近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第四回) [政治]

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◇ 1940722日:第二次近衛内閣成立

 

◇ 1940726日:『基本国策要綱』(「大東亜新秩序建設」、「大東亜共栄圏」、「国防国家」)を閣議決定

1940年年927日:日独伊三国同盟締結

19401012日 :「大政翼賛会」発会式

1941413日 :日ソ中立条約締結

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  近衛文麿がめざした“一国一党”の日本の独裁政党となるはずだった「大政翼賛会」は最終的には国民運動の組織のような性格のものに大きく格下げにはなったが、その近衛が描いた当初の構想〔アイディア〕は、レーニン〔スターリン〕のソヴィエト共産党をモデルとしていたのである。

 「大政翼賛会」がソ連共産党型にならなかったのは、暴力による非合法手段をとらないことから当然おこるべくしておこったともいえるが、だからといって決して近衛文麿が「優柔不断」だったからでもないし、近衛の「無性格」〔矢部貞治『近衛文麿』〕だったからでもない。

 正しくは、天皇の廃止不可能だったからで具体的には明治憲法の改廃もしくは停止が困難であった、そのことを近衛文麿は鋭く見抜いていたからだ。この天皇と明治憲法の二つが存続する限り、日本をソ連型の独裁政党の政治体制に「変革」することは困難であった。

 裏を返せば、暴力革命をしない前提であればいかなる政変をしても、天皇の御存在と明治憲法の存在が、日本が最悪の全体主義〔ファシズム〕へ転落することを防止する政治システムになっていたのである。

 ヒットラーのナチス独裁党の誕生を許すワイマール憲法の欠陥が、明治憲法にはなかったのである。

 ・・・1940年の日本では天皇の御在位と明治憲法とが、日本が全体主義〔ファシズム〕の独裁政党体制に完全に陥っていくのを防いだのである。

 4年前の226事件の軍部のクーデタをつぶして議会制民主主義を守ろうとした昭和天皇と同じ働きを明治憲法が静かになしたのである。

 ところが、この事実を逆さまにして、明治憲法が軍国主義の元凶のごとくに中傷するのが戦後の(無知か、愚鈍か、大法螺吹きの)政治学者・憲法学者である。彼らの学問とは学問ではない。

 イデオロギーのための悪質な詭弁でありデマゴギーでしかない。

 なお、大政翼賛会が立憲主義の政治に悖り違憲であることは、当時の貴族院議員の岩田富造の言葉を借りて説明しておこう〔194126日、貴族院〕。

 「統治を行う機関いわゆる政治を行う権限もその行使の方法も、すべて憲法の規定によってのみ行うことが憲法政治の根本原則であると信じる。憲法の認めない政治の機関や政治の運営は絶対に憲法の容認せざるところである。大政翼賛会は何ら法令に基づくところがない」

(以上、中川八洋『近衛文麿とルーズヴェルト---大東亜戦争の真実』、PHP研究所、133頁、138頁、139頁。 ※ 真の、”法・法哲学“、“憲法”とは何かを知りたい者、あるいは憲法の「恣意的な解釈学」ではなく、真の“法学・憲法学”、“法の支配・立憲主義”を学びたい者には、中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』中公叢書、『悠仁天皇と皇室典範』清流出版、の二冊は最低限の必読の書である。)

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 (今回)→近衛文麿【共産主義権】が主導した大東亜戦争の真実(第4回)

 【上記内容に関連する小論】

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第3回) 

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第2回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第1回) 

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