保守主義の哲学---(第二回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ第2回目である。
題目(2) 皇統とは、神武天皇を皇祖とする万世一系、男系男子の血統であり、歴史上存在せぬ「女系」など含まれるわけがない。
さて、冒頭に「シリーズ第一回」で私〔=ブログ作成者〕が解説した、不文の“皇位継承の法”を掲げておく。
“法-1”・・・「男系男子の皇統」の学術的な定義
ある天皇Jを起点にして、「自分(=天皇J)の父の、父の、父の、・・・」と父系を遡って行けば、男系男子の皇統に辿りつくこと、つまり皇祖「神武天皇(皇祖である男子天皇)」にまで到達する場合、天皇Jは男系男子の皇統を継承(世襲)する者であるいう学術用語であって、それ以上の意味もそれ以下の意味も一切ない。
つまり皇統とは、「皇祖神武天皇の男系の血統に属する」という“法”を意味するのであるから、本来、「皇統」とは「男系男子の皇統」しかありえない。
であるから、8名10代の男系女子天皇は「男系の皇統にある」のは当然であるが、むしろ「男系男子の皇統に属している」と表現する方がさらに正確ではないかと、私〔=ブログ作成者〕は考えるのだが、これについては、後述する。
例えば、女系について小林よしのり氏が『新天皇論』223、217頁などにおける以下の言説は虚偽・出鱈目である。
『「女系容認」という言葉は、国民が容認するという、上から目線の不敬な言葉である。公が認める「女系公認」が正しい!』
私〔=ブログ作成者〕にとって、このような歴史事実の歪曲は、皇祖皇宗に対して不敬極まる暴論にしか思えない。
なぜなら、日本国の歴史上、「女系の天皇」は一人も存在されないからである。
ところが、“男系の皇統”のみという歴史事実を歪曲してすり替えて生み出した「女系天皇」という「明白な虚偽である非歴史事実」を堂々と掲げ、挙句の果てに「女系」という虚偽を「国民が容認するのが上から目線で不敬であって、公(→天皇・皇室のことか、天皇を敬愛する国民全体のことか明瞭でない)が公認するのが正しい」などと言う。
「女系」という前提が「虚偽」であるのに、その「虚偽」に対して「Aと考えるのが正しく、Bと考えるは正しくない」という出鱈目な論理は、偉大な歴史学者であるブルクハルトの言葉を引用すれば「半身半馬のケンタウルス」であり、ルソーやヘーゲルの「自由なしの自由」とかレーニンの「戦争とは平和である」とかマルクス/エンゲルスの「これまですべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」よりもさらに劣等な転倒論理のデマゴギーにすぎない。
これを「国民騙し」「皇祖皇宗、今上天皇陛下(皇室)に対する不敬の極み」と言わずして、何であろうか。
小林よしのり氏には“皇祖皇宗”、“今上天皇陛下(皇室)”に対する畏敬も敬愛も全くないのだろう。
真に“皇祖皇宗”、“今上天皇陛下(皇室)”を畏敬し、敬愛する日本国民ならば、皇統の歴史を平然と歪曲し、捏造することなど畏れ多くて、決してできない。
ところが、小林よしのり氏は、漫画『天皇論』、『新天皇論』において天皇の“無私”=“公”の精神を重視するべきだと述べながら、史実である男系の天皇を女系の天皇であるかのごとくすり替える。
そしてそのすり替えの手段として、男系の天皇の“個人的な私意”や“政治的恣意”などの「私」の側面を論理の根拠に据えているのである。
小林よしのり氏の漫画『新天皇論』とはこのような論理矛盾する出鱈目の宝庫である。
“法-2”・・・天皇の皇統は、「男系男子の皇統」で一貫しているのが唯一の歴史事実(=皇統史)である。
小林よしのり氏の漫画『新天皇論』において主張される、
「持統天皇が天皇に即位された時の『政治的な目的や感情』を持ち出して男系が尊重されなかったから男系でない」とか、
元正天皇が譲位の宣命で聖武天皇を「ワガコ」と呼び、聖武天皇が即位の宣命で元正天皇を「ミオヤ」と呼んだから、それが「擬制を含む直系である」とか、
「古代の皇位継承では、実際の血縁が、男系であっても、女系継承とみなした実例まであった」とか
の小学生レベルの馬鹿げた歴史歪曲の愚論は、歴史事実の連続の中に発見される、不文の“皇位継承の法”によって「虚偽」として確実に排除される。
「男系」の定義の「すり替え」である。
“法-3”
① 歴史上の女子天皇は下記の表の8名10代のみであるが、すべて男系男子の皇統に属する(=歴史事実であり不動)。
② その他の歴代の男子天皇はすべて男系男子の皇統である(=歴史事実であり不動)。
③ ゆえに、女系の天皇はゼロであり、女系の皇子もゼロ、女系の皇女もゼロであったという歴史事実も不動である。
これらの“皇位継承の法”を歴史事実として、“皇位継承の法”をさらに詳しく考察してみよう。
ここからが今回のブログの本題である。
小林よしのり氏は、漫画『新天皇論』242~244頁で次のように嘯く。
『わが国で初めて皇位継承のルールが明文化されたのは、明治22(1889)年制定の旧皇室典範でその第一条に「皇統ニシテ男系ノ男子」と規定され、現在の皇室典範にもそのまま受け継がれた。これは明治になって初めて登場した「縛り」である。
・・・もし本当に日本人が「男系男子の皇統」を2600年もの間、不断の努力で保ってきたのなら、明治初年にそんな議論(=「女系天皇を認めるか否か」という議論)など起こるはずがない。
・・・要するに男系固執主義者は、制定されて121年にすぎない(新旧の)皇室典範の「男系男子」の規定を2600年の間、日本人が墨守してきたかのように言い募っているのだ。徹底的に無知なのである。
・・・8人10代の女帝は、男系女子であり、皇統はすべて男系だという主張は、実はこの皇統をめぐる議論が起きてから出てきたのであって、それまでは8人の女帝が男系か女系かなど、重要視されていない。
それどころか「女系継承」と考えられていたケースすら、2例も存在していた。
1例目は、第37代斉明天皇〈女帝〉から第38代天智天皇への継承である。天智天皇は、斉明天皇の実子。すなわち、母から息子へ皇位が移ったのだから、素直にこれは、「女系継承」と意識されていた。
しかし、斉明天皇は第34代舒明天皇の未亡人であり、天智天皇を産んだのは天皇に即位する前だったということで、あくまでも天智天皇は、男帝・舒明天皇の子として、男系に位置付けられるという、少々ややこしい解釈・こじつけ・言い訳がなされ、今ではこれを「男系男子だった」ことにされている。
・・・2例目は、第43代元明天皇〈女帝〉から第44代元正天皇〈女帝〉への継承である。
元正天皇は元明天皇の実子で、これは母から娘への譲位である。しかも元正天皇の父は天皇ではなく草壁皇子だ。祖父は天武天皇だが。』
→私〔=ブログ作成者〕の解説:
男系男子の皇統は明治皇室典範の制定以前から歴史事実を貫通する不文の“皇位継承の法”として存在したのであって、明治皇室典範の条文規定はその不文の法を皇祖皇宗から世襲して、皇孫へ継承する形で明文化したものである。
8名10代の男系女子天皇は、皇統としては皇祖神武天皇を起源とする男系男子の皇統(皇孫)に属するのであって、小林よしのり氏は、これらの天皇が“男系女子天皇(=男系男子の皇統)”であり、歴史上に存在しない「女系の皇統」などとは全く無関係であるにもかかわらず、あたかも「女子天皇=女系天皇」であるかのごとくすり替えて論理展開している。
つまり、読者の皆さん及び日本国民が決して間違えてはならない重要なことは、男系男子の皇統とは、男系男子天皇しか歴史上に存在しないということを意味するのではなく、歴史上に存在されたすべての天皇が男系の正しき定義において、皇祖神武天皇の男系の皇統(皇孫)に属しているという歴史事実そのこと自体なのだ、ということである。
それでは、ここで8名10代の男系女子天皇に関する歴史事実について考察してみよう。
つまり、
(イ)なぜ、8名10代だけ男系女子天皇が存在されたのか?
また、これらの男系女子天皇に関する、何らかの不文の“皇位継承の法”が見出せるのだろうか?
(ロ)なぜ、歴史上女系の天皇は一人も存在しなかったのだろうか?
という誰でも思い付く疑問の考察である。
まず、8名10代の男系女子天皇の存在に関する最も明確な“皇位継承の法”は、
① 「女系の天皇は歴史上一人も存在しなかった(ゼロであった)」という“法”であり、これは歴史を貫通する明確な“皇位継承の法”である。
例えば、数学史上、「ゼロ(0)=無し」という概念の発見が、「極めて偉大な発見」であったことをご存じの方は多いであろう。
つまりここには「女系の天皇の即位は厳禁であり、決して犯してはならない」という不文の“皇位継承法(禁止則)”が存在したということである。
もし仮に、この“不文の禁止則”が無く、皇位継承が天皇の意思・恣意によって自由に決定できたというのが歴史事実ならば、二千年以上に及ぶ皇統に女系天皇が1例も存在しないという奇跡は、100%起こり得なかったことは、疑問の余地がないだろう。
史実は“不文の禁止則”が墨守されたからこそ、奇跡の万世一系、男系男子の皇統が護持されたのである。
ここに、二千年以上の長き間、皇祖皇宗によって皇統維持の不断の努力がなされてきた痕跡を記した文献の一例を紹介しておく。
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續日本紀、巻三十
「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢より以來君臣定まりぬ。臣を以て君となすことは未だこれあらず。天つ日嗣は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。
慈円(天台座主-関白藤原忠通六男)の『愚管抄』巻七
「日本ノ国ノナライハ、国王種姓ノ人ナラヌスヂヲ国王ニハスマジト、神ノ代ヨリサダメタル国」
「コノ日本国ハ、初ヨリ王胤ハホカヘウツルコトナシ。臣下ノ家又サダメヲカレヌ。ソノマゝニテイカナル事イデクレドモ、ケフ(=今日、こんにち)マデタガハズ‥‥」
北畠親房の『神皇正統記』(序論)
「彼国(天竺)の初の民主も、衆のためにえらびたてられしより相続せり。又世くだりては、その種姓もおほくほろぼされて、勢力あれば下劣の種も国主となり、あまさへ五天竺を統領するやからもありき。
震旦又ことみだりがはしき国なり。昔世すなほに道ただしかりし時も、賢をえらびてさづくるあとありしにより、一種をさだむる事なし。乱世になるまゝに、力をもちて国をあらそふ。かゝれば、民間より出でゝ位に居たるもあり、戎狄より起て国を奪へるも有。或は累世の臣として其君をしのぎ、つゐに譲をえたるもあり。伏犧氏の後、天子の氏姓をかへたる事三十六。乱のはなはだしさいふにたらざる者哉。
唯我国のみ天地ひらけし初より、今の世の今日に至まで、日嗣をうけ給ことよこしまならず。一種姓のなかにをきても、をのずと傍(=傍系)より伝給しすら、猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。是併神明の御誓あらたにして、余国にことなるべきいはれなり」
吉田定房の奏状
「異朝は紹運の躰頗る中興多し。蓋し是れ異姓更に出ずる故のみ。本朝の刹利(国王)天祚一種(いっしょう)なるが故に、陵遅日に甚だしく、中興期(ご)なし」
『宋史』四九一(十世紀末に入宋した奝然の記録)
「(宋においては)東の奥州、黄金を産し、西の別島、白銀を出し、もって貢賦をなす。国王、王をもって姓となし、伝襲して今の国王に至ること六四世」
―――――
② 次に、8名10代の男系女子天皇は、一人の例外なく“中継ぎ”であったという不動の歴史事実がある。
男系女子天皇による“中継ぎ”とは、“前の男系男子天皇と後の男系男子天皇をつなぐ”と定義される学術用語であり、それ以外の意味に歪曲してはならない。
8名10代の男系女子天皇を考察すると、表-2のとおり、8名10代のすべての男系女子天皇が“中継ぎ”であったという不動の歴史事実が存在するのである。
さらに、8名10代の男系女子天皇に関する歴史事実を慎重かつ詳細に考察すれば、より“厳格な法”が発見されるのである。
③ すなわち、8名10代の男系女子天皇は、すべて“お独りの身”であり、かつ“皇子・皇女は一人も誕生していない”という歴史事実である。
ここで言う“お独りの身”とは、次の2つのケースのことである。
(ⅰ) 皇配(→配偶者と考えればよい)である男子天皇・男子皇太子が崩御・薨去されて“お独りの身”となられた「寡后」としての男系女子天皇。
→推古天皇(敏達天皇崩御後に即位)、皇極天皇(舒明天皇崩御後に即位)、斉明天皇(皇極天皇の重祚:2回目の即位)、持統天皇(天武天皇崩御後に即位)、元明天皇(皇太子・草壁皇子薨去後に即位)・・・表-1参照のこと。
(ⅱ) 生涯“お独りの身”という厳格な法を遵守された、男系女子天皇。
→元正天皇(生涯独身、父は天武天皇)、孝謙天皇(生涯独身、父は聖武天皇)、明正天皇(生涯独身、父は後水尾天皇)、後桜町天皇(生涯独身、父は桜町天皇)
→称徳天皇(生涯独身、孝謙天皇の重祚、續日本紀巻三十の和気清麻呂の「宇佐八幡宮の神託」の還奏で知られる)
以上(ⅰ)及び(ⅱ)が、8名10代の男系女子天皇の歴史を貫通する“お独りの身の法”という“皇位継承の法”である。
さらに、
(ⅰ)の場合:男系女子天皇は“お独りの身”になり天皇即位以後には、一人の皇子も皇女も出産なさらなかった。
(ⅱ)の場合:男系女子天皇は生涯“お独りの身”であり続け、一人の皇子も皇女も出産なさらなかった。
この男系女子天皇の“ご懐妊の禁止の法”もまた、“お独りの身の法”とともに、極めて厳格な“皇位継承の法”であった。
纏めると、8名10代の男系女子天皇の歴史事実を貫通する“お独りの身の法”と“ご懐妊の禁止の法”は、XY遺伝子のような科学的発見が為される遥か以前の古代から、神武天皇を皇祖とする万世一系、男系男子の皇統を護持するための皇祖皇宗の智恵・叡智であったことが歴史事実の連続の中に発見されるのである。
それ故に、8名10代の男系女子天皇はすべて、皇祖皇宗の遺訓として、これらの厳格な“皇位継承の法”の遵守義務を毅然として果たされたのである。
もし、この8名10代の男系女子天皇を「男系女子の皇統」と呼ぶのだ、と強弁する者がいたとしても、“中継ぎ”に伴う“ご懐妊の禁止の法”と“お独りの身の法”によって、すべての男系女子天皇は皇子・皇女はお一人もお産みにならず、「男系女子の皇統」は1代で断絶し、「男系男子の皇統」へと復元され繋がれていったのであるから、やはり“中継ぎ”の男系女子天皇も含め、日本国の皇統は、神武天皇を皇祖とする万世一系、男系男子の皇統が護持されてきたとしか言えないのである。
私〔=ブログ作成者〕には畏れ多くてこれ以上“中継ぎ”について語るつもりはないが、このような歴史事実が万世一系、男系男子の皇統を世襲してきた日本国天皇(皇室)の威厳と高貴の淵源となっているだという事実については、日本国民ならば最低限知っておくべきではなかろうか。
さて、皆さん『シリーズ第2回目』以降、「バーク哲学の神髄、続けて語ってよろしいか?」
※ 本ブログの内容は、20世紀~21世紀日本国におけるエドマンド・バークの再来と言っても決して過言ではない、碩学 中川八洋 筑波大学名誉教授の著書『皇統断絶』、『女性天皇は皇室廃絶』、『悠仁天皇と皇室典範』等によるところが大きい。
なお、中川八洋筑波大学名誉教授におかれては、近日発売の月刊誌(『撃論』オークラ出版)にて、小林よしのり『新天皇論』を学術的に完全論駁されると聞き及んでいる。非常に楽しみである。どうぞ、私〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆さんも読んで頂きたいと思う。
→次回、
保守主義の哲学---小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(シリーズ第三回)へ続く。
【平成23年5月21日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
→元正天皇(生涯独身、父は天武天皇)
とありますが、元正天皇の父は草壁皇子ではありませんか?
by まるも (2012-05-08 11:56)