保守主義の哲学---(第四回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
はじめに、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊情報についての情報が混乱しておりますことに、情報発信者として深くお詫び申し上げます。
さて、現(平成23年5月29日)時点におきまして複数筋から入手できた最新情報をお知らせいたします。
中川八洋氏の新刊 『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版 が本年6月30日に刊行されるという情報を入手いたしました。
今後も、出来る限り確実性の高い情報を読者の皆さまに御提供できるように努力していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
オークラ出版・近日発行情報
http://www.oakla.com/htm/news_book.html
さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ四回目は、『(4) 女系天皇論、双系主義制度論の永久封印』という題目で解説したいと思う。
今回から、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の「暴論」・「妄論」の数々について項目毎に検証し、“虚偽の永久封殺”する作業に入りたいと思う。
なお、『新天皇論』における「暴論」・「妄論」の論駁のために、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作から多くを引用させて頂きたいと思う。
余談であるが、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作を引用する理由は、中川八洋氏は日本国におけるエドマンド・バークの保守哲学に関する研究の第一人者であり、エドマンド・バークの保守哲学とは“法”・“憲法”・“国体”を保守する哲学だからである。
すなわち、“皇統”とは日本国の歴史事実としての“皇位継承の法”であるから、中川八洋氏は“皇統”についての“真正の学識者”である。
中川八洋氏の学識と叡智の深淵性と正統性は、“法”や“法の支配”について全く無知か、あるいは意図的に無視しようとする天皇(皇室)学の「権威者・学識者・専門家・評論家」と呼ばれる左翼天皇制廃止論者らの知的レベルを遥かに超越している。
このことは中川」八洋氏の著書『皇統廃絶』、『女性天皇は皇室廃絶』、『悠仁天皇と皇室典範』を精読すれば一目瞭然である。
ところが、「中川八洋氏は、天皇(皇室)学の専門家でないから、その論理は聞くに値しないとか、理系出身であるから、その政治哲学は異端である」など批判する向きが極左・左翼の学識者・専門家・評論家などの中に(保守系の学者の中にも)多いが、そのような劣等な屁理屈をこねて、中川八洋氏の正論を直接反駁することもできずに無視を煽動・宣伝することしかできない事実こそが、既に彼らの「不戦敗」を確定しているのである。
(4)「女系天皇」と「双系主義」は歴史事実に反する虚構であり、以後、永久封印されなければならない。
小林よしのり氏は漫画『新天皇論』112頁、113頁で嘯く。
『「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違うという考え方がある。
現在まで125代の天皇に「女帝」は8人おられた。
・・・つまり、「女系」は一人もいないとされている。
「男系主義者」たちはこう主張する。女系を認めたら「万世一系」の伝統が崩れる!女系容認は皇統断絶と同じだ!
だが、実際は、女系も皇統に含まれているのだ。皇室典範の第一条を見よ。
「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」明治の旧典範でも、この規定の主旨は全く同じである。
この条文は、「皇統」には男系・女系の両方が含まれるという前提の条件で、皇統に属する者のうち、男系男子が皇位を継承するとしか読みようがない。
「皇統」が男系のみならば、(「男系男子」と書かずに)「血統に属する男子」とだけ書けばよいことになる。
女系は、決して皇統の断絶を意味するものではない!』
私〔=ブログ作成者〕の解説:
第一に、初代神武天皇から今上陛下に至る125代の皇祖皇宗はすべて男系の皇統であり、女系天皇は一人も存在しないのは“動かせぬ歴史事実”である。
ゆえに皇室典範第一条の「皇統」には女系は含まない。
歴史上に実在した8人10代の男系女子天皇(=女性天皇)と歴史上に存在しない女系天皇(=男子も女子も)は用語の定義上全く異質の別用語であり、歴史事実においても前者は実在したが、後者は一人も存在しない(=ゼロである)。
ゆえに、『「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違うという考え方がある』のではなくて“「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違う”という事実だけがある、というのが唯一正しい。
同様に、『女系は一人もいないとされている』のではなく“女系は歴史事実として一人もいない”のである、というのが唯一正しい。
このように“真実”や“定説”についてさえ「絶対的に正しいと言えるものはない」として、すべての学問の基礎である“真実”や“定説”を転倒して否定し破壊する論理はフーコーのポスト・モダン思想やデリダの脱構築思想などの「価値相対主義」者が使用する「騙し・詐欺」の常套手段である。
第二に、女系天皇は歴史上存在しないから、皇室典範 第一条の「皇統」には「女系」は含まない(明治皇室典範も同じ)。
皇室典範 第一条の「皇統」について、小林よしのり氏の『男系・女系が含まれるという前提条件・・・しか読みようがない』などというのは歴史事実を無視した「虚偽」である。
そう読むのではなく、皇室典範 第一条は、“皇位は(直系〈正系〉と傍系とを含む)皇統に属する万世一系の男系男子がこれを継承する”と読むのが唯一正しい。
このように読めば、皇室典範 第一条の“皇統”の定義は歴史事実と一致するし“男系男子”という規定の「同義反復」という矛盾は解消する。
では、そもそも歴史上存在すらしなかった「女系天皇」論の出典は何なのか?という問題になる。
すると皇位継承における「双系主義」の制度という虚構の論理が浮かび上がってくる。
―――中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、2005年、22~28頁(ここから)―――
妄言や流言庇護にすぎない「女性天皇」論がこれほど広がってしまった原因には、民主党が憲法違反の「天皇の政治利用」をして“女性天皇支持”を選挙公約としたり(2004年6月)、「女性天皇」キャンペーンで原稿料を稼ぐ自称「皇室の専門家」高森明勅(たかもり あきのり)、高橋紘(たかはし ひろし)、笠原英彦(かさはらひでひこ)たちの弊害も大きい。
しかも、これら「女性天皇」宣伝屋の言動に、次の二つの重大な論理矛盾があることは、その反・天皇の悪意〔鎧〕を衣の下にのぞかせている。
第一は、「女性天皇」と不可避な「皇婿」問題を、決して真面目には論じないこと。
第二は、「皇婿」問題とは「旧・宮家の皇族復帰」問題なのに、驚くべきことに、この皇族復帰問題に躍起になって反対すること。
しかもそのあげる理由が、理のない、ただ奇々怪々な詭弁に過ぎないこと。
そこで、「女性天皇(=男系女子天皇)」にとどまらず、(歴史上に一人も存在しない)「女系天皇」まで、熱く語り続ける、高森明勅(たかもり あきのり)の不可解な言説を取りあげよう。
・・・皇室典範に関しては高森には何か怨念のようなものがある。
何が何でも皇室を潰し日本から天皇を消したいという情動が、その言説の地下水脈として滔滔と流れている。
まず、「双系主義の制度」という、高森オリジナルの虚構の奇説を例としてあげる。
「明治以前、制度の上では、男系と女系の両方が機能できる双系主義を採用してゐたこと」(高森明勅「皇位の継承と直系の重み」、『Voice』2004年9月号、83頁)
「明治以前における双系主義の制度的枠組みを確認した」(同、84頁)
この空前絶後の嘘「法律上は古来より双系主義が定められていた」を“論の根拠”にして、高森は「これからの皇室は双系主義で行くべきである」を大キャンペーンする。
「女性天皇(=男系女子天皇)」を飛び越え、次の段階の「女系天皇」である。
・・・この「双系主義の制度」があった根拠として、高森が挙げるのは、「女性天皇の皇子」を認めていると、高森が強弁する養老令〔の「継嗣令」〕の一条文のみである。
だが、仮にこの条文がそう解釈されるとしても、「制度」化とは言わないだろう。
しかも、この「女帝子」を「女系天皇の皇子(=女系の皇子)」と読解するのは、そもそも全く無理がある。
「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)皇子(みこ)。皆為親王(みこ)。女帝子亦同。・・・」
高森はこれを、「天皇の兄弟・皇子は皆『親王』とせよ。女系の子も、これと同じ扱いをせよ。・・・」(同、84頁)と読む。
「女系の子」などとは、何ともいかがわしい読み方だろう。
いかがわしさの第一は、757年に施行された養老令〔718年制定〕の下で、(男系女子天皇である)孝謙天皇/称徳天皇/明正天皇/後桜町天皇のうちお一方もなぜ、ご「皇配(→配偶者と考えればよい)」をもたれず、皇子・皇女がお一人も産まれていないのか。
つまり、もし高森流の曲読が仮に成り立つとすれば、現実には皇室はこの「女帝子亦同」の規定を完全に空文化したことになる。
「制度」化しなかったのである。
第二のいかがわしさは、この高森流の意図的誤読は、こじつけの域を出ないからである。
なぜなら、この継嗣令のどこを読んでも、「女系天皇の皇女」の皇位継承に言及した部分はない。
「女系天皇」そのものについての言及が一切ない(=無視している)。
養老令は、“女系天皇の排除”を自明とした皇位継承法である。
「女帝子・・・」は、「女帝(じょてい)の子・・・」と読むのではなく、「女〔皇女〕(ひめみこ)は帝〔天皇〕(すめらみこと)の子」と読むのだろう。
「亦同」は「また皇子に同じ」との意によむ。
つまり、「皇女も帝(天皇)の子だから、皇子と同じに親王〔内親王〕とせよ」と読むのである。
この「女帝子亦同」は、主条文「皇兄弟皇子」を補足する補条文である。
実際にも、字体を小さくして、主条文とは同列にはしていない。
補足であるのははっきりしている。
高森明勅(たかもり あきのり)がもし学者ならば、「(その後の歴史事実において)当該条文がなぜ空文化したのか、その理由」という問題設定をするはずである。
それ以外の問題設定は、不可能である。
あろうことか、その逆に「女系天皇の制度の規定」などとは、荒唐無稽さも限度を超えている。
・・・高森のこのような無教養と杜撰は、この継嗣令の当該条文の「その後(の歴史事実)」を知らないことにも明らかになっている。
「その後」の経過は、まず、天皇が即位の後に、兄弟姉妹子女すべてに「親王宣下」する制度となり、次に平安時代には「親王宣下」が無ければ皇子ですら「親王」にはなりえない制度になった。
「親王宣下」とは、(自然に天皇の皇子・皇女の資格を得ると定めた)継嗣令の当該条文を全面的に無視した制度である。
裏返せば、継嗣令の当該条文が「制度化」したという、高森の奇天烈な暴説は、(明治以前に)「親王宣下などの制度はなかった」との主張である。
・・・高森明勅(たかもり あきのり)のお粗末さは、「女系」という意味を全く理解できない知的レベルの問題においても露呈している。
次の短い文のなかですら、「男系の皇女」のことを、二度も「女系」と談じている。誤記ではあるまい。
「傍系の継体天皇の皇位継承に際し、第24代仁賢天皇(けんにんてんのう:男系男子)の皇女で、先帝武烈天皇の姉にあたる手白香皇女〔たしらかのひめみこ〕との結婚が重視されてゐた事実は、見逃せない。
この結婚は、傍系出身の継体天皇を女系を介して直系につなぐ意味を持ってゐた・・・」(同82頁)
仁賢天皇は男子である。よってその皇女の手白香皇女は「男系の女子」である。
かくも明らかな「男系の女子」を「女系」だと嘘のレッテルを張るのは、高森の「女性天皇」キャンペーンが、なんらかの政治的意図に基づき展開されていることを現わしている。背後に組織の影もちらつく。
「男系と女系の混合である双系主義が存在し、制度化されていた」という、架空の創り話、つまり捏造の戯言を、かくも宣伝して歩くのは“皇統廃絶による天皇制廃止”を信条としていない者に可能であろうか。
仮に高森流「双系主義」が導入され、「女系の天皇」がもし2代重なれば、それだけで皇統は大混乱する。
4代重なれば、血統は全く不明となる
その場合の、血の錯綜はピカソの絵のようになって、皇統は全く証明できない。
つまり、女系が2代から4代つづく間に必ず、天皇はいらない、との声が起こる。
天皇制の完全な自然消滅状態になるからである。
森高の狙いはこれであろう。
歴史事実に反する虚構「双系主義」を振り回す森高のプロパガンダの害毒は大きい。
※ 本文中の〔 〕内は、著者の補足説明であり、( )内は私〔=ブログ作成者〕の補足説明である。
※ 本文中の皇統の系図は私〔=ブログ作成者〕が挿入したもの。
―――中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、2005年、22~28頁(ここまで)―――
私〔=ブログ作成者〕の解説:
そもそも、男系の定義を歪曲しない限り、歴史事実としての女系天皇は存在しないから、「双系主義」なる「イデオロギー」を学説とすること自体において高森勅明(たかもり あきのり)氏には「学術的素養」と「学者としてのモラル」が欠損している。
養老令の継嗣令の「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)皇子(みこ)。皆為親王。女帝子亦同。」について、中川八洋氏はさらに詳しく解説されている。
―――中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、232~235頁、ここから―――
しかし、いずれにしてもこの「女帝子」を「女帝(じょてい)の子」とは読めない。
第1の理由は、大宝令(701年)であれ、養老令(718年)であれ、「女帝」という和製漢語がまだできていないようだからである。
しかも唐には「女帝」という法令用語はない。
つまり、輸入漢語ではない。・・・平安時代(794年~)に入った頃にはかなり散見される。
すなわち、「女帝」という和製漢語が701年までに日本で創られていたと証明されない限り継嗣令の「女帝子・・・」を、「女帝〔じょてい〕・・・」とは万が一にも読んではならない。
第二の理由は、日本では「天皇」は、男性天皇(=男系男子)/女性天皇(=男系女子)を問わず用いられるので、(「女帝子」の意味が)「女性天皇の子」ならば「女帝の子・・・」の註は全く不要である。
なぜなら、条文の「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)〔皇〕子(みこ)」に女性天皇の子は含まれている。
この意味ならば、この二行書き註は同義反復になるだけだから、この註をつくること自体が理に合わない。
「女性天皇の兄弟」説も同様に間違いである。
なぜなら、条文に「皇兄弟」とあるから、これも同義反復で不要である。
では、何故にこの註が必要かと言えば、この条文が、遣唐使が持ち帰った唐令の封爵令を藍本とした以上、シナでは「兄弟」は文字どおり「姉妹」は決して含まないし、「子」もまた「皇子」だけを指して、決して「皇女」が含まれないから、「姉妹」と「皇女」を含めるためには(「女帝子亦同:ひめみこもすめらみことの子亦同じ」の註が)絶対に必要だったからである。
〔唐令の封爵令〕 「皇兄弟皇子、為親王」(仁井田陞『唐令拾遺』〔初版は1933年〕、東京大学出版会、304頁)
シナでは皇女は「公主」(と言うの)であって、「内親王(ひめみこ)」は、純然たる和製漢語である。
すなわち、「女〔ひめみこ〕も帝〔天皇、すめらみこと〕の子〔こ〕また同じ〔に親王とせよ〕」という註がない限り、日本独自の「内親王」の制度は万が一にも定めることができない。
なお、「姉妹」は「先帝の皇女」であるから、この註があれば「内親王」になりうる。
〔日本の継嗣令〕
※ 本文中の〔 〕内は、著者の補足説明であり、( )内は私〔=ブログ作成者〕の補足説明である。
―――中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、232~234頁、ここまで―――
私〔=ブログ作成者〕の解説:
以上によって、「女系」天皇、皇統が男系と女系の混合であるとする「双系主義の制度」論は完全否定(=以後、封殺)されることは自明であろう。
読者の皆さんは、今後「女系天皇」論、「双系主義(の制度)」論はすべて歴史事実に反する虚偽・虚構であり、そのような虚偽の学説を唱える学識者・専門家などの(似非)知識人については、まず「天皇制廃止のイデオローグではないか?」と疑うべきである。
次回(シリーズ第五回)は、皇位継承における直系と傍系に関する「直系主義」という虚構を徹底検証する予定である。
【平成23年5月29日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
>「皇統」が男系のみならば、(「男系男子」と書かずに)「血統に属する男子」とだけ書けばよいことになる。
この珍説については新田均教授が完全に論破しているので貼っておきます。
それは、明治21年5月28日の枢密院の議事録で、その経緯は次のようなものだった。
①皇室典範審議の過程で、第一条から「男系ノ」の文字を削除すべきだと
修正案が出された。
②その理由は「皇統ノ男子ト云ヘハ男系ノ男子タルコトニ相違ナシ」。つまり、「皇統」と「男系」とは同義であるから反復の必要はない、というものだった。
③この主張に対して、議長の伊藤博文が次のように反論した。
「修正案ニハ故(ことさ)ラニ男系ノ字を削除セリ。果シテ此ノ如クナルトキハ則将来ニ於テ我皇位ノ継承法ニ女系ヲモ取ルヘキニ至リ上代祖先ノ常憲ニ背クコトヲ免レス」
④この伊藤の意見が支持されて、「男系ノ」の文字の削除はとりやめとなった。
「男系ノ」の文字を削除すべきだと提案した者も、それを拒否した伊藤も「皇統」=「男系」という考えは同じだった。
それにもかかわらず、伊藤が修正案を拒否したのは、自分達の時代はともかく、 将来、まさに小林氏のような、「皇統には女系も含まれる」と主張する人々が現れる ことを予想して、それによって、男系継承という「祖先ノ常憲」が否定されることが ないように、つまり「皇統には女系も含まれる」という解釈の余地を残さないために、あえて「皇統すなわち男系」とう同義反復の言い替えを残し、釘をさし、念を押したのである。
つまり、典範制定者の意図は小林氏の主張とは正反対だったのである。
別冊正論エクストラ第14巻より
by 錬金術師 (2011-05-29 18:19)
錬金術師 殿
いつも貴重なコメントありがとうございます。
伊藤博文の
「果シテ此ノ如クナルトキハ則将来ニ於テ我皇位ノ継承法ニ女系ヲモ取ルヘキニ至リ上代祖先ノ常憲ニ背クコトヲ免レス」
という、「過去」と「現在」と「将来」を繋いで国家・天皇(皇室)・国民のあり方を考える思想は、21世紀現在の日本国民が最も重視し、学ばねばならない哲学であると、あらためて痛感いたします。
なお、6月30日発刊予定の中川八洋 先生の新刊本『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版 を楽しみにしています。
私は、中川八洋 先生の「 保守主義の偉人をもって、日本国の永続のための海図とし羅針盤とする学的作業 」とは、「 バーク保守主義という勇者の剣 を振るう作業 」であって、ただ虚空を斬って終わるようなことは決してあり得ないと思います。
それゆえに、少しでも多くの貴重な著作を現在及び将来世代のために遺して頂きたいと思ってます。
それでは。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-05-29 21:03)
お早うございます。今月号の正論に八木秀次氏と深澤成壽氏の論文が掲載されていますが、両者とも重大な欠陥を放置したまま論を展開しているので、その欠陥について簡単に記しておきます。
彼等の主張に内包している看過できない問題点とは「皇位継承権の世襲」について全く浅薄な考えしか持たないという点です。
継承権の世襲、これは日本の皇室に限らず、外国の王室でも一番デリケートな分野に属しています。
皇太子殿下を始めとする「現職皇族」の方々は北畠親房が主張する「父子一系」で血統と皇位継承権を正しく受け継いでいます。
ですが、「旧皇族」と呼ばれている人々は決してそうではありません。血統に於いて由緒正しいとは私も認めていますが、皇位継承権を規則正しく引き継いでいないのです。
例えば、旧皇族関係者の中で著名な竹田恒泰氏は、祖父に当たる竹田宮恒徳王殿下が皇位継承権を放棄したので、父の竹田恒和氏とともに法的な扱いは平民です。
これは他の「旧皇族」の方々にも該当します。つまり、現時点で宮家再興がなったとしても、平民を祖父や父に持つ皇族が誕生してしまうのです。これも一種の伝統破壊であり、将来において必ず重大な問題を齎すと思います。
「平民を父や祖父に持つ皇族が即位するのは不当だ」と天皇制廃止論者が主張するのは目に見えています。
この問題は絶対に避けて通れない問題です。然るに、八木・深澤両氏はこれに対する警戒心が全くないどころか、女系天皇容認論に応用できる主張を展開している始末。これではお話になりません。
by 錬金術師 (2011-06-04 10:34)
続きます。
これを解決する方法は只一つ、昭和22年における臣籍降下が法的に無効であったと解釈する他ありません。それならば、鬼籍に入った人達も含め全員が「皇族としての地位を失っていなかった(いない)」事になります。
法的根拠は旧憲法の第75条に求めます。
「摂政がいる時には憲法と皇室典範を改正できない」のは国家の変局にあるからだと憲法義解(岩波文庫)とありますが、これを類推解釈します。
即ち、外国に占領されているという主権喪失状態も国家の変局であると。
ここでは詳述できませんが、この理論は南出喜久治氏が提唱しているので、興味がおありならば是非読んでみてください。著書も上げておきます。
日本国憲法無効宣言(ビジネス社)、占領憲法の正體(国書刊行会)
by 錬金術師 (2011-06-04 10:50)
あと、継承権の問題の参考として、フランス旧王家の事例を載せておきます。王室支持者にとって王位継承権が如何に大切かを知る為の好例だと思います。
フランス王家当主の地位はフランス革命の後は以下の様に引き継がれます。
ルイ16世、ルイ17世(ルイ16世の二男)、ルイ18世(ルイ16世の次弟)、シャルル10世(ルイ16世の末弟)
7月革命以後の継承は以下の通りです。
シャルル10世、ルイ19世(シャルル10世の長男)、アンリ5世(ルイ19世の甥)
フランス・ブルボン家最後の当主となったアンリ5世には子供がいなかったので、当然の様に誰を後継者とみなすか問題になりました。
大半の正統派(ブルボン家支持者)は対立していたオルレアン派(オルレアン家支持者)に合流しましたが、少数の正統派はカルリスタ王家(スペイン・ブルボン家の傍流)の当主を後継者とみなします。
ここからが重要なのですが、スペイン・ブルボン家にもフランスの王位継承権は受け継がれているという理屈を彼等はちゃんと考えているのです。
曰く「スペイン国王として即位したフェリペ5世(ルイ14世の内孫)の王位継承権放棄は法的に無効である。よって、フランスとスペインの同君連合の禁止の条件を犯さなければ、フランスの王位も請求出来る」と。
正統派の主張が法的に妥当であるかは私には判断出来ません。しかし、王位継承権を世襲しているという解釈を何とか捻り出したからこそ、スペイン・ブルボン家からフランス国王を輩出出来ると主張しているわけです。
皇統護持論者であると自家撞着している自称保守派の知識人にはこのような姿勢が無い。血統だけで皇位継承権があると思ったら大間違いだという事に全く気が付いていない。
皇位継承権の世襲については機会があれば、取り上げた方か良いのではないかと強く思います。
by 錬金術師 (2011-06-04 11:20)
錬金術師 殿
いつも深淵な智恵を教示頂き、感謝しますとともに、わが身のの浅学を三省し、さらなる学識の研鑽に役立たせて頂いております。
さて、南出喜久治氏の法理論については私も存じております。
明治憲法 第七十五条
憲法及皇室典範ハ攝政ヲ置クノ間之ヲ變更スルコトヲ得ズ
(憲法義解)
恭(つつしみ)て按ずるに、攝政を置くは國の變局にして其の常に非ざるなり。
故に攝政は統治權を行ふこと天皇に異ならずと雖、憲法及皇室典範の何等の變更も之を攝政の斷定に任ぜざるは、國家及皇室に於ける根本絛則の至重なること固より假攝の位置の上に在り、而して天皇の外何人も改正の大事を行ふこと能はざるなり。
つまり、ごく簡潔にまとめれば、
GHQ占領下の昭和天皇は、明治憲法の天皇大権を行使できない状態に置かれており、これは摂政を置く場合の国家の変局、非常事態そのものであるから、このGHQ占領下で行われた憲法変更・皇室典範変更は明治憲法 第七十五条の法解釈から類推すれば、無効である
という理論であると私は理解しています。
また、ポツダム宣言の受諾は明治憲法 第十三絛の天皇大権によって締結されたのであるから、法体系としては明治憲法が上位の法であり、ポツダム宣言は下位の法律・条約にすぎないから、そのような条約に基づいてGHQ占領下で制定した日本国憲法とは、明治憲法より下位の占領条約とみなすべき。
そうすれば、明治憲法を復活させても、明治憲法下の法律・条約としての日本国憲法は消失せず、現在の法律体系にも大きな混乱は生じない。
ただし、明治憲法も復活後、時代の進化に合わせて、改善・改良することは必要である。
というような意味だったのではないでしょうか。
(現在手元に氏の著書がないので私の記憶で書いておりますので、若干のニュアンスのブレはお許しを)
宮沢俊義の「8月革命説」のような狂言に比較しても、南出喜久治氏の法哲学の方が断然優れていると思っています。
問題は、“法”・“コモン・ロー”の法哲学や“法と法律の相異”が全く理解できない多くの憲法学者や日本国民が果たしてこの法理論を理解し、納得するであろうかという現実面です。
この現実を真剣に考えると、非常に陰鬱な思いに悩まされます。
私は、少しでも多くの国民がそうした法哲学・思想を理解できるように微力ながらブログを立ち上げて保守哲学(=自由主義の法哲学)の解説を試みているのですが…なかなか。
ただし、
「現時点で宮家再興がなったとしても、平民を祖父や父に持つ皇族が誕生してしまうのです。これも一種の伝統破壊であり、将来において必ず重大な問題を齎すと思います」
との貴殿のご指摘は全く正論であり、旧宮家を臣籍降下の代まで遡って、一括で皇族に皇籍復帰していただく必要があるようです。
この辺りの話も、今後ブログで取り上げるよう努力してみます。
まず、とりあえずは小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の女系天皇論・双系主義、旧宮家を貶める直系主義、皇統の支那制度論、Y遺伝子類人猿起源論・・・等々の妄論・愚論を一つずつ消去・封印していきます。
それでは。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-06-04 14:35)
どうも、御無沙汰しております。この記事に意見を書いた際、スペイン国王フェリペ5世(在位1700~24・1724~46)がフランスの王位継承権を放棄した事実に就いて触れました。
その王位継承権放棄宣言を見付けたので一応貼っておきます。他にも様々な重要文書の邦訳を閲覧できますから、何かお役に立てれば幸いです(註1)。
本文書によって,フランスの王位継承に関して私がもつ,あるいは私の子孫のいずれかが現在もつ,もしくは将来のいつかもつかもしれないあらゆる主張,権利,肩書きを私自身そして私の世継ぎと継承者について,未来永劫,放棄し,手放し,棄て去るものである.そしてフランスの王位を継承する行為および権利について,私自身は除外され,分離されたものと,また私および私の息子たち,世継ぎや子孫たちは永遠に,絶対的に,限定なく,人,等級,性別,時代による差異や区別もなく,除外され資格を失ったものと宣言し,そのようにみなすものである.
註1 http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/docs/utrecht.htm#6c
文中の「本文書」とは、ユトレヒト条約第6条を指します。
by 錬金術師 (2011-08-31 20:04)