保守主義の哲学---(第四回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう  [政治]

 はじめに、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊情報についての情報が混乱しておりますことに、情報発信者として深くお詫び申し上げます。

 さて、(平成23529日)時点におきまして複数筋から入手できた最新情報をお知らせいたします。

 中川八洋氏の新刊 『小林よしのり新天皇論の禍毒』、オークラ出版 が本年630に刊行されるという情報を入手いたしました。

 今後も、出来る限り確実性の高い情報読者の皆さまに御提供できるように努力していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

 オークラ出版・近日発行情報

 http://www.oakla.com/htm/news_book.html

 さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ四回目は、『(4) 女系天皇論双系主義制度論の永久封印』という題目で解説したいと思う。

 今回から、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の「暴論」・「妄論」の数々について項目毎に検証し、“虚偽永久封殺”する作業に入りたいと思う。

 なお、『新天皇論』における「暴論」・「妄論」の論駁のために、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作から多くを引用させて頂きたいと思う。

 余談であるが、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作を引用する理由は、中川八洋氏は日本国におけるエドマンドバーク保守哲学に関する研究の第一人者であり、エドマンドバーク保守哲学とは“”・“憲法”・“国体”を保守する哲学だからである。

 すなわち、“皇統”とは日本国歴史事実としての“皇位継承の法”であるから、中川八洋氏は“皇統”についての“真正の学識者”である。

 中川八洋氏の学識叡智の深淵性と正統性は、“”や“法の支配”について全く無知か、あるいは意図的に無視しようとする天皇皇室の「権威者学識者専門家評論家」と呼ばれる左翼天皇制廃止論者らの知的レベル遥かに超越している。

 このことは中川」八洋氏の著書『皇統廃絶』、『女性天皇は皇室廃絶』、『悠仁天皇と皇室典範』を精読すれば一目瞭然である。

 ところが、「中川八洋氏は、天皇(皇室)学の専門家でないから、その論理は聞くに値しないとか、理系出身であるから、その政治哲学は異端である」など批判する向きが極左左翼学識者専門家評論家などの中に(保守系の学者の中にも)多いが、そのような劣等な屁理屈をこねて、中川八洋氏の正論を直接反駁することもできず無視煽動宣伝することしかできない事実こそが、既に彼らの不戦敗」を確定しているのである。

 (4)女系天皇」と「双系主義」は歴史事実に反する虚構であり、以後、永久封印されなければならない。

 小林よしのり氏は漫画『新天皇論』112頁、113頁で嘯く。

 『「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違うという考え方がある

 現在まで125代の天皇に「女帝」は8人おられた。

 ・・・つまり、「女系」は一人もいないとされている

 「男系主義者」たちはこう主張する。女系を認めたら「万世一系」の伝統が崩れる!女系容認は皇統断絶と同じだ!

 だが、実際は女系皇統に含まれているのだ。皇室典範の第一条を見よ。

 「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」明治の旧典範でも、この規定の主旨は全く同じである。

 この条文は、「皇統」には男系女系両方が含まれるという前提の条件で、皇統に属する者のうち、男系男子が皇位を継承するとしか読みようがない

 「皇統」が男系のみならば、(「男系男子」と書かずに)「血統に属する男子」とだけ書けばよいことになる。

 女系は、決して皇統の断絶を意味するものではない!』

 私〔=ブログ作成者〕の解説

 第一に、初代神武天皇から今上陛下に至る125皇祖皇宗すべて男系の皇統であり、女系天皇一人も存在しないのは“動かせぬ歴史事実”である。

 ゆえに皇室典範第一条の「皇統」には女系は含まない

 歴史上に実在した810男系女子天皇(=女性天皇)と歴史上に存在しない女系天皇(=男子も女子も)は用語定義上全く異質の別用語であり、歴史事実においても前者は実在したが、後者は一人も存在しない(=ゼロである)。

 ゆえに、『「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違うという考え方がある』のではなくて“「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違う”という事実だけがある、というのが唯一正しい

 同様に、『女系は一人もいないとされている』のではなく“女系歴史事実として一人もいない”のである、というのが唯一正しい

 このように“真実”や“定説”についてさえ「絶対的に正しいと言えるものはない」として、すべての学問の基礎である“真実”や“定説”を転倒して否定破壊する論理フーコーポストモダン思想デリダ脱構築思想などの「価値相対主義使用する「騙し詐欺」の常套手段である。

 第二に、女系天皇は歴史上存在しないから、皇室典範 第一条の「皇統」には「女系」は含まない明治皇室典範同じ)。

 皇室典範 第一条の「皇統」について、小林よしのり氏の『男系・女系が含まれるという前提条件・・・しか読みようがない』などというのは歴史事実無視した「虚偽」である。

 そう読むのではなく、皇室典範 第一条は、“皇位は(直系正系〉と傍系とを含む皇統に属する万世一系の男系男子がこれを継承する”と読むのが唯一正しい

 このように読めば、皇室典範 第一条の“皇統”の定義歴史事実と一致するし“男系男子”という規定の「同義反復」という矛盾は解消する。

 では、そもそも歴史上存在すらしなかった「女系天皇出典は何なのか?という問題になる。

 すると皇位継承における「双系主義」の制度という虚構の論理が浮かび上がってくる。

 ―――中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、2005年、2228頁(ここから)―――

 妄言流言庇護にすぎない「女性天皇がこれほど広がってしまった原因には、民主党憲法違反の「天皇政治利用」をして“女性天皇支持”を選挙公約としたり(20046月)、「女性天皇キャンペーンで原稿料を稼ぐ自称皇室専門家高森明勅(たかもり あきのり)、高橋紘(たかはし ひろし)笠原英彦(かさはらひでひこ)たちの弊害も大きい。

 しかも、これら「女性天皇宣伝屋の言動に、次の二つの重大な論理矛盾があることは、その天皇悪意〕を衣の下にのぞかせている。

 第一は、「女性天皇」と不可避な「皇婿」問題を、決して真面目には論じないこと。

 第二は、「皇婿」問題とは「宮家の皇族復帰問題なのに、驚くべきことに、この皇族復帰問題躍起になって反対すること。

 しかもそのあげる理由が、理のない、ただ奇々怪々な詭弁過ぎないこと。

 そこで、「女性天皇(=男系女子天皇)」にとどまらず、(歴史上に一人も存在しない)「女系天皇」まで、熱く語り続ける、高森明勅(たかもり あきのり)の不可解な言説を取りあげよう。

 ・・・皇室典範に関しては高森には何か怨念のようなものがある。

 何が何でも皇室を潰し日本から天皇を消したいという情動が、その言説の地下水脈として滔滔と流れている。

 まず、「双系主義制度」という、高森オリジナルの虚構奇説を例としてあげる。

 「明治以前、制度の上では、男系女系両方が機能できる双系主義採用してゐたこと」(高森明勅「皇位の継承と直系の重み」、『Voice20049月号、83頁)

 「明治以前における双系主義制度的枠組み確認した」(同、84頁)

 この空前絶後「法律上は古来より双系主義が定められていた」を“論の根拠”にして、高森は「これからの皇室は双系主義で行くべきである」を大キャンペーンする。

 「女性天皇(=男系女子天皇)」を飛び越え、次の段階の「女系天皇」である。

 ・・・この「双系主義制度」があった根拠として、高森が挙げるのは、「女性天皇の皇子」を認めていると、高森が強弁する養老令〔の「継嗣令」〕の一条文のみである。

 だが、仮にこの条文がそう解釈されるとしても、「制度化とは言わないだろう。

 しかも、この「女帝子」を「女系天皇の皇子(=女系の皇子)」と読解するのは、そもそも全く無理がある

 「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)皇子(みこ)。皆為親王(みこ)。女帝子亦同。・・・」

 高森はこれを、「天皇の兄弟・皇子は皆『親王』とせよ。女系の子も、これと同じ扱いをせよ。・・・」(同、84頁)と読む。

 「女系の子」などとは、何ともいかがわしい読み方だろう。

 いかがわしさの第一は、757年に施行された養老令718年制定〕の下で、(男系女子天皇である)孝謙天皇称徳天皇明正天皇後桜町天皇のうちお一方もなぜ、ご「皇配(→配偶者と考えればよい)」をもたれず、皇子・皇女がお一人も産まれていないのか。

 つまり、もし高森流の曲読仮に成り立つとすれば、現実には皇室はこの「女帝子亦同」の規定完全に空文化したことになる。

 「制度化しなかったのである。

 第二のいかがわしさは、この高森流の意図的誤読は、こじつけの域を出ないからである。

 なぜなら、この継嗣令どこを読んでも、「女系天皇の皇女」の皇位継承に言及した部分はない

 「女系天皇」そのものについての言及が一切ない(=無視している)。

 養老令は、“女系天皇の排除”を自明とした皇位継承法である。

 「女帝子・・・」は、「女帝(じょてい)の子・・・」と読むのではなく、「〔皇女〕(ひめみこ)は〔天皇〕(すめらみことの子」と読むのだろう。

 「亦同」は「また皇子に同じ」との意によむ。

 つまり、「皇女(天皇)の子だから皇子同じ親王〔内親王〕とせよ」と読むのである。

 この「女帝子亦同」は、主条文「皇兄弟皇子」を補足する補条文である。

 実際にも、字体を小さくして、主条文とは同列にはしていない

 補足であるのははっきりしている。

 高森明勅(たかもり あきのり)がもし学者ならば、「(その後の歴史事実において)当該条文なぜ空文化したのか、その理由」という問題設定をするはずである。

 それ以外の問題設定は、不可能である。

 あろうことか、その逆に「女系天皇の制度の規定」などとは、荒唐無稽さ限度を超えている

 ・・・高森のこのような無教養杜撰は、この継嗣令の当該条文の「その後(の歴史事実」を知らないことにも明らかになっている。

 「その後」の経過は、まず、天皇が即位の後に、兄弟姉妹子女すべてに「親王宣下」する制度となり、次に平安時代には「親王宣下」が無ければ皇子ですら親王にはなりえない制度になった。

 「親王宣下」とは、(自然に天皇の皇子・皇女の資格を得ると定めた)継嗣令の当該条文を全面的に無視した制度である。

 裏返せば、継嗣令当該条文が「制度化したという、高森奇天烈な暴説は、(明治以前に)「親王宣下などの制度はなかった」との主張である。

 ・・・高森明勅(たかもり あきのり)のお粗末さは、「女系」という意味を全く理解できない知的レベルの問題においても露呈している。

 次の短い文のなかですら、「男系の皇女」のことを、二度も女系」と談じている誤記ではあるまい

 「傍系継体天皇皇位継承に際し、第24仁賢天皇(けんにんてんのう:男系男子)の皇女で、先帝武烈天皇にあたる手白香皇女〔たしらかのひめみこ〕との結婚が重視されてゐた事実は、見逃せない

 この結婚は、傍系出身の継体天皇女系を介して直系につなぐ意味を持ってゐた・・・」(同82頁)

 仁賢天皇男子である。よってその皇女手白香皇女は「男系の女子」である。 

ブログ4皇位継承シリーズ_image001.png

 かくも明らかな男系の女子」を「女系」だと嘘のレッテルを張るのは、高森の「女性天皇」キャンペーンが、なんらかの政治的意図に基づき展開されていることを現わしている。背後に組織の影もちらつく。

 「男系と女系の混合である双系主義存在し、制度化されていた」という、架空の創り話、つまり捏造の戯言を、かくも宣伝して歩くのは“皇統廃絶による天皇制廃止”を信条としていない者に可能であろうか。

 仮に高森流「双系主義」が導入され、「女系の天皇」がもし2代重なれば、それだけで皇統は大混乱する。

 4代重なれば、血統は全く不明となる

 その場合の、血の錯綜はピカソの絵のようになって、皇統は全く証明できない

 つまり、女系が2代から4代つづく間に必ず、天皇はいらない、との声が起こる。

 天皇制の完全な自然消滅状態になるからである。

 森高の狙いはこれであろう。

 歴史事実に反する虚構双系主義」を振り回す森高プロパガンダの害毒は大きい。

 ※ 本文中の〔 〕内は、著者の補足説明であり、( )内は〔=ブログ作成者〕の補足説明である。

 ※ 本文中の皇統系図〔=ブログ作成者〕が挿入したもの。

 ―――中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、2005年、2228頁(ここまで)―――

 私〔=ブログ作成者〕の解説

 そもそも、男系の定義を歪曲しない限り、歴史事実としての女系天皇は存在しないから、「双系主義」なる「イデオロギー」を学説とすること自体において高森勅明たかもり あきのり)氏には「学術的素養」と「学者としてのモラル」が欠損している。

 養老令継嗣令の「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)皇子(みこ)。皆為親王。女帝子亦同。」について、中川八洋氏はさらに詳しく解説されている。

 ―――中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、232235頁、ここから―――

 しかし、いずれにしてもこの「女帝子」を「女帝(じょてい)の子」とは読めない

 第1の理由は、大宝令701)であれ、養老令718)であれ、「女帝」という和製漢語まだできていないようだからである。

 しかもには「女帝」という法令用語はない

 つまり、輸入漢語ではない。・・・平安時代794年~)に入った頃にはかなり散見される。

 すなわち、「女帝」という和製漢語701年までに日本で創られていたと証明されない限り継嗣令の「女帝子・・・」を、「女帝じょてい〕・・・」とは万が一にも読んではならない

 第二の理由は、日本では「天皇」は、男性天皇(=男系男子)/女性天皇(=男系女子)を問わず用いられるので、(「女帝子」の意味が)「女性天皇の子」ならば「女帝の子・・・」の全く不要である。

 なぜなら、条文の「(すめらみこと)(あに)(おと)〔皇〕子(みこ)」に女性天皇の子含まれている

 この意味ならば、この二行書き同義反復になるだけだから、このをつくること自体が理に合わない

 「女性天皇の兄弟」説も同様に間違いである。

 なぜなら、条文に「皇兄弟」とあるから、これも同義反復で不要である。

 では、何故にこの必要かと言えば、この条文が、遣唐使が持ち帰った唐令封爵令藍本とした以上、シナでは「兄弟」は文字どおり「姉妹は決して含まないし、「子」もまた「皇子だけを指して決して皇女」が含まれないから、「姉妹」と「皇女」を含めるためには(「女帝子亦同:ひめみこもすめらみことの子亦同じ」のが)絶対に必要だったからである。

 〔唐令封爵令〕 「皇兄弟皇子、為親王」(仁井田陞『唐令拾遺』〔初版は1933年〕、東京大学出版会、304頁)

 シナでは皇女は「公主」(と言うの)であって、「内親王ひめみこ)」は、純然たる和製漢語である。

 すなわち、「〔ひめみこ〕も帝〔天皇、すめらみこと〕の子〔こ〕また同じ〔に親王とせよ〕」というがない限り、日本独自の「内親王」の制度は万が一にも定めることができない

 なお、「姉妹」は「先帝の皇女」であるから、このがあれば「内親王」になりうる

 日本継嗣令

ブログ4皇位継承シリーズ_image006.png

 ※ 本文中の〔 〕内は、著者の補足説明であり、( )内は〔=ブログ作成者〕の補足説明である。

 ―――中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、232234頁、ここまで―――

  〔=ブログ作成者〕の解説

 以上によって、「女系」天皇、皇統男系女系混合であるとする「双系主義制度完全否定(=以後封殺されることは自明であろう。

 読者の皆さんは、今後「女系天皇、「双系主義(の制度)」はすべて歴史事実反する虚偽虚構であり、そのような虚偽学説唱える学識者専門家などの(似非知識人については、まず「天皇制廃止イデオローグではないか?」と疑うべきである。

 次回(シリーズ第五回)は、皇位継承における直系傍系に関する「直系主義」という虚構徹底検証する予定である。

【平成23529日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)


保守主義の哲学---中川八洋 筑波大学名誉教授の「新刊本」の発刊についての情報 [政治]

 私〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆様及び初めて来訪の皆さまへ。

 中川八洋 筑波大学名誉教授による小林よしのり氏『新天皇論』に対する「反論本」が今月中に発刊される見込みのようです。

 私〔=ブログ作成者〕は、前回及び前々回のブログ末尾において、この件にき、

 「なお、中川八洋筑波大学名誉教授は、近日発売月刊誌(『撃論オークラ出版にて、小林よしのり『新天皇論』を学術的に完全論駁される聞き及んでいる非常に楽しみである。どうぞ、〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆さんも読んで頂きたいと思う。」

 と、入手情報取り違えによるミス情報掲載してしまいました

 正しくは、中川八洋 筑波大学名誉教授は「撃論20114月号)」183で「小林よしのり氏『新天皇論』に対する反論本刊行予定である」と述べられており、その新刊本今月中にも発刊される見込みとなった、いうことでした。

 情報を訂正させていただくとともに、読者の皆様ほか多くの方々ご迷惑をおかけしたことに深くお詫び申し上げます

 読者の皆様におかれましては、ぜひ、この中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊本御期待頂きたいと思います。

【平成23522日】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


保守主義の哲学---(第三回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]

  (3) 明治皇室典範は、古来の“皇位継承の法”の明文化であり、その思想英米系の“法哲学”に由来する。

 最初に、前回のブログに於いて、〔=ブログ作成者〕は以下のように述べた。

 『それ故に、810男系女子天皇はすべて、皇祖皇宗遺訓として、これらの厳格な皇位継承の法”の遵守義務毅然として果たされたのである。

 もし、この810男系女子天皇を「男系女子の皇統」と呼ぶのだ、と強弁する者がいたとしても、“中継ぎ”に伴う“ご懐妊の禁止の法”と“お独りの身の法”によって、すべての男系女子天皇は皇子皇女はお一人もお産みにならず、「男系女子の皇統」は1代で断絶し、「男系男子の皇統」へと復元され繋がれていったのであるから、やはり“中継ぎ”の男系女子天皇も含め、日本国皇統は、神武天皇皇祖とする万世一系男系男子の皇統護持されてきたとしか言えないのである』

 この部分で〔=ブログ作成者〕が述べた“皇統”、“皇位継承の法”について、すべての読者の皆さんに“共通認識”を持って頂くために箇条書きにして解り易く提示しておきたい。

 つまり、〔=ブログ作成者〕がこの部分で述べた“皇統”、“皇位継承の法”の歴史事実を纏めれば、次の通りである。

 () 810以外の115代の天皇は、男系男子天皇であり、すべて神武天皇皇祖とする男系男子の皇統である。

 () 810男系女子天皇もすべて男系の皇統属する。決して女系ではない

 () 810男系女子天皇は、すべて男系男子天皇男系男子天皇つなぐという意味の学術用語である“中継ぎ”であるというのが歴史事実であり、“中継ぎ810男系女子天皇が“お独りの身の法”と“ご懐妊の禁止の法”という厳格な”を遵守する義務毅然として果たされたことで、男系男子皇統復元護持することが可能となったのだ、という荘厳な歴史事実忘れてはならない

 () ただし、初代神武天皇から125代今上天皇陛下に至るまでの男系の皇統歴史事実を考察すれば、男系男子天皇115代、“中継ぎ男系女子天皇10代であり、

 男系男子の天皇の在位が“正常の法”であり、“中継ぎ”の男系女子天皇は“非常の法”と言える。

 () 上記()から()歴史事実の中に、女系の皇統とか、女系の天皇一切存在しない

 ()から()は、すべて歴史事実から、井上毅ら“明治皇室典範”の起草者が、“発見”して成文法典化した、古来不文の“皇位継承の法”である。

 さて、ここで『明治皇室典範第一条の「義解」を読んでみよう。

(  )内は、〔=ブログ作成者〕の解説である。

 ―――――

 明治皇室典範義解

 第一章 皇位継承

 第一絛 大日本國皇位は祖宗(そそう)ノ皇統(こうとう:天皇の血統)ニシテ男系之ヲ繼承ス

 恭(つつしみ)て按ずるに皇位の繼承(けいしょう)祖宗(そそう)以來(すで)に明訓(→不文の“皇位継承の法”)あり

 和氣淸痲呂還奏の言に曰く、「我國家開闢(かいびゃく:始まり)以來、君臣分定矣(くんしんのぶんさだまりぬ:君臣の身分は定まっている)、臣を以て君と為す未だ之有らざる也、天(あめ)之日嗣(ひつぎ)、必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)立てよ注1)」と。

 皇統は男系に限り女系の所出に及ばざる皇家の成法なり。

 上代獨り女系を取らざるのみならず神武天皇より崇峻天皇に至るまで三十二世曾て女帝を立つる例あらず(→女系天皇なし。男系女子天皇なし。すべて男系男子天皇であった)。

 ・・・是を以て上代既に不文の常典(=不文の“正常の皇位継承の法”=男系男子天皇の皇位継承)ありて易ふべからざるの家法(=改変してはならない家法)を為したることを見るべし。

 其の後、推古天皇以來皇后皇女即位例なきに非ざる(=男系女子天皇の即位の例もあったが)、當時事情を推原するに(=当時の事情を推察すれば)、一時國に當り幼帝の歳長ずるを待ちて位を傳へたまはむとするの權宜外ならず(=男系男子天皇への一時的な“中継ぎ”にほかならなかった)。

 之を要するに、祖宗の常憲に非ず=“中継ぎ”の男系女子天皇は、皇祖皇宗の“正常の皇位継承の法”とは言えない)。

 而して終に後世の模範と為すべからざるなり=ゆえに男系女子天皇の即位は後世の範としてはならない)。

 本絛皇位の繼承を以て男系の男子に限り、而して又第二十一絛に於いて皇后皇女攝政を掲ぐる者は、先王の遺意を紹述する者にして、苟も新例を創むるに有らざるなり=皇后・皇女で攝政となる者は、祖宗の遺訓を遵守し、天皇に即位してはならない)。

 (注1)續日本紀、巻三十「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢(かいびゃく)より以來(このかた)君臣定まりぬ。

 臣を以て君となすことは未だこれあらず。

 天(あま)つ日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。

 無道の人(→僧:道鏡のこと)は宜しく早く掃除すべし。

 清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。

 祖宗の皇統とは一系正統(=唯一つ、皇祖神武天皇の皇統)を承る(=世襲・継承する)皇胤(こういん:天皇の血統)言ふ

 而して和気清麻呂の所謂(いわゆる)皇緒なる者其の義解を同じくする者なり。

 皇統にして、皇位(つ)必ず一系に限る(=皇統にある者で、皇位を継承するのは一系統のみにかぎり、同時に2系統〈2名〉以上の天皇を立ててはならない)。

 而して二三に分割すべからず

 天智天皇の言に曰く、「天雙ふたつの日無く國二人の王(きみ)なし(注2)」と。

 故に後深草天皇以來數世の間兩統(=持明院統大覚寺統互いに代わり、終に南北二朝あるを致ししは、皇家の變運にして、祖宗典憲(=皇祖皇宗の“正常の皇位継承の法”)の存する所に非ざるなり

 以上本絛の意義約説するに、

 祖宗以來皇祚(こうそ:皇位)繼承大義炳焉(へいえん:明白であること)として日星の如く萬世に亙りて(=渡って)易ふべからざる者(=改変してはならない法)、蓋(けだ)し左の三大原則とす。

 第一 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は皇胤(=皇緒)に限る

 第二 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は男系限る

 第三 皇祚(=皇位)は一系にして分裂すべからず(=一系統から一人の天皇とし、分裂して同時に複数の天皇を立ててはならない)

 (注2)日本書紀、巻二五、「天に雙(ふたつ)の日無く、國に二(ふたり)の王(きみ)無し。

 是の故に天下を兼ね併せて、萬民を使ひたまふべきは、唯だ天皇のみ」。

 (参照1

 日本書紀、卷二二、「〔聖徳太子憲法〕十二に曰く、國司(みこともち)、國造(くにのみやつこ)百姓おほみたから)に斂(おさ)めとること(なか)

 國に二君(にのきみ)(な)民に兩(ふたり)の主(あるじ)なし

 率土(くにのうち)の兆民おほみたから)、(きみ)を以て主(あるじ)と爲(な)

 所任官司(よさせるつかさみこともち)は、皆是(こ)れ王臣(きみのやつこ:天皇の臣下)なり

 何ぞ敢(あえ)て公(おほやけ)と與(とも)に、百姓おほみたから)に賦(をさ)め斂(と)らむ」

 ―――――

 私〔=ブログ作成者〕の解説

 上記の明治皇室典範 第一条歴史事実から不文の“皇位継承の法”を発見し、それを成文法典化したものであって、明治政府明治皇室典範制定時に政府の意思政治的恣意によって新しく創り上げた人定法」のような規則ではないことが解るであろう。

 だが、お気づきの方もおられると思うが、明治皇室典範制定にあたり、明治政府古来不文の皇位継承の法”を“法の枠内”で若干改善改良”している。

 つまり、明治皇室典範では、男系女子天皇即位を禁止し、男系男子のみとしたのである。

 理由は唯一つであり、男系男子の皇統護持確実にする目的ためであり、そこには軽薄な男尊女卑」の感情論など微塵も存在しない

 このような“”の改善改良とは

 「国体国憲)変革革新してはならず、改良改善する場合でも“”と“慣習”の枠内に限られる」という英国憲法(=国体)の保守哲学通底する思想である。

 例えば、エドマンドバーク曰く

 「もし、自国国体憲法)を理解できない場合にはまずもってそれを崇敬賛美すべきである。

 このすばらしき国体という相続財産遺してくれたわれわれの祖先は、このような国体の崇敬者であった。

 ・・・しかし決して、基本原理から逸脱することはなかった

 国王の法と憲法と慣習に深く根をおろさぬ国体の修正は決してしなかった

 このような祖先にわれらは見習い従っていこうではないか。

 ・・・(国体の)革新という絶望的な企てがなされないよう、いつも監視を続けようではないか」(Burke, “Appeal from the New to the Old Whigs”, pp.265-266

 さらに曰く

 「英国国家を聖別して、適切に用心深く注意することなしには国家の欠点や腐敗を覗かないようにしてきました。

 国家の改革を(フランス革命のように)その転覆から始めることなど夢にも考えたことはありません

 もしも国家のなした誤りに近付くときは、父親の傷口に近付くかのように敬虔な畏怖と慄える憂いをもってしたものです。

 このような英国賢明な偏見(=国家聖別)のおかげで、フランスの子供たち(=革命家たち)が老いた父親(フランス王国)の肉体を瞬時に切り刻んで魔法使いの薬罐に投げ込み毒草野蛮人の呪文をもって父親の肉体を再生し生命を若返らせると信じているフランスの革命英国恐怖をもって見ています」(バーク『フランス革命の省察』みすず書房、122頁)

 つぎに、ハイエク『ハイエク全集』から“”への批判や改善に関する基礎としての「内在的批判」に関する論説を抜粋しておく。

 ハイエクを読み慣れていない人には理解するのが若干難しいかもしれない。その場合は読み飛ばして無視するかハイエク(『法と立法と自由〔Ⅱ〕』「社会正義の幻想」、春秋社、第七章など)を精読して頂きたい。

 ハイエク曰く

 『行動のルールのある確立されたシステム(=体系)は、われわれが部分的にしか知らない経験に立脚しているであろうし、部分的にしか理解していない仕方で行為秩序に貢献しているであろうから、その全体を新たに再構築することによって改善することは望みえない

 もし伝統的ルールという形態でのみ伝えられてきた経験のすべてを完全に利用しようというのであれば、特定のルールの批判や改善の努力はすべて当面の目的からは正当化を要しないものとして受容されなければならず、与えられた諸価値の枠内で進めなければならない

 われわれはこの種の批判を「内在的批判と呼ぼう。

 この内在的批判は所与のルールのシステム(=体系)の内部で進展し、特定のルールをある種の行為秩序の形成を誘導する際の他の承認されているルールとの整合性両立可能性によって判断する

 いったん、そのような既存のルールのシステム全体が生み出す周知の特別な効果に帰着させることができないと認めるならば、この内在的批判道徳的法的ルールを批判的に検討するための唯一の基礎となる』(ハイエク『法と立法と自由〔Ⅱ〕』「社会正義の幻想」、春秋社、3637頁)

 →〔=ブログ作成者〕の解説

 要するに、

 ① 人間は、“法”のシステム(=体系)のすべてを知っていないし知り得ない

 ② ある特定の“法A”が人間社会の行為秩序にどのように貢献していのかという仕組みも知っているようで実は知らない部分が多い

 ③ であるから、“法”のシステム(=体系)の全体を新規のものに改変する事は、改悪になっても改善されることは望めない

 ④ けれども、伝統的ルールという形態世襲継承されてきた諸ルールについては、過去の祖先が皆正しいと認めてきた法であり諸価値であるから、我々も正しいと承認することができる

 ⑤ ある特定の“法B”が正しい行動のルールであるか否かは、その“法B”が「自己の目的B」をよりよく達成できるか否かではなく、ある種の行為秩序の形成を誘導する際の、他の正しいと承認できる既存の伝統的ルール諸価値枠内で判断すべきであり、“法B”は既存の伝統的ルール諸価値との整合性両立可能性において判断される。

 ⑥これをハイエクは「内在的批判と呼んだ。

 以下に、〔=ブログ作成者〕が可視化を試みた、“行動のルールの体系”=“”の概念図を示しておく。

 ただし、そもそも“法”を完全に知ることなど不可能であるから、〔=ブログ作成者〕が“法”を完全かつ詳細に図化するのも不可能である。

 あくまで、“”の「イメージ図」であると捉え、詳細な部分に誤謬があってもお許し頂きたい。

 ブログ用3皇位継承_image001.png

➝(第三回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(続きを読む)


保守主義の哲学---(第二回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]

 小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ第2回目である。

 題目(2) 皇統とは、神武天皇皇祖とする万世一系男系男子血統であり、歴史上存在せぬ女系」など含まれるわけがない

 さて、冒頭に「シリーズ第一回」で〔=ブログ作成者〕が解説した、不文の“皇位継承を掲げておく。

 “法-1”・・・男系男子の皇統」学術的定義

 ある天皇Jを起点にして、「自分(=天皇J)の父の、父の、父の、・・・」と父系遡って行けば男系男子の皇統辿りつくこと、つまり皇祖神武天皇皇祖である男子天皇にまで到達する場合、天皇J男系男子皇統継承世襲する者であるいう学術用語であって、それ以上の意味もそれ以下の意味も一切ない

 つまり皇統とは、「皇祖神武天皇男系血統属する」という“”を意味するのであるから、本来、「皇統」とは「男系男子の皇統しかありえない

 であるから、810代の男系女子天皇は「男系の皇統にある」のは当然であるが、むしろ「男系男子の皇統属している」と表現する方がさらに正確ではないかと、〔=ブログ作成者〕は考えるのだが、これについては、後述する。

 例えば、女系について小林よしのり氏が『新天皇論』223217頁などにおける以下の言説虚偽出鱈目である。

 『「女系容認」という言葉は、国民が容認するという、上から目線の不敬な言葉である。公が認める女系公認」が正しい

 私〔=ブログ作成者〕にとって、このような歴史事実の歪曲は、皇祖皇宗に対して不敬極まる暴論にしか思えない。

 なぜなら、日本国の歴史上、「女系の天皇」は一人も存在されないからである。

 ところが、“男系の皇統”のみという歴史事実歪曲してすり替えて生み出した「女系天皇」という「明白な虚偽である非歴史事実」を堂々と掲げ、挙句の果てに「女系」という虚偽を「国民が容認するのが上から目線で不敬であって、(→天皇・皇室のことか、天皇を敬愛する国民全体のことか明瞭でない)が公認するのが正しい」などと言う。

 「女系」という前提が「虚偽」であるのに、その「虚偽」に対して「Aと考えるのが正しくBと考えるは正しくない」という出鱈目な論理は、偉大な歴史学者であるブルクハルトの言葉を引用すれば「半身半馬のケンタウルス」であり、ルソーヘーゲルの「自由なしの自由」とかレーニンの「戦争とは平和である」とかマルクスエンゲルスの「これまですべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」よりもさらに劣等転倒論理のデマゴギーにすぎない。

 これを「国民騙し」「皇祖皇宗今上天皇陛下皇室)に対する不敬の極み」と言わずして、何であろうか。

 小林よしのり氏には“皇祖皇宗”、“今上天皇陛下皇室)”に対する畏敬敬愛も全くないのだろう

 真に皇祖皇宗”、“今上天皇陛下皇室)”を畏敬し、敬愛する日本国民ならば、皇統の歴史を平然と歪曲し、捏造することなど畏れ多くて、決してできない

 ところが、小林よしのり氏は、漫画『天皇論』、『新天皇論』において天皇の“無私”=“”の精神重視するべきだと述べながら史実である男系の天皇女系の天皇であるかのごとくすり替える

 そしてそのすり替えの手段として、男系天皇の“個人的私意”や“政治的恣意”などの「」の側面論理の根拠に据えているのである。

 小林よしのり氏の漫画『新天皇論』とはこのような論理矛盾する出鱈目宝庫である。

 “法-2”・・・天皇の皇統は、「男系男子の皇統一貫しているのが唯一歴史事実(=皇統史である。

 小林よしのり氏の漫画『新天皇論』において主張される、

 「持統天皇が天皇に即位された時の『政治的な目的感情』を持ち出して男系尊重されなかったから男系でない」とか、

 元正天皇が譲位の宣命で聖武天皇を「ワガコ」と呼び、聖武天皇が即位の宣命で元正天皇を「ミオヤ」と呼んだからそれが「擬制を含む直系である」とか、

 「古代皇位継承では、実際の血縁が、男系であっても女系継承みなした実例まであった」とか

 の小学生レベル馬鹿げた歴史歪曲愚論は、歴史事実の連続の中に発見される、不文の皇位継承の法”によって「虚偽」として確実に排除される。

 「男系」の定義の「すり替え」である。

 “法-3

 ① 歴史上の女子天皇は下記の表の8名10代のみあるが、すべて男系男子の皇統に属する(=歴史事実であり不動)。

 ② その他の歴代男子天皇はすべて男系男子皇統である(=歴史事実であり不動)。

 ③ ゆえに、女系の天皇ゼロであり、女系の皇子ゼロ女系の皇女ゼロであったという歴史事実不動である。

 これらの“皇位継承の法”を歴史事実として、“皇位継承の法”をさらに詳しく考察してみよう。

 ここからが今回のブログ本題である。

 小林よしのり氏は、漫画『新天皇論』242244頁で次のように嘯く

 『わが国で初めて皇位継承のルール明文化されたのは、明治221889)年制定の旧皇室典範でその第一条に「皇統ニシテ男系ノ男子」と規定され、現在の皇室典範にもそのまま受け継がれた。これは明治になって初めて登場した縛り」である

 ・・・もし本当に日本人が「男系男子の皇統」を2600年もの間、不断の努力で保ってきたのなら、明治初年そんな議論(=「女系天皇を認めるか否か」という議論)など起こるはずがない

 ・・・要するに男系固執主義者は、制定されて121年にすぎない(新旧の)皇室典範の「男系男子」の規定を2600年の間、日本人が墨守してきたかのように言い募っているのだ。徹底的に無知なのである

 ・・・810代の女帝は、男系女子であり、皇統はすべて男系だという主張は、実はこの皇統をめぐる議論が起きてから出てきたのであって、それまでは8人の女帝が男系か女系かなど、重要視されていない

 それどころか「女系継承」と考えられていたケースすら、2例も存在していた。

 1例目は、第37代斉明天皇〈女帝〉から第38代天智天皇への継承である。天智天皇は、斉明天皇の実子。すなわち、母から息子へ皇位が移ったのだから、素直にこれは、「女系継承と意識されていた

 しかし、斉明天皇は第34代舒明天皇の未亡人であり、天智天皇を産んだのは天皇に即位する前だったということで、あくまでも天智天皇は、男帝舒明天皇の子として、男系に位置付けられるという、少々ややこしい解釈こじつけ言い訳がなされ今ではこれを「男系男子だったことにされている

 ・・・2例目は、第43代元明天皇〈女帝〉から第44代元正天皇〈女帝〉への継承である。

 元正天皇は元明天皇の実子で、これは母から娘への譲位である。しかも元正天皇の父は天皇ではなく草壁皇子祖父は天武天皇だが。』

 →〔=ブログ作成者〕の解説

 男系男子の皇統明治皇室典範制定以前から歴史事実貫通する不文の皇位継承の法”として存在したのであって、明治皇室典範条文規定はその不文の法皇祖皇宗から世襲して、皇孫継承する形明文化したものである。

 8名10男系女子天皇は、皇統としては皇祖神武天皇起源とする男系男子の皇統皇孫)に属するのであって、小林よしのり氏は、これらの天皇が“男系女子天皇(=男系男子の皇統)”であり、歴史上に存在しない女系の皇統」などとは全く無関係であるにもかかわらず、あたかも「女子天皇女系天皇であるかのごとくすり替えて論理展開している

 つまり、読者の皆さん及び日本国民決して間違えてはならない重要なことは、男系男子の皇統とは、男系男子天皇しか歴史上に存在しないということを意味するのではなく歴史上に存在されたすべての天皇男系正しき定義において皇祖神武天皇男系皇統皇孫)に属しているという歴史事実そのこと自体なのだ、ということである。

 それでは、ここで810男系女子天皇に関する歴史事実について考察してみよう。

 つまり、

 (イ)なぜ、810だけ男系女子天皇が存在されたのか?

 また、これらの男系女子天皇に関する、何らかの不文の“皇位継承の法”が見出せるのだろうか?

 (ロ)なぜ、歴史上女系の天皇一人も存在しなかったのだろうか?

 という誰でも思い付く疑問の考察である。

 まず、810男系女子天皇の存在に関する最も明確な“皇位継承の法”は、

 ① 「女系の天皇は歴史上一人も存在しなかった(ゼロであった)」という“”であり、これは歴史を貫通する明確な皇位継承の法”である。

 例えば、数学史上、「ゼロ)=無し」という概念の発見が、「極めて偉大な発見であったことをご存じの方は多いであろう。

 つまりここには「女系の天皇の即位は厳禁であり決して犯してはならない」という不文の“皇位継承法禁止則)”が存在したということである。

image001.png

 もし仮に、この“不文の禁止則”が無く皇位継承天皇意思恣意によって自由に決定できたというのが歴史事実ならば、二千年以上に及ぶ皇統女系天皇1例も存在しないという奇跡は、100%起こり得なかったことは、疑問の余地がないだろう。

 史実は“不文の禁止則”が墨守されたからこそ、奇跡万世一系男系男子の皇統護持されたのである。

 ここに、二千年以上長き間皇祖皇宗によって皇統維持不断の努力がなされてきた痕跡記した文献一例を紹介しておく。

 ―――――

 續日本紀、巻三十

 「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢より以來君臣定まりぬ。臣を以て君となすことは未だこれあらず。天つ日嗣は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。

 慈円(天台座主-関白藤原忠通六男)の『愚管抄』巻七

 「日本ノ国ナライハ、国王種姓ノ人ナラヌスヂヲ国王ニハスマジト、神ノ代ヨリサダメタル国

 「コノ日本国ハ、初ヨリ王胤ハホカヘウツルコトナシ。臣下ノ家又サダメヲカレヌ。ソノマゝニテイカナル事イデクレドモケフ(=今日、こんにち)マデタガハズ‥‥」

 北畠親房の『神皇正統記』(序論)

 「彼国天竺)の初の民主も、衆のためにえらびたてられしより相続せり。又世くだりては、その種姓もおほくほろぼされて、勢力あれば下劣の種も国主となり、あまさへ五天竺を統領するやからもありき。

 震旦又ことみだりがはしき国なり。昔世すなほに道ただしかりし時も、賢をえらびてさづくるあとありしにより、一種をさだむる事なし。乱世になるまゝに力をもちて国をあらそふ。かゝれば、民間より出でゝ位に居たるもあり、戎狄より起て国を奪へるも有。或は累世の臣として其君をしのぎつゐに譲をえたるもあり。伏犧氏の後、天子の氏姓をかへたる事三十六。乱のはなはだしさいふにたらざる者哉。

 唯我国のみ天地ひらけし初より今の世の今日に至まで日嗣をうけ給ことよこしまならず。一種姓のなかにをきてもをのずと傍(=傍系より伝給しすら猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。是併神明の御誓あらたにして、余国ことなるべきいはれなり」

 吉田定房の奏状

 「異朝は紹運の躰頗る中興多し。蓋し是れ異姓更に出ずる故のみ。本朝の刹利(国王)天祚一種(いっしょう)なるが故に、陵遅日に甚だしく、中興期(ご)なし」

 『宋史』四九一(十世紀末に入宋した奝然の記録)

 「(宋においては)東の奥州、黄金を産し、西の別島、白銀を出し、もって貢賦をなす。国王王をもって姓となし、伝襲して今の国王に至ること六四世」

 ―――――

 ② 次に、810代の男系女子天皇は、一人の例外なく“中継ぎ”であったという不動の歴史事実がある。

 男系女子天皇による“中継ぎ”とは、“男系男子天皇男系男子天皇つなぐ”と定義される学術用語であり、それ以外の意味に歪曲してはならない

 810代の男系女子天皇を考察すると、表-2のとおり、810のすべての男系女子天皇が“中継ぎ”であったという不動の歴史事実が存在するのである。

image007.png
 

 さらに、810男系女子天皇に関する歴史事実慎重かつ詳細考察すれば、より“厳格な法”が発見されるのである。

 ③ すなわち、810男系女子天皇は、すべて“お独りの身”であり、かつ“皇子皇女一人も誕生していない”という歴史事実である。

 ここで言う“お独りの身”とは、次の2つのケースのことである。

 () 皇配(→配偶者と考えればよい)である男子天皇男子皇太子崩御薨去されて“お独りの身”となられた「寡后」としての男系女子天皇

 →推古天皇敏達天皇崩御後に即位)、皇極天皇舒明天皇崩御後に即位)、斉明天皇皇極天皇の重祚:2回目の即位)、持統天皇天武天皇崩御後に即位)、元明天皇皇太子草壁皇子薨去後に即位)・・・表-1参照のこと。

 () 生涯“お独りの身”という厳格な法遵守された、男系女子天皇

 →元正天皇(生涯独身、父は天武天皇)、孝謙天皇(生涯独身、父は聖武天皇)、明正天皇(生涯独身、父は後水尾天皇)、後桜町天皇(生涯独身、父は桜町天皇

 →称徳天皇(生涯独身、孝謙天皇の重祚、續日本紀巻三十の和気清麻呂の「宇佐八幡宮の神託」の還奏で知られる)

 以上()及び()が、810男系女子天皇歴史を貫通するお独りの身の法”という“皇位継承の法”である。

 さらに、

 ()の場合:男系女子天皇は“お独りの身”になり天皇即位以後には、一人の皇子も皇女も出産なさらなかった

 ()の場合:男系女子天皇生涯お独りの身”であり続け、一人の皇子も皇女も出産なさらなかった

 この男系女子天皇の“ご懐妊の禁止の法”もまた、“お独りの身の法”とともに、極めて厳格な“皇位継承の法”であった。

 纏めると、810男系女子天皇歴史事実貫通する“お独りの身の法”と“ご懐妊の禁止の法”は、XY遺伝子のような科学的発見が為される遥か以前の古代から、神武天皇皇祖とする万世一系男系男子の皇統護持するための皇祖皇宗智恵叡智であったことが歴史事実連続の中発見されるのである。

 それ故に、810男系女子天皇はすべて、皇祖皇宗遺訓として、これらの厳格な皇位継承の法”の遵守義務毅然として果たされたのである。

 もし、この810男系女子天皇を「男系女子の皇統」と呼ぶのだ、と強弁する者がいたとしても、“中継ぎ”に伴う“ご懐妊の禁止の法”と“お独りの身の法”によって、すべての男系女子天皇皇子皇女はお一人もお産みにならず、「男系女子の皇統」は1代で断絶し、「男系男子の皇統」へと復元され繋がれていったのであるから、やはり“中継ぎ”の男系女子天皇も含め、日本国皇統は、神武天皇皇祖とする万世一系男系男子の皇統護持されてきたとしか言えないのである。

 私〔=ブログ作成者〕には畏れ多くてこれ以上“中継ぎ”について語るつもりはないが、このような歴史事実万世一系男系男子の皇統世襲してきた日本国天皇皇室)の威厳と高貴淵源となっているだという事実については、日本国民ならば最低限知っておくべきではなかろうか。

 さて、皆さん『シリーズ第2回目』以降、「バーク哲学の神髄、続けて語ってよろしいか?」

 ※ 本ブログの内容は、20世紀~21世紀日本国におけるエドマンドバーク再来と言っても決して過言ではない碩学 中川八洋 筑波大学名誉教授の著書『皇統断絶』、『女性天皇は皇室廃絶』、『悠仁天皇と皇室典範』等によるところが大きい。

 なお、中川八洋筑波大学名誉教授におかれては、近日発売の月刊誌(『撃論オークラ出版)にて、小林よしのり『新天皇論』を学術的に完全論駁されると聞き及んでいる。非常に楽しみである。どうぞ、〔=ブログ作成者〕のブログ読者の皆さんも読んで頂きたいと思う。

 →次回、

 保守主義の哲学---小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(シリーズ第三回)へ続く。

【平成23521日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)


保守主義の哲学---(第一回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]

 最初に、読者の皆様に吉報がある。

 小林よしのり 氏の漫画『新天皇論』の虚構については、20世紀の日本国におけるエドマンドバーク再来と言っても過言ではない、中川八洋 筑波大学名誉教授が近々、月刊誌『撃論』で学術的に完全論駁されるという情報を得ているので、読者の皆さまは是非、碩学 中川八洋先生の論駁に期待して頂きたいと思う。

 さて、今回の〔=ブログ作成者〕の一連のブログでは、「保守主義の父エドマンドバーク及び中川八洋先生の保守主義信奉する自称エドマンドバーク保守主義者である〔=ブログ作成者〕の目線から、小林よしのり 氏が、『新天皇論』において用いている「すり替え理論」・「転倒語法理論)」など、ルソー主義者マルクス主義者常套手段指摘して漫画『新天皇論』の虚構を解き明かしてみたい。

 ただし、『新天皇論』の内容すべてについて、虚構を解き明かす紙幅はないし、〔=ブログ作成者〕のブログ上で『新天皇論』のすべての虚構に対して反駁している時間的余裕もない。優先して掲載すべき現在進行中の政治的・経済的課題が山積みだからである。

 よって、上記のとおり『新天皇論』に対する学術的な完全反駁は中川八洋 筑波大学名誉教授の月刊誌『撃論』での論文に期待することとし、〔=ブログ作成者〕のブログでは、論点を3~5点程度に絞り込んで、シリーズ数回に分割して『新天皇論』の内容の真偽の検証を試みるものである。

 さて今回のシリーズ第1回目は、

 『(1) 万世一系、男系男子皇統とは、歴史事実を貫通する“世襲の法”の成文化にすぎない』

 という題目で解説したいと思う。

 最初に、『明治皇室典範義解』を掲げておく。

 明治皇室典範義解

 第一章 皇位継承

 第一絛 大日本國皇位は祖宗(そそう)ノ皇統(こうとう:天皇の血統)ニシテ男系男子之ヲ繼承ス

 恭て按ずるに皇位の繼承祖宗以來既に明訓あり和氣淸痲呂還奏の言に曰く、「我國家開闢以來、君臣分定矣臣を以て君と為す未だ之有らざる也、天之日嗣(ひつぎ)、必ず皇緒立てよ注1)」と。

 皇統は男系に限り女系の所出に及ばざる皇家の成法なり。

 上代獨り女系を取らざるのみならず、神武天皇より崇峻天皇に至るまで三十二世、曾て女帝を立つる例あらず

 ・・・是を以て上代既に不文の常典ありて易ふべからざるの家法を為したることを見るべし。

 其の後、推古天皇以來皇后皇女即位例なきに非ざるも、當時事情を推原するに、一時國に當り幼帝の歳長ずるを待ちて位を傳へたまはむとするの權宜外ならず

 之を要するに、祖宗の常憲に非ず而して終に後世の模範と為すべからざるなり

 本絛皇位の繼承を以て男系の男子に限り、而して又第二十一絛に於いて皇后皇女攝政を掲ぐる者は、先王の遺意を紹述する者にして、苟も新例を創むるに有らざるなり

 (注1)續日本紀、巻三十「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢より以來君臣定まりぬ。臣を以て君となすことは未だこれあらず。天つ日嗣は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。

 祖宗の皇統とは一系正統を承る皇胤こういん:天皇の血統言ふ

 而して和気清麻呂の所謂皇緒なる者其の義解同じくする者なり。

 皇統にして、皇位繼ぐ必ず一系に限る

 而して二三に分割すべからず

 天智天皇の言に曰く、「天雙ふたつの日無く國二人の王なし(注2)」と。

 故に後深草天皇以來數世の間兩統(=持明院統大覚寺統互いに代わり、終に南北二朝あるを致ししは、皇家の變運にして、祖宗典憲の存する所に非ざるなり

 以上本絛の意義約説するに、祖宗以來皇祚こうそ:皇位繼承大義炳焉(へいえん:明白であること)として日星の如く萬世に亙りて易ふべからざる者、蓋し左の三大原則とす。

 第一 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は皇胤(=皇統に限る

 第二 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は男系(=父親の血統が皇統である系統のことに限る

 第三 皇祚は一系にして分裂すべからず

 (注2)日本書紀、巻二五、「天に雙の日無く、國に二の王無し。是の故に天下を天下を兼ね併せて、萬民を使ひたまふべきは、唯だ天皇のみ」。

 (1) 万世一系男系男子皇統とは、歴史事実貫通する“世襲の法”の成文化にすぎない。

 小林よしのり は、漫画『新天皇論』82頁で次のように嘯いている。

 『天皇の血筋は「男系」が一貫して尊重されたという誤った説がある。

 「男尊女卑感情が根底に流れる「万世一系」ならぬ「万世男系」説が、例えば「愛子様が天皇になられても、いいんじゃないの?」というような素朴な庶民感覚を封じている。

 皇統は「万世男系」だったか?もちろんそんな事実は全くない

 ―――――

 →〔=ブログ作成者〕の意見:

 天皇の血統は、「男系」で一貫しているのが歴史事実であり、「男系」が「尊重されたかされなかったかという「平等イデオロギー」とは無関係である。

 誰も動かせぬ万世一系、男系男子皇統の歴史事実

 ① 歴史上の女性天皇は以下の表の8名10代のみすべて男系女子である。

 ② その他の歴代天皇はすべて男系男子皇統である。

 ③ ゆえに、女系の天皇はゼロであり、女系の皇子もゼロ女系の皇女もゼロであった、という歴史事実も不動である。

 これらは、歴史事実であるから、誰も動かすことはできない

 image003.png

 ここで特筆すべきことは、この「歴史事実とは、現代憲法学者歴史学者などの学者の言説だけではなく、明治皇室典範の制定時及びそれ以前の江戸時代(さらにそれ以前の学者や万人らも含め)すべて時代の壁を乗り越えて継承されてきた見解であり、多くの史料に基づいて科学的真実確定したのであり、異論も異説も存在しないという事実である。

 例えば、中野正志 氏(→マルキスト皇統廃止論者中川八洋女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、22頁~参照)

 の「万世一系明治政府の構築したイデオロギーにすぎない」と同種の見解小林よしのり 氏は主張する(→『新天皇論』253255頁)が、巌垣松苗が記した江戸時代の『国史略』(巻第一、1826年)に、「歴正天皇 正統一系万世而不革」との記述があり、『国史略』は、明治初頭、評判がよく版を重ねていた。

 このように、1889年制定の大日本帝国憲法第一条の「万世一系」は明治政府がつくった新語でもないし新しい概念ではない

 それ以前から、万人がそうとしか理解できない周知の歴史事実を『国史略』にあった上記の四文字熟語に託して表現したにすぎない。

 『日本書紀』にも「万世無窮」という語が存在するのは周知の事実であろう。

 この異説異論唱えるのは、共産党系、あるは反共マルキストポストモダン思想系などの天皇制廃止運動グループに属する者ばかりである。

 これらの者の氏名言説は、紙幅の都合上ここでは取り上げないが、その内容を知りたい者は、例えば中川八洋女性天皇は皇室廃絶徳間書店1575など中川先生皇統に関する書籍を参照せよ。すべての疑問が解明するだろう。

 ここでは、一例として、共産党系天皇制廃止論者の「女帝論」の本心を現わす確信的な言説を知っておくだけで十分であろう(→中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、16頁より)

 ―――――

 奥平康弘は言う、

 「ポピュラーな政治家たちに誘導されて典範第一条を改正して〈女帝容認策かちとることに成功したとしよう。・・・この策は、天皇制のそもそもの正当性根拠であるところの〈萬世一系イデオロギー内において浸蝕する因子を含んでいる」

 「男系男子により皇胤が乱れなく連綿と続いてきた(→〔=ブログ作成者〕の意見奥平萬世一系の歴史事実をあっさりと肯定しているそのことに、蔽うべからざる亀裂が入ることになる。・・・〈萬世一系〉から外れた制度を容認する政策いかなる伝統的根拠も持ち得ない

 「女帝容認論者は、こうして〈伝統〉に反し〈萬世一系〉イデオロギーから外れたところで、かく新装なった天皇制を、従来とは全く違うやり方で正当化してみせなければならない

 「〈女帝容認策を盛り込もうとする政治勢力には、頼るべき伝統、それに対応した既存の正統のイデオロギー、のいっさいが欠けている。彼らは、日本国に独特な天皇制哲学案出し、そのことについて〈新しい人びと〉の同意を調達しなければならない」

 (→出典:奥平康弘「天皇の世継ぎ問題がはらむもの――〈萬世一系〉と〈女帝〉論をめぐって」『論座』20048月号、7172頁)

 これが、女系天皇論の真意の「化けの皮」の典型である。

 ―――――

 小林よしのり氏は、『新天皇論』83頁以降において持統天皇が天皇になられた「政治的な目的感情」を持ち出して「男系」が「尊重されなかったから男系でない」と嘯き、さらに元正天皇が譲位の宣命で聖武天皇を「ワガコ」と呼び、聖武天皇が即位の宣命で元正天皇を「ミオヤ」と呼んだから「擬制を含む直系だ」とか「古代皇位継承では、実際の血縁が、男系であっても女系継承みなした実例まであったのだ!!」と馬鹿げた小学生レベルの愚論を展開する(→『新天皇論』99頁)。

 その論理の幼稚さ馬鹿らしさゆえに、反論する気すら失せるが、仮に「ワガコ」「ミオヤ」呼び合ったのが事実であるからといって、その事実と「男系の皇統という歴史事実」は一切無関係であること小学生でも解ることであろう。

 小林よしのり 氏の論理は例えば「私は自分のお母さんが嫌いだから、私はお母さんの子供ではない」などというダダをこねる「子供の屁理屈」と何ら変わるところがない

 だから〔=ブログ作成者〕は「小学生レベルだ」と言っているのである。

 「男系が尊重されなかったから男系でない」とか「男系であっても女系継承とみなした」などは小林よしのり 氏の妄想であり、幻想にすぎない。

 どんなに屁理屈をこねても、歴史事実唯一不変であって「聖武天皇は文武天皇の皇子であり男系男子天皇である」ということでしかない。

 『新天皇論』のこの箇所における論理展開は、ルソー主義マルクス主義特有の「すり替え理論」の典型である。

 つまり、男系男子定義をすり替えているのである。

 そもそも「男系」とは小林よしのり本人が『新天皇論』112頁で述べているように、ある天皇Jを起点にして、「自分(=天皇J)の父の、父の、父の、・・・」と父系遡って行けば男系男子の皇統辿りつくこと、つまり皇祖神武天皇にまで到達する場合、天皇J男系男子皇統継承世襲する者である、という歴史事実を指すことにすぎずそれ以外の何ものでもない。ましてやイデオロギーなどではない

 まず、この点を抑えておくことが極めて重要である。なぜなら、イデオロギーでないなら、そもそも議論の余地はないからである。

 ○ 万世一系、男系男子皇統とは歴史事実の集積の中に発見される皇祖皇宗の法(=遺訓)を示すことにすぎず、イデオロギーを意味するのではない

 男系男子の皇統とは、歴代天皇の個人の「意図」や「思想」や「感情」などとは全く無関係であり、歴史事実の連続つまり、ある時代において、それより過去皇祖皇宗によって積み重ねられてきた歴史事実(=遺訓畏敬の念を持って省察考察し、それらの歴史事実全体貫通する普遍の世襲の法”を発見し、それを言葉成文化し「万世一系男系男子の皇統」と表現しただけのことにすぎない。

 すなわち、冒頭に掲げた『明治皇室典範』とは、その成立の時代において、その時代より過去皇祖皇宗遺訓としての“世襲の法不文の法)”を歴史事実連続の中に“発見”し成文化した法典にすぎない

 つまり、ここまでの〔=ブログ作成者〕の解説を理解して頂いた、読者の皆さまは、小林よしのり『新天皇論』256頁で吐く妄論である「男尊女卑という感情論」というイデオロギー明治皇室典範(=歴史事実積み重ねの中に発見された“”を成文化した皇位継承法)の成立とは何ら無関係であることが容易に理解できるのではないか。

 また、明治皇室典範規定とは、歴史事実に基づいて、皇室典範の起草者らが発見した“皇位継承の法”の成文法典にすぎないことを理解すれば、小林よしのり 氏が『新天皇論』255頁で嘯く、

 「日本の歴史上初めて皇位継承者男系男子に限る明文化した旧皇室典範の規定は、歴史とも伝統とも無縁にできあがった。当初は、素直に歴史や伝統に学び女帝も認めるべしとする意見が多かったにもかかわらず時代の『男尊女卑』の感情から、あるいは甥を天皇にしたいという計算から、無理やり男系男子に限定されてしまったのである」

 という主張が全くの出鱈目であるかが容易に解るであろう。

 すなわち、“皇位継承”である皇室典範とは、過去の歴史事実集積の中に発見するものであるから、「その時代」の「男尊女卑の感情」などとは無関係である。

 最後に、万世一系男系男子皇統支持する者呼称について。

 私〔=ブログ作成者〕は、万世一系男系男子皇統という“皇位継承の法”の遵守者でしかない。

 したがって、小林よしのり 氏が【ごーまんかまして言う】ところの穢れた造語、「男系主義男系絶対主義男系固執集団男聖教カルトオカルト」などとは全く無縁の者であるが、小林よしのり 氏が、敢えて〔=ブログ作成者〕のことを万世一系男系男子皇統イデオローグ決めつけたいのであれば、〔=ブログ作成者〕を“法の遵守主義者”つまり、“エドマンドバーク系譜にある保守自由主義者あるいは、FA・ハイエクのような旧ホイッグ主義者と正確に呼称して頂くのが最も適切であることを申し添えておく。

 しかしながら、小林よしのり 氏が、純粋な万世一系男系男子の皇統支持者ら”を一括して男系絶対主義者オカルト」等々と決めつけて呼称するのは自身が皇統を全く理解できていない明白な証拠にすぎず、論理転倒した妄論幻想にすぎない。

 むしろ、過去の歴史事実の全体を「すり替え理論」や「転倒語法」を用いて歪曲する「女系天皇論者」こそ、「歴史歪曲偽造」のイデオローグであって、そのイデオロギー出自は、〔=ブログ作成者〕がこれまで何度もブログ掲載してきたとおり、「ルソー主義」、「ヘーゲルの歴史主義観念弁証法的歴史哲学」、「マルクス主義唯物弁証法唯物史観」、「ポストモダン脱構築などの価値相対主義」の極左イデオロギーそのものにすぎない。

 さて、皆さん『シリーズ第2回目』以降、「バーク哲学の神髄、続けて語ってよろしいか?そしてもっと知りたいですか?」

 次回、シリーズ第2回目(→近日中に掲載予定)では、小林よしのり 氏の描く“明治皇室典範”の内容と“井上毅”の人間像について、氏の見解の真偽について解説したいと思っている。

 ただし、若干程度、ブログの題目と内容を変更することもありうるので、その点はご了承頂きたい。

【平成23518日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)