近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第五回:最終回) [政治]

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  20世紀初頭の加藤高明と小村寿太郎の反露・親英路線が、その後の日本の外務省において伝統となった。

 

 このことが、陸軍が反英・親露に転向することによってこれに追随せざるをえなくなった1937年から1945年の8年間の中断があるが、戦後の日本の日米同盟路線の土壌ともなったのである。

 共産ロシア〔ソ連〕の対日講和三条件〔備考〕を日本政府にのませることを狙った、日本のマルクス主義の親露派の「全面講和」論を断固拒否して、外務省出身の吉田茂総理大臣がこのソ連などを除く旧・連合国とサンフランシスコ平和条約を締結する「多数講和」を強行した1951年~1952年の正しい外交選択は、加藤/小村路線の輝くような再現でもあった。

 そして、吉田茂の強い指導力による日米同盟の道が、戦後の日本の平和と経済繁栄の礎となったのである。

〔備考〕共産ロシアが絶対条件として提出した、そして朝日新聞や学会等が熱狂的に支持した、その対日講和の三条件とは次の通りである。

 ①南樺太とクリル諸島とを、ロシア領土と明記すること。

 ②日本海をロシアの内海と認めること。

 ③日本の四海峡〔根室半島を含む〕の非武装化〔=主権制限〕をすること。

(以上、中川八洋『近衛文麿とルーズヴェルト---大東亜戦争の真実』、PHP研究所、235236頁)

 (今回:最終回)→近衛文麿共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第最終回

 【上記内容に関連する小論】

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第4回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第3回)

 近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第2回)

 →近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第1回) 

 →共産主義の超極悪を歴史から学ぼう

 「フェミニズム」の禍毒---ジェンダー・フリー教育を全廃せよ!

 「脱原発」共産革命の真実を国会で審議せよ

 ロシアとの平和条約締結は日本国の亡国への道である

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 真正保守(自由)主義 政策綱領(案)

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近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第四回) [政治]

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◇ 1940722日:第二次近衛内閣成立

 

◇ 1940726日:『基本国策要綱』(「大東亜新秩序建設」、「大東亜共栄圏」、「国防国家」)を閣議決定

1940年年927日:日独伊三国同盟締結

19401012日 :「大政翼賛会」発会式

1941413日 :日ソ中立条約締結

 ☆☆☆☆☆

  近衛文麿がめざした“一国一党”の日本の独裁政党となるはずだった「大政翼賛会」は最終的には国民運動の組織のような性格のものに大きく格下げにはなったが、その近衛が描いた当初の構想〔アイディア〕は、レーニン〔スターリン〕のソヴィエト共産党をモデルとしていたのである。

 「大政翼賛会」がソ連共産党型にならなかったのは、暴力による非合法手段をとらないことから当然おこるべくしておこったともいえるが、だからといって決して近衛文麿が「優柔不断」だったからでもないし、近衛の「無性格」〔矢部貞治『近衛文麿』〕だったからでもない。

 正しくは、天皇の廃止不可能だったからで具体的には明治憲法の改廃もしくは停止が困難であった、そのことを近衛文麿は鋭く見抜いていたからだ。この天皇と明治憲法の二つが存続する限り、日本をソ連型の独裁政党の政治体制に「変革」することは困難であった。

 裏を返せば、暴力革命をしない前提であればいかなる政変をしても、天皇の御存在と明治憲法の存在が、日本が最悪の全体主義〔ファシズム〕へ転落することを防止する政治システムになっていたのである。

 ヒットラーのナチス独裁党の誕生を許すワイマール憲法の欠陥が、明治憲法にはなかったのである。

 ・・・1940年の日本では天皇の御在位と明治憲法とが、日本が全体主義〔ファシズム〕の独裁政党体制に完全に陥っていくのを防いだのである。

 4年前の226事件の軍部のクーデタをつぶして議会制民主主義を守ろうとした昭和天皇と同じ働きを明治憲法が静かになしたのである。

 ところが、この事実を逆さまにして、明治憲法が軍国主義の元凶のごとくに中傷するのが戦後の(無知か、愚鈍か、大法螺吹きの)政治学者・憲法学者である。彼らの学問とは学問ではない。

 イデオロギーのための悪質な詭弁でありデマゴギーでしかない。

 なお、大政翼賛会が立憲主義の政治に悖り違憲であることは、当時の貴族院議員の岩田富造の言葉を借りて説明しておこう〔194126日、貴族院〕。

 「統治を行う機関いわゆる政治を行う権限もその行使の方法も、すべて憲法の規定によってのみ行うことが憲法政治の根本原則であると信じる。憲法の認めない政治の機関や政治の運営は絶対に憲法の容認せざるところである。大政翼賛会は何ら法令に基づくところがない」

(以上、中川八洋『近衛文麿とルーズヴェルト---大東亜戦争の真実』、PHP研究所、133頁、138頁、139頁。 ※ 真の、”法・法哲学“、“憲法”とは何かを知りたい者、あるいは憲法の「恣意的な解釈学」ではなく、真の“法学・憲法学”、“法の支配・立憲主義”を学びたい者には、中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』中公叢書、『悠仁天皇と皇室典範』清流出版、の二冊は最低限の必読の書である。)

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 (今回)→近衛文麿【共産主義権】が主導した大東亜戦争の真実(第4回)

 【上記内容に関連する小論】

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近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第三回) [政治]

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 ◇ 1937711日 「北支派兵」声明

 ◇ 1938116日 「国民政府(蒋介石)を対手とせず」声明

 ◇ 19385月 5日 国家総動員法施行、電力国家管理法施行

 ◇ 1938113日 「東亜新秩序」声明

 【国家総動員法、電力国家管理法】

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 世界の外交史上最も奇怪にして狂気の・・・「国民政府〔蒋介石〕を対手とせず」声明(1938116日)を発表してまで日中戦争の終結を阻止したのは、日本の国会において審議中の国家総動員法の通過〔採択〕を援護するのも近衛文麿の目的の一つであった。

 当時、陸軍の資源局が企画庁と合体して発展した企画院〔193710月設置〕が「国家総動員法」案を起草し、翌11月にはこの「国家総動員法案要綱」が一部の新聞にリークされていた。

 そして、その直後から、国内ではこの「国家総動員法」に反対する勢力の猛反発が展開されていた。

 「国家総動員法」は、明治憲法が定める議会制民主主義と「天皇の大権」のいずれをも無視する、つまり明治憲法を棚上げ無力化する恐れのある「前例のない広範な委任立法」〔民政党、斉藤隆夫〕であって、それはヒットラーの全権委任法〔19333月〕のミニ版と言えるものであった。

 だから、仮にこの近衛文麿の「国民政府を対手とせず」声明がなければ、陸軍の「速戦速決」の早期終結論も強く存在していたから、「不磨の大典」たる明治憲法を無視するようなこの「国家総動員法」の必要性・緊急性の理屈は薄弱となり、これが衆議院・貴族院ともに通過する可能性などまったくなく廃案になるのはまず間違いなかった。

 このような状況にあって、この「国家総動員法」案を強引に国会〔第七十三通常国会〕通過させるには、日中戦争そのものが長期化する新情勢を創る必要があり、近衛文麿はその極めつけの方策として「国民政府を対手とせず」声明を出したのである。

 近衛はそれから1週間後の123日に「法案要綱」を公表し世論の動きのチェックと世論工作をして、翌219日にこの法案を衆議院に提出した。衆議院・貴族院でこの法案を廃案にしようとする動きを封じるのに近衛はあらゆる術策を弄したのである。

 たとえば、貴族院では「支那事変にはこの法律を適用しない」との嘘まで言明する始末だった。

 近衛は〔41付の〕(法律)公布から1カ月しかたっていない(1938年)5月5日に自分のこの言明どこ吹く風と、支那事変に適用すべくこの法律を施行してしまった。

 また、電力の国家管理の法律もこれと同時に成立した。かくして、この1938年の春、日中戦争開始から1年もたたないのに、労働力・物資・価格・金融・事業を国家が統制できる「国家総動員法」と電力の国家管理法の、二つの法律が成立したのである。

 これによって、日本はついに計画経済体制への道を走り出した。この1938年末までにはこの「国家総動員法」は全面的に発動された。それはまた日本の社会主義化・全体主義化の道の始まりであった。

 ・・・なお、この国家総動員法と電力国家管理法は、スターリンの「第一次五カ年計画」〔19281932年〕を模倣するものであったから、この両法律の成立は日本の社会主義国への改造に向けての一大スタートの記念碑でもあった。

(以上、中川八洋『近衛文麿とルーズヴェルト---大東亜戦争の真実』、PHP研究所115117頁より)

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 (今回)→近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争真実(第3回)

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近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第二回) [政治]

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 江戸時代の末からこのかた百数十年のあいだ、日本外交の基軸は「親英米〔親アングロサクソン〕」か「親ロシア〔親スラブ〕」か、の二極に分裂するかのように揺れてきた。

 

 そして、親英米の外交路線をとると日本の国運の隆盛がもたらされ、親ロシアの路線は日本に破局をもたらすのが常であった。

 ペリー来航〔1853年〕の幕末より明治維新をへて日清・日露戦争の勝利を手にして第一次世界大戦後の日英同盟破棄〔1921年末〕までの70年間の歴史は、昇竜の如く極東の小国が西洋列強と肩を並べるという栄光の輝ける歴史でもあった。

 しかし、日英同盟なきあとに日ソ基本条約〔1925年〕に代表される親ロシア政策への本格的な傾きは、親英米路線の枠組みの維持のための最後の努力ワシントン体制からの離脱とすらなって〔1936年〕、いっきに「反英米」と「親露」という、幕末からの日本外交の基本と伝統とを逆さまにしてしまった。

 そして、日本は国家滅亡の坂を転がり落ちることになった。反英米路線への決定的な選択とは、日独伊三国同盟条約〔1940年〕であった。

 親露路線への総仕上げというべきは、日ソ中立条約〔1941年〕であった。

 つまり、この日独伊三国同盟条約と、日ソ中立条約の締結とは、米国のグル―駐日大使に「民族ハラキリ」と嘆息させた真珠湾攻撃につながっており、当時の超大国の米国と世界のリーダーである英国の双方に対して戦争するという、“国家の自殺”しかない狂気の道をみずから選択したのであった。

 この基本構図は多くの日本人が知る所であるにもかかわらず、親露主義もしくは対露宥和主義は、強い影響力をもってしばしば抬頭しては、日本の外交的な過ちを何度も繰り返すのである。

 ・・・このため、日本は何度でもロシアに騙されて領土を次から次に奪われ続けるという失策を繰り返すのである。

 また、日本が明確な親英米〔反露〕に全体として合意するのはロシアから悪逆非道な仕打ちをうけたその体験の直後ぐらいに限られている。

 (これを)ビスマルク流に言えば、日本人は歴史に学ばず、体験に学ぶ愚者ということになる。

 (以上、中川八洋『近衛文麿とルーズヴェルト---大東亜戦争の真実』、PHP研究所204206頁より抜粋)

 →近衛文麿【共産主権】が主導た大東亜戦争の真実(第回)

 【上記内容に関連する小論】

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保守主義の哲学---近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実(第1回) [政治]

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 東京都知事選にコミュニスト近衛文麿(元首相)の孫、細川護煕(元首相)が立候補するらしい。

 この御仁は、猪瀬前東京都知事がなぜ辞任したのか、その理由を御存知の上で、立候補を表明されたのだろうか?

 また、「脱原発」という「共産主義イデオロギーの宗教活動」のために、「2020年の東京五輪・パラリンピックを辞退すべきだった」旨を吐露しているらしい。

 一体、この御仁は東京五輪誘致のために、これまでどれほど多くの関係者が努力してきたかを御存知の上で、このような発言をされたのだろうか?

 今頃、陶芸で隠居生活を満喫していた御仁が、突然出てきてこのような暴論をよく吐けるものである。

 細川護煕がこのような発言をしたことが明白になった以上、細川護煕は東京都知事になる資格などあるまい。

 なぜなら、正式な公約発表はまだであるが、そこで「前言は撤回する」と言ったとしても、誰も信じないし、このような無責任男が都知事になれば必ず、公の場で口から、ポロリとホンネを漏らして大問題になるのは確実だろうからである。

 ゆえに、「2020年東京五輪・パラリンピック開催」を楽しみにしているすべての東京都民は良識ある投票行動をとらねばならないだろう。

 また、「2020年東京五輪・パラリンピック開催」を東日本震災復興の《希望の光》と考えるすべての日本国民は同様の態度で東京都民をバックアップすべきであろう。

 なお、今回は偶々、細川護煕の上記の発言が、池上章氏の著作のおかげで事前に見つかったから良かったものの、《もし、細川護煕が自己の企みを黙り隠したまま都知事に当選でもしていたら・・・》と思うと背筋が寒くなるのは〔=ブログ作成者〕だけだろうか?

 また、細川護煕は首相時代にも真夜中の国民の就寝中に記者会見して「国民福祉税創設」をぶった《盗人のごとき騙し屋》であり、無責任極まりない愚鈍者である。

 このように、細川護煕が、無責任で出鱈目な東京都民(日本国民)を侮辱したような態度を取れるのは、これから〔=ブログ作成者〕が、数回に分割して掲載しようとしている「近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争の真実」の主人公である共産主義者・近衛文麿の血筋の孫殿であることと何か深い関係があるように思えてならない。

 さて、近衛文麿とは首相をつとめた3期の内閣(=共産主義政権)の任期中に、日本国・日本国民を日支戦争、対英米戦争の亡国戦争に導く歴史事件のほとんどをやってのけた、天才的な共産主義者(極左主義者)であった。

 この都知事選の機会に、本ブログでは、今回から数回にわたり「近衛文麿【共産主義政権】が主導した大東亜戦争」と題して、終戦後から現在に至るまで隠蔽され続けてきた「大東亜戦争の真実」を簡明・簡潔にまとめてみたいと考えている。

 もちろん、ベースとなる著書は、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作群が主体であるが、引用著作名や頁数などの詳細は、本文中に逐次示していく予定である。

 本編→近衛文麿共産主義政権主導大東亜戦争真実(第一回)

 【上記内容に関連する小論】

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