保守主義の哲学シリーズⅢ-1‐‐‐「保守主義の父」エドマンド・バーク(その1:序章) [政治]


(バーク保守主義:その1)

序章 「保守主義の父」エドマンド・バーク “法の支配”と“道徳を伴なう自由”

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 保守主義とはバークの哲学のことだと言ってもよい。

 そしてバーク保守主義という深遠な叡智を指針にせずして、いかなる文明国家も未来へ向かい、悠久に永続する生命の泉を涸らさないでいることはできない。

 この故に、バーク哲学こそ“真正の保守主義”であり、日本国の必携「政治哲学」である。また、バーク保守主義という香気な指針なくして、いかなる人間も“美しき道徳”と“崇高な自由”とをもつことはできない。バーク哲学こそ由緒ある高輝な祖国をもつ日本国民一人一人のための必携である。

 しかし日本では、保守主義の神髄たるバーク哲学は、英米の知識層におけるように「座右の書」とはなっていない

 若干の例外を除けば、東大卒でありながら、霞が関のエリート官僚でありながら、バークの『フランス革命の省察』もっていない読んでいない知りもしない

 今日の日本に漂う国家頽廃と国家衰亡の兆しは、日本の生命源を破壊しても保守することはしない、おぞましい「反バーク」=「反・保守主義」という、逆路を進んできた結果である。

 人的にも矮小化と能力低下が著しい日本では、“真のエリート”という人材は見当たらなくなってしまった。それは永年にわたって日本の家庭教育/学校教育がどっぷりと「反・保守主義」にもとづいてなされてきた結果である。

 日本が国家として未来を確かなものにする唯一の方法は、過去を尊敬し過去を活かすことである日本人が高雅なる精神にみちた最高の人格へと向上するには、伝統と慣習にしばられた道徳規範に日本の子供たちをもう一度しっかりと繋ぐことである

 過去を破壊した後に生まれる「新しい世界(一見、ユートピアに見える世界)」とは、実は「絶望と暗黒の世界(ディストピア)」である。

 このことは、1917年のロシア革命後の共産・ソ連74年間のレーニン/スターリンによるおぞましい自国人民虐殺の歴史が十二分に証明した

 また、伝統的な人間紐帯(家族や地域共同体や会社などの中間組織の中で生まれる人間同士の強い絆)から解放された「新しい人間=個(アトム)としての人間」とは人格も自我も喪失して、人間が持つべき最小限の尊厳すらもない、顔の無い人格喪失の生物にすぎない

 日本は、国をあげて、バーク哲学を拳々服膺すべく、「バーク・ルネッサンス」、「バーク・リバイバルを断行しなければならない。それのみが日本に残された日本の悠久なる永続のための“最後の選択肢”だからである。

 例えば日本は、1905年の日露戦争の勝利を境に、「国家の悠久」、「国家の永続」という国家の至高の命題を、突然、国民をあげて弊履のごとくに棄て、省みるものがいなくなった

 1905年の奉天会戦日本海海戦勝利から、廃墟と敗北1945年に至る、日本近代史の40年間は、自らの国家に叛逆する道を爆走した、“狂愚の40年間”であった。

 この“倒錯の40年間”の渦中にあって、孤高に「国家の永続」を御腐心されたのは、昭和天皇をおいて他にはない。

 昭和天皇という、天才的な大帝が未来永劫の日本国を見据えて、国家存続に全身全霊を傾けられなかったならば日本は、1945年末から1946年春をもって、ソ連の日本侵攻と東京占領並びに米国の日本本土に対する沖縄からのB29の史上最大の空襲とによって、最悪のケースでは二千万人に至るだろう戦死者・戦没者は言うに及ばず、国家全体を再生不可能にして、古代ローマや古代ギリシャのごとくこの地球上から消えていた

 もし、ポツダム会談・広島・長崎の原爆投下後もなお“一憶総玉砕”を絶叫する、共産主義(マルクス・レーニン主義)に脳髄まで侵された狂気の赤色政府閣僚/赤色帝国陸海軍将官/赤色官僚の妄言・狂言を切り捨てられた、昭和天皇の“終戦のご聖断”がなければ、私も読者の皆さんも今ここに、こうして存在していなかったかもしれないのである

 昭和天皇の“終戦のご聖断”が、あれほど国民全体に即座に受容されたのは、ラジオ放送で流された昭和天皇の玉音に魂を揺さぶられたからでもあるが、それだけではなかったであろう。

 アジア共産化日本共産化ソ連軍の日本全土占領昭和天皇監禁・銃殺(一千万~二千万人の)男性日本人の大規模抹殺などを目的とした、祖国日本を全面的に破壊し尽くす“悪魔の思想に取り憑かれた狂気の大東亜戦争から、日本国が「救済」されたことを、戦争の敗北という屈辱を受け容れねばならない激痛の中に、意識を超えて「安堵」したからにほかならない。

 昭和天皇は、ポツダム宣言受諾について、次のように、お述べになられている。

 昭和天皇 宣はく、

私の決心は、第一に、このままでは、日本民族は滅びて終ふ、私は赤子(=国民)を保護する事ができない。・・・私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬとおもつた」(『昭和天皇独白録』、文春文庫)。

大東亜戦争が「コミンテルン32年テーゼ」に従った天皇制廃止を目的としており、昭和天皇の監禁・殺害が本土決戦の過程で実行されるてはずだったことを、英邁であられた昭和天皇は、お見通しされていて、対英米戦争の開始を裁可された時のご聖慮を自ら、次のようにご回想されている。

 昭和天皇 宣はく、

私が若し(御前会議の対英米)開戦の決定に対して『ベトー(=拒否)』したとしよう。国内は必ず大混乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証できない

それ(=私が殺害されること)は良いとしても、結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果ては終戦もできぬ始末となり、日本は亡びることことになつたであらう」(『昭和天皇独白録』、文春文庫)。

 このような昭和天皇の“ご聖慮”を嘲り笑うがごとく無視して日本政府及び帝国陸海軍が開戦した大東亜戦争とは、英米からの植民地解放闘争のドグマを理論化したレーニンの主著『帝国主義論』忠実に基づいたアジア共産化戦争”であり、その“アジア共産化”のためにアジア統一化アジア主義)が必要であり、そのスローガンが「大東亜共栄圏」というもっともらしい虚言・虚構であった。

 そして、日本が祖国と日本国民を、アジア全域を含めて、まるごとスターリンに奴隷として売り渡そうとした戦争であった

 これが『大東亜戦争の唯一正しい、真実の姿』である

 例えば、「植民地解放であったから大東亜戦争は正当である」などの主張は、“ハブ”という猛毒の蛇のごとき悪魔の「共産主義」を、その天敵の“マングースのごとく頭からかみ殺す「バーク保守主義」の炯眼から見れば、真っ赤な虚偽であるとすぐわかる。

 日本唯一とも言える、真正のバーク保守主義者である、中川八洋 筑波大学名誉教授(※1)は、著書『地政学の論理』(徳間書店、2009年p395~p396で次のように指摘する。

 中川八洋 曰く

『例えば、フィリピンは1934年に米国上院を通過した法律(タイディングス・マクダフィー法)によって、1935年には正式の憲法すら制定され事実上独立していた

 この自治政府は、1945年に完全な主権国家に昇格する予定で、日本こそが植民地解放の逆、フィリピンの独立を妨害した

 もう一例。インドネシアをオランダの植民地から解放するのなら、1942年、その石油は直ちにすべて「新独立の国・インドネシア」に帰属せねばならない

 しかし、日本は、インドネシアを独立させず、インドネシアを交戦国の“オランダの土地”と認め、その石油を強奪する論拠とした

 また、1941年の「宣戦布告の詔書」に「植民地解放」の言葉も趣旨もない。英米が日中戦争で日本の敵国・支那の同盟国であるのを事由とした、国際法に則った手短な宣戦布告だった。

 「植民地解放」という虚構は、日本の敗戦が趨勢的に懸念されるにいたり、194311月、アリバイ工作として“戦争の大義”をでっち上げるべく「大東亜会議」を開催し、「大東亜会議」を2年前のパール・ハーバー攻撃の前にあったかに詭弁したものである。

 共産革命の土壌をつくるべく、日本経済の全面破壊を目的とした「大東亜共栄圏」を、逆さに吹聴するのも、このアリバイ工作の一つである。』

 そもそも、真正の保守主義の系譜とは、

エドワード・コーク『英国法提要』➡ブラック・ストーンの『英国法釈義』➡バーク保守主義(英国保守主義)=フランス革命の「悪の革命教理」からの英国国体“法=コモン・ロー”の保守

エドワード・コーク『英国法提要』➡ブラック・ストーンの『英国法釈義』➡ハミルトン保守主義(米国保守主義)=脆弱な13邦連合のアナーキー状態の防止のための“英国コモン・ロー”に依拠した米国国体の創造(連邦政府設立and米国憲法=準コモン・ローの制定)二系列からなり、バークとハミルトンに接点は全くない

 しかしバーク保守主義もハミルトン保守主義も、英国の“法=コモン・ロー”による支配(不文憲法)と英国の“法=コモン・ロー”から発見した原理を成文化した“米国憲法”による“立憲主義”の遵守及び“法=コモン・ロー”または“憲法”による“生命(身体の安全)、私有財産、自由”の擁護を基本原理とする点で全く共通である。

 また、“法=コモン・ローまたは憲法”に擁護されて成立する“国民の自由”必然的に法=コモン・ローまたは憲法”を遵守する義務(=道徳/正義/名誉)を伴なうこととなる。

 よってバーク保守主義及びハミルトン保守主義が掲げる“自由”とは“道徳”と「1枚のコインの裏表となり、切り離すことはできない関係」である

 つまり、道徳を背中に背負っていない「自由」つまり、「放縦の自由・自由奔放」は、正しい“自由”とは言わない。

 この点は非常に重要であるからしっかり認識していただきたい。また、エドワード・コークによれば、「個々の国に特有のそして是認されている“慣習”は最も拘束力のある“法=コモン・ロー”」であるから“慣習を遵守すべき”と説く。

 例えば、J・S・ミルの著書『自由論』の「自由」すなわち「他人の自由に迷惑をかけない限り、個人は自らの主権者であるから、何事にも自己決定できる自由がある」とは「偽りの自由」である。

 社会主義者J・S・ミルの「自由」は、彼の師匠であるジェレミ―・ベンサムの『憲法典』の次の言説の転用にすぎない。

 諸個人の特殊利益と人民全体の普遍的利益の関係についてベンサムは言う、

「あらゆる政治社会において、各人は、・・・その(社会の)普遍的利益の中にある分け前をもらっている。しかし、あらゆる社会において、各人は、その他のメンバーとは共有しえないある特殊的利益をもっている。あれこれの多くの場合において、この特殊的利益は、普遍的利益と対立した状態にある。そのような場合のそのような利益(=特殊的利益)についてのある人の幸福は、その他の社会のメンバーの集合的幸福(=普遍的利益)を一定程度減少しない限り(=減少せずには)、増大することはありえない。それゆえに、このような特殊的利益はそのような事情(=社会の普遍的利益を減少させる場合)にある限りにおいては、邪悪な利益と言えるだろうし、かつ邪悪な利益といわなければならないだろう」

 つまり、ミルの『自由論』の「自由」とは師匠ベンサムの言説の「個人の特殊利益」をミルの「個人の自己決定による自由」に、ベンサムの「社会の普遍的利益」をミルの「社会のすべての他人の自由」に置き換えただけである。

 要約すればミルは、「ある個人の自己決定による自由」が、「社会のすべての他人の自由」を害しない(=に迷惑をかけない)かぎり何事にも自己決定できる主権を持っていると主張している。

 また、逆に「社会のすべての他人の自由」を害する「個人の自己決定による自由」は「邪悪な自由(=あってはならない自由)」であるとも主張しているのである。

 しかし、机上の論理ではなく、現実問題として人間がある行為をなす時に、「個人(自分)の自己決定による自由な行為」が「社会のすべての他人の自由」を害するか害しないかなど、人間の「不完全で浅薄な理性のみ」で自己決定(=判別)できるわけがない(が、ベンサムやミルは「人間理性の完成」により判別できるとし、過去の祖先の叡智(“法”や“慣習”など)は古びた邪魔者として棄却する)

 しかし、バーク保守主義やハミルトン保守主義は「人間の理性の不完全」を前提とするから、そのような判別には、その国家の過去の祖先から世襲(相続)されてきた“法=コモン・ロー(慣習を含む)”や“憲法”などを遵守する“道徳・正義・名誉”を基準とする以外に方法はないとする

 ここにJ・S・ミルの「自由」は「道徳なき放縦の自由」であり、バーク/ハミルトンの“自由”は“道徳を伴なうコインの裏表の自由”であるという「大いなる相違」が生じるのである。

 そして、前者は「人間の理性の完成」という虚偽・虚妄・非現実に基づいているために「偽りの自由」なのである。

 このような実在し得ない「幻の偽りの自由」が実在すると妄想し、“法”や“慣習”を破壊すべきとする国家は、“道徳を伴なう正しい自由”の棲息し得ない国家であるから、必然的に“平等主義が支配的な国家へと変貌していく

 この究極の到達点が社会主義国家であり、共産主義国家なのである。

 つまり、自由主義国家“道徳”の頽廃の進行=“自由”の頽廃の進行社会主義国家化・共産主義国家化の進行となるのである。

 そして、自由主義国家における“道徳”の棲息状況、“道徳”の質の程度が、自由主義・社会主義・共産主義の支配程度をはかる「リトマス試験紙」なのである

 ベンサムやミルらは、当時の自由主義国家である英国において、過激で急進/進歩的な哲学グループとみなされ、異端の思想として危険視された

 少し脱線したが、私がここで言いたいことは、“真正の保守主義”とは以上に述べたバーク/ハミルトン保守主義の系譜上にあるものである。

 その“真正の保守主義”の炯眼から見る、「大東亜戦争」とは、日本国政府及び帝国陸海軍がマルクス・レーニン主義に洗脳され、日本国の“法の支配・立憲主義”を崩壊させ、日本国民の正しい“道徳を伴なう自由”を完全に封殺して全体主義国家の仲間入りをし、“真正の保守主義”を継承する英国及び米国に対して牙をむいた戦争であるから、「いかなる理由をこじつけようとも正当化される戦争ではなかった」ということである。

 逆に言えば大東亜戦争を「植民地解放であったから正当である」との暴論をなす、日本の「保守主義者」とは「保守主義の仮面をかぶった共産主義者である」ということになる。

 また、「嫌米保守」なる保守主義?があるが、「英米生まれの思想である保守主義の立場はとるが、米国は嫌い?で英国は好き?」あるいは、「現在の、英米はともに嫌いだが、17,18世紀の英米は好き?」

 少なくとも、英米嫌いな人間が英米生まれの「conservatism」を自分の思想の名称として名乗るのは矛盾であろう。英米生まれのバーク/ハミルトン保守思想を支柱にせずして、己の保守主義をどう定義するのだろうか?

 バーク/ハミルトン保守主義を理解する“真正保守主義者”は決して大東亜戦争を正当な戦争とみなさないし、みなすことなど上記の“保守主義の原理”からして不可能である

 しかし、「真正保守主義者が大東亜戦争を正当化できないこと」と、「戦後の左翼/極左(社会主義者・共産主義者)が大東亜戦争を正当化しないこと」とは決してイコールではない

 後者は、大東亜戦争の「本質」がアジアの社会主義化・共産主義化を目的とした戦争(=まさに自らの目的にかなった戦争)であったと知りながら、それに日本国が失敗し、戦後、自由主義国である米国の下に占領統治され、主権回復後も自由主義国かつ日米同盟体制として再出発したことへの憤りを「大東亜戦争は侵略戦争であった」というスローガンで非難しているだけである

 この左翼勢力の大東亜戦争非難大いなる自己矛盾を孕んでいる

 なぜなら、彼らにとって「侵略戦争」とは、「レーニンの主著『帝国主義論』に忠実に基づいた世界共産化戦争」であるのだから、本心では「大東亜戦争は正当化できる侵略戦争であった」はずだからである。

 彼ら左翼勢力が「アジア共産化のための侵略戦争」であった真実を知りながら隠し、「共産化という至上の目的を消し去り単なる「軍国主義・アジア主義」によるアジア諸国への領土的膨張目的だけの「侵略戦争」にすり替えて徹底批判するのは、戦後唯一、最後の「日本共産化」の手段として残された日本国憲法、特にその第九条「戦争の放棄」を死守するために他ならない。

 第九条を根拠に戦後、社会党土井たかこ等が「平和憲法」「非武装中立論」を唱えたのは、日本を非武装にすることにより、共産ソ連または共産中国による「日本の無血占領」を達成するためであった。

 これは、少しでも政治学をかじった者なら、戦後日本政治史の常識であるから読者の皆さんは良く知っておいてほしい。

 ソ連が崩壊した現在でさえ、彼ら左翼勢力の唱えるスローガン「平和」とは「日本及び世界の共産化」を意味しており、「真の自由主義・主権国家としての平和ではない

共産主義国家の侵略化により、国家主権を喪失した隷従の平和=例えば、ソ連支配下の東欧諸国の平和」のことである。

 このことは、ウラジミール・レーニンの「戦争とは平和(=世界共産化のこと)である」という妄言によく現れている。

 ちなみにウラジミールの「ウラジ」は征服、「ミール」は世界を意味するから、その意味は「世界征服」である。

 日本でも自分の息子の名前を「悪魔」として戸籍登録しようとして役所に拒否された事件が話題になったことがあったが、世界広しといえど、息子の名前に「世界征服」などつける親などいないだろう。

 プーチン前ロシア大統領の名もウラジミール・プーチンである。

 侵略を基本DNAとして持つロシア民族は、このような名前は普通である。

 また、日本の北海道の西対岸にあるロシア太平洋艦隊大海軍基地ウラジヴォストーク、「ウラジ」が征服、「ヴォストーク」が「東方=日本列島」という意味である。

 逆に日本では、日露戦争に出征する兵士のために売り出された「征露丸」という胃腸薬は評判がよかったが、1945年の敗戦に際し、戦後すぐ「正露丸」に名称変更された。「正しいロシア」などありえないから、ロシアの侵略を征すると言う意味の「征露丸」に戻すべきである。


(※1)

 真正の保守主義を学びたい者は中川八洋先生の著作群を読みつくせば、それで充分というわけではないが、少なくとも必要は満たされる(真正の保守主義が何たるかは確実に解る)。

 他の保守主義者の著作は読む必要性がほとんど無い。

 私の経験では他の保守主義者のどんな著作を読んでも「保守主義とはそもそも何か」が明確に解る(=定義されている)著作は皆無である

 私は、逆にこのブログを読んでくれている読者の中で、「保守主義とはそもそも何かを明確に定義した中川八洋先生以外の日本の保守主義者の著作を知っているならぜひ教えてほしい。

 教えてもらえば、直ぐに私も読んでみたい。私の読書の幅がまた広がるからである。

 ただし、単なる「大東亜戦争肯定論」や「天皇崇拝論」のごとき著作は、あまり読まないし、好きでない

 なぜなら、「大東亜戦争を肯定するか否か」、「なぜ天皇(皇室)を日本人は大切にすべきなのか」などを判断する論理を明確に示す思想自体が保守主義であるから、前者の結論の方を強調ばかりして、後者の「判断する論理」を示す思想の欠如した保守主義などは、既にそのこと自体において「主義(イデオロギー)」ではない。

 保守主義の本質は「判断する論理(明確なイデオロギー)」の中にこそ、存在するである

 例えば、明確な論理の無い、単なる天皇崇拝主義などは、上杉真吉の「見せかけの天皇主権論」本質がそうであったように「実は極左(全体主義/社会主義)イデオロギーを論理としていた」と批判されても反論できない。

 まあ、そのような著作の論理矛盾を引き出してバーク/ハミルトン保守主義で批判して見よ、と言われればいくらでも読んで徹底的に誤謬・論理矛盾を暴きだし、このブログ上で徹底反論してみせるが・・・あまり読みたくない。

 謬論だらけの著作を読むのは途中で「うんざり」してくるので・・・。

 ちなみに、英国極左の哲学者ベンサムの『憲法典』等を読んだ時は、ベンサムが、人間本性としての「自己利益優先性」原理を前提として、君主(君主制)や貴族(貴族政)を徹底的に批判しておきながら、一転して「一つの全体としての人民」の「世論」による政治=「人民民主主義的なもの」に対しては「一つにまとまった全体主義の人間理性の完成性」を前提として扱い、それらの言動は絶対的に正しいとするなどの甚だしい論理矛盾には、「うんざり」を通り越して、そのような思考しかできない、ベンサムが「非常に哀れに思えた」くらいである。

 また、ベンサムはブラック・ストーンコモン・ロー講義を聞いて法曹界に失望したというが、ベンサムが自著の中で述べているコモン・ロー解釈とは「コモン・ローとは、神か女神のようなもの、空気のようなもの、宇宙空間を満たすエーテルみたいなもので実体のないもの」だそうだ。

 阿呆らしくて読んでもいられない類の著作である。彼はブラック・ストーン高尚な講義について行けなかった単なる落第生であり、コモン・ローに失望するのではなく、それを全く理解できなかった自分の頭脳に」失望すべきであった。

次回バーク保守主義(その2)へ続く



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