保守主義の哲学---安倍内閣の退位特例法と4/30退位式典の本質(正体)を知れ! [政治]

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退位特例法と4/30退位式典の本質(正体)を正確に知るべし!

 

(1) この度の皇位の御代替わりが、今上陛下の“譲位”の御意向(御意思)から発するものであることは明らかである。

今上陛下は201688日のテレビ御諚(お言葉)で次のように述べられた。

陛下の御諚(お言葉)の一部を以下に示す。

 

天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか・・・考えて来たことを話したい」

 

「私は・・・伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し・・・日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考え・・・」

 

「これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考える・・・」

 

「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。」

 

「天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。」

 

「このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを,切に願っています。」

 

この御諚において、今上陛下が高齢により天皇としての重責を十全に果たせなくなることを案じられ、天皇としての責務を縮小せず、摂政を置くのではなく、皇位の御代替わりをしたい御意向(御意思)を示されたのは明白である。 

テレビ御諚を拝聴したすべての日本国民がそのように正しく認識したはずである。

また陛下は御諚で

・ 「伝統の継承者として,これを守り続ける責任」

・ 「我が国の長い天皇の歴史」

・ 「天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことへの祈念」

等についても触れられていることから、陛下の御意向である皇位の御代替わりは、“譲位”を意味していることも明白である。

なぜなら、日本国二千年の皇位継承の歴史において皇位の御代替わりの方式は、

 

・ 「崩御・践祚」

・ 「譲位・受禅」

 

という二方式の伝統・慣習---それは“慣習法”としての“皇位継承法”である---しか存在しないからである。

 

つまり、初代・神武天皇から一二五代・今上陛下に至る日本国天皇の皇位継承法には、「退位」や「生前退位」という、語彙も、概念も、実例(先例)も微塵も存在しないのである。

また、テレビ御諚(以前も)以後も、天皇・皇后両陛下および皇族方は、皇位の御代替わりについて、一貫して皇位継承法を遵守した正語“譲位”を使用しておられることからも、今上陛下の御意向が奇怪語「退位」を意味するのではなく、皇位継承による“譲位”の御意向であったことに議論の余地はない。

 すなわち、今上陛下の201688日のテレビ御諚(お言葉)は、

『今上陛下が皇位継承法にもとづく“譲位”による皇位の代替わりをしたい御意向(御意思)を全日本国民に表明されたものである』

と正しく理解する必要がある。

この正しい理解が「退位特例法」と「4/30退位式典」の本質(正体)を見抜くための前提条件となる。

 

(2) “譲位”は皇位継承法及び現行日本国憲法に照らして合法かつ合憲と解釈可能であるが、「退位」が違法かつ違憲であるのは明白である。

 

 (2)-1 “法”は明文憲法や議会立法を支配し、制限する。

 “皇位継承法”は日本国天皇の皇位継承の歴史・伝統・慣習に依拠する“普遍の規則”である。

“法”とは、君主やその他の統治者の意思(=勅令・布告・命令など)、明文憲法、および議会立法などの上位にあって、それらを制限し、支配する

そして“法”によって権力者の意思の暴走を抑制・制限し、統治を永遠の道理と不易の人間道徳とに服従せしめ、人々の生命・私有財産・自由を保護する(自由主義)原理を“法の支配”と言う

つまり、この“法の支配”の原理に照らせば、皇位継承“法”である“譲位”から逸脱する(違反する)「天皇の退位」を定めた国会立法(「退位特例法」の制定)が、日本史上最悪級の“違法”行為に相当すると容易に理解できるはずである。

 

(2)-2 皇位継承法と現行日本国憲法とにおける“正しい法理”を理解せよ。

日本国憲法 第一条

日本国憲法第一条は、日本国の国制である立憲君主の天皇制度を定めた条文である。

第一条は、天皇の在位を絶対条件とする。天皇位が空位となれば第六条、第七条は機能せず、日本国の国政は混乱又は停止することから明らか。

第一条の国民の総意が奉戴するのは、天皇制度そのものであり、特定の御代の特定の天皇ではない。

中川八洋 筑波大学名誉教授曰く、

「憲法第一条が定める《国民の総意》が奉戴するのは、《天皇制度》や《天皇制度の〔抽象的/一般的〕天皇》である。皇位継承する具体的な個々の新天皇を指すものではない。当たり前だろう。憲法第一条は立憲君主の天皇制度を定めた条項であり、それ以外ではない。」(中川八洋『天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』 、Kindle版 、位置No.1638-1641)

すなわち、いかなる特定の天皇も国制である天皇制を放棄する権限はない。つまり、皇位継承を伴う“譲位”をする権限は持ち得ても、皇位継承を伴わない(天皇位を空位にする)「退位」をする権限はない。

 

但し、『明治皇室典範義解』に

「(権臣の強迫や南北朝の乱の源因となった歴史を鑑み、)本條に践祚を以て先帝崩御の後に即ち行わるる者と定めたるは、上代の恒典に因り中古以来譲位の慣例を改むる者なり」とあるように、明治皇室典範以後は“譲位の禁止”が大原則とされた。

 

また、第一条の「国民の総意」とは、ポツダム宣言に関するバーンズ回答「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」を挿入したものであるから、第一条は「(終戦以後も)日本国民は自由意思によって立憲君主の天皇制度(国制)を奉戴し続ける」という決意表明の条項である。

中川八洋 筑波大学名誉教授曰く、

 「そもそも憲法第一条の《国民の総意》は、占領中の1946年作で、対日降伏条件《ポツダム宣言》補足の《バーンズ回答》がまだ生きており、《国民の総意》の原泉《バーンズ回答》をそのまま挿入したもの。つまり、《国民の総意》 は、“天皇制度を存続させるか否かは日本国民が決定せよ” という意味だから、皇位継承に関する事柄とは全く無縁。明白以上に明白であろう。」(中川八洋『天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』 、Kindle 版、位置No.1650-1654

 

日本国憲法 第二条

日本国憲法第二条は、“万世一系の世襲の皇位”を明文化した条項であり、皇位継承は“皇位継承法”を明文化した“皇室典範”に遵うことと規定している。

“皇室典範”とは日本国二千年の歴史が明示する「真理が証明済みの慣習法(中川八洋、上掲書)」を明文化(銘典化)したものであるから、改正や増補を行う場合でも「立法は、“法”の下で、すなわち“法”に違わない範囲 内でしか、してはならない(中川八洋、上掲書)」という法の支配”の大原則を絶対遵守しなければならない

このため、明治皇室典範(および明治憲法)においては、皇室典範の改正や増補から、臣民の干渉(帝国議会の協賛)および個々の天皇の意思(恣意)を排除し、皇族会議及び枢密顧問に諮詢して天皇が勅定することとされていた。

 

明治皇室典範

【前文】

「皇室典範の成るは實に祖宗の遺意を明徴にして子孫の爲に永遠の銘典を貽す所以なり。皇室典範は皇室自ら其の家法を條定する者なり。故に公式に依り之を臣民に公布する者に非ず。而して將来已むを得ざるの必要に由り其の條章を更定することあるも、亦帝國議會の協賛を經るを要せざるなり。蓋し皇室の家法は祖宗に承け、子孫に傳ふ。既に君主の任意に制作する所に非ず。又臣民の敢えて干渉する所に非ざるなり。」

また、〔明治憲法第七十四條〕、〔明治皇室典範第六十二條〕なども参照のこと。

 

つまり、日本国憲法第一条の「国民の総意」とは、「多数決の議決における満場一致」の意味ではないし、第二条の“世襲の皇位”規定にそれを適用することはできない。さらに第二条の「国会の議決」の文言は明治憲法からの「改悪」であるが、その場合でも、国会の立法は、皇位継承“法”に支配され、その範囲を超越してはならない

こうした観点から判断すれば、皇位継承“法”から逸脱した「退位特例法」を、まるで旧ソ連や中国の共産党大会の情景を彷彿とさせる「満場一致」(=憲法第一条「国民の総意」の誤解釈による)で議決した、日本の国会(議員)の無法・無知・無能は最悪レベルと確信できるであろう。このような愚劣・無能極まる国会議員連中は総入れ替えする必要がある

 

日本国憲法 第四条第一項

日本国憲法第四条第一項の「国政に関する権能」の「権能」とは、

国防や外交政策あるいは内閣の首班・閣僚人事に対する《国王大権》のことをさす。憲法第四条第一項はこれらの《国王大権=政治権能》を日本の天皇は有さないとの、立憲君主の大権に関する最狭義の定義を採用したものである。」(中川八洋、上掲書、No.1811-1820

それゆえ、「退位特例法」の国会審議時に、日本共産党の塩川鉄也議員の質問に対する菅義偉内閣官房長官の答弁、

 

「文言(=陛下の御ことば)を今般の立法の直接の端緒として位置付けた場合には、憲法第四条第一項に違反する恐れがあり、(このため)文言を(特例法第一条に)使用しないことにした」

 

というのは日本国憲法の「トンデモ改竄解釈であり、《非・国政の皇位継承問題は、国政である》とする真っ赤な嘘の大詭弁である(中川八洋、上掲書)」。

また、2017年年6月1日の衆議院議院運営委員会で横畠裕介内閣法制局長官次のように述べた。

 

「天皇の交代という国家としての重要事項が天皇の意思によって行われるものとした場合、これを国政に関する権能の行使に当たるものではないと言えないのではないかという問題がある

 

この答弁が全く意味不明の誤魔化し答弁であることは、それを聞いた(読んだ)中学生でもはっきりと理解できる。内閣法制局長官という職にある者がこのような意味不明の誤魔化し答弁をせざるを得なかったのは、国政ではない皇位継承問題を憲法第四条第一項と牽強付会的に結び付けて解釈しようとしたためである。

ちなみに、横畠裕介内閣法制局長官の上記説明を裏返せば、「国政に関する権能の行使に当たると明確には言えない」という意味にすぎない。横畠裕介内閣法制局長官の答弁を聞くに、「印象操作」の才能だけは天才的であるとわかる。

 

さて、以上のことをまとめると次のとおりである。

・ 日本国二千年の伝統・慣習としての皇位継承“法”

・ 立憲君主の天皇制度を規定した日本国憲法第一条

・ 皇位の世襲継承(=国民の意思介入を排除する)を規定した憲法第二条

に照らして、“譲位”は合法・合憲と解釈可能であるが、「退位」は違法・違憲で絶対不可である

また、「皇位継承問題は非・国政」であるから、憲法第四条第一項の《国王大権=政治権能》とは無関係である、とするのが、“唯一の正しい法理”である。

 

(3) 安倍内閣の「退位特例法」と「4/30退位の礼」の本質(正体)を見極めよ。

 

「退位特例法」の国会審議において、菅義偉内閣官房長官は次のようにも述べた。

「天皇陛下のおことばは、これまでのご活動を続けられることが困難となるというお気持ちを、国民に向けて発せられたもので、退位の意向を示されたものではなく・・・」

この答弁の意味は、今上陛下が退位の御意向を示され、それによって政府が動いて国会が「退位特例法」を制定したことになると憲法第四条第一項に違反するから、

「一貫して退位は天皇陛下のご意思によるものではなく、天皇陛下がご高齢であり、ご公務が十分にできなくなっておられることなどの客観的な状況を受けて政府が検討し、国民の代表機関である国会が退位を実現する法律を制定したとの論理を採用している」(産経新聞web版、2018220日付、【正論】八木秀次・麗澤大学教授、「皇位継承の儀式における課題」)

という理屈であるらしい。

 

しかし、もしこの理屈が「退位特例法」制定の真の趣旨であるとすれば、それは恐るべきことを意味している。

なぜなら、それは、天皇陛下の直接の御意向(御意思)もないのに(=直接の御意向の有無とは無関係に)、天皇陛下の御様子等の客観的な状況から、国民(=政府)の側が勝手な判断・推測をして、天皇陛下に「退位」して頂くよう促す(=政府・国民の独断で天皇を退位させる)ことを可能にすることが「退位特例法」の本質(正体)であると暴露していることに他ならないからである。

そして菅義偉内閣官房長官は、国会答弁の中で次のようにも述べている。

「法案の作成に至るプロセスや、その中で整理された基本的な考え方は、将来の先例となりうる

先例化を明言したのである。

この発言は「国民(=政府)の側の勝手な判断・推測によって天皇陛下に退位を迫ることは今後もありうる」との明言である。

要するに安倍内閣・自民党が成立させた「退位特例法」は、「天皇制廃止の共産革命に合法性(正当化)の口実を与える法律」と命名するのが最も正しい呼称なのである。

 

そしてこの「天皇制廃止の共産革命に合法性(正当化)の口実を与える法律」に従って行われる「4/30退位の式典」について、安倍晋三内閣及び与党自民党は、あろうことか真逆に「憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統等を尊重した式典である」と嘘宣伝をしており、「4/30退位式典」終了まで(否、おそらくそれ以後も)日本国民を騙し通すつもりのようである。

また、安倍内閣の御用学者と堕したのか、八木秀次・麗澤大学教授も「4/30退位の式典」について、真理を真逆に転倒して次のように述べている。

 

「皇位継承儀式の伝統は重視しつつも、退位、即位の儀礼に憲法違反の疑いを残してはならない皇位の正統性に瑕疵が生ずるからだ。」(産経新聞web版、2018220日付、【正論】八木秀次・麗澤大学教授、「皇位継承の儀式における課題」 より引用。)

 

実際には、“譲位・受禅の儀”が合法・合憲と解釈可能で、皇位の正統性にも瑕疵など生じない

逆に「退位特例法にもとづく4/30退位礼(5/1即位礼との分離実施)」の方が、「皇室の皇位継承の伝統を跡形もなく破壊し尽くす非暴力の共産革命(中川八洋、上掲書)」なのである。

 

(4) “譲位・受禅の儀”によってのみ、皇位継承は法的効力を有する(=皇位の正統性を持つ)。

 

これまでに述べたことをまとめると、

譲位”は合法・合憲と解釈可能であるが「退位」は明らかに違法・違憲であるから、今上陛下の御代替わりの儀式は、「5/1譲位・受禅の儀」(同時実施)としてこそ、“合法性と正統性とを有する皇位継承の儀”となるのである

 

最後に、前回のブログ冒頭で述べたことを反復する。

日本国の“天皇制度”と“皇位継承法”は二千年の歴史を通じて連綿と世襲継承されてきた事実そのものによって“時効の国制”である。それゆえ現在及び将来の日本国民は、祖先が行ってきたそのままに、それを奉戴し、護持し続ける“義務”がある。

 なぜなら、皇位継承の伝統と慣習を貫いている“世襲の原理”と“時効の原理”が天皇制度だけでなく、日本国の国土の領有・保全・防衛における合法性と日本国民の生命(安全)・私有財産・自由と諸権利の永続性をも保障する根本原理だからである。

すなわち、天皇制度の安定的継承と日本国民の自由と諸権利の安定的保障とは、一体不可分のものである。

前者の“法”を平然と侵犯する政府権力は、何れ必ず、後者の自由と諸権利をも同様に(さらに容易く)侵害するに至るだろうと警戒しなければならない。

 

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・ 中川八洋『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇「悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民の世襲義務』、ヒカルランド

・ 中川八洋『天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反!』 、Kindle

 

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以 上。 


2019316日》 追記。

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 2.『徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇 悠仁親王殿下の践祚・即位は、国民の世襲義務

 3.『悠仁天皇と皇室典範

 4.『小林よしのり「新天皇論」の禍毒

 5.『女性天皇は皇室廃絶男系男子天皇を、奉戴せよ

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2019312日》追記。

 

〔補足〕 憲法において法理上禁止されることと実際的措置がどうであるかということとの間にある重大な相違についての考察。

 

 日本国憲法第一条、第二条および第六条、第七条の規定は、天皇の在位を絶対前提としており、天皇不在の場合死文化する。すなわち前天皇(=今上陛下)が皇位を新天皇(=皇太子殿下)に譲ることなく放棄する(=空位にする)行為は法理上、禁止される。ましてや政府(国民)が天皇に「退位」を強制する権限などあり得ない。あまりにも自明であろう。

 それゆえ、皇位の代替わりは、憲法第二条及び皇室典範(=古来の皇位継承法)を遵守して、今上陛下が皇太子殿下に皇位を世襲継承される場合に限って、憲法の法理上、可能となる。そして日本国二千年の歴史において皇位継承の方式は「(前天皇の)崩御・(新天皇の)践祚」の場合を除けば、「譲位・受禅の儀」による方式しか存在しない(=皇位の世襲継承における普遍の伝統・法である)のだから、この方式を厳格に踏襲することこそ、法理上、唯一可能な方法なのである。憲法第二条の皇位の世襲継承に関して、「退位」なる珍奇な共産革命語の出る幕など微塵も存在しない。もっと簡潔に言えば、“譲位”は憲法第二条の“皇位の世襲継承”を可能にして第六条、第七条の死文化を防ぐことができる(但し、皇室典範特例法として譲位・受禅方式を、復旧させる必要はある)が、珍妙語「退位」の場合には、それが全く不可能である、ということだ。

 つまり、4/30に前天皇(今上陛下)が退位され、5/1に新天皇(皇太子殿下)が即位されれば、実際上の問題は生じないのだから憲法違反ではないのだ、という理屈は成り立たない。

なぜなら、今回は時の政府(=安倍内閣)が「5/1即位式」において、偶々、新天皇に“皇太子殿下”が即位されるのを《当然のこととして》認めているが、もし時の政権が天皇制廃止を目論む日本共産党やその他の野党の手にあったならば、“皇太子殿下の即位”が「当然のことではなくなる」可能性を残すからである。

すなわち、日本共産党やその他の反日政党の政権ならば、国会の議決(多数決)によって皇室典範を好き勝手に書き換えた上で、新天皇として、

・ 万世一系の皇統に属さない一般国民を即位させようとする。

・ 皇位継承順位第一位でない皇族(女性皇族を含む)を即位させようとする。

・ 前天皇に退位を強制した上で、新天皇の即位を永久に認めない。

等々の手段で「共産革命」を企てかねないため、今回の皇位の代替わりに際して、この危険の芽を完全に摘み取っておく(=排除しておく)必要がある。

   それゆえ、「4/30退位式・5/1即位式」と“5/1譲位・受禅の儀”の最大の相違点は次のように換言することができる。

 

《日本国の天皇の皇位は、“祖宗の皇統である男系の男子に世襲”されなければならず、その絶対規則(=“法”)を未来永劫、確実に保証(担保)するために、皇位継承は“古来の伝統・慣習の儀式”を厳格に踏襲した“譲位・受禅”でなければならない。》

 

 つまり、「退位」・「即位」(分離実施)と“譲位=受禅”(同時実施)の相違とは、「空位の有無」の問題だけなのではない。それらには皇位を「誰に、どのように」継承するか、すなわち“皇統男系男子への皇位の世襲継承の確実性をいかに保証(担保)するか”に関わる重大な相違があるのである。前者と後者の式典(儀式)の相違は、単なる「形式上のささいな問題」、「言葉の表現上の問題」ではないのである。

 

実際に、菅 義偉内閣官房長官によって主導されている安倍内閣の「退位特例法」とそれに基づく「退位式」・「即位式」の分離実施は、園部逸夫や奥平康弘などの共産党系憲法学の学説に沿って進行している。

その学説とは、

 

「天皇の退位可能説」+「皇太子の不就位(即位辞退)可能説」⇒「皇位継承者ゼロ」になる。

 

という天皇制廃止共産革命の憲法学説である。

そして今回の事態の推移が、この共産革命手法の準備または予行演習となっているのは明らかではないか。

 

中川八洋 筑波大学名誉教授曰く、

「二千年間もの伝統に背反する《天皇の退位》説は、《皇太子〔皇嗣〕の不就位》説とコインの裏表になって展開されている。

 《天皇の退位》も《皇嗣の不就位》も、いったんこのような大変事が起こったら、順位一位の皇位継承者に替わって即位すべき、二位以下の順位の皇族は、実際にはたじろがれて辞退される。かくして、何れの場合も空位となって、皇位の連続は不可避に途絶する。つまり、皇統の切断を狙う側からすれば、《天皇制廃止》という《コミンテルン・テーゼ》と同等の効果をもち、しかもそうとは覚られない、《天皇の退位》制度と《皇嗣の不就位》制度ほど、共産革命の方法として有効・確実なものは他にはないだろう。

 すなわち、皇統の切断にいたるのだから、《天皇の退位》と《皇嗣の不就位》は、皇統の永続的連続を定めた憲法第一条において、厳に禁止されている。憲法第一条は、一瞬たりとも天皇が不在の、日本の政体を想定していない。許容してもいない。《天皇の退位》は、憲法第一条違反である。《皇嗣の不就位》も、憲法第一条違反である。」

(中川八洋『悠仁天皇と皇室典範』、清流出版、60頁)

 

【参 考】表-1 「退位」と“譲位・受禅”との間の重大な相違のまとめ

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2019314日》追記。

 

〔補足2〕 日本国二千年の歴史において、

“皇位”は、

・ 前天皇の崩御による、新天皇の践祚(崩御・践祚)

・ 前天皇の譲位による、新天皇の受禅(譲位・受禅)

のいずれかによってのみ、“継承”される。

 

日本国二千年の皇位継承の歴史と伝統において皇位の御代替わりの方式は、上掲の二方式しか存在しない(=これは不動の歴史事実であり、皇位継承の普遍の規則である)。

 

 それゆえ皇位や剣璽の継承が“合法”的かつ“正統的”になされたか否かは、この皇位継承“法”(=歴史上の伝統的・慣習的儀式)を踏襲して行われたか否かという基準においてのみ判断し得るものである。それ以外に皇位継承の合法性と正統性の基準など存在しない。

 

 ところが安倍晋三首相、宮内庁、または八木秀次・麗澤大学教授などはこの伝統的・法的基準から逸脱した4/30「退位」式典によって皇位や剣璽が(4/30 24:00をもって自動的に)今上陛下から皇太子殿下に「継承される」のだと吹聴している。そしてその法的根拠は、上記の日本国二千年の皇位継承法の伝統・慣習を一切無視して、現在の国会が立法した法律「皇室典範特例法」と「その政令」の次の条文にあるのだと言う。

 

【天皇の退位等に関する皇室典範特例法】

 

第二条 天皇は、この法律の施行の日限り、退位し、皇嗣が、直ちに即位する

 

【天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日を定める政令(政令第三百二号)】

  

内閣は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法(平成二十九年法律第六十三号)附則第一条第一項の規定に基づき、この政令を制定する。

 天皇の退位等に関する皇室典範特例法の施行期日は、平成三十一年四月三十日とする

 

【安倍晋三首相】

 

「皇位と神器は(日付変更の)ぎりぎりまで天皇陛下(の下にあり)、午前0時をもって新天皇に継承される」(JIJI.COM 3/6 18:49配信)

 

出典リンク→https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190306-00000126-jij-pol

 

【八木秀次・麗澤大学教授】

 

「退位と即位の儀式は、同日に、一連・一体の行事として行われ、皇位の象徴である神器は直ちに引き継がれるべきだ、との主張もある。皇位に空位期間があってはならないという指摘だ。だが、同じ日、同じ場所で引き続き行わなくても空位期間は生じない

 

 皇位の象徴である剣璽等を手放されたとしても、その瞬間をもって退位されたことにはならない法的には平成31430日いっぱいまで天皇陛下は天皇であり続けられるそして新天皇は剣璽等を承継されていなくても、法的には翌51日になった瞬間に天皇に即位されたことになる430日から51日になる瞬間に皇位が継承される。同様に新元号も51日になった瞬間に適用される。

 

 剣璽等の承継は皇位が移ったことを示す儀式であり、そのことと法的にどなたが天皇の地位にいらっしゃるかは直接には繋(つな)がらない。卑近な例だが、ある日付をもって人事異動が行われる場合、辞令交付式が行われる前でもその日付になった瞬間に対象者はその地位に就いたと見做(みな)すのと同様だ剣璽等が直ちに引き継がれなくても空位期間は生じようがない。」(産経新聞web版、2018220日付、【正論】八木秀次・麗澤大学教授、「皇位継承の儀式における課題」)

 

出典リンク→https://www.sankei.com/column/news/180220/clm1802200006-n1.html

 

 安倍晋三首相や八木秀次・麗澤大学教授らは次のように主張しているのと同値である。

 

 すなわち、

 

《日本国二千年の歴史を貫く皇位継承の“法”(=初代・神武天皇から一二五代・今上陛下まで、すべての天皇が遵守してきた普遍の規則)は、現在の国会の「立法」によって容易に変更(改変)でき、しかもその「立法」は“法”を超越する効力を持ち得るのだ。》

 

このような驚くべき発想は、天皇(皇室)を崇敬・敬愛し、二千年もの間、万世一系の皇統を奉戴してきた、世界で唯一の日本国の歴史と国民(民族)性を誇りに思う日本国民には決して思い浮かばないものである。彼らの自称「保守」の看板は、支持率(人気)と選挙票を稼ぐためにする、保守層国民騙しの真っ赤な嘘看板であることは、もはや疑い得ない。

 

 余談であるが、安倍晋三首相の真実が「保守」などではなく、(かつての民主党政権の「悪夢」も吹き飛ぶほどの)「ウルトラ売国(反日)・極左」であることは、中川八洋 筑波大学名誉教授の公式ブログの以下の2本の論文を読むだけでも、一目瞭然で、疑う余地など皆無。

 

北方領土問題も、従軍慰安婦問題も、徴用工問題も、入管法改正問題も、人口減少問題も、外国人による日本領土取得問題も、男女共同参画社会基本法改正・同性婚問題、及びその他の問題も、その種を蒔き、有効な抜本的対策を何も講じず、日本国民の不利益ばかりを生み出している原因は、すべて安倍晋三・自民党である。その上、今回の「天皇(皇室)・天皇制度への大叛逆」問題である。これではもはや、かつての民主党政権だけを「悪夢」と呼ぶ(=勘違いする)のは、あまりにも愚かであることに、安倍教の狂信者もいい加減に気付くべきであろう。

 

(1) 国後・択捉島だけでなく、日本の全領土を中ロに献上する“対ロ売国/対中売国のウルトラ非・国民”安倍晋三を、今すぐ内閣総辞職させない自民党は、共産党より極左だ!

 

(2) 「従軍慰安婦」問題も「徴用工」判決も、“売国奴世界一”安倍晋三が元凶の“安倍犯罪”──“北朝鮮による韓国併呑&全半島共産化”は、日本の国益(

 

中川八洋 筑波大学名誉教授曰く、

 

「安倍晋三が股肱の部下として重用する“名うての天皇制廃止狂”二人によって、天皇制廃止の法制度と先例づくりが着々と進められてきた。“名うての天皇制廃止狂二人”とは、官房長官の菅義偉と宮内庁長官の山本信一郎のこと。前者は法政大学夜間部在籍中に、後者は京都大学法学部在籍中に、「民青(=日本民主青年同盟)」に入った(入党した)。

・・・わが国の二千年におよぶ天皇制度にあって、「譲位禁止」「受禅禁止」という“反・皇位継承”の御代替わりは前代未聞。譲位禁止かつ受禅禁止だから、むろん皇位継承ではない。神武天皇以来、皇位継承で万世一系を紡いできた日本国の偉大にして聖なる皇統は、2019年4月30日/5月1日の、譲位禁止の退位/受禅禁止の即位によって切断される。天皇制廃止の一歩手前に当たる“反・皇位継承”革命が、「四・三〇」「五・一」に遂行されるからだ。日本国が開闢してこのかた、初めての反・皇位継承が、“逆さ嘘レッテル”「皇位継承」をベッタリと貼られ、次代において断行される天皇制廃止の先例づくりのため、安倍晋三によって、人民主権論の純・共産党製式典で強行されるということである。」(中川八洋『 天皇「退位」式は、“廃帝”と宣告する人民法廷: “譲位”禁止の「四・三〇」は、憲法違反! 』、Kindle 版、Kindleの位置No.396-413)

y エドマンド・バークを信奉する保守主義者こと、 image014.png

 


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≪2019年4月13日≫閑話休題

【話題1】
● 原子力業界団体の「あつまれ!げんしりょくむら」 批判集中でサイト閉鎖
 原子力関連の業界団体、日本原子力産業協会が作ったサイト「あつまれ!げんしりょくむら」が2019年4月12日18時までに閉鎖された。
 同協会は18時、自身のサイトでお詫び文を掲載。「次世代向けサイト『あつまれ!げんしりょくむら』のwebサイトについては、不適切な表現があったため削除いたしました。ご不快な思いをされた皆様に、慎んでおわびいたします」と謝罪した。
 ■ サーバーがダウン
 協会の政策コミュニケーション部の担当者に、J-CASTニュースが12日に取材したところによると、閉鎖は12日に決まった。午後にはサーバーもダウンし、復旧作業をしていた。アクセスが集中したことが原因とみられるという。
 このサイトをめぐっては、ポップなデザインに加え、ネット上で使われる「原子力村」や「御用」といった単語が使われていたため、
  「国民をバカにしたようなものいい。なにこれ」
  「原子力ムラ自ら公言するとは思わなかったです」
  「原発事故で故郷に帰れない人達が大勢居るのに、無神経過ぎないかこのサイト」
 などの批判が相次ぎ、「炎上状態」となっていた。 (J-CASTニュース編集部 田中美知生)4/12(金) 18:21配信 
 リンク→https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000009-jct-soci.view-000
 ■■■■■
 ⇒ 一般社団法人 日本原子力産業協会の経営理念である、
 ● 原子力技術が有する平和利用の可能性が最大限に活用されるよう、その開発利用の促進に努め、将来世代にわたる社会の持続的な発展に貢献すること。
 また、そのビジョンとしての、
 ● 原子力がもつ価値の向上、 原子力がもたらす恩恵の共有、
原子力に対する信頼の確保、を目指すこと。(以上、協会ホームページより)
 などとの関連性が全くわからない酷い内容。
 協会の「猛省」を促したいと思う。

 但し、批判の的となっている協会HPの「絵」を、原子力問題から完全に切り離して、
 「無”法”、無”道徳”で多様化し、個々人の主権者意識が異常に強度になった現在の日本人(総体)の精神的様態」(→当然、作画した協会やその担当者らのそれも含める)を表した風刺画としてのみ鑑賞するならば、そこそこ的を射た逸品であると言えないでもない。
 ※ すなわち、もはや最高の名医による荒治療を施さない限り、延命余地なしの危篤状態にあるということ。

【話題2】
● 上野千鶴子の東大祝辞が「意義深い」と話題、トレンド入りも

 4月12日に開かれた東京大学・入学式での上野千鶴子氏(70)の祝辞が話題を呼んでいる。上野氏は日本を代表するフェミニストの1人であり、「女性学」や「ジェンダー研究」の第一人者だ。
上野氏は祝辞の冒頭で、昨年発覚した東京医科大の医学部入試での女子差別に言及。“息子は大学まで、娘は短大まで”という親たちの考えにもふれ、「社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています」と指摘した。
 さらに「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」と話した上野氏。「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」として、こう呼びかけた。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」
  上野氏は「ようこそ、東京大学へ」と結んだ。
 努力が報われたことで得たものを、他者に還すよう新入生に語りかけた上野氏。Twitterでは「上野千鶴子」がトレンド入りするほどの反響を呼び、賛同する声が上がっている。

《「努力が許された今までの環境は当たり前に得られるものでなく1つの特権だ」という示唆は新入生にとって意義深いと思う》
《上位の大学に限らず入るには周囲の環境によるものがとても大きい。それを知らない人が多すぎる。そして大学では知る事自体ではなく考えられてその先に行く力をつける場だと思う》
《大学新入生が何をどういった方向で学んで考えればよいのかよくわかる。もちろん東大以外の大学新入生にも役に立つ》

自らの足元を見つめ直すのも、いいかもしれない。の足元を見つめ直すのも、いいかもしれない。(女性自身)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190413-00010003-jisin-soci
 ■■■■■
 →こんなくだらい祝辞内容がなぜ反響を呼ぶのか(本当に反響を呼んでいるでいるのかどうかも)わからないが、ここでは2点のみ指摘しておきたいと思う。

 第一に、良識ある日本国民には、日本(あるいは世界の)フェミニズム(女性学)というもの(著作群)は、

 「言明された諸仮説を実験的観察や他の観察結果と対決させる検証(テスト)を行い、テストに耐えた諸仮説を選択し、テストに耐えなかった(反証された)諸仮説を排除するという理論の生存競争の永続的反復」(科学哲学者、カール・ポパー)

 という科学的方法の手続きを踏んだ、一般通念上の「学問」の領域にあるとはとても言えない、

 という「事実」をしっかり認識して欲しいということである。

(それは、以下の私の小論を読んで頂くだけでも、容易にわかるはずである。)
 →https://burkeanmem.sakura.ne.jp/antifemi201812.pdf
 →https://burkeanmem.sakura.ne.jp/antifemi2018.pdf

 2.「用語」の定義・使用法の曖昧性などに要注意のこと!
 ●「差別」と「不平等」の用語の定義と適用の曖昧さ・混同
 ● 社会のごく一部の者がなした無法・無道徳な所業の責をすべて「社会全体」や「日本の伝統や慣行や制度」にあると嘯く。
 ● 「頑張った(努力した)ことが公正に報われる社会」が理想であると言うならば、「個人の努力」に見合った「公正さ」の「報い(報酬)」とは何を意味するのか?全く曖昧かつ不明。
(→その一つの明確な回答は、ハイエクが『法と立法と自由〔Ⅱ〕「社会正義の幻想」』の第9章等で述べている。ここでは紙幅が足りないので説明を省くが、興味ある方は参照されたい。)
 ●「環境」や「社会・文化」のみが人間を決定するという、フェミニズムの「ジェンダー論」のような極端な「文化決定論」は、上記のカール・ポパーの科学的方法論において「非科学」極まる「妄想・妄言」にすぎないことを認識すべき。

 本日はここまでとする。
 以 上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2019-04-13 17:58) 

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≪2019年4月16日(火)≫これからの(令和の)時代には、フェミニズム的でない(典型的に女性的な)女性が男性の注目を一身に集めることになろう。

 東京大学の入学式での上野千鶴子氏の祝辞について、ネット上で次のような的外れな意見があったので、手短に批判しておきたい。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190415-00000034-it_nlab-soci&p=1

 この著者によれば、東京大学の入学式での上野千鶴子氏の祝辞には次の2つの意義があったのだと言う。
(1)女子教育を妨げる社会へのカウンター(パンチ)
(2)通俗道徳=「頑張れば(必ず)報われる」へのカウンター(パンチ)
 という意義だそうだ(丸カッコ内は私の補足)。
 しかし、こうした意見が事実として間違いであることは、現実社会を正しく観察することができる人ならば、誰でもすぐにわかることである。
 なぜなら、(1)については、いくつかの医科大学等で入試における不正(女子差別)があったのが事実だとしても、
 ------日本全国に存在するすべての大学レベルで見れば、圧倒的多数の国立・公立・私立・短期大学等が、学校ぐるみ(あるいは学部ぐるみ等)で女子差別の不正入試など行っていない。------
 それを理由に、現在の日本社会が「女子教育を妨げる社会である」などとは決して主張し得ない(演繹・一般化できない)。
 身近な周囲を観察してみよ。
 最近では、男女を問わず猫も杓子も大学や短大に通い卒業しているし、小学生向けの学習塾(進学塾)から大学受験予備校に至るまで、多くの男女がそこに通っている。もちろん小中高の6・3・3の教育もすべての男女に対し平等に機会が与えられているではないか。
 ゆえに「(日本社会は)女子教育を妨げる社会である」などという表現は事実を正しく表していない。一部の事実を誇大化して事実全体を歪曲した煽動デマであると言える。
 また、この著者の文脈からすると、東京大学の入学者のうち「女性」の割合が例年20%前後、大学院の修士課程で25%、博士課程で30.7%、教授職は7.8%という低比率なのは、(1)の「日本が女子教育を妨げる社会だからだ」とでも言いたいかのようである。牽強付会にも程がある。
 そしてもし東京大学の女子入学者の比率を、政府権力(立法)や大学の方針によって強制的に、50%とか40%に固定させるべき(男子比率を固定する場合も全く同じこと。)であるとするならば、そうした措置は、最近の医大入試で行われた不正(差別)と何ら変わるところがなくなるであろう。
 例えば、東京大学の入試において、ある男子受験生の成績が50%枠の女の中の誰か一人よりも高いにもかかわらず不合格となるケースが出てくるであろう。そのような男子受験生は、東大入試の合否判定が平等な学力競争の結果によるのであったならば合格したはずなのに、女子枠の存在によって不当(不公正)のも不合格にされたことになる。
 また、大学の博士課程への進学や教授職への就任などは、学業成績や研究実績(成果)によって評価・判断されるべき事象である。それらとは全く無関係に一律50%とか30%とかの女性枠(あるいは男性枠)を設定することに何の意味があるのか。
 国民の選挙で国会議員や地方議会議員などの占有議席への女性比率(または男性比率)の設定についても同じことが言え、それをすれば必ず得票数は多いのに性別の枠設定の存在ゆえに落選する男性候補者(または女性候補者)が生じることになる(ある意味で、デモクラシー・多数決の選挙結果の否定思想とも言えよう)。
 また、民間企業(私企業)などでは各々の職種の特性や規模等に応じて、女性を多く必要とする職種や男性に向く職種等が現に存在するのに、国や地方の行政機関が各企業・職種に対して採用者数の男女比率を一律に(女性50%とか40%にせよなどと)強制するのは、私企業の自由権(私権)を甚だしく侵害する行為である。

 さて次に、この著者によれば、(2)の「頑張れば(必ず)報われる」という言葉・内容がカウンターパンチをくらわすべき「(通俗的)道徳」であるのだと言う。
 しかし、「頑張ること(努力・勤勉・克己・忍耐など)」それ自体は人間の道徳(美徳)であっても、「頑張れば(必ず)報われる」というのは道徳(美徳)ではない(道徳とは言わない)。
 なぜなら、道徳(美徳)とは“個人的な(主観的な)行為---例えば、努力、勤勉、遵法など”や“個人の精神(心)の抑制---例えば、克己、忍耐、節倹など”に属する事柄であって、自他の社会的関係と予測不可能な運や偶然の事象とから生じる「客観的な結果」に属する事柄ではないからである。
 それにも関わらず、諸個人が社会の伝統・慣習などの“法”と“道徳”を自発的に遵守しなければならない理由は、そうすることによってのみ諸個人は、政府や他者から受ける「強制」を最小限に抑えて自由を確保することができると永い歴史の中で学んだからである。
 さらに自由な社会においてのみ、諸個人は「面識のない人々、その存在についてさえ知らない人々の役に立っており、ひるがえって、全く知らない他の人のサービス(事物や知識など)を利用して生きる」ことができるのである(ハイエク『致命的な思い上がり』)。
 そして、特定個人の特定時点における道徳的行為(努力など)が、その当面の目的(目標)にとって不満足な結果に終わったとしても、その結果を教訓として再びチャレンジする機会と手段を持つことが可能となるのは自由社会だけなのである。
 つまり教訓とは今後の行為の仕方を修正するための禁止則なのであり、この禁止則は自由社会においてしか得られないものであり、それを学び取る(=失敗する・意図した結果にならないという)過程なしには、人間は、個人的人生においても人類としての歴史においても、進化・進歩することはできないのである。
 以上の観点から私が思うに、この著者は人間本性の必要から生じる、社会の伝統や慣習としての法や道徳とは何であるのか、また、なぜ諸個人はそれを遵守する必要があるのか、あるいは人間の自由とは如何にして可能であり、維持され得るのか等々の社会理論や政治哲学について完全に無知であるのに、自分勝手な想像による「仮想道徳」をつくり上げて、その「仮想道徳」を非難する(カウンターパンチを喰らわせる)ことによって、無実の“真の道徳(美徳)”を悪玉に仕立て上げて日本国民を無道徳者へと誘っているのである。すなわち、無知と悪意の混在した暴論の類である。

 最後に、この著者は、「心のつらさ比べ」とか「他人の痛みだけを注視して向き合う営み」とか「他人の痛みに懸命に気持ちを寄せた先に」などと述べているけれども、上野千鶴子氏をはじめとする日本のフェミニストの著作群や発言等に見られる、家庭を守る女性、家事・育児を重視する女性、あるいは男性から愛される女性などに対する強度な蔑視と悪意の思想を読めば(知れば)、このような偽善的甘言の類は、全く無味乾燥で空虚である。
 現在の日本フェミニズム(女性学)の思想や行為を見聞きすればするほど、そこに真の意味での女性救済や弱者救済の思想、または男女が互いに尊重し合い協調し合える社会を目指そうという建設的な意図(意思)が存在するようには思えない。

 以 上。

by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2019-04-16 16:10) 

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≪2019年3月16日(2)≫この20年間で「日本を世界一冷たい国(?)」にするのに、大きく貢献したのは誰?

 その張本人の一つが「日本フェミニズム」ではないのか?

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190416-00028421-president-soci

 「プレジデント オンライン」の記事はどれも馬鹿げていてまともな内容の記事などほとんど見たことがないので、いちいち反論コメントするのも嫌なのだけど、あまりに無知というか、自己欺瞞的な記事なので、一言反論しておくこととした。

 他者への「思いやり」とか「愛情」とか「博愛・利他の精神」等は人間として重要かつ高貴な徳目であり、私はこれを否定するどころかすべての日本国民に早急に取り戻してほしいと願っているくらいである。

 しかし、こうした人間の感情や態度は「道徳感情」から生じるものであって、そのためには個々の人間が小さい頃から、基本的な道徳---すなわち、父母を大切にする・感謝する、子供を大切に育てる・愛情を注ぐ、兄弟姉妹が仲良くする、友達との友情を大切にする、忍耐・克己・自助の精神を養う、他者に親切にする、男性は女性を女性は男性を尊重し気遣う心を持つ、赤ん坊や幼児・老人・障害者などを気遣い助ける・・・などなどの伝統的な道徳や品性---を学び、身に付けて成長した場合のみに可能となることである。
 こんなことは、古来からの人間社会の真理であり、今更、述べるまでもないことだ。
 日本フェミニズムはこうした人間の品性・品格---すべての公共的愛情はそこからより多くの他者へと同心円状に広がっていく(エドマンド・バーク『フランス革命の省察』)---を「伝統的道徳は不要」として切り捨てる(実際に切り捨ててきた)ではないか。

 それで一体、何が「日本が世界一冷たい国だ」と嘆く(嘆ける)のだろうか?全く意味不明!

 はっきり言おう。
 日本を世界一冷たい国にするのに最も貢献したものの一つが「日本フェミニズム」と「男女共同参画行政・教育」であることは疑い得ない真実である。

 以 上。
by BURKE_REVIVAL_IN_JAPAN (2019-04-16 18:28)