保守主義の哲学---(第五回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(旧宮家系図、訂正済) [政治]
読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
前回もお知らせしましたが、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版) が本年6月30日に刊行予定だということです。
再度お知らせするとともに、皆さまにおかれましては、ぜひ御期待頂きたいと思います。
(参 照)→オークラ出版・近日発行情報
http://www.oakla.com/htm/news_book.html
さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ五回目は、『(4)万世一系、男系男子の皇統における今上陛下(皇室)と旧宮家の関係について』という題目で解説したいと思う。
前回(第四回)から、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の「暴論」・「妄論」の数々について項目毎に検証し、“虚偽の永久封殺”をする作業に入った。
実は、今回のブログでは当初、皇位継承における直系主義論の真偽について検証する予定であったが、紙幅の都合により、直系・傍系論の真偽の検証は次回に行い、今回はその序論的検証として、今上陛下(皇室)の皇統と1947年10月14日に臣籍降下された旧宮家(旧皇族)の男系男子の血統の関係について考察してみたい。
これを考察したのち、次回のブログに於いて歴代天皇の万世一系、男系男子の皇統の直系・傍系に関する一般論の検証を簡単にまとめたいと考えている。
小林よしのり氏は漫画『新天皇論』98頁、121頁で次のように述べている。
『元正天皇は上位の宣命で、聖武天皇を「ワガコ」と呼び、聖武天皇は即位の宣命で元正天皇を「ミオヤ」と呼んでいるのだ。
元正天皇と聖武天皇は伯母と甥の関係であり、聖武天皇の実母は藤原宮子である。
ところが、即位の宣命では「母子」の関係を強調し、母から子に譲位したことになっている!
古代においては、実際の血縁では親子でなくても、皇位を始め、地位継承の系譜上では親子とみなすということが行なわれていた。
その際重視されていたのは、擬制を含む直系の親子関係である!(98頁)
・・・そればかりではない。(皇室典範有識者会議の)報告書ではこんな重要な指摘をしている。
「旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々である」
そうなのだ!600年もさかのぼるのだ!今まで最も離れた傍系の天皇は継体天皇で応神天皇の5世の子孫である。
だが、旧宮家は全て、今から600年も前の、北朝第3代、崇光天皇の子、栄仁〔よしひと〕親王までさかのぼらないと、今上天皇と繋がらないのだ!
皇室の歴史上、ここまで離れたバイパス手術はない!
600年も離れた男系のバイパス手術を行います!
今上天皇とは20数世代、40数親等もはなれておりま――す!
こんなことを言って国民は受け入れられるのか?
しかも、一旦皇族の身分を離れた者が再度皇族となった例はごく稀で、60年以上も皇籍を離れた、しかも遠い血筋の者が皇族復帰した例などない』
私〔=ブログ作成者〕の解説:
小林よしのり氏の漫画『新天皇論』とは、概ねすべて“万世一系、男系男子の皇統”の正しい定義と歴史事実を「歪曲すること」から発する左翼系の天皇制廃止論者の既存の「虚偽・虚構」を漫画にして焼き直した「妄論」「愚論」の集積箱である。
例えば、下図(→中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、渡辺昇一『皇室入門』飛鳥新社、『皇室辞典』東京堂出版他を参照して私〔=ブログ作成者〕が作成したもの)の皇統系図と伏見宮家系図を見て頂きたい。
(※旧宮家系図を訂正しました。北白川宮→竹田宮。失礼致しました。H23/06/06)
上記の図を参照しながら、小林よしのり氏の妄言・虚言を整理してみる。
① “旧宮家系の男系男子”と“皇統の男系男子”は全て、約600年前の伏見宮三代の貞成親王を祖として二系に分かれるが、互いに同時並行的に男系男子の世襲で現在に至っており、“全く同一の皇祖神武天皇の男系の血統”を途絶することなく“継承”している。
② ゆえに、小林よしのり氏の言説「約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋」とか「600年も離れた男系のバイパス手術を行います!」などは虚偽・虚構の出鱈目であり、今上陛下(皇室)と旧宮家は「約600年前に遡らなく」とも、現在において、皇祖神武天皇の男系男子血統として既に繋がっている。
上記の図のとおり、“伏見宮家系の男系男子の血統”と“今上天皇(皇室)の男系男子の皇統”は二系に分かれて以後現在まで、すべての時代において常に繋がってきたのである。
ゆえに「バイパス手術」など全く不要である。
二系に分かれて以来、約600年間常に繋がって現在に至っている二系の男系男子の血統に一体「何を」バイパスする必要があるのか?
全く意味不明の妄論である。
③ ②の事実から、臣籍降下時の「旧宮家の当主を含む嫡男系嫡出の男子子孫のすべて」に皇籍復帰して頂き、皇位を継承されるとすれば、即位された男系男子天皇は“万世一系、男系男子の皇統”において、全く“正統”である。
つまり、万世一系、男系男子の皇統の正しい定義に一切背反しない。皇統は当面安泰となる。
少なくとも遠い将来の対策を考える時間的余裕が生じるであろう。
④ さらに、小林よしのり氏の「旧宮家は全て、今から600年も前の、北朝第3代、崇光天皇の子、栄仁〔よしひと〕親王までさかのぼらないと、今上天皇と繋がらないのだ!」
という、皇統の正しい定義を逆立ちさせた「妄言」について。
ある時代のある男系男子天皇Mの“皇統”とは、皇祖神武天皇の男系男子の血統の世襲・継承の有無によって正統性が承認されるのであって、今上天皇との血統の繋がりで承認するのではない。
もちろん、万世一系、男系男子の皇統において、結論的には天皇Mは、今上陛下とも当然血統は繋がっているのだが、それは天皇Mも今上陛下も正統な皇統として即位されたがゆえに、結果として血統が繋がっているのであり、小林よしのり氏の言説は本末転倒していることを理解していただけるだろうか。
⑤ 以上のように今上陛下(皇室)も旧宮家の男系男子も、どちらも万世一系、男系男子の皇統(血統)において正統である。
ところが、小林よしのり氏は、二系に分かれても男系男子の皇統(血統)は全く同一である両者に対して、二系に分かれた時点が現在から遡って約600年も前であるという事実を持ち出して旧宮家と今上陛下(皇室)は「遠い血筋?」であると言う。
「遠い血筋」が何を意味しているのか私〔=ブログ作成者〕には理解できないが、仮に600年という年月が、同じ男系男子の皇統(血統)を「遠い血筋」にさせると言うのであれば、次の歴史事実をどう解釈するのであろうか。
歴史事実は、今上陛下(皇室)は万世一系、男系男子の皇統(血統)を継承しておられるが、皇祖神武天皇とは「紀元前660年+1989年=2649年間」もの年月が開いており、しかもその2649年間に幾度も系統は分かれているし、皇位は分かれた系統の間を行ったり来たりして移動しながら皇統が護持されてきたのである。
小林よしのり氏の言説にしたがえば、今上陛下(皇室)と皇祖神武天皇の血筋は、旧宮家と今上陛下(皇室)の血筋の関係より「遥かに遠い血筋だ」と言っているのと同義ではないか。
つまり、小林よしのり氏の暴論は、今上陛下(皇室)の皇統の正統性に対する「疑義の提示」あるいは「正統性の否定」を意味している。
今上陛下(皇室)に対して、このような不敬極まる結論に帰着する思想を振り回す小林よしのり氏が同じ漫画『新天皇論』の中で
「次世代の皇族が悠仁親王殿下ただ一人になられてしまうわけだ!これは大問題である。さぞや天皇陛下がご心配なさっていることだろう」(『新天皇論』116頁)とか
「皇室典範改正を急げ!皇室の弥栄〔いやさか〕のために!」(『新天皇論』118頁)
などと宣っているのだから論理矛盾も甚だしい。
つまり、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を貫く「ゴーマニズム」の思想本籍とは、本人の自覚が有る無しに関わらず、「コミュニズム」や「マルキシズム」や「ソーシャリズム」の天皇制破壊論にある。
なお、上記①~⑤は旧宮家(旧皇族)の男系男子の血統の正統性について考察した。
が、上述したとおり、これら旧宮家の方々は1947年10月14日に臣籍降下されており、現時点では皇位継承権はない。
しかしながら、日本国の万世一系、男系男子の皇統としての天皇(皇室)(→これは、日本国の国体であり、日本国民・日本民族の存在意義でもある)を悠久に護持するためには、1947年10月14日に臣籍降下された時点での旧宮家(皇族)の当主を含む嫡男系嫡出の男子子孫すべてに皇籍復帰して、日本国の国体を護持する義務を果たして頂かねばならない。
それ以外の方法は、すべて天皇(皇室)の皇統の正統性を即あるいは近い将来消滅・断絶させる毒薬である。
さて、日本国の国体(→戦争をイメージして国体という言葉に自動的に拒絶反応を示す方は、“国憲”あるいは“国柄”と考えて頂きたい)について、北畠親房(『神皇正統記』1339年頃)から少しだけ拾っておく。
神皇正統記とは、北畠親房が“皇位継承”には神代の昔から唯一の正しい道理=“不文の法”があることを発見し、明確に書き記した“神皇”の“正統記”である。
神皇正統記に曰く、
「大日本者(おほやまとは)神國(かみのくに)なり
天祖(あまつみおや)はじめて基(もとゐ)をひらき、日神(ひのかみ)ながく統(とう)を傳(つたへ)給(たま)ふ。
我國(わがくに)のみ此事(このこと)あり。
異朝(いてう)には其のたぐひなし。
此故(このゆゑ)に神國(かみのくに)と云(い)ふなり」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、17頁)
私〔=ブログ作成者〕の解説:
冒頭から「大日本者神國なり」とあるからといって、マルクス主義信者以外の日本国民は「戦前の皇国史観だ!軍国主義だ!」などと絶叫してはいけない。
日本神話の神代を引き継ぐ、皇統の伝統(=継続・連続)が異朝(=印度や支那)の不連続な王朝との決定的な違いであり、それは、日本国固有の国体であると言っているだけ。
その事実をして「神國(かみのくに)」と呼称のであり、「神國」にそれ以上の意味はない。
次の引用を見よ。
神皇正統記に曰く、
「此國(このくに)は天竺(てんぢく:印度)よりも、震旦(しんだん:支那)よりも、東北(とうぼく)の大海(だいかい)の中(なか)にあり、別洲(べつしう)にして神明(しんめい)の皇統(くわうとう)を傳(つたへ)給(たま)へる國なり」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、21頁)
私〔=ブログ作成者〕の解説:
神國とは、「神明の皇統を傳へ給へる國」という意味、つまり「皇統は日本国の国体である」という意味である。
校訂者 山田孝雄氏 曰く、
「この神國といふこと即ちわが國體の特色たりといふことに帰す。・・・古来の人々も、これを感じてはありしならむ。然れども、これを明らかにするもの一人も無かりしが、ここに著者(=北畠親房)の喝破によりてはじめて神國ということの真意を悟るに至らしならむ」
神皇正統記に曰く、
「我朝(わがてう)の初(はじめ)は天神(あまつかみ)の種(しゅ:血統、子孫)をうけて世界(せかい)を建立(こんりふ)するすがたは天竺(てんぢく:印度)の説(せつ)に似(に)たる方(かた)もあるにや。
されど、これは天祖(あまつみおや)より以來(このかた)繼體(けいてい:皇位継承、継嗣)たがはずして、ただ一種(いちしゅ:一つの血統)ましますこと天竺のも其類(そのたぐい)なし。
彼國(かのくに)の初(はじめ)の民主王(みんしゆわう)も衆(しう)のためにえらびたてられしより相續(さうぞく)せり。
又(また)世(よ)くだりてはその種姓(しゆしやう:上位の身分の者)もおほくほろぼされて、勢力(せいりき)あれば、下劣(けれつ)の種(しゆ)も國主(こくしゅ)となり、・・・。
震旦(しんだん:支那)ことさらみだりがはしき國(くに)なり。
昔(むかし)世(よ)すなほに道(みち)正(ただ)しかりし時(とき)も賢(けん:賢人)をえらびてさづくるあとありしにより、一種(いちしゅ)をさだむる事(こと)なし。
・・・或(あるひは)は累世(るゐせい)の臣(しん)として其(その)君をしのぎ、つひに譲(ゆづり)をえたるもあり。
伏犧(ふくき)氏の後(のち)、天子(てんし)の氏姓(ししやう)かへたる事。すでに三十六(さんじふろく)、亂(みだれ)のはなはだしさ云(いふ)にたらざる者哉(ものをや)
唯(ただ)我國(わがくに)のみ天地(あめつち)ひらけし初(はじめ)より今(いま)の世(よ)の今日(こんにち)に至(いたる)まで、日嗣(ひつぎ)をうけ給(たまふ)ことよこしまらず、一(いち)種姓(しゅせい:身分、血統)の中(うち)におきてもおのづから傍(かたはら:傍系)より傳(つたへ)給(たまひ)しすら猶(なほ)正しき(=正系)にかへる道ありてぞたもちましましける。
是(これ)併(しかしながら)抑(そもそも)、神明(しんめい)の御誓(おほんちかひ)あらたにして餘国(よこく:他国)にことなるべきいはれなり」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、25、26頁)
神皇正統記に曰く、
「神代(かみよ)より正理(しやうり)にてうけ傳(つた)へつるいはれを述(の)べむことを志(こころざし)て常(つね)に聞(きこ)ゆる事(こと)をばのせず。しかれば神皇(じんわう)の正統記(しやうとうき)とや名(な)づけ侍(はべる)べき」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、26頁)
神皇正統記に曰く、
「〔八咫(やた)の御鏡(みかがみ)に〕八坂瓊(やさかに)の曲玉(まがたま)、天(あめ)の叢雲(むらくも)の劒(つるぎ)をくはへて三種(さんじゆ)とす。
又(また)此(この)鏡(かがみ)の如(ごとく)に分明(ふんみやう)なるをもて、天下(あめのした)に照臨(せうりん:しろしめす、治める)し給(たま)へ。
八坂瓊(やさかに)のひろがれるが如(ごと)く曲妙(たくみなるわざ)をもて、天下(あめした)をしろしめせ。
神劒(みつるぎ)をひきさげては不順(まつろはざ)るものをたひらげ給(たまへ)。
と勅(みことのり)ましましけるとぞ。
この國(くに)の神霊(しんれい)として、皇統(くわうとう)一種(いちしゅ:一つの血統)ただしくまします事(こと)、まことにこれら勅(みことのり)にみえたり。
三種(さんじゆ)の神器(じんぎ)世(よ)傳(つたふる)こと日月星(ひつきほし)の天(あめ)にあるにおなじ。
鏡(かがみ)は日(ひ)の體(たい)なり。玉(たま)は月(つき)の精(せい)なり。劒(つるぎ)は星(ほし)の氣(き)なり。ふかき習(ならひ)あるべきにや。
・・・此(この)三種(さんじゆ)につきたる神勅(しんちょく)は正(まさし)く國(くに)をたもちますべき道(みち:政治道徳)なるべし。
鏡(かがみ)は一物(いちもつ)をたくはへず、私(わたくし)の心(こころ)なくして萬象(まんざう)をてらすに、是非善悪(ぜひぜんあく)のすがたあらはれずと云(いふ)ことなし。
其(その)すがたにしたがひて感應(かんおう)するを徳(とく)とす。これ正直(しやうぢき)の本源(ほんげん)なり。
玉(たま)は柔和善順(にうわぜんじゆん)を徳(とく)とす。慈悲(じひ)の本源(ほんげん)なり。
劒(つるぎ)は剛利決斷(がうりけつだん)を徳(とく)とす。智慧(ちゑ)の本源(ほんげん)なり。
此(この)三徳(さんとく)を翕受(あはせうけ)ずしては、天下(あめした)のをさまらんことまことにかたかるべし。・・・」(北畠親房『神皇正統記』岩波書店、26頁)
【平成23年6月5日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
南出喜久治氏の説は既にご存知とのこと。大変失礼いたしました。
法の支配やコモン・ロー等の保守哲学を如何に国民に伝えるかは確かに重要な問題です。
ただ陰鬱になっても仕方ありませんので、明るく前向きに啓蒙活動に取り組みましょう。
斯くいう私も中川氏や貴方の論文を読まなければ、保守哲学の「ホ」の字も知らないまま今日に至っていました。
少しづつでも効果はあると思いますので、諦めずに頑張りましょう。
さて今回の記事のコメントに移ります。
>こんなことを言って国民は受け入れられるのか?
これは「生存者主権教の信徒で御座います」と告白しているに等しい暴論です。
換言すれば「歴代天皇の御意志など関係ねえ! 皇室を支えた藩屏の連中の考えも関係ねえ! 今上陛下の御考えも関係ねえ! 俺様化した生存者の世論こそが絶対だ!」と小島よしおの如く主張しているのです。
大体、生存者が受け入れられるか否かを基準にすれば、今上陛下や皇太子殿下の御考えを自由(放縦のそれではない)に決める事が出来なくなる可能性があると考えていないのが不思議でなりません。
>しかも、一旦皇族の身分を離れた者が再度皇族となった例はごく稀で、60年以上も皇籍を離れた、しかも遠い血筋の者が皇族復帰した例などない
この男は「戦略」と「戦術」の区別が出来ていません。戦略とは「戦争を全面的に運用する方法」であり、戦術とは「一個の戦闘における戦闘力の使用法」を指します。
皇位継承と戦争を同列に扱うこと自体に躊躇いがあるのですが、敢えてそれをするならば、男系継承こそが戦略であり、それを基にして採用された方策が戦術に該当すると思います。
戦術として採用されたことが無いと云う主張が正しいとしても、それを以て戦略そのものを変えるべきだと主張するのは果たして正しいのかという疑問が普通の人間ならば生じるでしょう。
続きます。
by 錬金術師 (2011-06-05 17:14)
>少なくとも遠い将来の対策を考える時間的余裕が生じるであろう。
その将来の対策についてですが私なりの方策があります。それは以下の通りです。
1、男子皇族の方々はお若い配偶者と結婚なさる事が望ましい。
2、無理なく結婚相手を選んでいただくための「藩屏」の再建が急務である。華族制度の復活が一番望ましいのは言うまでもない。
3、ただし、近親結婚になり過ぎぬように注意を十分に払う必要がある。その為には平民を結婚相手から排除せぬことである。
これは一夫一婦制で男系継承を1000年以上続けているフランス王家の結婚政策を基に考えたものです(現在も続けている)。「一夫一婦制の男系継承など不可能」というノストラダムス顔負けの予言を論破する為の材料を集めていたら、偶然この法則を発見しました。
フランス王家に限った話ではないのですが、欧州の王室は王家同士で結婚をしたり、上流貴族から配偶者を求めることが100年位前までは普通でした。
これは「結婚相手を非常に確保しやすい」事を意味しています。そうであったが故に多くの子供を儲けることも可能であり、突然の不幸に見舞われても配偶者を再度見つける事も容易でした。ここから、皇位継承問題の本質は宮様方の結婚問題であると分かります。
我が国の場合は外国の王室との結婚は李王家以外とは行われていないので、配偶者の確保は必然的に華族からとなるでしょう。
中川八洋氏が公家や華族制度の再建を強く主張しているのは、以上の様な重要性を担保しているからだと思います。
by 錬金術師 (2011-06-05 17:35)
あと、旧皇族の家系図の部分の事ですが、北白川宮家から皇位継承権を世襲している宮家がどちらも北白川宮家になっています。
もう一つの宮家は竹田宮家ですので、至急、訂正なされた方が良いと思います。
話は変わりますが、南出氏の主張は以下のサイトで読めますので、良かったらどうぞ。
http://kokutaigoji.com/books/menu_kokutaigojisouron.html
by 錬金術師 (2011-06-06 19:49)
錬金術師 殿
重要なご指摘ありがとうございました。
旧宮家系図の北白川宮は竹田宮に訂正いたしました。
南出氏のサイトも読ませていただきます。
私は、南出氏の主張は多くの国民に知って頂きたいと思います。
「憲法改正!」の掛け声はこの東日本大震災と福島第一原発事故後にも盛んに行われています。
しかしながら、正統な憲法原理が解らぬ者が起草する「 憲法改正案なるもの 」は「 中曽根憲法私案 」や「 読売新聞社憲法改正試案 」などのごとく必ず「 共産革命憲法 」になってしまう確実性が極めて高いと思われます。
そうであるならば、皇祖皇宗の遺訓(=国法、国憲)を正統に成文化した明治憲法と明治皇室典範を、まず第一に復元し、次に明治憲法・明治皇室典範を時代の進化に適応させるよう、ハイエクの法の内在的批判方法などによって、慎重に改良・改善を試みるという憲法復元改良という方向性が、日本国の天皇(皇室)及び日本国民の悠久の繁栄のために、最も安全・確実な方法であると思います。
ぜひ、多くの日本国民に南出氏の主張・理論を知って頂きたいと思います。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-06-06 23:24)
>私は、南出氏の主張は多くの国民に知って頂きたいと思います。
私も同意見です。南出氏は色々な場所で講演を行っているので、少しでも効果が表れればと思っています。
>しかしながら、正統な憲法原理が解らぬ者が起草する「 憲法改正案なるもの 」は「 中曽根憲法私案 」や「 読売新聞社憲法改正試案 」などのごとく必ず「 共産革命憲法 」になってしまう確実性が極めて高いと思われます。
その通りです。米英法の保守哲学や江戸時代まで存在していた「古道」の観念が駆逐された現在においては、護憲派である方が改憲派でいるよりもマシです。
ところで、明治憲法と明治皇室典範を復元改良する時は平泉澄氏の哲学も参考になると私は考えています。
彼は、昭和初期におけるエドマンド=バーク研究の第一人者であったからです。
更に、我が国の国学と英国の保守哲学を基に、日本のコモン・ローの探究をも試みていました。
氏の著書である「先哲を仰ぐ(錦正社)」は日本保守主義を語る上で必読の書だと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E5%85%88%E5%93%B2%E3%82%92%E4%BB%B0%E3%81%90-%E5%B9%B3%E6%B3%89-%E6%BE%84/dp/4764602474/ref=sr_1_6?s=books&ie=UTF8&qid=1307445060&sr=1-6
by 錬金術師 (2011-06-07 20:13)
引用部分の「その際重視されていたのは、犠牲を含む直系の親子関係である!(98頁)」→「擬制」の誤記ですね。余計なお世話ですが…。小林氏の女系容認論には全く同意できないと思っているので、このブログ非常に興味深く拝読しております。続編も期待してます。
by 通りすがり (2011-06-07 20:16)
錬金術師 殿
上記「先哲を仰ぐ」、まだ読んでいませんでした。
かなり興味を引く内容のようなので、ぜひ読んでみたいと思います。
いつも、貴重な情報を頂き、ありがとうございます。
勉強になります。
通りすがり 殿
「犠牲」→「犠牲」に訂正いたしました(H23/06/07)。
ご指摘、ありがとうございました。
今後とも、通りすがりに、情報提供とご指導の程よろしくお願いいたします。
それでは。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-06-07 21:15)
錬金術師 殿(?)
平泉澄氏ですが、お弟子さんに「いろいろな方々」が多数おられますね。
その点も十分に踏まえて、「興味をもって」読ませていただきたいと思います。
どんなエドマンド=バーク→エドマンド・バーク保守主義、皇国史観なのやら楽しみです。
私は「・・・史観」なる言葉はには「不信感(観)」が先行しますが。
小林よしのり氏論駁以外に仕事が増えぬことを願っております。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-06-08 07:41)
こんばんは。
>平泉澄氏ですが、お弟子さんに「いろいろな方々」が多数おられますね。
その通りです。氏が後継者育成に失敗したのは非常に残念に思います。
ただ、その原因が何であるか未だ不明なので、表立った批判は控えています。
>私は「・・・史観」なる言葉はには「不信感(観)」が先行しますが。
「皇国史観」なる言葉を氏は一度も使っていません。恐らく、彼に反発した左翼の造語ではないかと推測しています。
それどころか、マルクス流の歴史法則主義に極めて批判的な見解を示しています。
>小林よしのり氏論駁以外に仕事が増えぬことを願っております。
収録されている平泉氏の論文は殆どが50年以上前に書かれたものですから、時代的な制約は当然あるでしょう。
また、氏は歴史学者ですから、軍事学・国際政治学に疎かったのではないかと思います。
本当に仕事が増える羽目になってしまったら、申し訳ありません。
そのような積りで紹介したわけではありませんので。
by NO NAME (2011-06-08 20:37)
すいません、また名前の欄を書き忘れました。
重ね重ねお詫びいたします。
by 錬金術師 (2011-06-08 20:54)
いつも拝読させております。
日本にあって数少ないバークやハイエクの思想を継承する方のブログで、このブログ主様のブログを紹介させていただいていますが宜しかったでしょうか。
真正保守主義を日本人に浸透させない限り、日本の復活は難しいという危機感からさせていただいております。
どうぞ宜しくお願いします。
by 国を愛する一国民 (2011-06-09 23:44)
国を愛する一国民 殿
バークやハイエクの真正保守(自由)主義哲学を少しでも多くの日本国民に知って頂くと言う意味において、私のブログを紹介して頂けるならば、大変恐縮であり、貴殿に心より感謝いたします。
もし可能であれば、どのような媒体で(ブログで、あるいはHPで、あるいはツイッターで・・・など)紹介頂いているのか、よろしければページのアドレスや媒体の種類など、可能な範囲内で結構ですので、教えて頂ければ幸いです。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-06-10 06:16)