保守主義の哲学---(第三回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
(3) 明治皇室典範は、古来の“皇位継承の法”の明文化であり、その思想は英米系の“法哲学”に由来する。
最初に、前回のブログに於いて、私〔=ブログ作成者〕は以下のように述べた。
『それ故に、8名10代の男系女子天皇はすべて、皇祖皇宗の遺訓として、これらの厳格な“皇位継承の法”の遵守義務を毅然として果たされたのである。
もし、この8名10代の男系女子天皇を「男系女子の皇統」と呼ぶのだ、と強弁する者がいたとしても、“中継ぎ”に伴う“ご懐妊の禁止の法”と“お独りの身の法”によって、すべての男系女子天皇は皇子・皇女はお一人もお産みにならず、「男系女子の皇統」は1代で断絶し、「男系男子の皇統」へと復元され繋がれていったのであるから、やはり“中継ぎ”の男系女子天皇も含め、日本国の皇統は、神武天皇を皇祖とする万世一系、男系男子の皇統が護持されてきたとしか言えないのである』
この部分で私〔=ブログ作成者〕が述べた“皇統”、“皇位継承の法”について、すべての読者の皆さんに“共通認識”を持って頂くために箇条書きにして解り易く提示しておきたい。
つまり、私〔=ブログ作成者〕がこの部分で述べた“皇統”、“皇位継承の法”の歴史事実を纏めれば、次の通りである。
(ⅰ) 8名10代以外の115代の天皇は、男系男子天皇であり、すべて神武天皇を皇祖とする男系男子の皇統である。
(ⅱ) 8名10代の男系女子天皇もすべて男系の皇統に属する。決して女系ではない。
(ⅲ) 8名10代の男系女子天皇は、すべて前の男系男子天皇と後の男系男子天皇をつなぐという意味の学術用語である“中継ぎ”であるというのが歴史事実であり、“中継ぎ”8名10代の男系女子天皇が“お独りの身の法”と“ご懐妊の禁止の法”という厳格な“法”を遵守する義務を毅然として果たされたことで、男系男子の皇統を復元し護持することが可能となったのだ、という荘厳な歴史事実を忘れてはならない。
(ⅳ) ただし、初代神武天皇から125代今上天皇陛下に至るまでの男系の皇統の歴史事実を考察すれば、男系男子天皇115代、“中継ぎ”男系女子天皇10代であり、
男系男子の天皇の在位が“正常の法”であり、“中継ぎ”の男系女子天皇は“非常の法”と言える。
(ⅴ) 上記(ⅰ)から(ⅳ)の歴史事実の中に、女系の皇統とか、女系の天皇は一切存在しない。
(ⅰ)から(ⅴ)は、すべて歴史事実から、井上毅ら“明治皇室典範”の起草者が、“発見”して成文法典化した、古来の不文の“皇位継承の法”である。
さて、ここで『明治皇室典範』第一条の「義解」を読んでみよう。
( )内は、私〔=ブログ作成者〕の解説である。
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明治皇室典範義解
第一章 皇位継承
第一絛 大日本國皇位は祖宗(そそう)ノ皇統(こうとう:天皇の血統)ニシテ男系之ヲ繼承ス
恭(つつしみ)て按ずるに皇位の繼承(けいしょう)は祖宗(そそう)以來既(すで)に明訓(→不文の“皇位継承の法”)あり。
和氣淸痲呂還奏の言に曰く、「我國家開闢(かいびゃく:始まり)以來、君臣分定矣(くんしんのぶんさだまりぬ:君臣の身分は定まっている)、臣を以て君と為す未だ之有らざる也、天(あめ)之日嗣(ひつぎ)、必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)立てよ(注1)」と。
皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり。
上代獨り女系を取らざるのみならず、神武天皇より崇峻天皇に至るまで三十二世、曾て女帝を立つるの例あらず(→女系天皇なし。男系女子天皇なし。すべて男系男子天皇であった)。
・・・是を以て上代既に不文の常典(=不文の“正常の皇位継承の法”=男系男子天皇の皇位継承)ありて易ふべからざるの家法(=改変してはならない家法)を為したることを見るべし。
其の後、推古天皇以來皇后皇女即位の例なきに非ざるも(=男系女子天皇の即位の例もあったが)、當時事情を推原するに(=当時の事情を推察すれば)、一時國に當り幼帝の歳長ずるを待ちて位を傳へたまはむとするの權宜に外ならず(=男系男子天皇への一時的な“中継ぎ”にほかならなかった)。
之を要するに、祖宗の常憲に非ず(=“中継ぎ”の男系女子天皇は、皇祖皇宗の“正常の皇位継承の法”とは言えない)。
而して終に後世の模範と為すべからざるなり(=ゆえに男系女子天皇の即位は後世の範としてはならない)。
本絛皇位の繼承を以て男系の男子に限り、而して又第二十一絛に於いて皇后皇女の攝政を掲ぐる者は、先王の遺意を紹述する者にして、苟も新例を創むるに有らざるなり(=皇后・皇女で攝政となる者は、祖宗の遺訓を遵守し、天皇に即位してはならない)。
(注1)續日本紀、巻三十「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢(かいびゃく)より以來(このかた)君臣定まりぬ。
臣を以て君となすことは未だこれあらず。
天(あま)つ日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。
無道の人(→僧:道鏡のこと)は宜しく早く掃除すべし。
清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。
祖宗の皇統とは一系の正統(=唯一つ、皇祖神武天皇の皇統)を承る(=世襲・継承する)皇胤(こういん:天皇の血統)を言ふ。
而して和気清麻呂の所謂(いわゆる)皇緒なる者と其の義解を同じくする者なり。
皇統にして、皇位を繼(つ)ぐは必ず一系に限る(=皇統にある者で、皇位を継承するのは一系統のみにかぎり、同時に2系統〈2名〉以上の天皇を立ててはならない)。
而して二三に分割すべからず。
天智天皇の言に曰く、「天雙(ふたつ)の日無く國二人の王(きみ)なし(注2)」と。
故に後深草天皇以來數世の間、兩統(=持明院統と大覚寺統)互いに代わり、終に南北二朝あるを致ししは、皇家の變運にして、祖宗典憲(=皇祖皇宗の“正常の皇位継承の法”)の存する所に非ざるなり。
以上本絛の意義を約説するに、
祖宗以來皇祚(こうそ:皇位)繼承の大義炳焉(へいえん:明白であること)として日星の如く萬世に亙りて(=渡って)易ふべからざる者(=改変してはならない法)、蓋(けだ)し左の三大原則とす。
第一 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は皇胤(=皇緒)に限る。
第二 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は男系に限る。
第三 皇祚(=皇位)は一系にして分裂すべからず(=一系統から一人の天皇とし、分裂して同時に複数の天皇を立ててはならない)。
(注2)日本書紀、巻二五、「天に雙(ふたつ)の日無く、國に二(ふたり)の王(きみ)無し。
是の故に天下を兼ね併せて、萬民を使ひたまふべきは、唯だ天皇のみ」。
(参照1)
日本書紀、卷二二、「〔聖徳太子憲法〕十二に曰く、國司(みこともち)、國造(くにのみやつこ)百姓(おほみたから)に斂(おさ)めとること勿(なか)れ。
國に二君(にのきみ)非(な)し、民に兩(ふたり)の主(あるじ)なし。
率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以て主(あるじ)と爲(な)す。
所任官司(よさせるつかさみこともち)は、皆是(こ)れ王臣(きみのやつこ:天皇の臣下)なり。
何ぞ敢(あえ)て公(おほやけ)と與(とも)に、百姓(おほみたから)に賦(をさ)め斂(と)らむ」
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私〔=ブログ作成者〕の解説:
上記の明治皇室典範 第一条は歴史事実から不文の“皇位継承の法”を発見し、それを成文法典化したものであって、明治政府が明治皇室典範の制定時に、政府の意思や政治的恣意によって新しく創り上げた「人定法」のような規則ではないことが解るであろう。
だが、お気づきの方もおられると思うが、明治皇室典範の制定にあたり、明治政府は古来の不文の“皇位継承の法”を“法の枠内”で若干“改善・改良”している。
つまり、明治皇室典範では、男系女子天皇の即位を禁止し、男系男子のみとしたのである。
理由は唯一つであり、男系男子の皇統の護持を確実にする目的のためであり、そこには軽薄な「男尊女卑」の感情論など微塵も存在しない。
このような“法”の改善・改良とは
「国体(国憲)は変革・革新してはならず、改良・改善する場合でも“法”と“慣習”の枠内に限られる」という英国憲法(=国体)の保守哲学に通底する思想である。
例えば、エドマンド・バーク曰く、
「もし、自国の国体(憲法)を理解できない場合にはまずもってそれを崇敬・賛美すべきである。
このすばらしき国体という相続財産を遺してくれたわれわれの祖先は、このような国体の崇敬者であった。
・・・しかし決して、基本原理から逸脱することはなかった。
国王の法と憲法と慣習に深く根をおろさぬ国体の修正は決してしなかった。
このような祖先にわれらは見習い従っていこうではないか。
・・・(国体の)革新という絶望的な企てがなされないよう、いつも監視を続けようではないか」(Burke, “Appeal from the New to the Old Whigs”, pp.265-266)
さらに曰く、
「英国は国家を聖別して、適切に用心深く注意することなしには国家の欠点や腐敗を覗かないようにしてきました。
国家の改革を(フランス革命のように)その転覆から始めることなど夢にも考えたことはありません。
もしも国家のなした誤りに近付くときは、父親の傷口に近付くかのように、敬虔な畏怖と慄える憂いをもってしたものです。
このような英国の賢明な偏見(=国家聖別)のおかげで、フランスの子供たち(=革命家たち)が老いた父親(フランス王国)の肉体を瞬時に切り刻んで魔法使いの薬罐に投げ込み、毒草と野蛮人の呪文をもって父親の肉体を再生し生命を若返らせると信じている、フランスの革命を英国は恐怖をもって見ています」(バーク『フランス革命の省察』みすず書房、122頁)
つぎに、ハイエク『ハイエク全集』から“法”への批判や改善に関する基礎としての「内在的批判」に関する論説を抜粋しておく。
ハイエクを読み慣れていない人には理解するのが若干難しいかもしれない。その場合は読み飛ばして無視するかハイエク(『法と立法と自由〔Ⅱ〕』「社会正義の幻想」、春秋社、第七章など)を精読して頂きたい。
ハイエク曰く、
『行動のルールのある確立されたシステム(=体系)は、われわれが部分的にしか知らない経験に立脚しているであろうし、部分的にしか理解していない仕方で行為秩序に貢献しているであろうから、その全体を新たに再構築することによって改善することは望みえない。
もし伝統的ルールという形態でのみ伝えられてきた経験のすべてを完全に利用しようというのであれば、特定のルールの批判や改善の努力はすべて当面の目的からは正当化を要しないものとして受容されなければならず、与えられた諸価値の枠内で進めなければならない。
われわれはこの種の批判を「内在的」批判と呼ぼう。
この内在的批判は所与のルールのシステム(=体系)の内部で進展し、特定のルールをある種の行為秩序の形成を誘導する際の他の承認されているルールとの整合性と両立可能性とによって判断する。
いったん、そのような既存のルールのシステム全体が生み出す周知の特別な効果に帰着させることができないと認めるならば、この内在的批判は道徳的、法的ルールを批判的に検討するための唯一の基礎となる』(ハイエク『法と立法と自由〔Ⅱ〕』「社会正義の幻想」、春秋社、36~37頁)
→私〔=ブログ作成者〕の解説:
要するに、
① 人間は、“法”のシステム(=体系)のすべてを知っていないし知り得ない。
② ある特定の“法A”が人間社会の行為秩序にどのように貢献していのかという仕組みも知っているようで実は知らない部分が多い。
③ であるから、“法”のシステム(=体系)の全体を新規のものに改変する事は、改悪になっても改善されることは望めない。
④ けれども、伝統的ルールという形態で世襲・継承されてきた諸ルールについては、過去の祖先が皆、正しいと認めてきた法であり諸価値であるから、我々も正しいと承認することができる。
⑤ ある特定の“法B”が正しい行動のルールであるか否かは、その“法B”が「自己の目的B」をよりよく達成できるか否かではなく、ある種の行為秩序の形成を誘導する際の、他の正しいと承認できる既存の伝統的ルールや諸価値の枠内で判断すべきであり、“法B”は既存の伝統的ルールと諸価値との整合性と両立可能性において判断される。
⑥これをハイエクは「内在的」批判と呼んだ。
以下に、私〔=ブログ作成者〕が可視化を試みた、“行動のルールの体系”=“法”の概念図を示しておく。
ただし、そもそも“法”を完全に知ることなど不可能であるから、私〔=ブログ作成者〕が“法”を完全かつ詳細に図化するのも不可能である。
あくまで、“法”の「イメージ図」であると捉え、詳細な部分に誤謬があってもお許し頂きたい。
さて、ここまで私〔=ブログ作成者〕の解説に付き合って頂いた読者の皆さんの中に、
小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の言説、
『わが国で初めて皇位継承のルールが明文化されたのは、明治22(1889)年制定の旧皇室典範でその第一条に「皇統ニシテ男系ノ男子」と規定され、現在の皇室典範にもそのまま受け継がれた。これは明治になって初めて登場した「縛り」である。・・・もし本当に日本人が「男系男子の皇統」を2600年もの間、不断の努力で保ってきたのなら、明治初年にそんな議論(=「女系天皇を認めるか否か」という議論)など起こるはずがない。・・・要するに男系固執主義者は、制定されて121年にすぎない(現在の)皇室典範の「男系男子」の規定を2600年の間、日本人が墨守してきたかのように言い募っているのだ。徹底的に無知なのである。』
が「真実であるか虚偽であるか」を判断できない方がおられるのだろうか?
実際には、小林よしのり氏こそ「無知蒙昧にも度が過ぎており、天皇論を語る資格はない」と言えるのではないのか。
なぜなら、小林よしのり氏は、エドワード・コーク、ウィリアム・ブラックストーン、エドマンド・バーク、アレグザンダー・ハミルトン/ジョン・アダムスら米国の建国の父、ノーベル経済学賞受賞の自由主義政治哲学者F・A・ハイエクらの説く英米系憲法学の根幹である“法”、“法の支配”、“立憲主義”、“憲法”の概念を全く知らないし、明治憲法や明治皇室典範の成立過程とこれらの保守哲学との密接な関連性の背景も全く知らない。
実は、明治憲法及び明治皇室典範の起草者らは、
(A) 井上毅のフランス留学によって法破壊の元凶であるルソーの『社会契約論』と「フランス革命」のイデオロギーを排斥したこと。
(B) 米国留学した金子堅太郎はハーバード大学で英国憲法を研鑽して帰国し、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』と『旧ウィッグは新ウィッグを裁く』の二著を抄訳し『政治論略』(1881年)と題して出版しバーク保守主義の憲法観の精髄をまとめたこと。
(C) 伊藤博文は米国憲法の解説書『ザ・フェデラリスト』を原著のまま愛読し「座右の書」としていた。
(D) さらに、伊藤博文、伊藤巳代治は明治憲法の起草に関わった4名のドイツ人、グナイスト/シュタイン/モッセ/ロェスレルから“サヴィニー歴史法学”を学んだ。
こうして、明治憲法と明治皇室典範の制定過程において、英国憲法、米国憲法の根幹である“法”・“憲法”・“法の支配”などの思想を導入したからこそ、その時初めて、『成文憲法や成文の皇室典範を制定する』ということが、『歴史事実の連続の中から不文の“国法”や“皇位継承の法”を発見して“明文化”することである』と日本国政府は知り、学び、採用できたのである。
古来の不文の“皇位継承の法”に含まれていた「万世一系」、「男系男子の皇統」や「男系女子」「女系」などの概念が、明治政府によってこの時「初めて公式に明文化」され、「万世一系、男系、男子、女子、女系、直系、傍系・・・」などの学術用語として整備され、成文法典化された結果が“明治皇室典範”である。
もはや言うまでもないが、“明治皇室典範”の成文化は、それ以前に不文の“皇位継承の法”が存在しなかったということを全く意味しない。
古来の不文の“皇位継承の法”を発見し、明文化する国家初の大事業であった明治皇室典範の制定過程で議論が紛糾したとしても当然のことであろう。
小林よしのり氏『新天皇論』の言説、
『・・・もし本当に日本人が「男系男子の皇統」を2600年もの間、不断の努力で保ってきたのなら、明治初年にそんな議論(=「女系天皇を認めるか否か」という議論)など起こるはずがない。』
などは“法”や“憲法”についての恐るべき無知から発する暴論にすぎず、小林よしのり氏の言説の真偽を真面目に議論する余地などほとんど皆無であろう。
※ 本ブログの内容は、20世紀~21世紀日本国におけるエドマンド・バークの再来と言っても決して過言ではない、碩学 中川八洋 筑波大学名誉教授の著書『皇統断絶』、『女性天皇は皇室廃絶』、『悠仁天皇と皇室典範』等によるところが大きい。
なお、中川八洋筑波大学名誉教授は、近日発売の月刊誌(『撃論』オークラ出版)にて、小林よしのり『新天皇論』を学術的に完全論駁されると聞き及んでいる。
非常に楽しみである。
どうぞ、私〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆さんも読んで頂きたいと思う。
→次回、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(シリーズ第四回)へ続く。
【平成23年5月19日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
こんばんは、前回貼り忘れた資料を貼っておきます。
花園上皇の『誡太子書』
「所以に秦政強しと雖も、漢にあわされ、隋煬盛なりと雖も、唐に滅ぼさるゝなり。而るに諂諛の愚人以為へらく、吾朝は皇胤一統し、彼の外国の徳を以て鼎を遷し、勢に依りて鹿を逐ふに同じからず。故に徳微なりと雖も、隣国窺覦の危無く、政乱ると雖も、異姓簒奪の恐無し、是れ其の宗廟社稷の助け余国に卓礫する者なり。」
>“法”や“憲法”についての恐るべき無知から発する暴論にすぎず、
小林よしのりが偶像崇拝している皇室専門家の中に皇室典範を含む皇位継承法の専門家が誰もいない為でしょう。
田中卓や高森明勅の駄文など単なる作文に過ぎません。
>ここで『明治皇室典範』第一条の「義解」を読んでみよう。
明治皇室典範の義解すら「政府見解」などと貶めていることからも、米英法の保守哲学は勿論のこと、国民主権の本質すら理解していないことが分かります。
国民主権とは生存者絶対主義のことであり、過去・現在・未来の流れを断ち切るものです。
「最新の政府見解が絶対的に正しい!」などと主張している小林自身が「歴史の流れ」から浮遊した存在であることが一目瞭然です。
>なお、中川八洋筑波大学名誉教授は、近日発売の月刊誌(『撃論』オークラ出版)にて、小林よしのり『新天皇論』を学術的に完全論駁されると聞き及んでいる。
中川氏は「反論本」を刊行予定であると「激論(2011年4月号)」183頁に書かれていました。
by 錬金術師 (2011-05-22 20:18)
「激論」でなく「撃論」でしたね、申し訳ありません。
by 錬金術師 (2011-05-22 20:48)
錬金術師 殿
大変貴重なコメントありがとうございます。
中川八洋 先生の新刊情報を取り違えて、ブログ掲載いていたこと、非常に恥ずかしく、恐縮し、すぐに正しい情報をブログに掲載させていただきました。
おそらく、お忙しい中川八洋先生におかれましては、見当違いの問い合わせなどが殺到し、「激怒」ならぬ「撃怒」されているかもしれません。
この場を借りて、お詫びさせて頂きます。
なお、私も最も尊敬する中川八洋先生の「新刊書」を非常に楽しみにしております。
それでは。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2011-05-22 22:19)
「小林よしのり氏の言説の真偽を真面目に議論する余地などほとんど皆無」との御指摘、そのとおりだと思います。私が今まで読んで(立ち読みも含め)感銘を受けた本は、高校の時に読んだ、渡部昇一氏の題名は忘れましたが歴史の本と、小林氏の「戦争論」と、中川先生の「皇統断絶」です。(中川先生を知ったのは本著作です)
小林氏の著作の要は氏の述べるとおり「情」にあり、コモン・ローの知識の要する皇統については、語るに無理があるのでしょう(氏の最近の著作に、隠された意図など無い信じて)
いわゆる小泉典範改革が盛んな頃、中川先生の本を読んで危機感を持ち、たまらず、近所の小さい神社に参拝したのですが、そのような方は意外に多いのではないでしょうか。(そのあとの悠仁親王殿下のめでたき御誕生これあり)
中川先生の新刊まことに楽しみで、しかしながらいつ刊行されるか分からないため、最近毎日本屋を巡る毎日です。
最近、ハイエク先生の「隷属への道(春秋社刊)」を少しずつ読んでいます。
ゆくゆくは、シェークスピアとバークを原文で読んでみたいと考えております。
by ハヤブサ (2011-05-23 00:31)