保守主義Series-1--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;天皇陛下(皇室)と日本国民の関係 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)が平成23630日に発刊されました。

 〔=ブログ作成者〕は、ようやく読了いたしました。

 今回は、上記著書を読了した〔=ブログ作成者〕が、日本国皇祖皇宗今上陛下皇室)の地位及び皇位継承法としての皇室典範と、天皇皇室)を戴く我われ日本国民自由諸権利との在り方関係性について、読者の皆さまにも考えて戴きたく思い、英国エドマンドバーク『フランス革命の省察』から、1689年『権利の章典(→正式名称:臣民の権利および自由を宣言し王位継承を定める法律)』と1701年『王位継承法(→正式名称:王位をさらに限定し臣民の権利と自由をよりよく保障するための法律)』の制定に関する記述の部分を抜粋し、英語原文〔=ブログ作成者〕の邦訳併記して掲載したものである。

 邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎としながら、〔=ブログ作成者〕が更訂した。

 読者の皆さまに考えて頂きたいのは、英国の王位継承法日本国の皇位継承法内容相違についてではなくて(→国家の成立と成長の歴史により相違するのは至極当然であるから)、非常時に、それぞれの“国法”・“伝統”・“慣習”に接する場合両国民の態度比較についてである。

 『フランス革命の省察』におけるエドマンドバーク国法(=国憲国体)に関する力強い主張は、現在直面している男系男子皇統永続危機皇室典範改正問題に対して現在世代日本国民が、どのような態度で臨むべきかを教示してくれている。

 If the principles of the Revolution of 1688 are any where to be found, it is in the statue called the Declaration of Right.

 In that most wise, sober, and considerate declaration, drawn up by great lawyers and great statesmen, and not by warm and inexperienced enthusiasts, not one word is said, nor one suggestion made, of a general right “to choose our own governors; to cashier them for misconduct; and to form a government for ourselves.”1)

 1) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.14.

 もしも1688年の革命(→名誉革命)の諸原理がどこかに発見されるとすれば、それは権利の章典と呼ばれる英国法の中に他なりません。

 そして偉大な法曹家と政治家が――(革命教会の紳士諸君のような)興奮し易く無経験な熱狂家ではありません――明文化した、最も(祖先に対して、その)智慧を尊重し、厳粛に受け止め、しかも(子孫に対する)思いやりに満ちたその権利の章典の中では、「我々の統治者たちを選出し、失政の故を以て彼らを罷免し、我々自身のために政府を形成する」という一般的な権利など一言半句はおろか示唆一つされていないのです。

 This Declaration of Right (the act of the 1st of William and Mary, sess. 2, ch.2) is the cornerstone of our constitution, as reinforced, explained, improved, and in its fundamental principles for ever settled. It is called “An act for declaring the rights and liberties of the subject, and for settling the succession of the crown.”

 You will observe, that these rights and this succession are declared in one body, and bound indissolubly together.2) 

  2) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.14.

 この権利の章典(ウィリアム・メアリー治世第一年第二議会第二法令)は、英国憲法の礎石であり、それを補強し、明徴し、改善して基本原理を永遠に確定したものです。

 それは「臣民の権利及び自由を宣言し、王位継承を定める法律」と呼ばれています。ここからもお判り戴けるように、これら臣民の権利と王位継承とは一体のものとして宣言され、双方が不可分に結びつけられているのです。

 A few years after this period, a second opportunity offered for asserting a right of election to the crown.

  On the prospect of a total failure of from King William, and from the Princess, afterwards Queen Anne, the consideration of the settlement of the crown, and of a further security for the liberties of the people, again came before the legislature.

 Did they this second time make any provision for legalizing the crown on the spurious Revolution principles of the Old Jewry?

  No. They followed the principles which prevailed in the Declaration of Right; indicating with more precision the persons who were to inherit in the Protestant line.

 This act also incorporated, by the same policy, our liberties, and a hereditary succession in the same act.

  Instead of a right to choose our own governments, they declared that the succession in that line (the Protestant line drawn from James the First) was absolutely necessary “for the peace, quiet, and security of the realm,” and that it was equally urgent on them “to maintain a certainty in the succession thereof, to which the subjects may safely have recourse for their protection.”

 Both these acts, in which are heard the unerring, unambiguous oracles of Revolution policy, instead of countenancing the delusive, gypsy predictions of a “right to choose our governors,” prove to a demonstration how totally adverse the wisdom of the nation was from turning a case of necessity into a rule of law.3)

  3) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.14-15.

 この時期の数年後、王位を選挙で決定する権利を主張できる第二の機会が訪れました。ウィリアム王及び後のアン女王である王妃に世嗣が御出来にならないとの見通しが付けられたので、王位継承と臣民の自由の保障とをどうするかの問題を、立法部は再び考慮せざるを得なくなったのです。

 果たしてこの二度目の折に彼ら立法部は、旧ユダヤ人通りの(革命協会の紳士諸君の唱える)いかさま革命原理に従って王位を(人民の選挙によって)法的に公認する条項など一つでも作成したでしょうか。

 いいえ、全くそのような事はしませんでした。彼ら立法部は権利の章典を貫く原理従いました。そして、プロテスタントの血統の中から、王位継承権を持つ者を一層正確に指定したのです。

 この法令もまた、(権利の章典と)全く同じ原理に則って、英国民の自由と(王位の)世襲継承を一つの法令の中で結合させるものでした。彼ら立法部は、英国の国体を英国民自身が選択する権利どころか、その血統(つまりジェームス一世より発するプロテスタントの血統)内での継承こそ「英王国の平和と静謐と安全のために」絶対不可欠である、と宣言したのです。

 また、「英国民が自らの保護を安心して依頼できるという、まさにそのために王位継承の確実性を維持する」ことが英国民にとって同じく肝要である、とも宣言したのです。これら二つの法令を通じて聞こえてくるのは、「英国民が英国王を選出する」などという、まやかしの詐欺師的な(革命教会の紳士諸君の)予言を支持する声ではなくて、誤解の余地のない明快な名誉革命政策の宣託です。

 この二つの法令こそは、必要から生じた特定の事例が(普遍的な)法の支配に取って代わることに、真っ向から反対したことにおいて、英国民の叡智が如何に優れていたかを証明しているのです。

 The two houses, in the act of King William, did not thank God that they had found a fair opportunity to assert a right to choose their own governors, much less to make an election the only lawful title to the crown.

 Their having been in a condition to avoid the very appearance of it, as much as possible, was by them considered as providential escape.

  They threw a politic, well-wrought veil over every circumstance tending to weaken the rights, which in the meliorated order of succession they meant to perpetuate; or which might furnish a precedent for any future departure from what they had then settled for ever.

 Accordingly, that they might not relax the nerves of their monarchy, and that they might preserve a close conformity to the practice of their ancestors, as it appeared in the declaratory statues of Queen Mary and Queen Elizabeth, in the next clause they vest, by recognition, in their majesties, all the legal prerogatives of the crown, declaring “that in them they are most fully, rightfully, and intirely invested, incorporated, united, and annexed.”

 In the clause which follows, for preventing questions, by reason of any pretended titles to the crown, they declare (observing also in this the traditionary language, along with the traditionary policy of the nation, and repeating as from a rubric the language of the proceeding acts of Elizabeth and James) that on the preserving “a certainty in the SUCCESSION thereof, the unity, peace, and tranquility of this nation doth, under God, wholly depend.”4)

  4) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.16-17.

 ウィリアム王の法令(権利の章典)において、貴族院と庶民院の両院は、彼ら自身の統治者を選択する権利を主張する良い機会を見つけたことを神に感謝したのではありませんでした。況や、選挙が王位に対する唯一の法的資格を与えるなどという主張は言うまでもありません。

 そうした外見すら最高度に回避できる状況にあったことについて彼らは、神慮によってなされたのだと考えたのです。

 彼らは、改善を加えた王位継承法の下で彼らの諸権利を永続させようとし、その諸権利を弱体化する可能性のある事柄――彼らがその時点において古来確立していたものから、将来逸脱して先例を提供するかもしれないと思われた事柄――すべてに対して賢明に細部まで不問に付したのでした。

 従って、次の一節において、彼らは英国の王制の信念を弛緩させないために、またメアリー女王とエリザベス女王が宣明した英国法に表現されている彼らの祖先の慣習への厳密な一致を維持するために、彼らは王位にまつわるすべての法的大権が両陛下に存することを承認して帰属せしめ、「それらは最も完全無欠かつ正当かつ全面的に両陛下に賦与され、体現され、統合され、所属するものである(=権利の章典の条項)」と宣言したのです。

 続く条項においては、王位継承権へのあらゆる僭称から生じる問題を防止するため、(この場合においても英国の伝統的な方法に加えて伝統的な言葉を遵守し、それに先立つエリザベス女王とジェームス王の法令に由来する法規集の用語を繰り返しながら)彼らはこう宣言しました。

 曰く、「神のみもと、英国の統一と平和と安寧は、王位継承の確実性」の維持に「すべてが懸っている(=権利の章典の条項)」

 They knew that a doubtful title of succession would but too much resemble an election; and that an election would be utterly destructive of the “unity, peace, and that tranquility of this nation,” which they thought to be considerations of some moment.

 To provide for these objects, and therefore to exclude for ever the Old Jewry doctrine of “a right to choose our own governors,” they follow with a clause, containing a most solemn pledge, taken from the preceding act of Queen Elizabeth, as solemn a pledge as ever was or can be given in favour of an hereditary succession, and as solemn a renunciations as could be made of the principles by this society imputed to them.

 “The lords spiritual and temporal, and commons, do, in the name of all the people aforesaid, most humbly and faithfully submit themselves, their heirs and posterities for ever; and do faithfully promise, that they will stand to, maintain, and defend their said majesties, and also the limitation of the crown, herein specified and contained, to the utmost of their powers,” &c. &c.

  So far is it from being true, that we acquired a right by the Revolution to elect our kings, that if we had possessed it before, the English nation did at that time most solemnly renounce and abdicate it, for themselves and for all their posterity for ever.5)

 5) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.17.

 王位継承の資格が疑わしければ、結局この上なく選挙紛いの事態になってしまうこと、そして選挙は彼らが少なからず、熟慮に値すると考える英国の「統一と平和と安寧」を文字通り破壊しかねないこと、こうしたことを彼らは承知していたのです。

 こうした目的に備えること、従って「我々自身の統治者を選出する」などといった旧ユダヤ人通りの(革命協会の)教義を未来永劫排除するために彼らは、かつてのエリザベス女王の法令から採用された極めて厳粛な誓約を含む一節を続けて置きました。

 それは、世襲の王位継承を擁護してこれまでなされた――また、将来にもなされ得る――最も厳粛な誓約であり、この革命協会によって彼らに帰させられた原理に対する及ぶ限り最も厳粛な否認でもありました。

 曰く、「聖俗の貴族および庶民は、上記全国民の名に於いて、我等自身並びに我等の相続人及び未来永劫子々孫々に至るまで最も謙虚かつ誠実に(世襲の王位継承に)従います。また、英国民は上記両陛下、及びここに明記され収められた王位の限定を、全力を挙げて護持する旨を誠実に約束します」云々。

 我々が名誉革命によって我々の国王を選挙する権利を獲得したなどというのは、全く真実からかけ離れています。仮に革命以前に我々そのような権利を所有していたとしても、英国民はその(権利の章典の制定)時点で、自らと自らの子々孫々すべてに対して未来永劫、極めて厳粛にそれを否認し放棄したのです。

 なお、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』については、最近愚劣な翻訳本が出版されているようであるが、今後随時、〔=ブログ作成者〕がバークの真意をできる限り正確に翻訳してブログで紹介していく予定である。

7月10日ブログ掲載用_image001.png

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7月10日ブログ掲載用_image005.png

【平成23710日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


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錬金術師

 

 すいません、誤字・脱字と書き直したい部分があったのでもう一度投稿します。


 エドマンド=バークがここで言わんとした事は「王位継承は祖宗の常憲に基づくものであり、時の生存者の恣意に基づくものではない」と言う事ですね。

 一番重要なのはこの行(くだり)だと思います。


 そもそも、民衆による選択を未来永劫排除する種類の継承を確保すべき制度を形成する、という憲法政策以外に、一体何の根拠があって立法部は、我々自らの国が提供する正当しかも豊富な選択を気難しげに拒否して、見知らぬ国にいる外国人の王妃―我が国将来の統治者の系統は、幾世紀にもわたって幾百万人を治めるべき資格を彼女の胎内から引き出すことになったのですが―を求めたりできたでしょうか。(①)


 この精神を我が国の皇室に当て嵌めると以下の様になるでしょう。


 そもそも時の生存者の恣意的な選択権が完全に排除されていたからこそ、播磨国で貧しい身分にいた皇子達(第23代顕宗天皇・第24代仁賢天皇)が即位できたのです。
 越前国または近江国に土着していた皇族(第26代継体天皇)が正統な君主と認められたのです。
 この様な事実から「国民(生存者)の同意」等という狂った精神をどう導けるのでしょうか。
 知名度などで皇位継承者を選ぶ制度が確立していたと言えるでしょうか。
 上代より以前に、「民衆による選択を未来永劫排除する種類の継承を確保すべき制度を形成する、という憲法政策」が存在していたとしか考えられません。


 あと、スペインの王位継承戦争であるカルリスタ戦争(1833~39、1846~49、1873~76)にも時期を見て触れたいと思います。

 恣意的な王位継承法改正(改悪)がどんな結果を齎したかを考える上で、これほど教訓に満ちた事例は他に無いからです。


 ① フランス革命の省察(みすず書房・バーク著・半澤孝麿訳)32頁

 
by 錬金術師 (2011-07-13 17:30) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN


 錬金術師 殿

 >エドマンド=バークがここで言わんとした事は「王位継承は祖宗の常憲に基づくものであり、時の生存者の恣意に基づくものではない」と言う事ですね。

 >>その通りだと思いますが、バークがこの短いパラグラフの中で言わんとした重要な内容は他にもたくさんあります。

 (1) 1689年の「権利の章典」は、英国憲法原理の基礎であること。

 (2) 「権利の章典」に掲げる自由と諸権利は、現在世代が、祖先から厳粛に世襲し、子孫へ思いやりをもって継承する「 世襲の原理 」によるものであるということ。

 (3) 「 権利の章典 」は、正式名称を「 臣民の権利及び自由を宣言し、王位継承を定める法律 」と言い、

 そして「 英国民の自由と諸権利 と 王位継承 」は一体のものとして護持されうるという原理 」

 つまり、英国憲法の支配の下(世襲の原理の下)に、「 国民が国王の血統の継承の確実を遵守・保守すれば、それは即ち、国王によって英国民の自由と諸権利の確実も護持される 」という「 立憲君主制 」の基本原理であること。

 (4) 英国民は古来、祖先から子孫への世襲継承によってこの立憲君主制を英国の国体として護持してきたのであり、

 英国の少数のフランス革命狂信者の呪文(→例えば、現在の日本国で言えば、皇室典範有識者会議の『報告書』など)である、

 「 英国民は我々自身の統治者を選出する権利を有する

 (→日本国民は、皇位継承の法を明文化した「 皇室典範 」を国民が自由に改変できる) 」

 などという思想は英国と英国民(→1920年代以前の日本国と日本国民)には全くなかったということ。

 などもバークの重要な主張です。

 このように、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』は、その一文一文に含蓄される「 保守主義の哲学 」が極めて濃厚であるので、「 保守主義のバイブル 」として読む者に感銘を与えるのだと思います。 
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-07-13 21:35) 

錬金術師

 

 お返事を有り難うございます。そして、私の未熟な知見を訂正してくださり、感謝の至りです。

 さて、以前お話すると約束していた「カルリスタ戦争」についての概要に言及し、そこから導き出せる教訓に就いて論述したいと思います。

 カルリスタ戦争(1833~39、1846~49、1873~76)は日本では余り知られていませんが、スペイン史を勉強するなら避けて通れないほどの重要な出来事です。

 ナポレオン戦争(1804~15)後に成立したウィーン体制(1815~1848)が動揺する中で、スペインの政治体制は如何にあるべきかを決める為の戦争であると同時に、王位継承戦争としての側面も持っていました。

 時のスペイン国王・フェルナンド7世(在位1808、1813~33)は男子の世継が確保出来ておらず、また妻のマリア=クリスティーナ王妃は自分が産んだ子供に王位を継承させる為に、男系男子継承を定めたサリカ法典を廃止しました。

 これに異を唱えたのが、当時の王太弟・カルロス=マリア=イシドロ王子(モンテマリナ伯爵)です。フェルナンド7世に推定相続人はいませんでしたが、カルロス王子は複数の男子に恵まれており、末弟のフランシスコ=デ=パウラ王子(カディス公爵)にも男子が産まれていました。

 詰まり、この時点でサリカ法典を廃止する必要は全くなかったのです。カルロス王子が兄夫婦の行為に反発したのも無理はありません。

 マリア=クリスティーナ王妃は女児しか産まなかった為、フェルナンド7世の死期が近づくにつれ、両者の対立は決定的なものとなります。長女のイサベル王女がイサベル2世(在位1833~68)が即位すると同時に、カルロス王子も「スペイン国王カルロス5世」と称して、彼の支持者が一斉に武装蜂起します。

 ここにカルリスタ戦争の火蓋が切って落とされたのです。なお、カルリスタとは「カルロス王子の支持者」の総称です。

 続きます。


by 錬金術師 (2011-07-17 16:07) 

錬金術師


 カルロス王子は最終的に敗北し、フランス・イタリアで亡命生活を送ることを余儀なくされました。しかし、カルリスタ戦争がここで終わったわけではありません。

 カルロス王子の引退後も、長男のカルロス=ルイス王子(モンテモリン伯爵)が「国王カルロス6世」と称して、スペインの王位を奪取することを試み(1846~49)、孫のカルロス=マリア王子(マドリード公爵)も「国王カルロス7世」を名乗って、戦争を起こしました(1873~76)。

 戦争を起こしていない時も、カルリスタの存在はスペイン王室の悩みの種であり、イサベル2世も和解案を出す為に色々な苦労をしたと言われています。


 さて、この先例からどの様な教訓が導き出せるでしょうか。私なりの考えを以下に詳述したいと思います。


 1、時間的効力の恐ろしさ

 フランス・ブルボン家出身のフェリペ5世(在位1700~24、1724~46)が即位する以前は、女子にも王位継承権は認められていました。彼の即位と同時にサリカ法典も輸入したのです。

 ですが、外国産の王位継承法とは言え、100年以上も利用され続けると、それが正統であると考える人が非常に多くなったと思われます。「昔への回帰」も、場合によっては問題になる事が良くわかります。


 2、王位継承者を拡大することは必ずしも正しいとは言えない。

 正統な継承者がいれば尚更です。恣意的な王位継承法改正が、スペイン王室のみならず、王党派(王室支持者)や国民まで大分裂させるほどの問題に発展した事を考えれば、日本でも同じ問題が起こり得る可能性は否定出来ません。


 3、君主の地位は公的なものであるが故に、私物化するべきではない。

 これが一番重要でしょう。カルリスタ戦争が起きた最大の原因は「王位の私物化」であると思われます。我が国の天皇陛下にとって国民は「大御宝」なのですから、彼等が皇位の継承を巡って対立する様な事態は避ける必要があります。

 天皇陛下や皇太子殿下は私に言われずとも充分に御分かりでしょうが、これすら分からぬ漫画家が大手を振るっているのですから困ったものです。


 以上、甚だ稚拙ではありますが、「カルリスタ戦争論」の解説を終えたいと思います。
 
by 錬金術師 (2011-07-17 16:39) 

BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN

 錬金術師 殿

 こんばんは。

 いつも英邁な智慧を御教示頂き、ありがとうございます。

 上記に御教示頂いたスペイン王制に関するカルリスタ戦争から学ぶ、貴殿のおっしゃる教訓

 3、君主の地位は公的なものであるが故に、私物化するべきではない。

 については、バークは『フランス革命の省察』において、英国の王位の世襲継承について、以下のように貴殿と同様の考えを述べています。

 すなわち、

 「従って、次の一節において、彼らは英国の王制の信念を弛緩させないために、またメアリー女王とエリザベス女王が宣明した英国法に表現されている彼らの祖先の慣習への厳密な一致を維持するために、彼らは王位にまつわるすべての法的大権が両陛下に存することを承認して帰属せしめ、

 「それらは最も完全無欠かつ正当かつ全面的に両陛下に賦与され、体現され、統合され、所属するものである(=権利の章典の条項)」と宣言したのです。」・・・(ブログ本文より)

 という一文に集約されています。

 日本国の男系男子皇統の皇位継承の法の扱いについても、天皇(皇室)、つまり皇族の深慮を絶対的に尊重すべきであり、我々日本国民が、好き勝手に改変を主張することなど、決して許されることではありません。

 このような皇室典範の恣意的な改変行為は、逆臣的国賊行為であり、日本国の永続を妨害する犯罪ですから、日本国民に対する罪でもあり、旧刑法の不敬罪等を復活させて、厳重に取り締まるべきであると考えます。

 皇室典範有識者会議の『報告書』を作成した、吉川弘之座長、園部逸夫らすべてのメンバーは、『報告書』、7~8頁において、

 「皇族からの意見を聞くことは憲法に反する」

 「皇族から意見が発信されても会議の議論に反映することはない」

 などと記述したことのみにおいて、不敬罪で「死刑」あるいは「無期懲役」に値する真正の逆臣であり、日本国民は総力を挙げて、徹底的に彼らの暴挙とその重罪を追求すべきであると思います。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-07-17 22:41) 

錬金術師


 お返事有り難うございます。


 >日本国の男系男子皇統の皇位継承の法の扱いについても、天皇(皇室)、つまり皇族の深慮を絶対的に尊重すべきであり、我々日本国民が、好き勝手に改変を主張することなど、決して許されることではありません。

 >このような皇室典範の恣意的な改変行為は、逆臣的国賊行為であり、日本国の永続を妨害する犯罪ですから、日本国民に対する罪でもあり、旧刑法の不敬罪等を復活させて、厳重に取り締まるべきであると考えます。


 この主張をより深く論じる為には、エドマンド=バークやアレクサンダー=ハミルトン等の哲学を繰り返し学ばねばならないと痛感したのは、やはり民族派の理論のレベルの低さが切っ掛けでした。

 御世辞にも頭が良いとは言えないので、時間は掛かると思いますが、可能な限り頑張ろうと思います。

 
by 錬金術師 (2011-07-19 17:56) 

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