保守主義Series-9(1)--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;E・コーク卿の古来の法の再確認(1) [政治]
読者の皆様には、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
さて、今回Series 9は、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』の中から、“E・コーク卿の古来の法の再確認(1)”について、バークの主張を拾い上げた。
傲慢かつ無能に加え、日本国民を騙して政府官邸に居座り続けてきた、菅直人首相が日本国民の約70%からの不支持・嫌悪感に屈してようやくにして8月中の退陣(?)の意向を示した。
しかしながら、革命市民たる菅直人や鳩山由紀夫ら民主党幹部その他が日本人拉致問題の容疑者(つまり北朝鮮)と親密な関係にある「市民の党」(酒井剛代表)から派生した「政権交代を目指す会」に巨額の献金を行なっていた事実などは、問題の本質が管直人首相自身にあるのではなく、「民主党」の、「無色の共産党」と思えるほどの社会主義思想それ自体にあることは、もはや疑う余地はない。
彼ら社会主義政党は、
「理想の(地球)市民」や「市民革命なるユートピア」あるいは
共産主義国家「北朝鮮」による日本人拉致被害者および家族会の方々の「人権」等を高らかに、さも社会的正義のごとく叫ぶが、
自らの行動は、その主張とは真逆で、「祖国日本の廃滅」、「日本国民への憎悪」、
「虚構の人権論による死刑制度廃止論の絶叫」、
「マルクス主義から発する、幸せな家族への憎悪と破壊衝動からくる夫婦(親子)別姓の推進」、
「マルクスの階級闘争思想の性差への適用であり、男性らしさ、女性らしさを憎悪し性差を相対化する悪魔のジェンダー・フリーの思想教育化」、
「周辺国の大量核兵器保有・原発大推進を一切無視し、閉口し確固たる代替エネルギー案も示せない、矛盾に満ちた反核・反原発運動」、
「『共産党宣言』、『共産主義の諸原理』等に堂々と掲げられた、私的所有廃止を目的(資本主義打倒目的)とした、強度の累進課税、重い相続税、強制公債発行(=国債の無限発行)などによる当面の私的所有の制限政策、さらには家族の廃止、共産主義思想教育のための社会施設での子育て、・・・などの政策の遂行」、
・・・等々(枚挙に遑がない!)などを平然と政策として掲げながら、それらの政策が必然的に導くであろう「悲惨な結果・結末」については何の責任感も罪悪感も持っていない。
これが、社会主義者・共産主義者の思想および人間性の本質であり、すなわち、そのような思想の宗教的狂信者の集団たる政党の本質である。
このことは、歴史上の社会主義国家・共産主義国家で起こった事実を振り返れば明白であるし、日本国での民主党政権発足以来の政策遂行の態度と内容を振り返れば明々白々である。
このような悪徳思想を、日本国から徹底的かつ早急に排除し、棄却し、消滅に追い込まなければ、その思想の跋扈が限界に達したとき、日本国の法と自由と悠久の繁栄の灯は吹き消されてしまうであろう。
我々日本国民の祖国たる日本国は、ルソーやマルクスやエンゲルスやウェッブ夫妻のフェビアン協会の空想的理論で建国された国家ではない。
ゆえに、社会主義・共産主義思想の唯一無比の解毒薬である保守主義の父・エドマンド・バークの『フランス革命の省察』における最強の保守哲学を日本国民に拡散し、徹底周知しておくことが徐々に民主党、社民党、共産党その他の社会主義政党などに破壊的打撃を与えていくであろうことを私〔=ブログ作成者〕は確信して、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』を真正保守(自由)主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中に復活させる所存である。
読者の皆さまにおかれましては、我々の祖国日本を社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制+議会制デモクラシー”の真正の日本国の姿へと救出・奪還・回復するため、“バーク保守哲学”、“真正保守(自由)主義哲学”の日本国全土への大拡散にご協力願いたい次第である。
なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部について、前後の段落等のバークの論旨に忠実に従って、私〔=ブログ作成者〕が補足・更訂して理解しやすく改善したものである。
邦訳文中の( )内は私〔=ブログ作成者〕が補足説明した。
―――――
Our oldest reformation is that of Magna Charta.
You will see that Sir Edward Coke, that great oracle of our law, and indeed all the great men who follow him, to Blackstone,*2 are industrious to prove the pedigree of our liberties.
They endeavour to prove, that the ancient charter, the Magna Charta of King John, was connected with another positive charter from Henry I. and that both the one and the other were nothing more than a re-affirmance of the still more ancient standing law of the kingdom .
In the matter of fact, for the greater part, these authors appear to be in the right; perhaps not always; but if the lawyers mistake in some particulars, it proves my position still the more strongly; because it demonstrates the powerful prepossession towards antiquity, with which the minds of all our lawyers and legislators, and of all the people whom they wish to influence, have been always filled; and the stationary policy of thus kingdom in considering their most sacred rights and franchises as an inheritance. 17)
17) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.29-30.(『フランス革命の省察』、みすず書房、41~42頁に対応)
*2) See Blackstone’s Magna Charta, printed at Oxford, 1795.
―――
英国最古の改革は、マグナ・カルタ(=大憲章、1215年)と言われる改革です。
かの偉大な英国法の告知者エドワード・コーク卿、及びブラックストーンに至るまで、コーク卿(の法思想)に従う、実にすべての偉大な人々が、熱心に英国民の自由の系譜の証明に勤めているということは貴方にもお判りいただけることでしょう。
彼らは、――ジョン国王のマグナ・カルタと言われる古来の憲章は、もう一つの、ヘンリー一世以来、実際に存在した憲章と繋がっており、しかもその両憲章のいずれもが、それより更に古い、英王国に不変の法の再確認にすぎないものだ――という真実を示そうと努力しているのです。
そしてこれら(自由の系譜の)著述家たちは、必ずしも常にとは言えないまでも、大部分において正しいと思われます。
しかし、たとえこの法曹家たちがいくつかの細かな点において誤っているとしても、その誤りこそが、私の立場をなお一層強く(正しいと)証明してくれるのです。
というのもそれは、――すべての法曹家や立法者(=立法府議員)や、彼らが感化を及ぼそうと欲したすべての英国民の精神を常に満たしてきた昔日(=古き、不変な法)に対する強い愛着――や、――彼らの極めて神聖な権利や特権を(祖先からの)相続財産であるとみなす、この英王国の不変の方針――を証明しているからです。
*2) ブラックストーンの『マグナ・カルタ』、オックスフォード版、1759年を参照せよ。
Key words and phrases;
Magna Charta
You will see that Sir Edward Coke, that great oracle of our law, and indeed all the great men who follow him, to Blackstone,*2 are industrious to prove the pedigree of our liberties.
was connected with another positive charter
a re-affirmance of the still more ancient standing law of the kingdom
the powerful prepossession towards antiquity
policy of thus kingdom in considering their most sacred rights and franchises as an inheritance.
―――――
→私〔=ブログ作成者〕の解説:
最後の文章における、
「というのもそれは、――すべての法曹家や立法者(=立法府議員)や、彼らが感化を及ぼそうと欲したすべての英国民の精神を常に満たしてきた昔日(=古き、不変な法)に対する強い愛着――や、――彼らの極めて神聖な権利や特権を(祖先からの)相続財産であるとみなす、この英王国の不変の方針――を証明しているからです。」
の意味について若干説明を加えておく。
→コークらの法思想が大部分においては“正しい”が、ある特定の点については“間違っている”場合もあるとは、“法”とは“古来の法”の中から“再確認/再発見”するものであるとするコーク卿らの保守思想とその実作業の継承過程において、当然、特定の点で間違える場合もあり得るのだ、ということを意味する。
そして、エドマンド・バークは、そういった「部分的には誤りもある」という事実こそが
――英王国および英国民の“古来の法”が、フランスにおけるデカルトの「合理主義」、ルソー/革命フランスのジャコバン党などの「理神論」、ヴォルテールの「無神論」、エルヴェシウスの「唯物論」などの唱える「人間の完全理性による立法(=命令法)」とは全くの異質のものであるということの――
証明であるとし、“英国法”の下にある“英国民の権利や特権”を祖先からの“相続財産”とみなす英王国の“不変の方針”に強く支持を表明しているのである。
―――――
→(『フランス革命の省察』の前記との関連部分の一部抜粋)
Four hundred years gone over us; but I believe we are not materially changed since that the period.
Thanks to our sullen resistance to innovation, thanks to the cold sluggishness of our national character, we still bear the stamp of our forefathers.
We have not(as I conceive) lost the generosity and dignity of thinking of the fourteenth century; nor as yet have we subtilized ourselves into savages.
We are not the converts of Rousseau; we are not the disciples of Voltaire; Helvetius has made no progress amongst us.
Atheists are not our preachers; and madmen are not our lawgivers.
We know that we have made no discoveries; and we think that no discoveries are to be made, in morality; nor many in the great principles of government, nor in the ideas of liberty, which were understood long before we were born, altogether as well as they will be after the grave has heaped its mould upon our presumption, and the silent tomb shall have imposed its law on our pert loquacity.18)
18) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.84-85.(『フランス革命の省察』、みすず書房、109頁に対応)
―――――
その後400年の歳月が流れました。しかし、以来英国民は実質的に変わっていないと私は信じます。
革命に対する英国民の頑固な抵抗のおかげで、また、英国民の国民性の冷静な鈍重さのおかげで、英国民は依然として祖先の特徴を持っているのです。
英国民は、〔私の考えでは〕14世紀の思想の持っていた高貴と尊厳を失ってはいません。
そして今までのところ、英国民は(フランス革命の教義に倣って)自ら(の精神)を洗練して、野蛮人化していません。我々英国民は(理神論の)ルソーへの改宗者ではありません。
英国民は(無神論の)ヴォルテールの門弟でもありません。
エルヴェシウス(の唯物論)は英国民の間では少しも浸透しませんでした。
無神論者は(プロテスタントである)英国民の説教師ではありませんし、狂人が英国の立法者なのでもありません。
我々(現在の)英国民は、――道徳性についても、統治の偉大な原理の多くについても、自由の観念についても――自分たち自身が(それらの原理や観念については)何も発見していないし、新発見などありえないと考えています。
つまり、そうした原理や観念は、(現在の)英国民が生まれる遥か以前に理解されていましたし、(現在の)英国民の(革命協会の紳士諸君のごとき)高慢さの上に墓土が盛られ、墓石が(革命協会の紳士諸君のごとき)生意気な冗舌に沈黙の掟を課した後も、それらは何時に変わらず同じで在り続けるだろうと考えているのです。
Key words and phrases;
the generosity and dignity
nor as yet have we subtilized ourselves into savages.
Rousseau
Voltaire
Helvetius
Atheists
morality
principles of government
ideas of liberty
保守主義Series-9(2)--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;E・コーク卿の古来の法の再確認(2)へ続く
【平成23年8月14日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
いつもありがとうございます。
>その後400年の歳月が流れました。しかし、以来英国民は実質的に変わってと私は信じます。
「変わっていないと」の誤りです
by うまやど (2011-08-14 09:30)
うまやど殿
貴重なご指摘ありがとうございました。
重要な部分であり、誤植のため、バークの主旨が逆転するところでした。
訂正いたしましたので、ご報告させていただきます。
今後とも、よろしくお願いいたします。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-08-14 09:52)