした。
そんなことよりあれから考えましたが言われてみれば確かにそうだなと納得いたしました。貴兄のやり方のほうが日本人的ではないかと思うようになりました。江戸時代以前の日本は基本的に英米法的な法律の運用がなされていたと私は思うのでその方がいいと思いました。
あと今に始まったことではないのですが貴兄は各都市のミニ東京化についてどのように考えられますか?
by 相続の原理 (2013-02-25 23:38)
ただのぶ殿
>であれば、難癖をつけてくる輩に対抗するため、
>解釈する際の思考をなるだけ多くの国民が
>腑に落ちるようにならなければなりませんね。
はい。おっしゃる通りです。
すでに、ヒューム、バーク、井上毅、ハイエク、中川八洋などによって、基礎理論は発見されています。問題は、いずれも難解だということなんですよね。現在は、文系大学院クラスの人でないと理解はできません。これが「腑に落ちる」ように表現されること、これは我々の仕事なのです。ここに集われる、ただのぶさんや相続の原理さんの仕事なのですよ。
私はなにかの導きでたまたま専門学校の教師をしていますが、まぁ専門学校の学生や、小学生にも、「スカッ」とわかるようなレベルにまで理解が深まりかつ表現が簡潔になりませんと、左翼には勝てませんでしょうね。奴らは「命どぅ宝」とか、「写9(憲法9条の写経(笑))」などという、超カンタン表現にまで成功しておりますので。
もっとも、かつて仏教という微妙にずれた宗教が我が国流入いたしましたが、我々の御先祖は、「南無阿弥陀仏」や「南妙法蓮華経」などの念仏やお題目などに昇華し、無事無力化に成功しています。あるいは、一休和尚のように、反論しにくいエセ正論に対しては頓智にしてしまうとか、叡智を発揮しておられます。「葬式仏教」などというのも、叡智の塊でしょうね。
こんな感じに、我々は我々の歴史、御先祖の営為の中に、啓蒙思想を無力化する知恵を発見しながら、「憲法典の完全空文化(律令と同じ運命)」という民族の叡智にむけて進んでまいりましょう。
by うまやど (2013-02-26 11:29)
相続の原理殿
>各都市のミニ東京化についてどのように考えられますか?
この原因はいろいろあると思いますが、不文法を尊ぶ立場から申し上げますと、憲法典と同様の国体法である民法典の不動産の部門などには、非常に多くの問題が潜まされております。
例えば、 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M29/M29HO089.html
第二百三十四条 建物を築造するには、境界線から五十センチメートル以上の距離を保たなければならない。
第二百三十五条 境界線から一メートル未満の距離において他人の宅地を見通すことのできる窓又は縁側(ベランダを含む。次項において同じ。)を設ける者は、目隠しを付けなければならない。
第二百三十六条 前二条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。
これは建物と建物の間には間隔を空けなければならない、という民法の規定です。問題は、第二百三十六条です。これによると、慣習があるときは慣習にしたがって良いが、慣習がないときは間隔をあけろ、という規定です。これはどうなのでしょう。
一見、慣習がある時は慣習に従えるので問題ない、と見えるかもしれません。しかし、よく考えれば慣習がない時は、自動的に「東京方式」が強制される、という話なのです。
京都のような土地では慣習に従って、建物の間隔を明けずに建築することが許されますが、そんな京都ですら、新街区なら慣習はないので「東京方式」となります。まして、ただのニュータウンなら完全「東京方式」なんですよ。
このような規定は民法の中に沢山ありまして、それらの表現は、「日本の町を法令によって近代化する (この例では、隣棟間隔を開けて火災の広がりを抑止するという方針)」という明治政府の意図で定められたものなのです。東大の都市工学科で教授がそう講義しておりましたので、間違いありません。
つづく
by うまやど (2013-02-26 11:44)
承前
ならば、民法典としてはどのように表現すべきだったのでしょうか? 「近代化してやんよ」という意図を抑止しつつ、厚生を守るという立場でゆくのであったならば、
当時の町家の慣習は、隣の建物とは壁を共有して連続して建てるというものなのでしたから、
第二百三十四条 次二条の規定と異なる慣習があるときは、その慣習に従う。
2. 慣習がない場合は、その周辺地域の慣習を援用する。
3. 周辺地域がない場合は、次二条の規定に従う。
第二百三十五条 建物を築造するには、境界線の壁を隣家と共有することができる。但し、新規に築造する場合は、共有壁を不燃化しなければならない。
第二百三十五条の2 建物を築造する際に、境界線から五十センチメートル以上の距離を保って建築する場合は、町並みの連続性に留意しなければならない。
こんな感じに、順序は逆になり、優先順位も逆になるはずなのです。
ミニ東京化の根は深いです。憲法典の法解釈だけなく、民法典にせよ、刑法典にせよ、法解釈を歴史法学に戻さない限り、いかんともし難いですね。
by うまやど (2013-02-26 11:56)
うまやど樣
何とも奥の深い問題なんですね。ミニ東京化が民法典の再解釈にいたるとは考えもしませんでした。いやはや考えさせられました。
なかなか目指すべき道は遠いですね。
国会議員の中で我々に近い考えの方はいらっしゃるのでしょうかね。
申し訳ないのですがうまやど樣お勧めの本,これは絶対に読んどいたほうがいいぞっていう本をお教えいただけないでしょうか。
今までに読んだ本は
中川八洋「国民の憲法改正」「悠仁天皇と皇室典範」「新天皇論の禍毒」「福田和也と魔の思想」
バーク「フランス革命の省察」
ハイエク「隷属への道」
バジョット「英国憲政論」
オルテガ「大衆の反逆」
ハミルトン等「ザ・フェデラリスト」
ドラッカー「産業人の未来」
マッキンダー「デモクラシーの理想と現実」
渡部昇一「皇室はなぜ尊いのか」「日本人の底力」
南出喜久治「占領憲法無効宣言」
小林よしのり「国防論」です
by 相続の原理 (2013-02-26 15:16)
失礼しました
新渡戸稲造「武士道」
ケルン「中世の法と国制」
が抜けておりました。
どうかひとつよろしくお願いします。
by 相続の原理 (2013-02-26 15:21)
相続の原理殿
保守の理論については
これがよくまとまっています。
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1054.html
但し、STEP3までですね。STEP4以降はダメだと思います。
「理論派保守のゴール=自主憲法制定の為の理論武装にいよいよ挑戦」とかがダメダメ。
日本人としてのアイデンティティについては
ここにまとめてあります。
http://togetter.com/li/292758
歴史の再発見が必要ですので、バーク的なまなざしで「ひのもと」の国を見つめて下さい。
>国会議員の中で我々に近い考えの方はいらっしゃるのでしょうかね。
ほぼ皆無で、片山さつきが一番マシ、という体たらくです・・・。
by うまやど (2013-02-26 17:53)
先ずは、ブログ主さまに感謝。
うまやど さま
誤字をそのまま流して読んでくださりありがとうございます。
「憲法典の完全空文化(律令と同じ運命)」という民族の叡智にむけて進んでまいりましょう。
というところは、確かにしっくりときます。
左翼と同様に日本国憲法をそのまま頂きながら、
「憲法典の完全空文化」させるというのは、日本の歴史を考えると
ベターなやり方のようですね。
改正すること自体が、改正したほうが正しいという浅はかな理性なのかもしれません。落ち着くところに落ち着く、今の解釈改憲というのでしょうか、
空文化というのでしょうか、文字に起こすと誤解を生じさせますので、
いいのかもしれません。
ただ、ここに集われる、ただのぶさんや相続の原理さんの仕事なのですよ。
というのは、なかなか、こうやって考えることも浅はかなのかもしれないと
堂々巡りして、そんな器ではございませぬ。
話は変わりますが、民法の大改正があるようですね。
TPP、原発以上に、これが一番問題かもしれません。
by ただのぶ (2013-02-27 09:29)
ただのぶ殿
まことのみちの根幹というのは、実はそんな難しいものではありません。
古文書をひもといていくと、「ながさき」と「わいため」という言葉が見つかりました。これは治世の根幹にあると同時に、人の道の根幹にすえられている言葉のようです。
「わいため」を去って、「ながさき」を保つ
というような感じです。「わいため」は、「自分の意思の為」「自分の為」「わがまま」のことであり、「ながさき」は、「あなたの幸せが先」「あなたもわたしも幸せ」「あなたが先」というようなことです。我々日本人が「まごころ」や「おもいやり」と呼んでいるのは、どうやら、「わいため」を去って「ながさき」を保つ事、のようなのです。
これを保つために、私心を去った指導者が、太古からの秩序にぬかづかれ、それを簒奪しようとする人間を遠ざけ、そうならないように教育をほどこしたり旧慣を何度も呼び起こしてゆく。それがこの国のまことの姿で、根幹はシンプルかつ深淵になりたっていると思われます。
>こうやって考えることも浅はかなのかもしれないと
>堂々巡りして、そんな器ではございませぬ。
人は分に応じて生きる、それでよいのです。しかし、こころをなおく保って、すくと伸ばす。5年、10年でものにならなくとも、20年、30年ではものになるかもしれません。「なるかもしれない」と思いつつ精進されるのがよいかと思います。
by うまやど (2013-02-27 10:49)
承前
この国の再興ということを考えますと、3つの大きな壁を乗り越えねばなりません。
・近代啓蒙思想という壁
・漢字・シナ思想という壁
・「わいため」という壁
この3つです。1つ目には、キリスト教も含みます。2つ目には仏教も、また古事記教や言霊教も含みます。この2つを超えた上で、究極的には結局自分のこころねはどうなんだ、という話になりまして、「ながさき」で生きているのか、ということが問われます。
この3つの壁があるということ、とりあえずはその事を知っておいて下さい。ここを越えませんと、「腑に落ちる」というところまで、なかなか行けないのです。
by うまやど (2013-02-27 10:55)
うまやど 様
ご教示ありがとうございます。
相続の原理様にお勧めされた本で、
戦争の常識は本日早速買いました。
数ページ読みましたが、これはほんとに良書のようで
感謝です。
あとは、渡部昇一先生のルソーの哲学を注文したところ。
中川先生の本は、売っていなくて買えませんね。
中古でも高くて…
さて、ご教示いただいた「わいため」の壁
う~ん、深いですね。
・近代啓蒙思想という壁
・漢字・シナ思想という壁
・「わいため」という壁
一番上は何とか頑張れば越えられそうですが、
二つ目は、仏教、言霊は非常に厳しい。
更に古事記になると。古事記は渡来人が書いたっていう話がありますが、それが理由ですか?
それとも、言葉にした時点で口伝えと意味が違っているからという意味でしょうか。
いずれにしろ、難しい。
最後のはこれは至難の業。
でも、これを体系化すれば日本の思想の根本になりそうですね。
いつも思うのですが、日本人は、一番実績のある日本を学ばず、途切れてしまい、実績がない、西欧や中国を学ぼうとする。
途切れず続いているのは日本。その日本を学ばずしてどうするのだと思うのです。
日本が、自分たちの思想を発見することが
日本再生の本筋だと思います。
その思想を発見することにより、
昔から今までの国史がバイアスがかからず、
きちんと見るとができるのかなと思います。
by ただ (2013-02-27 21:21)
すみません。
名前が切れてしまってましたね^^;
「ただ」とか…
あと、相続の原理様にお勧めされたってところは、うまやど様がってのが頭にきます。
by ただのぶ (2013-02-27 21:23)
ただのぶ殿
>・漢字・シナ思想という壁
>仏教も、また古事記教や言霊教も含みます。
に対して、「仏教、言霊は非常に厳しい。更に古事記になると。」とおっしゃっていますが、一番むずかしいのは、「漢字そのもの」の呪縛です。仏教なり、言霊なり、古事記教なりというのは、大概の場合知識なので、その修正は相対的に容易です。もっとも、信仰とかかわるので大変なのですけれど。
漢字というのは、近代日本人の思考を深いレベルで、つまり、無意識レベルで呪縛しています。漢字に変換しないと解った気にならない、頭のなかで勝手に漢字かな変換しているという意味で。漢字については簡単な記事を書いたものがあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/59188918.html
補足すれば、近代日本の漢字語(漢字熟語、例えば、機械、人民、国家、法律・・・)は、すべからく欧米語の翻訳語です。その結果、これらを理解するには、概念的に理解するか、即物的に理解するかしかない。そういう代物なのですね。「直感的に理解する」「こころで洞察する」「言わなくてもわかる」という本来日本人が大好きな理解の仕方(=歴史法学的な理解の仕方の本質)ができないのです。そうではなくて、頭でっかちに理解する、という風にしかなれないという限界が初めからあるのです。
というのも、シナ語の流入後、我々は概念語を漢字に頼るようになってしまい、それを援用して事足るとしてしまったようなのです。古来のヤマトコトバによって概念を組み立てる方法を忘れてしまったのです。上の記事に「ながさき」だとか「わいため」だとか書きましたが、そういう営為を忘れてしまって何と1700年です。特に、室町時代以降になるとほぼ忘れきってしまったようです。
日本におけるバーク保守主義は、漢字語という「人定法」的、「大陸法」的な道具を使って、古来の道を表現せざるを得ないという根本的な矛盾を抱えています。
つづく
by うまやど (2013-02-28 17:27)
承前
>仏教、言霊は非常に厳しい。更に古事記になると。
仏教というのは、多くの日本人に信仰されており、いわば無窮の国体の一部になっています。その仏教に疑義を申し立てるというのは歴史法学的によろしくないことです。
私がいわんとすることは、仏教の否定ではありません。実は、律令体制を「完全空文化」したのと同じように、我々のご先祖は仏教についてもそのドグマを「完全空文化」することに成功しています。我々が仏教だと思っているのは、インド仏教でも中国仏教でもなく「日本化した仏教」です。カレーライスがインドのカレーと似て非なるものであるのと同様の理屈で、あるはチャイナにおいてラーメンのことを(本来のチャイナのものではない)「日式ラーメン」と呼んでいるように、「日式仏教」なのです。
この「日式仏教」として肯定すればよく、あえて、インドにおける本来の姿は、などと勘違いした追求をしてはいけない、という意味においてです。jこれをやれば、折角「封印した有害なドグマ」が野に出る訳なのです。
そもそも、仏教というのは、輪廻を解脱するための教えです。人生は苦しくてしょうがないので、二度と生まれ変わってこないように修行する、そういう宗教です。しかし、日本人というのは例えば自分の子供が死んでしまって、しばらくして街角でそっくりな人を見つけると、無条件に全員が喜びます。これは本来の仏教からすれば、とんでもないことで、「解脱するように僧名である戒名までつけ、弔いをやりきったはずなのに、化けて出てきたか」ととらえるのがインド仏教的世界観なのです(笑)。実は日本人は「生まれ変わり」というのを積極的に肯定していますので、解脱なんかしたくないのです。悟りはほしいが、解脱はいらない(笑)。こういう発想なのです。
しかし、解脱を否定したら仏教の教理そのものが成立しないんですよ。ということは、我々が信じてるのは何だ?と。
コメント欄ですので簡潔に申しますと、我々が信仰している仏教は、「日式仏教」ではありますが、その本質は、「インド風古神道」とでも呼ぶべきものです。「カレーライス」は「日式カレー」というよりは「インド風どんぶり」、「ラーメン」は「日式ラーメン」ではなくかつての名称である「シナソバ」「チャイナ風蕎麦」なのです。
こんな感じで、日本人が尊ぶ「論語」も「日式論語」であり、上に上げた「漢字」ですら「日式漢字」だったりするんですよ。
なら、その正体は! とかとなっちゃって、明治書院から本までだしてしまいました。学生さんなら時間があるでしょうから、
「よみがえる日本語」
http://www.amazon.co.jp/dp/4625634075/
読んでみてくださいね。最低7回くらい読まないと理解できませんけど(笑)。
by うまやど (2013-02-28 19:27)
承前
古事記というのも実は微妙です。4つの意味で微妙です。先に尊い部分について述べておきますと
1.この国の古い伝承を残し伝えてくれた
2.この国の古い言葉を残し伝えてくれた
3.明治維新という国難にあたり背骨の役割を果たしてくれた
この3つにおいて尊いものです。ただ微妙なのは
1.玉石混交になっている
2.景教の影響が濃厚である
3.帰化人あるいは帰化系に共感した日本人のひねた侮蔑がまじっている
4.1~3である文献を文字通りに解釈しようとする現代人がいる
この4つにおいて微妙です。
そもそも本居宣長は古事記を、歴史法学的に読んでいたのでした。古事記を馬鹿正直に読むと、いろんなところに奇想天外な話が混じっていることがわかりますが、江戸時代の人達は、そういう部分をスルーしています。何か変なことが書いてるが、ここは飛ばせば良い、という風に。つまり、読む方にまともな解釈能力があったわけなのです。古事記の中に発見するという読み方が可能でした。ですから上に「1~3である文献」と書きましたが、問題は小さかったのです。
しかしながら、東大の国文の連中などを中心に、明治維新以降、「馬鹿正直に読む」ということに一生懸命取り組む人達が出てきます。すると、ここでも封印が壊れてしまう。憲法9条な人達が馬鹿正直に憲法典を解釈しようとしているのと同じ事を、古事記に対してもやる。すると、皇国史観や、国体の本義などが生じてしまう。古事記は、実は「反日気分」が濃厚な書物です。その文書を、反日メガネで読みますと、反日的に共感してしまいます。現在は赤い学者がそれを必死で行なっているという状況です。
そもそも、この国の正史は「日本書紀」なのでして、古事記は長らく偽書とされてきました。宮中でも「読んではいけない」ということになっており、日本書紀の読み方がわからくなった時に注意して参考に読むように、という扱いの文書でした。日本書紀>古事記ですね。これが本居宣長の研究以降に、古事記>日本書紀に反転して今に至っています。明治の皇統譜はちゃんと日本書紀に準拠しています。
そして、古伝承を紐解いてみると、やはり、日本書紀のほうがマトモであることがわかり、古事記の記述はとんでもない「反日」であったことが判明してしまうというようなものなのです。その辺のことはこの記事に
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/61193359.html
そういう意味で、「歴史法学的な古事記」は良い物ですが、「原理主義的古事記」は有害、そういう見極めが必要になります。
by うまやど (2013-03-01 08:31)
結局、
・近代啓蒙思想という壁
・漢字・シナ思想という壁
というのは、いずれも、原理主義的解釈は害悪であり、歴史法学的な解釈によって叡智を働かせなければならない、という話になります。
そして、古伝承そのものについても、原理主義的解釈は害悪であり、歴史法学的な解釈によって叡智を働かせなければならない、という話になります。
そういう目で古伝承をみつめますと、ようやく、「やまとのみち」が見えてくるのです。
ということで、がんばって精進してくださいね。
by うまやど (2013-03-01 08:46)
うまやど さま
お忙しいのにコメントありがとうございます。
ここの記事でのコメントはこれで最後にしたいと思います。
「漢字そのもの」の呪縛というところは、
うまやど様のブログで読んで知っていましたが(理解ではないですが)、
漢字もバイアスがかかっているのだから、仏教も日本に取り入れられ、仏教の教義が日本の中に入りこんでバイアスがかかっている。
そこを見極めるべきなのかと思ったところでした。
でも、それも「日本風」になっているから、それをまたこねくり回すのは良くない、漢字は、「日本風」にはなっていないということですかね。
古事記は、日本書紀が外向け、古事記が内向け。
だから、古事記の方が、より日本に近いのかなと思っていましたが、
寧ろ、日本書紀がまともだったのですね。
日本書紀は読みづらいですが、頑張って読みたいと思います。
併せて、紹介された「よみがえる日本語」は、高いですが、
買って読みたいと思います。
もう既に不惑の年ですが、頑張って精進します。
ありがとうございました。
by ただのぶ (2013-03-01 09:57)
ただのぶ様
>漢字は、「日本風」にはなっていないということですかね。
いえ。我々が今使っていますのは「日式漢字」です。
漢字の本来の意味は、白川静によって再発見ずみです。
ろくでもない呪術の固まりです。
これを無力化したのが「日式漢字」です。
さらにカナを再発明して今に至っています。
問題は、漢字の便利さにかまけて、言葉の本来の意味が見えにくくなってしまうこと、さらには、漢字がもっている固有の意味にひっぱられて、変な理解が広がってしまうという弊害の部分です。
なにより、中華帝国を日本は再生してしまいました。その結果、漢字の解釈権はあちらに行ってしまったのです。例えば、「和の精神」というのは、この国のこころのよすがになっておりますよね。しかし、「和」とは?と問いをたてますと、かつてであれば「なごやかなこと」などと言えばよかったのです。ところが中華帝国は、「和諧社会」である、「和諧」とは論語の云々と、講釈が始まるんですね。こうなりますと、これまで漢字語でわかったような解説をしていた日本文化の多くは、チャイナ式に再解釈されてしまい、我々固有の情緒を表現することが困難になっていくことが予想されます。現に、この国の伝統文化の多くは、チャイナ由来であると学者たちは力説するようになっています。これを放置すれば、間違いなく、我々は文化植民地状態におかれるようになることでしょう。
対欧米、対シナ、そして身内にいる自己中心人間。この3つとの戦いを勝ち抜かないといけない、そういう未曾有の国難の中に我々はいるのです。
・近代啓蒙思想という壁
・漢字・シナ思想という壁
・「わいため」という壁
は、越えざるを得ないのです。この国を次世代に伝えるには。
by うまやど (2013-03-01 10:56)
その昔、書いたこんな記事がありました。
2元論を越える知恵 真ん中というミチ
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/60056491.html
大和言葉と漢字カナ変換 ヲシテにおける漢字カナ混じりの弊害
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/60218649.html
ご参考まで
by うまやど (2013-03-01 11:23)
幾つかを興味深く拝読致しました。
たいへん面白いので また 訪れます。
by柳虫( ̄0 ̄)/
by 柳虫 (2013-04-07 23:47)
如何なる分野においても"プロフェッショナル"が必要なのですが、現在如何なる分野においても「第三者」が注目を集めて"プロフェッショナル"が地下に追いやられております。
国会同意では、極左及びサヨクの「大声」に圧倒され(メディア、マスコミ及び大衆)確りした"プロフェッショナル"が潰されてしまいます。
あらゆる"現場"に携わり感じるのですが、現場にあって"ベテラン"と称される長老や命令を下す役職者などが、
「細かいことはきにするな!」
「作業が止まったら意味がない!」
入所してきて間もない素人に
「ここからここまで頼むよ」
「なんでこんな簡単なことがわからんのや」
「お前はつかえんなあ…」
明らかに障害者に対して
「何べん同じことを言わせるんや!」
「なんでこんな簡単なことができないんや!」
「もう二度とくるなや!」
「なんでまた来たんや!」
…………
「あのー、これをこうしたら不良の削減と流出が軽減できませんか?」
「はっ?」
「だから、これをこうしたらこうこう
こうで こういう理由で削減できると思うんですが……」
「現場を全くわかっとらんなあ、ええか?現場っちゅうのは止まったらあかんのや!一枚二枚三枚や一つ二つ三つっちゅうのはどうでもええんや!」
要するに、現場にプロフェッショナルが存在しない ( 役職者を含めて )
役職者が現場の " 長老 " に気を使い意義申し立てする "新人"(プロフェッショナル気質)を潰してしまう
管理職は現場を把握しきらず、" 長老 " "役職者 "の意見を最優先する
負のスパイラルにはまっているんです。
by柳虫
by 柳虫 (2014-03-31 16:23)
地震爆発論学会会長の石田昭です。
原子力規制委員会委員長代理の島崎邦彦氏の更迭を求める署名活動を開始しました。氏の「悪魔の証明」を求める姿勢は絶対に許すことが出来ません。
用紙は
http://www.ailab7.com/sedet-2014shomei.pdf
からダウンロードしてください。
趣旨説明はyoutubeにアップしました。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=5fYacLbeDXQ
島崎氏の更迭要求署名活動
というタイトルです。
一連の記事はhttp://www.ailab7.com/Cgi-bin/sunbbs/index.html
に載せています。
拡散をお願いします。 石田
by 石田昭 (2014-04-21 21:44)