保守主義の哲学---(第五回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(旧宮家系図、訂正済) [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 前回もお知らせしましたが、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版) が本年630刊行予定だということです。

 再度お知らせするとともに、皆さまにおかれましては、ぜひ御期待頂きたいと思います。

 (参 照)→オークラ出版・近日発行情報

 http://www.oakla.com/htm/news_book.html 

 さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ五回目は、『(4)万世一系、男系男子の皇統における今上陛下(皇室)と旧宮家の関係について』という題目で解説したいと思う。

 前回(第四回)から、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の「暴論」・「妄論」の数々について項目毎検証し、“虚偽永久封殺”をする作業に入った。

 実は、今回のブログでは当初、皇位継承における直系主義論の真偽について検証する予定であったが、紙幅の都合により、直系傍系論真偽検証は次回に行い、今回はその序論的検証として、今上陛下皇室)の皇統19471014日に臣籍降下された旧宮家旧皇族)の男系男子血統の関係について考察してみたい。

 これを考察したのち、次回のブログに於いて歴代天皇の万世一系、男系男子の皇統の直系・傍系に関する一般論の検証を簡単にまとめたいと考えている。

 小林よしのり氏は漫画『新天皇論』98頁、121頁で次のように述べている。

 『元正天皇は上位の宣命で、聖武天皇を「ワガコ」と呼び、聖武天皇は即位の宣命で元正天皇を「ミオヤ」と呼んでいるのだ。

 元正天皇と聖武天皇は伯母と甥の関係であり、聖武天皇の実母は藤原宮子である。

 ところが、即位の宣命では「母子」の関係を強調し、母から子に譲位したことになっている!

 古代においては、実際の血縁では親子でなくても、皇位を始め、地位継承の系譜上では親子とみなすということが行なわれていた。

 その際重視されていたのは、擬制を含む直系の親子関係である!(98頁)

 ・・・そればかりではない。(皇室典範有識者会議の)報告書ではこんな重要な指摘をしている。

 「旧皇族は、既に60近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々である」

 そうなのだ!600年もさかのぼるのだ!今まで最も離れた傍系の天皇は継体天皇応神天皇の5世の子孫である。

 だが、旧宮家は全て、今から600年も前の、北朝第3崇光天皇の子、栄仁〔よしひと〕親王までさかのぼらないと今上天皇と繋がらないのだ!

 皇室の歴史上、ここまで離れたバイパス手術はない!

 600も離れた男系のバイパス手術行います!

 今上天皇とは20数世代40数親等もはなれておりま――す!

 こんなことを言って国民は受け入れられるのか

 しかも、一旦皇族の身分を離れた者が再度皇族となった例はごく稀で、60年以上皇籍を離れた、しかも遠い血筋の者が皇族復帰した例などない』

 私〔=ブログ作成者〕の解説

 小林よしのり氏の漫画『新天皇論』とは、概ねすべて“万世一系男系男子の皇統”の正しい定義歴史事実を「歪曲すること」から発する左翼系天皇制廃止論者の既存の「虚偽虚構」を漫画にして焼き直した「妄論」「愚論」の集積箱である。

 例えば、下図(→中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、渡辺昇一『皇室入門』飛鳥新社、『皇室辞典』東京堂出版他を参照して〔=ブログ作成者〕が作成したもの)の皇統系図伏見宮家系図を見て頂きたい。 

ブログ作業用皇位継承5_image004.png 

  (※旧宮家系図を訂正しました。北白川宮→竹田宮。失礼致しました。H23/06/06)

 上記の図を参照しながら、小林よしのり氏の妄言虚言を整理してみる。

 ① “旧宮家系男系男子”と“皇統男系男子”は全て、約600年前の伏見宮三代貞成親王を祖として二系分かれるが、互いに同時並行的男系男子世襲現在に至っており、“全く同一皇祖神武天皇男系の血統”を途絶することなく“継承”している。

 ② ゆえに、小林よしのり氏の言説「600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋」とか「600も離れた男系のバイパス手術行います!」などは虚偽虚構出鱈目であり、今上陛下皇室)と旧宮家は「600年前に遡らなくとも現在において皇祖神武天皇男系男子血統として既に繋がっている

 上記の図のとおり、“伏見宮家系男系男子血統”と“今上天皇皇室)の男系男子皇統”は二系に分かれて以後現在まで、すべての時代において常に繋がってきたのである。

 ゆえに「バイパス手術」など全く不要である。

 二系に分かれて以来、約600年間常に繋がって現在に至っている二系の男系男子血統に一体「何をバイパスする必要があるのか?

 全く意味不明妄論である。

 ③ ②の事実から、臣籍降下時の「旧宮家当主含む嫡男系嫡出男子子孫すべて皇籍復帰して頂き、皇位を継承されるとすれば、即位された男系男子天皇は“万世一系男系男子の皇統”において、全く正統”である。

 つまり、万世一系男系男子皇統正しい定義一切背反しない皇統当面安泰となる。

 少なくとも遠い将来対策を考える時間的余裕生じるであろう。

 ④ さらに、小林よしのり氏の「旧宮家は全て、今から600年も前の、北朝第3崇光天皇の子、栄仁〔よしひと〕親王までさかのぼらないと今上天皇と繋がらないのだ!」

 という、皇統の正しい定義逆立ちさせた「妄言」について。

 ある時代のある男系男子天皇Mの“皇統”とは、皇祖神武天皇男系男子血統世襲継承の有無によって正統性承認されるのであって、今上天皇との血統の繋がりで承認するのではない

 もちろん、万世一系男系男子皇統において、結論的には天皇Mは、今上陛下とも当然血統は繋がっているのだが、それは天皇Mも今上陛下も正統な皇統として即位されたがゆえに、結果として血統が繋がっているのであり、小林よしのり氏の言説本末転倒していることを理解していただけるだろうか。

 ⑤ 以上のように今上陛下(皇室)も旧宮家の男系男子も、どちらも万世一系、男系男子の皇統(血統)において正統である。

 ところが、小林よしのり氏は、二系に分かれても男系男子の皇統血統)は全く同一である両者に対して、二系に分かれた時点現在から遡って約600年も前であるという事実持ち出して旧宮家と今上陛下(皇室)は「遠い血筋?」であると言う。

 「遠い血筋」が何を意味しているのか〔=ブログ作成者〕には理解できないが、仮に600年という年月が、同じ男系男子の皇統血統)を「遠い血筋にさせると言うのであれば、次の歴史事実をどう解釈するのであろうか。

 歴史事実は、今上陛下皇室)は万世一系男系男子皇統血統)を継承しておられるが、皇祖神武天皇とは「紀元前66019892649年間」もの年月が開いており、しかもその2649年間に幾度も系統は分かれているし、皇位は分かれた系統の間行ったり来たりして移動しながら皇統護持されてきたのである。

 小林よしのり氏の言説にしたがえば、今上陛下皇室)と皇祖神武天皇血筋は、旧宮家今上陛下皇室)の血筋の関係より「遥かに遠い血筋だ」と言っているのと同義ではないか。

 つまり、小林よしのり氏の暴論は、今上陛下皇室)の皇統正統性に対する「疑義の提示」あるいは「正統性の否定」を意味している。

 今上陛下皇室)に対して、このような不敬極まる結論帰着する思想を振り回す小林よしのり氏が同じ漫画『新天皇論』の中で

 「次世代の皇族が悠仁親王殿下ただ一人になられてしまうわけだ!これは大問題であるさぞや天皇陛下がご心配なさっていることだろう」(『新天皇論』116頁)とか

 「皇室典範改正を急げ!皇室の弥栄〔いやさか〕のために!」(『新天皇論』118頁)

 などと宣っているのだから論理矛盾甚だしい

 つまり、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を貫く「ゴーマニズム」の思想本籍とは、本人の自覚が有る無しに関わらず、「コミュニズム」や「マルキシズム」や「ソーシャリズム」の天皇制破壊論にある。

 なお、上記①~⑤は旧宮家旧皇族)の男系男子血統の正統性について考察した。

 が、上述したとおり、これら旧宮家の方々は19471014日に臣籍降下されており、現時点では皇位継承権はない

 しかしながら、日本国万世一系男系男子皇統としての天皇皇室)(→これは、日本国国体であり、日本国民日本民族存在意義でもある)を悠久に護持するためには、19471014日に臣籍降下された時点での旧宮家皇族の当主を含む嫡男系嫡出の男子子孫すべて皇籍復帰して、日本国国体護持する義務を果たして頂かねばならない

 それ以外の方法は、すべて天皇皇室)の皇統正統性あるいは近い将来消滅断絶させる毒薬である。

 さて、日本国国体(→戦争をイメージして国体という言葉に自動的に拒絶反応を示す方は、“国憲”あるいは“国柄”と考えて頂きたい)について、北畠親房(『神皇正統記1339年頃)から少しだけ拾っておく。

 神皇正統記とは、北畠親房が“皇位継承”には神代の昔から唯一の正しい道理=“不文の法”があることを発見し、明確に書き記した神皇”の“正統記”である。

 神皇正統記に曰く、

 「大日本者(おほやまとは)神國(かみのくに)なり

 天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく(とう)を傳(つたへ)(たま)

 我國(わがくに)のみ此事(このこと)あり。

 異朝(いてう)には其のたぐひなし

 此故(このゆゑ)に神國(かみのくに)と云(い)ふなり」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、17頁)

 〔=ブログ作成者〕の解説

 冒頭から「大日本者神國なり」とあるからといって、マルクス主義信者以外の日本国民は「戦前の皇国史観だ!軍国主義だ!」などと絶叫してはいけない。

 日本神話の神代を引き継ぐ、皇統の伝統(=継続・連続)が異朝(=印度支那)の不連続な王朝との決定的な違いであり、それは、日本国固有国体であると言っているだけ。

 その事実をして「神國(かみのくに)」と呼称のであり、「神國」にそれ以上の意味はない

 次の引用を見よ。

 神皇正統記に曰く、

 「此國(このくに)は天竺(てんぢく:印度)よりも、震旦(しんだん:支那)よりも、東北(とうぼく)の大海(だいかい)の中(なか)にあり、別洲(べつしう)にして神明(しんめい)の皇統(くわうとう)を傳(つたへ)(たま)へる國なり」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、21頁)

 〔=ブログ作成者〕の解説

 神國とは、「神明皇統傳へ給へる國」という意味、つまり「皇統日本国国体である」という意味である。

 校訂者 山田孝雄氏 曰く、

 「この神國といふこと即ちわが國體の特色たりといふことに帰す。・・・古来の人々も、これを感じてはありしならむ。然れども、これを明らかにするもの一人も無かりしが、ここに著者(=北畠親房)の喝破によりてはじめて神國ということの真意を悟るに至らしならむ」

 神皇正統記に曰く、

 「我朝(わがてう)の初(はじめ)は天神(あまつかみ)の(しゅ:血統子孫)をうけて世界(せかい)を建立(こんりふ)するすがたは天竺(てんぢく:印度)の説(せつ)に似(に)たる方(かた)もあるにや。

 されど、これは天祖(あまつみおや)より以來(このかた)繼體(けいてい:皇位継承、継嗣)たがはずして、ただ一種(いちしゅ:一つの血統ましますこと天竺のも其類(そのたぐい)なし

 彼國(かのくに)の初(はじめ)の民主王(みんしゆわう)も衆(しう)のためにえらびたてられしより相續(さうぞく)せり

 又(また)世(よ)くだりてはその種姓(しゆしやう:上位の身分の者)もおほくほろぼされて、勢力(せいりき)あれば、下劣(けれつ)の種(しゆ)も國主(こくしゅ)となり、・・・。

 震旦(しんだん:支那)ことさらみだりがはしき國(くに)なり。

 昔(むかし)世(よ)すなほに道(みち)正(ただ)しかりし時(とき)も(けん:賢人)をえらびてさづくるあとありしにより、一種(いちしゅ)をさだむる事(こと)なし

 ・・・或(あるひは)は累世(るゐせい)の(しん)として其(その)君をしのぎ、つひに(ゆづり)をえたるもあり。

 伏犧(ふくき)氏の後(のち)、天子(てんし)の氏姓(ししやう)かへたる事すでに三十六(さんじふろく)、(みだれ)のはなはだしさ云(いふ)にたらざる者哉(ものをや)

 (ただ)我國(わがくに)のみ天地(あめつち)ひらけし初(はじめ)より今(いま)の世(よ)の今日(こんにち)に至(いたる)まで日嗣(ひつぎ)をうけ給(たまふ)ことよこしまらず(いち)種姓(しゅせい:身分、血統の中(うち)におきてもおのづから(かたはら:傍系より傳(つたへ)(たまひ)しすら猶(なほ)正しき(=正系にかへる道ありてぞたもちましましける

 是(これ)併(しかしながら)抑(そもそも)、神明(しんめい)の御誓(おほんちかひ)あらたにして餘国(よこく:他国)にことなるべきいはれなり」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、2526頁)

 神皇正統記に曰く、

 「神代(かみよ)より正理(しやうり)にてうけ傳(つた)へつるいはれを述(の)べむことを志(こころざし)て常(つね)に聞(きこ)ゆる事(こと)をばのせず。しかれば神皇(じんわう)の正統記(しやうとうき)とや名(な)づけ侍(はべる)べき」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、26頁)

 神皇正統記に曰く、

 「〔八咫(やた)の御鏡(みかがみ)に〕八坂瓊(やさかに)の曲玉(まがたま)、(あめ)の叢雲(むらくも)の劒(つるぎ)をくはへて三種(さんじゆ)とす。

 又(また)此(この)(かがみ)の如(ごとく)に分明(ふんみやう)なるをもて天下(あめのした)に照臨(せうりん:しろしめす、治める)し給(たま)

 八坂瓊(やさかに)のひろがれるが如(ごと)く曲妙(たくみなるわざ)をもて天下(あめした)をしろしめせ

 神劒(みつるぎ)をひきさげては不順(まつろはざ)るものをたひらげ給(たまへ)。

 と(みことのり)ましましけるとぞ。

 この國(くに)の神霊(しんれい)として、皇統(くわうとう)一種(いちしゅ:一つの血統)ただしくまします事(こと)、まことにこれら勅(みことのり)にみえたり。

 三種(さんじゆ)の神器(じんぎ)(よ)(つたふる)こと日月星(ひつきほし)の(あめ)にあるにおなじ

 (かがみ)は(ひ)の(たい)なり。(たま)は(つき)の(せい)なり。(つるぎ)は(ほし)の(き)なり。ふかき習(ならひ)あるべきにや。

 ・・・此(この)三種(さんじゆ)につきたる神勅(しんちょく)は正(まさし)く(くに)をたもちますべき道(みち:政治道徳)なるべし。

 (かがみ)は一物(いちもつ)をたくはへず、(わたくし)の心(こころ)なくして萬象(まんざう)をてらすに、是非善悪(ぜひぜんあく)のすがたあらはれずと云(いふ)ことなし。

 (その)すがたにしたがひて感應(かんおう)する(とく)とす。これ正直(しやうぢき)の本源(ほんげん)なり。

 (たま)は柔和善順(にうわぜんじゆん)を(とく)とす。慈悲(じひ)の本源(ほんげん)なり。

 (つるぎ)は剛利決斷(がうりけつだん)を(とく)とす。智慧(ちゑ)の本源(ほんげん)なり。

 此(この)三徳(さんとく)を翕受(あはせうけ)ずしては天下(あめした)のをさまらんことまことにかたかるべし。・・・」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、26頁)

【平成2365日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)