保守主義の哲学---非科学の脱原発デマを科学的に論駁・粉砕するための良書の紹介 [政治]

 福島第一原発事故発生後、半年以上が経過した現在においても、日本国内では「放射能ヒステリー」を煽る反日極左政治家学者作家各種マスメディア煽動によって、「原発危険!」「脱原発!」、「反原発!」、「反核!」、「太陽光・風力による原子力の代替可能!」などの虚偽出鱈目大合唱され、それら宗教的呪文に過ぎない謬説が、さも科学的真実であるかのように、平然と大手を振って世間を闊歩している様子は異様である。

 このような反日極左人らの、狂気に毒されて腐敗した精神から発する、恣意的虚偽出鱈目日本国内から消滅させ、日本国民原子力放射能放射線防護学等について正しい情報に基づき、正しい判断ができるようにするためには、日本国民多くがこれらに関する正しい科学的知識学び反日極左デマゴーグの発する虚偽出鱈目に対し、一つ一つ科学的に論駁反証し、謬論に止めを刺していく以外に真の解決方法はないであろう。

 そこで本ブログでは、良識ある日本国民が今後、反原発脱原発デマゴーグの発する非科学的虚偽出鱈目言説反駁して粉砕するための正しい科学的知識智恵を得るために必読の『良書』、「正しき論文」のリストを、ここに掲載しておきたい。

 ただし、ここに掲載する『良書』等のリストは、『撃論編集部編「『洗脳された放射線恐怖』から日本人が正気を取り戻す良書リスト」(『撃論』Vol.3オークラ出版2011.10116124頁)で紹介されているものである。

 この『撃論編集部優れた論文趣旨賛同の意を表して、〔=ブログ作成者〕のブログに転載し、紹介させて頂いた次第である。

 ゆえに、各著書の内容の概略については『撃論』Vol.3201110月の該当頁を参照されたいと思う。

 原発問題関連の「論文

 ○ 『撃論』編集部…「月刊誌『Will』は、国益に合致するか」(『撃論』Vol.3、オークラ出版、2011.1074頁)

 ○ 札幌医科大学教授 高田純…「故郷喪失(不要な非難強制)を福島県民に強いた菅直人の犯罪」(『撃論』Vol.3、オークラ出版、2011.1076頁)

 ○ 筑波大学名誉教授 中川八洋…「『脱・原発』を叫ぶ“福島瑞穂のペット”西尾幹二」(『撃論』Vol.3、オークラ出版、2011.1086頁)

 ○ 『撃論』編集部…「『洗脳された放射線恐怖』から日本人が正気を取り戻す良書リスト」(『撃論』Vol.3、オークラ出版、2011.10116頁)

 科学的論拠基づく原発問題関連の『良書

 (1) 外国人が日本のために緊急に出版した新著3冊(必読の書

 ◆ (米国)ラッキー『放射能を怖がるな!』、日新報道、20118月。

 ◆ (仏国)クロード・アングレ『原発はほんとうに危険か?』、原書房、20117月。

 ◆ (英国)ウェード・アリソン『放射能と理性』、徳間書店、20117月。

 (2) 良識ある日本人学者(放射線医学の専門家)の著書ベスト4必読の書

 ◆ 近藤宗平『人は放射線になぜ弱いか』、ブルーバックス、199812月。

 ◆ 高田純『世界の放射線被曝地調査』、ブルーバックス、20021月。

 ◆ 高田純『福島 嘘と真実』、医療科学社、20117月。

 ◆ 藤野薫『放射線ホルミシスの話』、せせらぎ出版、20044月。藤野は代筆ライター。実際の著者は稲恭宏(医学博士)。

 (3) その他の良書

 ◇ 佐藤満彦『放射能は怖いのか』、文春新書、20016月。

 ◇ 近藤宗平『低線量放射線の健康影響』、近畿大学出版局、20059月。

 ◇ 土居雅広ほか『低線量放射線と健康影響』、医療科学社、20077月。

 ◇ 山下俊一ほか『核の砂漠とシルクロード観光のリスク』、医療科学社、200910月。

 ◇ 高田純『ソ連の核兵器開発に学ぶ放射線防護』、医療科学社、20103月。

 ◇ 柴田徳思『放射線概論』、通商産業研究社、20112月。

 ◇ 中村仁信『低放射線は怖くない』、遊タイム出版、20116月。

 ◇ 服部禎男『<放射能は怖い>のウソ』、武田ランダムハウスジャパン、20118月。


保守主義Series-15--- Burke『フランス革命の省察』;悪徳の極み、フランス暴力革命 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 この度は、私的な諸事情によりブログ更新が大変遅くなりましたことを読者の皆様に深くお詫び申し上げます。

 なお、今後とも、読者の皆様の忍耐と寛容の心をもって、拙ブログとお付き合い頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

 さて、今回Series 15は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“悪徳の極み、フランス暴力革命”と題してバークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。

 本ブログ社会主義共産主義思想唯一無二強力解毒薬である保守主義の父エドマンドバークの『フランス革命の省察』の最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党社民党共産党その他の社会主義政党破壊的打撃与えていくであろうと確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から邦訳し直して逐次ブログに掲載し、日本国中復活させるスタンスを保守していく。

 読者の皆さまにおかれましては、我々祖国日本社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制議会制デモクラシー”の真正日本国の姿へと救出奪還復活するため、“バーク保守哲学”、“真正保守自由主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。

 邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎としながら、その詳細についてバーク哲学の基本原理を明解にするため、〔=ブログ作成者〕が補足更訂して理解しやすく改善したものである。

 さらに、今回は、サミュエルスマイルズ品性論』の中から、現在の多くの日本国民に最も欠落しているように思えてならない「克己心自制心)」について、数段落を抜粋して邦訳し、「CHARACTER, CHAPTER--- SELF-CONTROL」と題して掲載することにした。

 おそらく現在の若者たちの中には「克己」の読み方意味すら解らない者も多いのではなかろうかと心配になるが、それが、解ろうと解るまいと「克己心(こっきしん)」なくして、文明人が自らの属する文明社会の中で善く(上手に)生きることなど決してできないのが避けがたい現実なのである。

 故に、ここでは、サミュエルスマイルズ品性論』における「克己心」に関する内容を選別して読み易くして掲載したので、若者たちは、少なくとも一度は目を通して頂きたいと思う。

 「道徳なんか、超うざい超面倒!私は人権守られている!!」などと思っている者もスマイルズの『品性論』を一度でよいから読んでみて欲しい。

 「こんな大切なことを知らなかったなんて、こんな大事なことを学校で全く教えてくれないなんて、マジヤバイマジ文科省教育委員会日教組最低!」と思うかもしれない。

 さらに「こんな道徳も知らず、こんなヘンテコな言葉遣いしかできない自分は、日本人として超ヤバイ?」と痛感するかもしれない。

 〔=ブログ作成者〕はそのような反応が若者たちからどんどん返ってくることを期待してやまない。

 が、現役世代大人たち高齢世代大人たちも「そうだ!全くその通りだ!!」と納得ばかりしている場合ではない幼児子供青少年品性は、彼らを育てた大人品性の「に過ぎない」のだから…。

 This was unnatural. The rest is in order.

 They have found their punishment in their success.

  Laws overturned; tribunals subverted; industry without vigour; commerce expiring; the revenue unpaid, yet the people impoverished; a church pillaged, and a state not received; civil and military anarchy made the constitution of the kingdom; everything human and divine sacrificed to the idol of public credit, and national bankruptcy the consequence; and to crown all, the paper securities of new, precarious, tottering power, the discredited paper securities of impoverished fraud, and beggared rapine, held out as a currency for the support of an empire, in lieu of the two great recognized species that represent the lasting conventional credit of mankind, which disappeared and hid themselves in the earth from whence they came, when the principle of property, whose creatures and representatives they are, was systematically subverted.29

 29) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.36-37.『フランス革命の省察』、みすず書房、5051頁に対応)

 この反逆は、自然に反した(=異常なこと)でした。

 (ゆえに)残りの出来事は自然の道理に従って起こりました。

 彼ら(フランス人)は、(自然に反した行為)に成功したがゆえに、罰を受けたのです。

 (フランスの)法は覆され法廷は瓦解し、産業は活力を失い、通商は途絶し、歳入は納税されないにも拘らず国民は貧窮し、教会は略奪され、聖職者身分は救済されず、国民(文民)と軍隊(軍人)双方における無法が(フランス)王国の国体となりました。

 人間に関すること(=政治)も神に関すること(=宗教)もすべて公債という偶像(=人間理性の象徴的産物)のための犠牲とされ、結果は国家の破産でした。

 そして極めつけは、新参で頼りなく今にも倒れそうな権力が発行する紙幣(=アシニア紙幣)だったのです。

 それは窮乏した詐欺師が発行した信用できぬ保証の紙切れにすぎず、それは帝国を支えるための通貨として約束された表現困難な略奪にすぎませんでした。

 そしてその紙幣で以て、恒久的慣習的に人類の信用を代表してきた二大正貨(=金貨と銀貨)に取って代わろうというのです。

 この二大正貨は、所有の原理

 ――紙幣とは、二大正貨被造物であり、またその表現にすぎません――

 が組織的に破壊された時点で消失し、自らの生まれ故郷である大地の中へと自ら姿を隠してしまいました。

 Were all these dreadful things necessary?

  Were they the inevitable results of the desperate struggle of determined patriots, compelled to wade through blood and tumult, to the quiet shore of a tranquil and prosperous liberty?

 No! nothing like it.

 The fresh ruins of France, which shock our feelings wherever we can turn our eyes, are not the devastation of civil war; they are the sad but instructive monuments of rash and ignorant counsel in time of profound peace.

 They are the display of inconsiderate and presumptuous, because unresisted and irresistible authority.

 The persons who have thus squandered away the precious treasure of their crimes, the persons who have made this prodigal and wild waste of public evils(the last stake reserved for the ultimate reason of the state) have met in their progress with little, or rather with no opposition at all.

 Their whole march was more like a triumphal procession than the progress of a war.

 Their pioneers have gone before them, and demolished and laid everything level at their feet.

 Not one drop of their blood have they shed in the cause of the country they have ruined.

 They have made no sacrifices to their projects of greater consequence than their shoe-buckles, whilst they were imprisoning their king, murdering their fellow citizens, and bathing in tears, and plunging in poverty and distress, thousands of worthy men and worthy families.

 Their cruelty has not even been the base result of fear.

 It has been the effect of their sense of perfect safety, in authorizing treasons, robberies, rapes, assassinations, slaughters, and burnings throughout their harassed land.

 But the cause of all was plain from the beginning.30

  30) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.37-38.(『フランス革命の省察』、みすず書房、5152頁に対応)

 こうした恐るべき行為は皆必要だったのでしょうか。

 愛国者が、平穏で繁栄した自由という心安らかな彼岸にたどり着くには、殺戮と騒乱の中を踏み分けて進むのを余儀なくされ、決意を固めて死に物狂いの闘争したことによる不可避の結果だったのでしょうか。

 いいえ、違います

 それとはおよそ似ても似つきません

 フランスの新たな廃墟は、どこを見渡しても我々の感情に衝撃を与えますが、内乱による惨禍ではなくて、深い平和時代の中で無分別で無知な企てがもたらした、悲しいが教訓を多く含む(王国の)遺跡なのです

 それは、抵抗もされず、また抵抗することもできないからこそ無思慮傲岸権力の見世物です

 このように自らの犯罪によって得た貴重な財産を惜しみもなく使い果たした連中国家(政府)による悪事〔国家の究極的な存在理由として、保留されてきた、触れてはならぬ身代金というべきもの〕という放蕩野蛮な老廃物を生み出した連中は、その過程において殆ど、というよりはむしろ全く反対者に出会いませんでした。

 彼らの進軍全体が、交戦中の前進というよりも(戦争後の)凱旋行進に似ていました。

 先陣(=ルソーやボルテールらの啓蒙思想家)が彼らの前を進み、すべてを足下に破壊し去り平らに均しておいた(=虚偽の平等主義などの思想をまき散らしておいたのです。

 彼らは自らが破滅させた国家の大義のために一滴たりとも自分の血は流しませんでした

 彼らは国王を投獄し、同胞国民を殺戮し、幾千もの優れた人々や優れた家族を涙で溢れさせ貧困と苦悩に陥れながらも、他方甚大な結果をもたらした彼らの計画のためには、靴の留金以上の犠牲何も支払わなかったのです。

 彼らの残酷さは、恐怖に起因した卑劣な結果でさえありませんでした。

 それは、疲弊しきった国土のいたる所で、叛逆強盗略奪暗殺虐殺放火などの行為を正当化して(許可を与えて)も、自分達だけは完全に安全であるという彼らの意識がもたらしたものだったのです。

 いずれにせよすべての原因は最初から明白だったのです。

 This unforced choice, this fond election of evil, would appear perfectly unaccountable, if we did not consider the composition of the National Assembly; I do not mean its formal constitution, which, as it now stands, is exceptionable enough, but the materials of which in a great measure it is composed, which is of ten thousand times greater consequence than all the formalities in the world.

 If we were to know nothing of this Assembly but by its title and function, no colours could paint to the imagination anything more venerable.

 In that light the mind of an enquirer, subdued by such an awful image as that of the virtue and wisdom of a whole people collected into a focus, would pause and hesitate in condemning things even of the very worst aspect.

 Instead of blameable, they would appear only mysterious.

 But no name, no power, no function, no artificial institution whatsoever, can make the men of whom any system of authority is composed, any other than God, and nature, and education, and their habits of life have made them. Capacities beyond these the people have not to give.

 Virtue and wisdom may be the objects of their choice; but their choice confers neither the one nor the other on those upon whom they lay their ordaining hands. They have not the engagement of nature, they have not the promise of revelation for any such powers.31

  31) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.38.(『フランス革命の省察』、みすず書房、52頁に対応)

 強いられた訳でもないこの選択――つまり、好んで悪へと向かうこの選択――は、国民議会の構成を考えてみない限り全く不可能でしょう。

 私が言いたいことはその形式上の構成――現状ではそれも異議を唱えるのに充分なのですが――のことではありません。

 私が言いたいのは、世界中の形式問題を合わせたよりも1万倍も重要な、国民議会の大部分を構成している実質の方なのです。

 もし、我々がこの国民議会について、その(表面上の)肩書きと職務による以外何も(実体を)知らないとするならば、どのような色彩を以てしてもこれ以上尊ぶべきものを想像力に向かって描いて見せることは不可能でしょう。

 そうした見方をすれば、(国民議会の)質問者の心は、(あたかも)一点に集められた全国民の美徳と智恵の心であるかのような畏怖のイメージによって抑制され、事態のまさに最悪の側面についてすら強く非難するのに気が引け躊躇することになるでしょう。

 そうした(事態の最悪の側面についてすら批判を躊躇するような)態度は、非難されるどころか、かえって神秘的であると思われるだけなのです。

 しかし、如何なる名称如何なる権力如何なる職務如何なる人為的制度といえども、ある権力機構の構成者たち(=政府の構成者たち)を、これまで自然教育彼らの生活習慣によって規定されて来た存在以外の存在に変えることなど不可能なのです。

 また、(政府が)与えようにも、そもそも(受け入れる側の)国民が、それを上回る許容能力など持っておりません

 確かに美徳智恵は、国民による選択の対象たり得るでしょう(→国民は、国政選挙において、立候補者の美徳や智恵らしきもの判断して投票行動することはあり得るだろう)。

 だからと言って、国民による選択(=国民による選挙)が、国民自らが聖職の按手を行った人々(=国民による選挙で当選し、国政を担うよう運命づけられた政治家)に対して美徳と智恵を授与したことにはなりません

 国民は、そのような選挙による権力者の誰とも、原初契約を結んだわけでもないし、権力者との間に、神の啓示に基づく契約を結んだわけでもないからです。

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【平成231030日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)


中川八洋 筑波大学名誉教授の論文速報 [政治]

  読者の皆様へ

 いつも私の稚拙な小論をお読み頂き、ありがとうございます。

 さて、中川八洋 筑波大学名誉教授の近今の論考が撃論(オークラ出版)に掲載されているとの速報を、尊敬する友人のお一人から頂きました。

 バーク保守主義・真正保守(自由)主義の観点から、日本国における現在進行形の政治情勢の本質を見抜く眼力を養いたい方は、是非とも読んで頂きたいと思います。

 ㈱オークラ出版、『撃論 Vol.3』(2011年10月18日発売)

 086--筑波大学名誉教授 中川八洋;「脱・原発」を叫ぶ“福島瑞穂のペット”西尾幹二 

 それでは皆様、読書の秋を楽しみましょう。


保守主義Series-14--- Burke『フランス革命の省察』;ジャコバン党のマニフェスト「フランス人権宣言」 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 14は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“ジャコバン党のマニフェスト「フランス人権宣言」”と題してバークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。

 〔=ブログ作成者〕は社会主義共産主義思想唯一無比強力解毒薬である保守主義の父エドマンドバークの『フランス革命の省察』の最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに徐々に破壊的打撃与えていくであろうと確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から邦訳して、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させるスタンスを保守する所存である。

 読者の皆さまにおかれましては、我々祖国日本社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制議会制デモクラシー”の真正日本国の姿へと救出奪還復活するため、“バーク保守哲学”、“真正保守自由主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。

 邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部について、前後段落等のバークの論旨忠実に従って、〔=ブログ作成者〕が補足更訂して理解しやすく改善したものである。

 さらに、今回は、サミュエルスマイルズ品性論』から、「女性の品性と結婚」について、ほんの数段落だけを抜粋して邦訳し、「CHARACTER, CHAPTER--- COMPANIONSHIP IN MARRIAGE」と題して掲載することにした。

 〔=ブログ作成者〕の所感であるが、最近の日本国の女性の品性堕落と言うよりも、醜態目に余るものがある。

 女性が女性らしさを喪失してしまっているならば、「女性の権利」などという概念自体もはや全くの不要物」であろう。

 日本国の良識ある女性たちは、愚かなフェミニスト煽動されて、「女性の権利」とか日本人フェミニスト造語(=日本国固有の奇語)である「ジェンダーフリー」などを連呼するのを止めて、先ずもって“女性としての道徳的義務を果たすべきであり、何より先ずもって、自分自身が真の女性としての体裁を整えるべきである”とだけ批判して、ここでは止めておくこととしよう。

 この〔=ブログ作成者〕の短い所感に反感を抱く女性諸氏は、まずもって次のサミュエルスマイルズCHARACTER, CHAPTER--- COMPANIONSHIP IN MARRIAGE」を読んだ後、各自で「何がなぜ正しくて何がなぜ間違っているのか」を真剣に考えて頂きたいと切に願うものである。

 また、先のブログにおいて、Mサッチャー(『サッチャー回顧録[上][下]下』、日本経済新聞社)および(『サッチャー私の人生[上][下]』、日本経済新聞社)から幾つかの項目を抜粋して、サッチャー保守主義概要を纏めて「サッチャー保守主義読本」として掲載したが、存外好評のようなので、今回もこれへのリンクをサッチャー保守主義”の外観を知るための参考資料として添付しておくこととした。興味ある方はぜひ読んで頂きたいと思う。

 Compute your gains: see what is got by those extravagant and presumptuous speculations which have taught your leaders to despise all their predecessors, and all their contemporaries, and even to despise themselves, until the moment in which they became truly despicable.

 By following those false lights, France has bought undignified calamities at a higher price than any nation has purchased the most unequivocal blessings!

 France has bought poverty by crime!

 France has not sacrificed her virtue to her interest; but she has abandoned her interest, that she might prostitute her virtue.

 All other nations have begun the fabric of a new government, or the reformation of an old, by establishing originally, or by enforcing with greater exactness some rites or other of religion.

 All other people have laid the foundation of civil freedom in severer manners, and a system of a more austere and masculine morality.

 France, when she let loose the reins of regal authority, doubled the license, of a ferocious dissoluteness in manners, and of an insolent irreligion in opinions and practices; and has extended through all ranks of life, as if she were communicating some privilege, or laying open some secluded benefit, all the unhappy corruptions that usually were the disease of wealth and power.

 This is one of the new principles of equality in France.27

 27) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.35-36.(『フランス革命の省察』、みすず書房、49頁に対応)

 (革命によって)貴方がたが手に入れたものを数えてみて下さい。

 貴方がたの(革命の)指導者たちに、すべての祖先やすべての同時代人を蔑視することを教え、そればかりか、自分たちがどうにも見下げ果てた存在に成り切ってしまうまさにその瞬間(=暴力革命を起こすに至る)まで、自らをも蔑視することすら教えたあの誇大で傲岸な思弁によって、一体何が得られたとお考えでしょか。

 そのような誤った見地に従ったために、フランスは紛れもない災難を買ってしまいました。

 しかも、正真正銘の(神の)恩恵を得るために、(これまで)どんな国家が支払った代償よりも大きな代償を払って、です。

 フランス罪を犯して貧困を手に入れたのです。フランスは、美徳を犠牲にして利益を得たのではなく、フランスは、美徳を売って利益も捨ててしまったのです。

 他国の国民ならばすべて、新しく政府を構成したり、古い政府を改善したりする場合には最初に、何らかの宗教的祭儀創立するか、あるいは旧来の宗教的祭儀をより厳正に実施することから始めたものでした。

 他国の国民ならばすべて、(貴方がたフランス国民)より厳格なやり方でかつ、より威厳堂々たる道徳体系の中に、国民の自由基礎を据えたものでした。国王の権威による統治から自由になった時フランスでは、(国民の)野蛮で放蕩の自由が風俗の中に倍加し、(国民の)思想と行動において、傲慢で反宗教的な放縦(の自由)が倍加したのです。

 しかも、恰もフランスは、何かの特権を(他国に)伝達しているかのように、あるいは隠されていた恩典を(他国に)公開しているかのように、普通は富と権力にまつわる疾病である筈のあらゆる不幸な腐敗を、すべての身分にわたって拡散させた(→腐敗の平等とも言えよう)のです。これが、フランスにおける新しい平等原理の一つなのです

 France, by the perfidy of her leaders, has utterly disgraced the tone of lenient council in the cabinets of princes, and disarmed it of its most potent topics.

 She has sanctified the dark suspicious maxims of tyrannous distrust; and taught kings to tremble at(what will hereafter be called) the delusive plausibilities, of moral politicians.

 Sovereigns will consider those who advise them to place an unlimited confidence in their peoples, as subverters of their thrones; as traitors who aim at their destruction, by leading their easy good-nature, under specious pretences, to admit combinations of bold and faithless men into a participation of their power.

 This alone (if there were nothing else) is an irreparable calamity to you and to mankind.

 Remember that your parliament of Paris told your king, that in calling the states together, he had nothing to fear but the prodigal excess of their zeal in providing for the support of the throne.

 It is right that these men should hide their heads.

 It is right that they should bear their part in the ruin which their counsel has brought on their sovereign and their country.

 Such sanguine declarations tend to lull authority asleep; to encourage it rashly to engage in perilous adventures of untried policy; to neglect those provisions, preparations, and precautions, which distinguish benevolence from imbecility; and without which no man can answer for the salutary effect of any abstract plan of government or of freedom.

 For want of these, they have seen the medicine of the state corrupted into its poison.

 They have seen the French rebel against a mild and lawful monarch, with more fury, outrage, and insult, than ever any people has been known to rise against the most illegal usurper, or the most sanguinary tyrant.

 Their resistance was made to concession; their revolt was from protection; their blow was aimed at a hand holding out graces, favours, and immunities.28

 28) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.36.(『フランス革命の省察』、みすず書房、4950頁に対応)

 指導者たちの背信によってフランスは、王家の議事室の中の寛大な顧問会の気品さを完全に汚し去り、顧問会を支持すべき最も有力な論拠を剥奪してしまいました。

 フランスは、専制的とも言える疑惑付きの暗く怪しげな行動原理を(間違って)神聖なものと見做してしまったのです。

 そして、道徳家ぶった政治家たちの〔今後はきっとそう呼ばれるであろう〕欺瞞的口舌には怖れ震えるべし、と王達に教えたのです。

 (それゆえに、)今後国王たちは、臣民には無限の信頼を置くように諫奏する臣下を、王位の転覆を計る者と見做すようになるでしょう。

 そして国王たちは、そうした諌奏者を王位の破滅を目論む反逆者

 ――即ち、国王たちの素直で善良な性質を操り、さも尤もらしい口実の下に、厚顔で不誠実な連中の徒党が国王の権限の分け前にあずかるのを、国王たちに認めさせようと目論む反逆者――

 と見做すようになるでしょう。

 このことだけ〔他には何もないと仮定した上ですが〕でも、貴方がた(フランス国民)と(他国の国民たちすべての)人類との双方とって、取り返しのつかない大災難被ったのです。

 パリ高等法院がフランス国王に告げたことを思い出して下さい。

 パリ高等法院はフランス国王に、身分の隔てなく一緒くたにした議会を招集しても、王位を支持するために為される惜しみない熱誠の行き過ぎ以外には何も恐れるものなど御座いません(=国王に諫言できる真の忠臣を反逆者と見做しなさい)、と告げたのです。

 (パリ高等法院の)このような輩徒は、恥じ入って姿を消すべきです。

 彼らは自らの勧告が国王とその王国にもたらした破滅について、責任を果たす義務があります。

 そもそも、このような自信に満ちた断言を聞かされると、権力は得てして安心させられて眠りの状態に陥り易いのです。

 そして、権力は煽りたてられて、未だ試みたこともない政策という危険な冒険行為を始め易いのです。

 善意に基づく行為と(善意であると勘違した)愚昧に基づく行為とを区別する手立てや備えや警戒を怠ることにもなりがちです。

 そして、それらの備えや警戒無しには誰も――抽象的な統治計画や自由の計画(と呼ばれるもの)であればどのような計画でも、(必ず)有益な結果をもたらす――とは言えないのです。

 国王たちは、それらの備えを欠いていたため、国家のための良薬(=制限された統治権)を毒(=無制限の権力)に変じてしまったのを経験しました。

 また、国王たちは、フランス国民が寛大で法に基づいた王制に叛逆するフランス革命を経験しました。

 それも、(フランス革命は)最も不法な簒奪者、最も残忍な専制君主に対して、かつて立ち上がったと言われるどのような民衆にも見られなかった程狂暴非道侮辱発揮しての叛逆でした

 フランス国民は、(国王の)譲歩に対して反抗し、(国王の)保護から、放縦の自由を求めて反乱を起こしたのです。

 フランス国民による突然の攻撃は、慈悲と恩顧と義務免除を差し出す(国王の)手に対して向けられたのです。

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【平成231011日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)   


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