保守主義の哲学---皇統破壊、男女の性差否定、人口減少による亡国危機意識ゼロの内閣府男女共同参画局は必要か? [政治]

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20191224日追記》閑話休題、Merry Christmas!

 

 読者の皆様へ

 

 本年も大変お世話になり、ありがとうございました。

 

 Merry Christmas!

 

 そして良き新年をお迎えください。

 

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 ≪令和元年124日≫追加

 

 ◇「川崎市ヘイト条例(案)」は「法の下の平等」(憲法第14条)を蹂躙する暴挙!

 

201910月4日の市議会で福田紀彦川崎市長が「差別の根絶を目指し、地域の実情を踏まえた条例」と表現した「(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例(素案)」は「差別の根絶」どころか、自由の根本原理である“法の下の平等”(日本国憲法 第十四条)を蹂躙する危険な条例(案)となっている。

 

こうした指摘に対して一部の弁護士・識者・メディアは次のような詭弁によって、「日本国内における(特定国出身者による)日本人へのヘイト・差別などあり得ず、その発想自体が矛盾している(馬鹿げている)と主張する。

 

曰く、

「そもそも≪日本人ヘイト≫は存在しない。へイトスピーチは歴史的、構造的に劣位にある社会的弱者・少数者に対する差別や暴力をあおるもので、日本において圧倒的多数者の日本人一般へのヘイトスピーチは語義矛盾に他ならない。」(神奈川新聞、20191201 05:00、ソース→神奈川新

 しかし、このような全体論的抽象論など、ここではどうでもよろしい。唯一重要なことは、「川崎市条例(素案)の内容(それ自体)」が、日本人と特定国出身者の間の“法の下の平等”を確保しているか否かに関する「事実のみ」である。

 

川崎市条例(素案)には、次のように記されている(一部抜粋)。

 

(仮称)川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」(素案)」

4 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進

2 総則

(1)この章の趣旨

市は、ヘイトスピーチ解消法第4 条第2 項の規定に基づき、市の実情に応じた施策を講ずることにより、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消を図る。

(2)本邦外出身者に対する不当な差別的言動の禁止

何人も、市の区域内の道路、公園、広場、駅その他の公共の場所において、次に該当する「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」を行い、又は行わせてはならない。

≪類型≫

◎ 特定の国若しくは地域の出身である者又はその子孫(以下「特定国出身者等」という。)を、本邦の域外へ退去させることをあおり、又は告知するもの  

…①

特定国出身者等の生命、身体、自由、名誉又は財産に危害を加えることをあおり、又は告知するもの …②

特定国出身者等を著しく侮蔑するもの …③

≪手段≫

◎ 拡声機を使用する。 ◎ 看板、プラカード等を掲示する。

◎ ビラ、パンフレット等を配布する。◎ 多数の者が一斉に大声で連呼する。

 (※ ①~③の番号は私が付記。)

 

 

 上記の(1)、(2)ともに、川崎市によって禁止される差別的言動を「日本人→本邦外出身者」の方向のみに限定し、その逆方向(特定国出身者→日本人)は規制対象とされていない。川崎市が「逆方向は、差別やヘイトではない」と前提している(=差別している)証拠である。

 

川崎市の差別的言動の≪類型≫を見よ。

 

「日本人→特定国出身者」への「差別的言動」とされる類型②と③は、「全体論的な多数者・少数者」の区分とは全く無関係に、逆方向(「特定国出身者→日本人」の方向)でも容易に(いつでも、どこでも)生起し得る事象であることは明白である。

 

例えば、道路交通法上の「信号無視」や刑法上の「窃盗罪」は、日本人でも特定国出身者でも犯し得るがゆえに、当該法の違反者は誰でも平等に(等しく)法が適用される(日本人、又は特定国出身者だからという理由で法の裁きを免除されることはない)。これが法の下の平等”の意味である。

 

ところが、川崎市条例(素案)では、上記の類型②と③は日本人であるか特定国出身者であるかに関わらず誰でも犯し得る事象(内容)であるに、条例の規制と行政刑罰の適用対象は「日本人のみ」とされている(先の例で言えば、同じ信号無視をしているのに、日本人なら罰金刑、特定国出身者なら無罪放免ということ)。

 

これは明らかに「差別的な取り扱い(=差別の極み)」であり、≪憲法第14条違反≫である。

 

本国憲法第14

 

 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

 

法の下の平等”について、自由主義の経済学者かつ政治哲学者であるFA・ハイエクは次のように述べている。

 

FA・ハイエク曰く、

「法と行為に関する一般的規則の平等(な適用)こそが、自由のために役立つ唯一の平等であり、また自由を破壊せずに確保することのできる唯一の平等である。」(『ハイエク全集Ⅰ-5』、121頁)

曰く、

「法の下の平等に対する要求の本質は、人びとには差異があるという事実にもかかわらず、等しく扱われるべきということになる。」(同、122頁)

 人権論者(人権弁護士)などは、「日本全体における多数者・優位者は日本人であり、少数者・劣位者は特定国出身者であるから、日本人ヘイトは存在し得ない」と断定するが、それは概念的抽象論にすぎない。

 

なぜなら、上記の②と③の行為を「ヘイト行為」と定義するならば、その(逆方向の)全く同じ行為も「ヘイト行為」であるのは当然だからである。もし全く同じ行為が、人種・民族・出身国によってヘイト行為として扱われたり扱われなかったりするならば、それこそが「(究極の)差別」なのであって、福田紀彦川崎市長の目的とする「差別の根絶」とは真逆の代物と言えよう。

 

 

(令和元年125日追記)

 

※ なお、条例の規制対象を「日本人→特定国出身者(=マイノリティ)」の方向のヘイト・差別言動のみに限定している理由を、「ヘイト規制自体が、マイノリティの表現活動の自由を抑圧してはならず、それを防ぐためだ!」など述べる見解があるが甚だしい詭弁と言える。

 

なぜなら、ヘイト・差別言動は、その言動内容がヘイト・差別であるという理由において規制されるべきものである。言動主体が多数者に属する者であるか、少数者(マイノリティ)に属する者であるかによって、(差別的に)規制すべきものではない。

 

例えば、川崎市条例(案)の上記≪類型≫②③に属するものの例として≪「○○人を皆殺しにせよ!」という差別街宣行為≫を考えてみよう。

 

「○○人」の箇所に「特定国出身者(の名称)」が入っても、「日本人」と入っても、街宣の対象となる民族(=相手)に対して、②「生命に危害を加えることを煽っており」又は③「著しく侮辱している」のは、疑いのない事実である。ゆえに、両者は、法の下で等しく扱われなければならない。それが“法の下の平等”の根幹である。

 

確かに、少数者(マイノリティ)が政府や地方行政などの権力に対して抗議や要求を行う表現活動の自由を確保することは重要であろうが、だからといって相手に対し、②生命に危害を加えることを煽ったり、③著しく侮辱したりする言動が「少数者の側にだけは許される」というものではない。

(追記、以上。)

 

また、上で抜粋した神奈川新聞は、同じ記事の結び部において、「川崎市の見解」を次のように記している。

 

『市の勧告、命令に従わずにヘイトスピーチを3回繰り返した人物・団体に最高50万円の罰金を科す。規制対象となる差別的言動はヘイトスピーチ解消法の定義に基づき外国人、あるいは外国にルーツを持つ人々に対するものに限られるが、市は「それ以外のヘイトスピーチも許されるわけではない」「外国人であってもそうした言動は許されない」との見解を示している。条例案は25日に市議会に提出され、順調にいけば12月4、5日の代表質問、6日の文教常任委員会を経て、12日に本会議で採決される見通し。』

(神奈川新聞、20191201 05:00、ソース→神奈川新聞

 つまり、川崎市は、「それ以外のヘイトスピーチも許されるわけではない」、「外国人であってもそうした言動は許されない」との見解を示しているのである。

 

そうであるならば、川崎市(市長)は「条例の規定(条文)」を明確にそう解釈できる(読める)ように修正する義務がある

 

市の単なる(口頭での)「見解」など数年・数十年経過して市職員が完全に入れ替わればほとんど無効となる。「逆のケース」が発生して日本人が川崎市に訴えても「そのような逆ケースについては、条例に規定はございません。」、「過去の口頭での見解など、効力がありません。」と弁明するのが「役所仕事」のお決まりのオチ。

 

最後に、もしこのような差別的条例(案)が、何の修正もなされずに成立した場合には、良識ある日本国民(特に、川崎市の日本人)は“法の下に平等な権利”を確保すべく、司法(裁判所)に条例の違憲判断を仰ぐ必要があろう。

 

※ 「日本人と特定国出身者との間の“法の下の平等”を確保せよ!」という私(自由主義者)の主張を、どこかの政党の国会議員のように「レイシスト」、「ファシスト」、「差別主義者」と呼びたいなら、いくらでもそう呼んで(レッテル貼りして)頂いて結構だ。真実は、そう呼ぶ者の知性が愚かで貧困なだけであり、私はいつでも理論的反論を提出する準備がある。

 

 

以 上。


(令和元年12月7日追記)


【カナロコ 神奈川新聞社】(12/6【金】 23:00配信 )


■「今議会で成立」大勢 常任委採決持ち越し 川崎市ヘイト罰則条例

川崎市議会は6日、文教常任委員会を開き、ヘイトスピーチを繰り返した人物に刑事罰を科す「市差別のない人権尊重のまちづくり条例案」の審議を行った。自民党から継続審議の提案が出されたが、今議会で成立させるべきだとの意見が大勢を占めた。自民は付帯決議を再提案したものの、これにも反対意見が出された。委員会採決は9日に持ち越しとなった

自民の浅野文直氏は「ヘイトは撲滅すべきだが、なぜ本邦出身者と区別し、本邦外出身者へのヘイトだけ罰するのか疑義を持つ人は多い」と指摘。外国人への差別的言動は許されないとしたヘイトスピーチ解消法を根拠とする以上、罰則対象は同法に基づくものとなり、立法事実も市内で繰り返された在日コリアンを排斥するヘイトデモであることを市は再三説明しているが、浅野氏は説明不足を理由に継続審議を求めた。

賛同したのはチーム無所属のみ。共産党と公明党、みらいはそれぞれ「ヘイトは許さないと一刻も早く示そうという市の決意は理解する」「市民が苦しんでおり喫緊の課題。今議会で採決すべきだ」「ヘイトスピーチ根絶決議など議会としても意思を示してきた」と条例案への賛成を表明した。

これを受け自民は付帯決議を再提案。市民への周知徹底に加え、「日本国民への差別的言動が認められる場合、条例の罰則の改正も含め必要な施策、措置を講ずる」との文言を盛り込んだ案を示したが、共産の片柳進氏は「条例案の基となった解消法に『日本国民への差別的言動』は含まれない。削除すべきだ」と反対を表明。各会派は持ち帰って検討することになった。

自民案について文教委員で公明の沼沢和明氏は「解消法から逸脱しており到底受け入れられない。法改正なしに『罰則の改正』など条例でできるはずがない」と反発同じ文教委員でみらい団長の岩隈千尋氏も「解消法の付帯決議と同様のものなら許容範囲だが、現状の案では賛成できない」と言明した

(ソース)→神奈川新聞社

■■■■■

市議会議員のなす議論(もつ見識)とは、この程度の浅はかなものなのだろうか?

そもそも「ヘイトスピーチ解消法」は罰則を設けていないのだから、罰則を課すこと自体が「法律から逸脱している」のである。

その逸脱に加えて、川崎市条例(案)は、規制と罰則の対象に関して、憲法第14条の“法の下の平等”という“自由の大原則”からも逸脱しているのである。

つまり、川崎市議の見識によれば、市条例における法の下の平等(憲法第14条)の蹂躙(=究極の差別)は、ヘイトスピーチ解消法(=差別解消のための法律)が根拠であるなら、(市の行政権によって)許される、ということらしい。なんと馬鹿げた解釈であることか。

しかも、「ヘイトスピーチ解消法」と「参議院付帯決議」のどこを読んでも、行政権力による規制と罰則のあり方が、“法の下の平等(憲法第14条)”を蹂躙(or逸脱)してもよい(=行政権の恣意によって放棄されてもよい)などとは記されていない。これが「事実」である。ヘイトスピーチ解消法のどこをどう読んだら、川崎市議のような勝手な解釈が生まれるのか、(私には)不思議でならない。

ヘイトスピーチ解消法の「付帯決議」とは次の通りである。

平成28年5月12日、参議院法務委員会】

 国及び地方公共団体は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消が喫緊の課題であることに鑑み、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである。

 1 第2条が規定する「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」以外のものであれば、いかなる差別的言動であっても許されるとの理解は誤りであり、本法の趣旨、日本国憲法及びあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約の精神に鑑み、適切に対処すること。

 2 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の内容や頻度は地域によって差があるものの、これが地域社会に深刻な亀裂を生じさせている地方公共団体においては、国と同様に、その解消に向けた取組に関する施策を着実に実施すること。

 3 インターネットを通じて行われる本邦外出身者等に対する不当な差別的言動を助長し、又は誘発する行為の解消に向けた取組に関する施策を実施すること。

 右決議する。

つまり、付帯決議は、

・「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」以外の差別的言動であれば許されると理解するのは誤りである、としている。

・「本法の趣旨、日本国憲法及びあらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約の精神に鑑み、適切に対処する」こととしており、「差別的言動を解消するためであれば、憲法の規定を蹂躙してもよい」とは一言も述べていない。

だから、

公明党市議・沼沢和明氏の

解消法から逸脱しており到底受け入れられない。法改正なしに『罰則の改正』など条例でできるはずがない」、

みらい団長の岩隈千尋氏の

解消法の付帯決議と同様のものなら許容範囲だが、現状の案では賛成できない」、

さらに、共産党市議・片柳進氏の

「条例案の基となった解消法に『日本国民への差別的言動』は含まれない。削除すべきだ

などの見解(解釈)の方が、「ヘイトスピーチ解消法」と「参議院での付帯決議」の主旨・文言から逸脱しているのである。

“法の下の平等”を確保するためには、条例(素)案の「4 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進」の章に関して、

文言「本邦外出身者に対する差別的言動」を、

文言「本邦に適法に居住する者に対して、その出身国若しくは地域を理由として行う差別的言動」(→ヘイトスピーチ解消法の文言を援用している。)、

などに置き換える工夫をすれば容易に解決できると思われるが、なぜ川崎市(市長・市議会)はそうしないのだろうか?

そして、この文言の置換(修正)によって、川崎市条例(案)は「ヘイトスピーチ解消法」と「付帯決議」の両方の主旨を包括的に取り込めるし、そうすることこそが、「真の差別解消方策」のはずである。


※ 人類は長い歴史過程において、「人による支配(統治)から、法による支配(統治)へ」、「支配者の恣意による諸個人の不平等な取り扱いから、法によるすべての人々の平等な取り扱いへ」と漸進的に移行することによって、自由社会の基礎を築いて来たのである。古代ギリシャ・古代ローマの時代から、多くの哲学者・政治家などが“自由の根本原理”としての“法の支配”と“法の下の(前の)平等”の重要性を議論してきたのである。この人類の自由の最重要原理を軽々に放棄(棄却)することは許されない(そうした行為こそが、究極の差別をうむ原因となる、というのが人類の発見した叡智なのだから)。

詳しくは、『ハイエク全集Ⅰ-6「自由の条件Ⅱ」自由の法』第11章等を参照されたい。

(追記、以上)。 

 

 

エドマンド・バークを信奉する保守主義者こと

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令和元年11月1日Livedoorブログ『徒然なるままに、保守主義の政治哲学。』を更新しました。

「文明社会における(個人の)自由の存立条件」の概説です。

興味ある方は、ぜひお読みください。

 

文明社会における(個人の)自由の存立条件について

 

 

令和元年7月16日、Livedoorブログを更新しました。

婚姻・家族・天皇(皇統)・国家(国民)などの、日本国古来の諸制度に関する「バーク保守主義の哲学」を簡単にまとめました。

興味ある方は、ぜひお読みください。

保守主義の哲学---日本国の政治家の出自を「100%透明化する」法律を制定せよ!

JIJI.COM】(6/14〔金〕 8:56配信 )

■ 「リケジョ」家族が回避=19年版男女参画白書

政府は14日午前の閣議で、2019年版の男女共同参画白書を決定した。

「女性の教育」を特集し、大学での理工系分野の女性割合がいまだ低い現状を紹介。女子が理系を回避する原因について、学力不足ではなく、家族の意向が影響していると分析した

  18年度の大学生に占める女子の割合を専攻分野別にみると、医学・歯学が352%、理学が278%、工学は150%にとどまった。研究者の大半を占める理学・工学研究者の女性割合も、大学などの研究機関が126%、企業が81%で、「諸外国と比べると低い水準」と認めた。

  日本の女子の数学、科学の成績は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の男子平均を上回る。白書では、満足できる進路選択ができなかった人のうち、家族の反対を理由に挙げた女性は173%で、男性より73ポイント高かったと指摘。理数科目の女性教員など手本となる存在が少ないことも進路に影響を与えているとの見方を示した。 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190614-00000029-jij-pol


 政府が決定した2019年版の男女共同参画白書では、大学での理工系分野の女性割合が低い原因を「家族の意向、家族の反対が影響しているから」、つまり「周囲の環境が理工系学部を選択したい女性の意思・意向を妨げている」と分析しているというのだ。

しかし、このような「こじつけ的な結論付け」を鵜呑みにして信じてはならない。「本当にそれが主因なのか?」と疑い自分でその真偽を確かめる努力を惜しんではならない。 

男女共同参画局の結論付けに不自然さを感じた私は、次のように推論し、その真偽をデータで確認してみることにした。

その推論とは次のような極めてシンプルなもので、

「大学にリケジョ(理系女子)が少ないのは、ごく単純に、女子の方が男子よりも理系科目が好きではない(嫌い、性に合わない)人が多い、あるいは文系科目の方が好き(相性が良い)と感じる人が多いという、ある種の男女間の性差に起因しているのではないか?」

というもの。

但し、ここでは女子(女性)の理系科目の成績の良し悪し(能力)ではなく、単純に、好き嫌いや得手不得手という感覚を問題にしているのである。なぜなら、誰でも、自分のしたいこと(興味のあること)を学ぶために大学に進学するはずだろうからである。

以下に、小学生・中学生・高校生の男女の学科の好き嫌い、得意・不得意感について、インターネット上で入手可能なデータから傾向を調べた結果を示す。

【データ1】

 国立青少年教育振興機構「青少年の体験活動等に関する実態調査」 (平成24年度調査)報告書のデータより。

-1 得意科目に関する調査結果

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* 色線、色矢印:私が記載。

(データソース)→https://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/84/

さらに表‐1を私がグラフ化した図-1を以下に示す。

-1 得意科目に関する調査結果(グラフ化)

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【データ2】

● 国立青少年教育振興機構「青少年の体験活動等に関する実態調査」 (平成28年度調査)報告書より。

表―2 同上、直近調査(平成28年度)のデータ。

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* 色線、色矢印:私が記載。

→平成28年度調査結果も、傾向は平成24年度調査とほぼ同じ(変化なし)。

(データソース)→https://www.niye.go.jp/kenkyu_houkoku/contents/detail/i/130/

【データ3】

● 民間企業 KANKO(カンコー学生服)の調査(2007.05.29

カンコーホームルーム【Vol.16】「高校生の好きな教科・嫌いな教科に関する調査」より。

-2 高校生の好きな教科・嫌いな教科調査

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(データソース)→https://kanko-gakuseifuku.co.jp/media/homeroom/070529

* これらのデータは、インターネット上で検索できる範囲内において、男女別の学科・科目の好き嫌い、得意・不得意感(成績の良否ではない)を調査しているものをピックアップしたもの。調査対象学生数、学生の年齢層の幅、定期的な調査を実施している点では国立青少年教育振興機構「青少年の体験活動等に関する実態調査」の信頼性が高いと思われる。


これらのデータだけで決定的な結論が出せるとは言えないが、国立青少年教育振興機構の調査結果(傾向)とカンコーの調査結果(傾向)は非常によい一致を示している。

つまり、両者のデータからは、女子(女性)は全学年にわたって文系科目に好感・得意感を持ち、男子(男性)は全学年にわたって理系科目に好感・得意感を持つ傾向が強いと言えそうなのである。

理系科目、文系科目の好き嫌いには、男女間で性差が存在するのではないだろうか。

この性差が、「生得的なもの」であるか、「環境的なもの」であるかは、ここでははっきりと断言することはできない。しかし全学年にわたる教科の好き嫌いや嗜好性の傾向が、環境的要因によって、つくられたり操作されたりし得るとは考えにくい。

いずれにせよ、このような男女間の傾向の差異が見られる以上、男女共同参画白書の「結論」をそのまま鵜呑みにはできない、ということは確実に言えそうである。

さて、それではなぜ男女共同参画白書の短絡的でこじつけ的な結論、

「家族の意向、家族の反対が影響しているから」

が出てくるのだろうか?

その理由は、日本フェミニズムや内閣府男女共同参画局の根本思想である「男女の間に生得的差異は本質的には何も存在しない」(ケイト・ミレット『性の政治学』やジョン・マネー『性の署名』などがその嚆矢。)という誤った仮説に起因しているように思われる。

* この「仮説」は、生物学・遺伝学、脳神経科学、内分泌学、心理学、小児医学などの ---特に、性分化疾患やインターセクシャルなどの人々の性自認等の調査研究を通じての--- 多くの科学分野の実証的な研究成果(事例)によって否定されている。米国ウーマン・リブや日本フェミニズムはこれらの科学的知見を一切認めようとしないが、彼らからそれに対する科学的反証がなされたわけでもない。

この誤った仮説からは次のような結論が容易に導かれる。

すなわち、

「(その仮説によれば)男女には生得的な性差(sex)はない。それにも関わらず、社会に男女間の不平等が実際に存在する(生じる)のは、家(家庭)や社会などの環境の中で‐‐‐社会的・文化的なあらゆる構造(慣習、法、道徳、および諸制度など)を通じて‐‐‐男尊女卑としての性差(gender)が造られ、信じ込まされ、押し付けられるからだ(生物学的決定論0%、文化決定論100%という極端に偏った思想である)」と。

このため、日本フェミニズムや内閣府男女共同参画局は、男女不平等の根源はすべて社会的・文化的に形成された構造(慣習、法、道徳、および諸制度など)にあるとみなし、それを解体(中立化・脱構築)すれば、男女不平等は解消される(男女性差であるsexgenderもすべてなくなる)はずだと思考するのである。男女共同参画社会基本法の第4条はまさしくこの思想を条文化した規定である(天下の悪法「共参法」は速やかに廃止する必要がある)。

それゆえ、大学に理系女子が少ないのは「家族の意向(=環境要因)」が原因であると結論されるのである。しかし、もし根本原因が生得的な(自然な)男女の性差に起因しているとすれば、家族や社会の構造と意識をいくら改革しても問題の解決にはならないし、その場合には、理系女子が少ない事がそもそも“問題”なのか?という議論になる。

このような極端な「文化決定論」は誤った思想であり、このようにして社会が解体されて行けば、その再編過程において「男女平等の平和で豊かな社会」に向かうどころか、全く逆の、「自由なし、平等なしの暗黒の専制国家である全体主義体制」へと収斂していくのである(このことは社会理論的にも、世界史の史実的にも証明されている)。

それらの詳細については、私の小論文「フェミニズム(女性学)の嘘言説を理論的に反駁するための教本(案)」と「良心の務めとしての反フェミニズム論」を参照して頂きたい。


【余 談】

(1)「男女の生得的性差(生物学的・医学的性差)は存在する」が、科学の常識!

 人間の性質やものの考え方---人間本性---については、1859年のダーウィンが『自然淘汰による種の起源』を発表して以降、極端な「生物学的決定論(「氏」:nature)」と極端な「文化決定論(「育ち」:nurture)」との間で激しく論争がなされたが、現在では「人間本性や人間行動は、生物学的(遺伝的)要素と文化的(外遺伝的)要素のそれぞれが一つのシステムの中で相互に作用し合っている」というのが《科学の常識》である。マーガレット・ミードやジョン・マネーの捏造論文の結論(既に反証された「誤謬の仮説」である)に未だに固執し続け、自らの誤りを是正しようとしない日本のフェミニズム(女性学)とは果たして正常な(科学的な)学問であると言えるのか?

 また、政治的な批判を恐れて、日本フェミニズム(女性学)の科学的誤謬を正そうとしない日本の科学者全般には、次のテーゼ(近代科学の発展の原点)を思い出して欲しい。

「何人の権威も真理を教令によって確立できない」「真理は人間の権威を超越している」

2)脳の性差は存在する!

 「脳の性差」でインターネット検索すると検索トップに表示される次のサイトがある。

 ■第5回 「男脳」「女脳」のウソはなぜ、どのように拡散するのか

 →https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/020800002/021400005/

 最初に断っておくが、私はこのサイトで脳の話しをされている、東京大学大学院総合文化研究科の四本裕子准教授とその話の内容に関して何ら批判するつもりはない。逆に、内容を読む限り、四本裕子准教授は非常に誠実で良心的な科学者であると思われる。

 四本裕子准教授は次のように述べておられる。

「(fMRIが発達した現在の脳科学の知見では、)形態上、男女の脳に違いはない」

 しかし、

「(私は)男女の脳に差がないとは全然思ってなくて絶対あると思ってるんです。」

「最近の男女差研究って、スキャンして見たら、この部分が男女で形態的に違うみたいなことはもうないんです。では、何が違うのかというと、脳内部でのつながりの強さなんです。私たちの研究では、脳の中の場所を84カ所に取り分けて、そのつながりの強さの違いを、84×84の組み合わせで考えてます」

84×84の組み合わせの表を男女別に作って、女性と男性の差を計算してあるんです。84カ所、それぞれ脳の場所の名前がついています。それで、皆さん、関心があるのは、こういった組み合わせで何が言えるだろうってことだと思うんですけど、それはわからないです。ただ、こういったもののパターン認識は、最近の機械学習が得意なので、パターンの違いを学習したAIに分類させると、約92%の精度で男女を見分けることができる、くらいのことは言えるんです。でも、これって、たぶん男女じゃなくても、これくらいの差は出るんですよね。例えば、20代の人と30代の人、というふうに比べてもやっぱり差はでると思います」

 であるのに、このサイトに川端裕人 氏が付した表題は、全く意味不明の(全く逆の誤解を生みそうな)「《男脳》《女脳》のウソはなぜ、どのように拡散するのか」なのである。

 そして、川端裕人 氏はサイトの最後でこう綴っている。

(川端裕人 氏は言う、)

違いはある。見分けることも9割以上できる(1割は間違う)

男女という分け方だけでなく、年齢差やほかの分け方でも、ネットワークの結合パターンの違いは見えてくる

今わかっているのは、それくらいだ。」と。

しかし、私は、良心的な科学者の研究結果は本質を曲げずに記載するべきだと思う。

 東京大学大学院総合文化研究科の四本裕子 准教授の研究によれば、

「男女の脳の性差は、パターン認識の相違において、明確に存在する。」


● 興味ある方は、以下のHPBlog等も参照して下さい。

《中川八洋 筑波大学名誉教授 公式Blog

【中川八洋ゼミ講義】

桜田前五論相の“憂国”を誹謗した蓮舫は議員剥奪、朝日新聞社は営業停止──新生児数「年250万人」回復を妨害する罵詈讒謗を準・殺人罪とする立法を急ごう

《私のホームページ&ブログ》

(1)ホームページ→エドマンド・バーク 保守主義REVIVAL

(2)So-net Blog(本ブログ)の過去記事

保守主義の哲学---古来の天皇制度(男系男子皇統)の保守こそ、“日本国民の義務”

保守主義の哲学---安倍内閣の退位特例法と4/30退位式典の本質(正体)を知れ!

(3)Livedoor Blog「バーク保守主義とハイエク自由主義の政治哲学」の過去記事

日本国古来の天皇制度(皇統)と皇位継承法について

(4)Livedoor Blog「徒然なるままに、保守主義の政治哲学」の過去記事

【2019年6月4日】嘘・出鱈目を平然と吐く、静岡福祉大学名誉教授 小田部雄次とは学者なのか?

【2019年6月12日】週刊紙は「あることないこと(=嘘・出鱈目)を書くもの」と暴露する、週刊紙元編集長!

《友人・うまやど氏 Yahoo Blog

オノコロ こころ定めて

以 上。

By E・バークを信奉し、祖国日本を愛する保守(自由)主義者こと、

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お知らせ:Livedoorブログ「バーク保守主義とハイエク自由主義の政治哲学」の新設について [政治]

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読者の皆様へ

いつも拙ブログをお読み頂き、ありがとうございます。

さてこの度、Livedoor Blog

  標題「バーク保守主義とハイエク自由主義の政治哲学

を新規に開設し、第一回記事を掲載いたしましたのでお知らせします。

今後、当面の間は(So-netブログサービスが終了にならない限りは)、本So-netブログと新設Livedoorブログを併設し、掲載記事内容によって、使い分けつつ併用していく所存です。

皆様には、新設ブログにつきましてもRSS登録していただくなど、今後とも御愛顧いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

Livedoor Blog

「バーク保守主義とハイエク自由主義の政治哲学」第一回記事へのJumpはこちら。

→→→日本国古来の天皇制度(皇統)と皇位継承法について

以 上。

令和元年6月4日(コメント風)ブログ新設しました。

興味ある方のみ、お読みください(※興味のない方、左翼・極左の方々は、読んでも、無意味・理解不能。読まなくて結構。という意味を含意しています)。

→→→徒然なるままに、保守主義の政治哲学

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