保守主義の哲学---「昭和の日」に考える真の指導者の条件 [政治]
最初に私〔=ブログ作成者〕は日本国民として、
不幸にして東日本大震災で犠牲になられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様に対し心よりお見舞い申しあげるとともに、避難所での私的自由空間なき極めて厳しい生活環境が早急に改善されますように願ってやみません。
また、地震・津波による被災地の救援活動と原発事故という未曽有の難題の処理に携わるすべての人びとに深く敬意と謝意を捧げたいと思います。
なお、読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
さて、本日は「昭和の日(昭和天皇ご生誕の日)」である。
今回のブログでは、日本国全土が焼け野原になったあの大東亜戦争の終戦直後である昭和21年元日(1946年1月1日)に発せられた昭和天皇の詔書を掲載したい。
この詔書は「天皇の人間宣言」などという全く事実無根の馬鹿げた偽称が付されてきたが、真実は
「日本国復興へ向けての昭和天皇の祈念と復興理念の表明及び昭和天皇と日本国民との間の紐帯の伝統の確認」
かつ
「大東亜戦争を牽引した国家社会主義やマルクス・レーニン主義(共産主義)などの独裁的な全体主義思想と日本国の“法・伝統・慣習・自由/道徳”との背反性の確認とそれら異端思想との絶縁宣言」
と称するのが真に正しい名称である。
本日、平成23年4月29日の「昭和の日」に際し、エドマンド・バーク保守主義者である私〔=ブログ作成者〕は、英邁な立憲自由主義君主であられた昭和天皇の御名誉を回復したいが故、自らの分限を弁えつつ「人間宣言」なる無礼極まる「偽称」を日本国から完全かつ永久に放逐したいと思う。
同時に読者の皆さまにおかれては、真の国家の指導者の条件とは何かについて考えて頂ければ幸いである。
昭和21年(1946年)元日 昭和天皇の詔書
茲(ここ)ニ新年ヲ迎フ。
顧(かえり)ミレバ明治天皇(めいじてんのう)明治(めいじ)ノ初(はじめ)国是(こくぜ:国の正しき政治の方針)トシテ五箇条(ごかじょう)ノ御誓文(ごかごせいもん)ヲ下(くだ)シ給(たま)ヘリ。
【国是:国の正しき政治の方針】
曰(いわ)ク、
一、広ク会議(かいぎ)ヲ興(おこ)シ万機(ばんき)公論(こうろん)ニ決スヘシ
【一、広く人材を求めて会議を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めなさい】
一、上下(じょうか)心(こころ)ヲ一(いつ)ニシテ盛(さかん)ニ経綸(けいりん)ヲ行(おこな)フヘシ
【一、身分の上下を問わず、心を一つにして国家の秩序を整えて治めるように努めなさい】
一、官武(かんぶ)一途(いっと)庶民(しょみん)ニ至(いた)ル迄(まで)各(おのおの)其(その)志(こころざし)ヲ遂(と)ケ人心(じんしん)ヲシテ倦(う)マサラシメンコトヲ要ス
【一、文官も武官も一般国民も各自が自分の志を成し遂げて、皆の希望を失わせないようにしなさい】
一、旧来(きゅうらい)ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破(やぶ)リ天地(てんち)ノ公道(こうどう)ニ基(もとづ)クヘシ
【一、これまでの悪習は捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行動しなさい】
一、智識(ちしき)ヲ世界(セカイ)ニ求(もと)メ大(おおい)ニ皇基(こうき)を振起(しんき)スヘシ
【一、智識を広く世界に求めて、皇統を基礎とする日本国を大いに発展させるよう努めなさい】
叡旨(えいし:明治天皇の御言葉)公明正大(こうめいせいだい)、又何ヲカ加ヘン。
【叡旨:明治天皇の御言葉、公明正大:公平で、良心に恥じるところがなく正しいこと】
朕(ちん)ハ茲(ここ)ニ誓(ちかい)ヲ新(あらた)ニシテ国運(こくうん)ヲ開(ひら)カント欲ス。
【国運:国家の運命、命運、欲す:したいと思う】
須(すべか)ラク此(こ)ノ御趣旨(ごしゅし)ニ則(の)リ、旧来(きゅうらい)ノ陋習(ろうしゅう)ヲ去(さ)リ、民意(みんい)ヲ暢達(ちょうたつ)シ、官民(かんみん)挙(あ)ゲテ平和主義(へいわしゅぎ)ニ徹(てっ)シ、教養(きょうよう)豊(ゆた)カニ文化(ぶんか)ヲ築(きず)キ、以(もっ)テ民生(みんせい)ノ向上(こうじょう)ヲ図(はかか)リ、新日本ヲ建設スベシ。
【須らく:当然、則り:則して、去り:捨て、暢達:伸ばし育てること、新日本:大東亜戦争中の統制主義的、全体主義的日本とは異なる新しい復興日本】
大小(だいしょう)都市(とし)ノ蒙(こうむ)リタル戦禍(せんか)、罹災者(りさいしゃ)ノ艱苦(かんく)、産業(さんぎょう)ノ停頓(ていとん)、食糧(しょくりょう)ノ不足(ふそく)、失業者(しつぎょうしゃ)増加(ぞうか)ノ趨勢(すうせい)等(ら)ハ真(しん)ニ心ヲ痛(いた)マシムルモノアリ。
【罹災者:被災者、艱苦:つらく苦しいこと、停頓:物事がゆきづまってはかどらないこと、趨勢:社会の傾向】
然(しか)リト雖(いえど)モ、我(わが)国民(こくみん)ガ現在(げんざい)ノ試練(しれん)ニ直面シ、且(かつ)徹頭徹尾(てっとうてつび)文明(ぶんめい)ヲ平和(へいわ)ニ求(もと)ムルノ決意(けつい)固(かた)ク、克(よ)ク其(そ)ノ結束(けっそく)ヲ全(まっと)ウセバ、独(ひと)リ我国(わがくに)ノミナラズ全人類(ぜんじんるい)ノ為(ため)ニ、輝(かがや)カシキ前途(ぜんと)ノ展開セラルルコトヲ疑(うたが)ハズ。
【独り・・・あらず:単に・・・ではなく、】
夫(そ)レ家(いえ)ヲ愛(あい)スル心(こころ)ト国(くに)ヲ愛(あい)スル心(こころ)トハ我国(わがくに)ニ於(おい)テ特(とく)ニ熱烈(ねつれつ)ナルヲ見(み)ル、今(いま)ヤ実(じつ)ニ此(こ)ノ心(こころ)ヲ拡充(かくじゅう)シ、人類愛(じんるいあい)ノ完成(かんせい)ニ向(むか)ヒ、献身的(けんしんてき)努力(どりょく)ヲ効(いた)スベキノ秋(とき)ナリ。
【夫れ:そもそも、】
惟(おも)フニ長(なが)キニ亘(わた)レル戦争(せんそう)ノ敗北(はいぼく)ニ終(おわ)リタル結果(けっか)我国民(わがこくみん)ハ動(やや)モスレバ焦躁(しょうそう)ニ流(なが)レ、失意(しつい)ノ淵(ふち)ニ沈淪(ちんりん)セントスルノ傾(かたむ)キアリ。
詭激(きげき)ノ風(かぜ)漸(ようや)ク長(ちょう)ジテ道義(どうぎ)ノ念(ねん)頗(すこぶ)ル衰(おとろ)ヘ、為(ため)ニ思想(しそう)混乱(こんらん)ノ兆(きざし)アルハ洵(まこと)ニ深憂(しんゆう)ニ堪(た)ヘズ。
【焦躁:焦っていらいらすること、沈淪:深く沈むこと、詭激:戦時の過激な思想や言動、漸く:だんだんと、長ずる:甚だしくなる、道義:道理・道徳、為に:それゆえ、深憂:大きな心配・悩み】
然(しか)レドモ朕(ちん)ハ爾(なんじ)等(ら)国民(こくみん)ト共(とも)ニ在(あ)リ、常(つね)ニ利害(りがい)ヲ同(おな)ジウシ休戚(きゅうせき)ヲ分(わか)タント欲(ほっ)ス。
【利害:利益と損害、休戚:喜びと悲しみ・幸と不幸】
朕(ちん)ト爾(なんじ)等(ら)国民(こくみん)トノ紐帯(ちゅうたい)ハ、終始(しゅうし)相互(そうご)ノ信頼(しんらい)ト敬愛(けいあい)トニ依(よ)リテ結(むす)バレ、単(たん)ナル神話(しんわ)ト伝説(でんせつ)トニ依(よ)リテ生(しょう)ゼルモノニ非(あら)ズ。
天皇(てんのう)ヲ以(もっ)テ現御神(あきつかみ)トシ、且(かつ)日本国民(にほんこくみん)ヲ以(もっ)テ他(た)ノ民族(みんぞく)ニ優越(ゆうえつ)セル民族(みんぞく)ニシテ、延(ひい)テ世界(せかい)ヲ支配(しはい)スベキ運命(うんめい)ヲ有(ゆう)スルトノ架空(かくう)ナル観念(かんねん)ニ基(もと)ヅクモノニ非(あら)ズ。
《この部分は、これまで昭和天皇の「人間宣言」などと偽称されてきた部分であるが、全くの虚偽である。
昭和天皇は天皇が神であるとか人間であるとかいった低俗な内容は一言も発言されていない。
そうではなくて、この部分は皇統という法と伝統に基づく昭和天皇による、戦前戦中を席巻したマルクス・レーニン主義や国家社会主義に対する痛烈な批判文である。
良識ある日本国民なら、文章を素直に読んで頂けば十分に理解できるはずである》
真訳→【天皇である私となんじら国民との固い結び付きは、歴史上常に相互の信頼と尊敬と親愛とによって結ばれてきたのであって、《私〔=ブログ作成者〕の行間補足:戦前・戦中の政府や軍部や大学教授が日本国民に教えたように》単に日本神話と伝説とだけによって生じたものではない。
つまり、天皇である私と日本国民の関係は、天皇のことを《私〔=ブログ作成者〕の行間補足:故意に》現御神に仕立てあげ、かつ日本国民が他民族に優越する民族
《私〔=ブログ作成者〕の行間補足:ヒトラーの国家社会主義、アーリア人至上主義、ムッソリーニのファシズムなどに見られる思想》
であり、ひいては世界を支配すべき運命を持っている
《私〔=ブログ作成者〕の行間補足:ヘーゲルの歴史哲学やマルクス主義者らの唯物弁証法と唯物史観》
というような架空の観念に基づくものではない。】
朕(ちん)ノ政府(せいふ)ハ国民(こくみん)ノ試煉(しれん)ト苦難(くなん)トヲ緩和(かんわ)センガ為(ため)、アラユル施策(しさく)ト経営(けいえい)トニ万全(ばんぜん)ノ方途(ほうと)ヲ講(こう)ズベシ。
同時(どうじ)ニ朕(ちん)ハ我国民(わがこくみん)ガ時艱(じかん)ニ蹶起(けっき)シ、当面(とうめん)ノ困苦(こんく)克服(こくふく)ノ為(ため)ニ、又(また)産業(さんぎょう)及(および)文運(ぶんうん)振興(しんこう)ノ為(ため)ニ勇往(ゆうおう)センコトヲ祈念(きねん)ス。
【時艱:現在当面している難問題、蹶起:目的のために決意を固めて行動すること、文運:学問・芸術、勇往:恐れず躊躇わなく進むこと】
我国民(わがこくみん)ガ其(そ)ノ公民生活(こうみんせいかつ)ニ於(お)テ団結(だんけつ)シ、相(あい)倚(よ)リ相(あい)扶(たす)ケ、寛容(かんよう)相(あい)許(ゆる)スノ気風(きふう)ヲ作興(さっこう)スルニ於(おい)テハ、能(よ)リ我(わが)至高(しこう)ノ伝統(でんとう)ニ恥(は)ヂザル真価(しんか)ヲ発揮(はっき)スルニ至ラン。
【倚る:集まる、作興:盛んにすること、伝統:古き教え、皇祖皇宗の教えなど】
斯(かく)ノ如(ごと)キハ実(じつ)ニ我国民(わがこくみん)ガ人類(じんるい)ノ福祉(ふくし)ト向上(こうじょう)トノ為(ため)、絶大(ぜつだい)ナル貢献(こうけん)ヲ為(な)ス所以(ゆえん)ナルヲ疑(うたが)ハザルナリ。
一年(いちねん)ノ計(けい)ハ念頭(ねんとう)ニ在(あ)リ、朕(ちん)ハ朕(ちん)ノ信頼(しんらい)スル国民(こくみん)ガ朕(ちん)ト其(そ)ノ心(こころ)ヲ一(いつ)ニシテ、自(みずか)ラ奮(ふる)ヒ、自(みずか)ラ励(はげ)マシ、以(もっ)テ此(こ)ノ大業(たいぎょう)ヲ成就(じょうじゅ)センコトヲ庶(こい)幾(ねが)フ。
【 】内の口語訳と単語解説は、すべて私〔=ブログ作成者〕が行ったものである。
―――(詔書:ここまで)―――
最後に、一言だけ、私〔=ブログ作成者〕からコメントさせて頂く。
国家の「偉大な指導者」とは、国家の“法・伝統・慣習・自由/道徳”を遵守しながら、かつ、それらを淵源とする国民の自助の精神と自発的な相互扶助の精神を発現させる能力を備えた者の呼称である。
英国のウォルター・バジョットは『英国憲政論』にて曰く、
「イギリスないしその他の国々の諸制度は、幾百年もかかって成長し、・・・住民を広く支配している。
こういう制度の考察にとりかかる場合には、これを二つに区分することが必要である。
すなわち、このような国々の憲法には二つの部分がある。
・・・その第一は、民衆の尊敬の念を呼び起こし、これを保持する部分である。これをかりに威厳をもった部分と呼んでおこう。
次にその第二は、機能する部分である。憲法はこれによって実際に活動し、支配しているのである。
さていかなる憲法も立派に機能するためには、次の二題目標を達成しなければならない。
そして古くからの有名な憲法なら、この目標を見事に達成してきたにちがいない。
すなわちあらゆる憲法は、まず権威を獲得し、ついでその権威を行使しなければならない。
いいかえれば、まず人々の忠誠や信頼を獲得し、ついでその信従を統治活動に利用しなければならない」(『世界の名著72』「イギリス憲政論」、中央公論社、67〜68頁)
偶然にも本日、英国ウィリアム王子とケイト・ミドルトン様のロイヤルウェディングが盛大に行われるようだ。
心よりお祝い申し上げるとともに、今は亡きダイアナ元英皇太子妃には、改めて深く哀悼の意を表したいと思う次第である。
なお、民主党政権批判と東日本大震災・福島原発事故の復旧・復興及び日本国ルネッサンスに係る私〔=ブログ作成者〕の提言は近日中に別記事で掲載予定である。
【平成23年(2011年)4月29日】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発
あたらしき 王室の風 麗しく 彼の國に吹く 共に讃えん
いつも示唆に富んだ貴殿の御考察に学んでおります。
先帝陛下の御遺徳、掲げていただき、有り難く、拝察致しました。
数に成らぬ身でありますが、人類にとり(世界市民といった意味ではなく)最大限の美徳ある自由を擁護する彼の國の、そして、我が國の皇室を有り難く思います。
一自由主義者たらん者、美酒に酔いて
by ハヤブサ (2011-04-30 23:16)
御知らせです。中川八洋先生の新刊が今月にも上梓されます。小林よしのり「新・天皇論」への反論本です。若し好ければ拡散を御願いします。乞う御期待。
by ストライクイーグル (2011-05-02 16:31)
>ストライクイーグルさん
割り込み失礼します。
それは良いニュースですね。
どこで入手された情報ですか?
by spica (2011-05-02 21:35)
其れ自体は「民族派」の月刊誌ですが、「撃論」(オークラ出版)の最新号の巻頭に中川先生の記事が有ります(因みに月刊誌に登場するのは約5年振りです)。巻末の執筆者紹介の項に有ります。管理人様も読まれたと思いますが、小林本、兎に角酷いの一言に尽きます。小林妄説のバイタル・パートを打ち抜く中川先生の新刊、御楽しみに御待ち下さい。
by ストライクイーグル (2011-05-03 19:22)
ストライクイーグル 殿
慶ばしい情報提供ありがとうございます。
日本の出版界及び学界は、「売れ筋学者」の「愚論」が中川八洋先生の「正論」に勝てないからといって、中共やロシアのごとく検閲的に「正論封殺」するという「卑怯なまね」は早々に止めるべきだと思います。
「思想・言論・表現・信仰の自由」を自らの生命源とする出版界及び学界の所業ではないでしょう。日本人として少しは「恥」を悟るべきでしょう。
ある人の「正論」が「正しくない」と考えるなら、自分が「対論を掲げて」堂々とやりあうべきでしょう。
学界や出版界で、そのような「K-1のような格闘的言論対決」が行われることこそ、読者が最も興味を持つのではないでしょうか。
それが即、学界や出版界(+マスメディア界)の利益になると思いますが。
オーストリア学派のハイエク理論によっても、シカゴ学派のフリードマン理論によっても…。
言論バトルに需要はあるか?
問う必要もないでしょう。
大晦日に「殴り合い、蹴り合いの失神KO」を見て「悲鳴を上げながら熱狂して興奮する女優」も多いご時世ですから、最近は…。
兎に角、中川先生には「新創天皇論」とも言うべき「小林天皇論」をKOしていただきたいものです。
最後になりましたが、「擊論」(オークラ出版)最新号を楽しみにしております。
読者の皆さんも是非、読んでください。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-05-06 00:21)