新しい資本主義やステイクホールダー資本主義は、古いマルクス主義の亡霊であり、資本主義にあらず。 [政治]

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 新しい資本主義やステイクホルダー資本主義は、古いマルクス主義の亡霊であり、資本主義に非ず。それは、統制主義/計画主義、すなわち、社会主義/共産主義のカムフラージュにすぎない。

 ハイエク曰く、

「中央集権化による計画が望ましいというだけで満足している計画主義者は極めて少ない、という事実は様々なことを明らかにしてくれる。計画主義者の多くは、もはや我われに選択の余地はなく、環境的諸条件そのものが我われの力を超えて、競争に代えて計画を推進しなければならないようにさせているのだ、と断言している。ここには実は一つの神話が捏造されているのだ。我われは新しい道へと出発しているのだが、それは自由意志によるものではなく、テクノロジーの変化によって自動的に競争が排除されるようになったためであり、この変化は逆転させることもできないし、留めようとすべきでもないのだ、と言うのである。だが、こういった主張が些かでもきちんとした議論として展開されたことは、まずない。それは単に、一人の論者からもう一人の論者へとバトンタッチされてきただけの断言であって、繰り返し主張されてきたために、あたかも確固とした事実であるかのように受け止められているだけのものである。けれどもこの主張には、どんな理論的な基礎も存在しない独占と計画化への志向は、人間のコントロールを超えた《客観的事実》によってもたらされた結果では決してなく、この半世紀にわたり、各国の政策のすべてを支配するようになるまで、人々に吹き込まれ宣伝されてきた見解こそが生み出した結果なのである《計画の不可避性》を論証しようとしてこれまでなされてきた様々な議論の中で、最もしばしば聞かされてきたものは、テクノロジーの変化が、一つの分野からさらに多くの分野へと競争を成り立たせなくしてきたのであり、残された唯一の選択は、民間独占体による生産管理を採るか政府による統制を採るかでしかない、という意見である。この信念はマルクス主義者の主張する《産業集中》という教義から主に導き出されたものである。そして、他の多くのマルクス主義理念と同様、この意見は、多くのグループに受け継がれながらも、それらの人々は、孫引きのさらに孫引きで受け取っているために、その本当の出所を知りもしないのである。」

---ハイエク『隷属への道』、春秋社、52頁。 

 上記の一節は、ノーベル経済学賞受賞の経済学者であり、自由主義の政治哲学者であった、F・A・ハイエクの著書『隷属への道』(初版1943年)の第四章「計画の《不可避性》」からの抜粋である。詳細な内容については、読者各自で同著を熟読して頂きたい。

同著第四章でハイエクが述べていることは、

「テクノロジーの発展が不可避的に独占を生み、競争の廃止をもたらすから、体系的な政府の計画的政策が不可避となる。」

などという論理は間違えで、実はその逆、

「政府が、計画的政策、科学的計画化、産業の意図的組織化などを体系的に進めた国家において、巨大な独占体の形成をもたらす(もたらした)のである」

ということ。

また、ハイエクは、産業の発展において、

「不可避性というようなものはほとんど見られない」

とも言う。

例えば、米国の「臨時国家経済委員会」の報告書を引用して、こう述べている。

ハイエク曰く、

「(米国、臨時国家経済委員会報告書:)

大規模生産の利点(テクノロジーの発展)が、不可避的に競争の廃止をもたらすという結論は、受け入れられない。むしろ遥かに注意すべき事は、独占はしばしば、大規模生産の効率性とは異なる、別の要素によってもたらされるということである。すなわち、独占は、企業間の共謀によってつくりだされ、政府の公共政策によって促進されているそういう共謀の協定が無効とされ、政策が撤回されるなら、競争が働く諸条件を回復することが可能である。

・・・野心に燃えた諸独占体がが、自分たちのコントロールを有効なものとするため、どれほど懸命に政府権力の援助を求め、しかもしばしば実際にこれを獲得するかを、実際に観察してきた者ならば、誰しもこのような独占・寡占への展開が、(テクノロジーの発展による)不可避的なものなどでは決してないと思うだろう。」

---ハイエク『隷属への道』、春秋社、54頁。丸カッコ内:私の補足。

 さて、ハイエクの論理を私なりに整理すると次のようになる。

(1) 先ず、テクノロジーの発展が、不可避的に、自由市場(市場原理)での競争を不可能にする(=競争を廃止に導く)」と論理的根拠なしに結論する=決めつける)。

(2) 次に、競争の廃止(不可能性)が起これば、自由経済は立ち行かなくなるから、これを避けるため、「政府権力による市場への強い介入(=経済の統制化・計画化)が必要(不可避)である」と主張する。つまり、危機を煽って、「原因は、現在の、野放し状態の、資本主義システムにある!」と人々を脅すのである。

(3) こうして、「政府による強権的介入政策」が、テクノロジーの最新の発展(今ならIT、AIなど。)」によって「不可避的に」もたらされた、(諸問題を解決する、)「新しい資本主義」の形態であるかのように見せかける

例えば、世界経済フォーラム(WEF)の設立者であるクラウス・シュワブ氏の言う「ステイクホールダー資本主義」や「第四次産業革命」などは、まさにこれに該当するのではないか。しかし、ハイエクが述べている通り、それらは、実際には、何ら新しいものではなく、「古いマルクス主義の教義」の「孫引きのさらに孫引きの・・・=(孫引きの累乗)」にすぎない。

ちなみに、用語「ステイクホールダー」とは、「株主」ではなく「利害共有者」に利益を配分するという意味だから、「ステイクホールダー資本主義」とは、結局のところ、「統制経済or計画経済」=「社会主義or共産主義」に収斂(帰着)せざるえない。なぜなら、政府権力が強く介入しない限り、このような仕方での「所得の(再)分配」は不可能だからである。ゆえに、このような経済システムを「公益・資本主義」とか「新しい資本主義」などと表現する(訳す)のは、システムの「本質(=社会主義/共産主義)」を真逆に転倒しており(=隠しており)、極めて不適切(=騙し言葉)である。

  (4) ハイエクの言うように、独占(=競争の停止状態)が、テクノロジーの発展の必然的結果(=不可避性)から起こるのではなく企業間の共謀によって作り出され、政府権力の介入(=市場の統制主義、経済の計画主義、特定企業や特定利益団体への利権幇助などの公共政策)によって促進されるのが正しい経済理論だとすれば、

政府権力による統制や計画を強化すればするほど、益々「独占(=競争の廃止)」を促進して、競争や自由経済(自由市場)が死滅するのを早める(加速する)ことにしかならない。

すなわち、「計画の不可避性」という迷信(=マルクス主義の化石教義)を論拠(基礎)とする「ステイクホールダー資本主義」や「新しい資本主義」とは、「資本主義」という迷彩服を着た、真の資本主義(自由主義)に対する破壊工作でしかない(注:マルクス主義の教義が基礎であるから、社会主義というより、「共産主義・コミュニズム」と呼ぶのがより適切・正確であろう)。なお、「グローバリズム」とはこうした政策を(国連等を中心として)世界規模で推し進める主義であるから、「グローバル・コミュニズム(共産主義)」と正確に表記すべきである

さらに言えば、気候変動・地球温暖化に関するグローバリズムは、上記の「資本主義の廃止と計画の不可避性(&社会主義世界政府の必要性」)」の原因を《環境》に置いたものであり、グローバル・コミュニズムの一形態にすぎない。正しくは「グリーン・コミュニズム」と呼ぶべきものである。

【参考資料】

気候変動・地球温暖化の「アジェンダ」は、明らかに資本主義に対する憎悪や文明人(文明の歴史)に対する憎悪が基底にあるコミュニズムである。疑う余地などない。例えば、以下を参照のこと。

ガーディアン:「気候変動を終わらせるには資本主義の終わりが必要」

気候賠償

環境保護主義:それが常に世界政府を実現するためだけのものであったことを示す証拠

さて最後に、世界のコロナワクチン接種政策について、少しだけ触れておこう。

 コロナワクチンの世界各国への供給方法が、市場システムを通さずに、各国政府へ分配する(異様な)システムになっていることは周知の事実であろう。

このワクチン供給システムを構築し、そのシステムを各国政府に強制した(受け入れさせた)者or組織が、ワクチン強制接種施策を計画した首謀者(組織)であろうが、ここではその問題は脇へ置いておく。

ここで触れておきたいのは、そのワクチン供給システムが、(世界中に平等にワクチンが分配されなければならないという名目・大義名分の下に施行されたのは事実だが)実際的に、世界各国のコロナ対策に役立つような形で機能したようには見えない(思えない)ということである。

例えば、WHOは「アフリカはCOVID-19の流行のパンデミック段階から移行し、長期的にウイルスを管理する状況に向かっている」(2022年2月10日:ロイター)?と発表したが、アフリカのワクチン完全接種率は平均でせいぜい20%未満である(下表参照)。

【WHO発表:ソース】

https://www.reuters.com/business/healthcare-pharmaceuticals/africa-transitioning-out-pandemic-phase-covid-says-who-2022-02-10/

つまり、アフリカでは、ワクチンを「ほとんど不要」としたのに、パンデミックを脱出しようとしているのであるから、アフリカ諸国に、ワクチンが供給されなかった(供給不足であった)のか、又は、供給されたが人々が接種を拒否したのかにかかわらずこの供給方法は、コロナ対策として意味をなさず、失敗したのである

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逆に、先進諸国はどうかと言えば、ワクチンは過剰なほど供給されている(=購入させられている)はずなのに、未だに混乱状況である(下図参照)。

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 先進諸国でもこの供給システムは、コロナ対策として全く機能しないどころか、ワクチン接種率が低く、かつ、人口が多い他の諸国よりも明らかに悪い状態にあり、ワクチン供給システムは、意味をなさず、「大失敗」している

要するに、ワクチンの「真の必要性(需要量)と供給量」が、政府権力による強制的な分配システムによって歪められ、市場メカニズムの調整機能を完全に無視した結果がこれである人間の意志や知性を過信しすぎる経済・社会の統制府議・計画主義がいかに無意味なことを行うか(機能しないか)がよくわかるであろう

 さらに、問題はこれだけではない。統制主義者や計画主義者(つまり、社会主義者、マルクス主義者、共産主義者などの反自由主義者)は、必ず、経済・社会つまり国民(諸個人)のすべての活動を自らの計画に従わせようとするなぜなら、そうしなければ、決して計画通りに事が運ばないからである(自明のこと)。そして彼らは、自らの政治信念(計画)に対して教条的であるから、決して計画変更に妥協しない究極的には、計画に抵抗・反抗する者は、不要な人間・悪者として、投獄又は殺戮(虐殺)する。ヒットラー(国家社会主義)、レーニン/スターリン/毛沢東(共産主義)らの為した悪行は、歴史事実から明白であろう

 科学哲学者カール・ポパーは著書『推測と反駁』の中で次のように述べている。

カール・ポパー曰く、

「政治的行為の究極目的を科学的に、あるいは純粋に合理的な方法によって決定することはできないので、理想の状態とはどのようなものであるべきかに関する意見のさまざまな相違は、議論の方法によっては必ずしも常に取り除けない。理想状態についてのこのような意見の相違は、少なくとも部分的には宗教的意見の相違の性格を持つであろう。そして、これらの相異なったユートピア的諸宗教の間には、いかなる寛容もありえないのだ。」

---カール・ポパー『推測と反駁』、法政大学出版局、662頁)

曰く、

ユートピア主義者は、・・・競合するすべての異端的見解の排除と駆逐とを極めて徹底的に行わざるを得ない。なぜなら、ユートピア的目標への道は長く、したがって彼の政治的行為が合理的であるためには、これから先長期間にわたって目的を不変に保つ必要があり、これを成し遂げうるのは、競合しているユートピア的諸宗教を粉砕するにとどまらず、そのような諸宗教の一切の記憶をできるかぎり駆逐してしまう場合だけだからである。

---カール・ポパー『推測と反駁』、法政大学出版局、663頁)

 曰く、

(ユートピア計画の)目的変更を回避する唯一の道は、暴力---宣伝、批判の抑圧、一切の反対派の絶滅を含む---を用いることだと思われる。これとともに、ユートピアの計画者たちや、そのユートピア的青写真を設計し実施するユートピア技師たちは英知や先見の明をそなえているのだ、という断言が始まる。このようにして、ユートピア技師たちは全能にして全知になっていかざるをえない彼らは神々となる。汝ら、私以外の他のいかなる神も崇めるべからず。ユートピア的合理主義は自分の目的を挫折させる自滅的な合理主義である。ユートピア的合理主義は、その目的がどれほど慈善的なものであっても、幸福をもたらさないで、圧制的政府のもとで生きることを余儀なくされる周知の悲惨な状態をもたらすのである。

---カール・ポパー『推測と反駁』、法政大学出版局、664頁)

【付 録】
 世界経済フォーラム(WEF)出身の政治家は専制主義者が多いのはなぜ?
 もはや、理由を述べるまでもあるまい。



(さらに、おまけ画像。)
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 フランスカナダニュージーランドの国民は、ただ、危険なコロナワクチンの「ワクチン接種義務化」や「ワクチンパスポートの廃止」等を要求しているだけではないか?その「自国民」の「平和的デモ」に対して、装甲車催涙ガス緊急事態法警察の暴力で対応するなど、「暴政・専制主義」としか言えまい。

なぜ、彼らは(他国でやっているように)そんなごく簡単な政策の見直しができないのか?「頑固」なのか?

 本ブログの読者は、もう、その理由がよくわかるであろう。


 →「打てば打つほどコロナ感染者が増え」、「重症者や死者がワクチン完全接種者からも多数出ている」、かつ「ワクチン接種後の副反応や副作用が酷く、死者も多数出ている」ような(キワモノ・害悪・欠陥ワクチンの接種を拒否する人々(→明らかに、個人が自らの生命を守るための、当然の権利行使であろう。)に対して、どうして「ワクチン未接種者は我われの社会の一部ではない。」などという《究極の差別発言》ができるのだろうか?「人種差別主義者」や「女性差別主義者」でも、ここまで「酷い」、「露骨な」、「重大な人権侵害」の発言は、軽々にはしない(聞かない)と思うが・・・。完全に狂ってる(=狂人)ね、このクズ政治家も。ところで、「国連人権委員会」はなぜ黙ってる?私には、不思議でならない。国連はまじめに仕事しないなら、解散せよ!不要!
 ※ このマリオ・ドラギというイタリアの首相って、銀行屋上がりらしいね。表舞台に役者がそろい出したね。
 
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