保守主義Series-13---E・ Burke『フランス革命の省察』から学ぶ;法と美徳と自由 [政治]

  読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 13は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“法と美徳と自由”と題してバークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。

 〔=ブログ作成者〕は社会主義共産主義思想唯一無比強力解毒薬である保守主義の父エドマンドバークの『フランス革命の省察』(→世界標準では、「保守主義のバイブル」と呼ばる)の最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに徐々に破壊的打撃与えていくであろうと確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から邦訳して、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させるスタンスを保守する所存である。

 読者の皆さまにおかれましては、我々祖国日本社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制議会制デモクラシー”の真正日本国の姿へと救出奪還復活するため、「極左カメレオン政党変色擬態」に決して惑わされることなく、“バーク保守哲学”、“真正保守自由主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。

 邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部について、前後段落等のバークの論旨忠実に従って、〔=ブログ作成者〕が補足更訂して理解しやすく改善したものである。

 ただし、今回ブログで抜粋した部分に対応する、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)の訳文の一部には、明白な誤訳箇所があり、その誤訳の影響で、この段落では全体として、バーク思想正しく伝わっていないと思われるため、恐れながら今回〔=ブログ作成者〕が邦訳を修正させて頂いたつもりである。

 邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 さらに、今回は、ブログの末尾に、サミュエルスマイルズ品性論』から、ほんの数段落だけであるが、“における母親の役割”に関する部分を抜粋して邦訳したので「CHARACTER CHAPTER---HOME POWER」と題して掲載することにした。

 ここに抜粋した段落は短文のものばかりであるが、それを一読するだけで、スマイルズ『品性論』の持つ道徳的価値が理解できるであろう。

 また、前回のブログにおいて、Mサッチャー(『サッチャー回顧録[上][下]下』、日本経済新聞社)および(『サッチャー私の人生[上][下]』、日本経済新聞社)から幾つかの項目を抜粋して、サッチャー保守主義概要を纏めて「サッチャー保守主義読本」として掲載したが、今回もこれを“サッチャー保守主義”の外観を知るための参考資料としてリンクを添付することとした。

 Would it not, my worthy friend, have been wiser to have you thought, what I, for one, always thought you, a generous and gallant nation, long misled to your disadvantage by your high and romantic sentiments of fidelity, honour, and loyalty; that events had been unfavourable to you, but that you were not enslaved through any illiberal or servile disposition; that in your most devoted submission, you were actuated by a principle of public spirit, and that it was your country you worshipped, in the person of your king?

 Had you made it to be understood, that in the delusion of this amiable error you had gone further than your wise ancestors; that you were resolved to resume your ancient privileges, whilst you preserved the spirit of your ancient and your recent loyalty and honour; or, if diffident of yourselves, and not clearly discerning the almost obliterated constitution of your ancestors, you had looked to your naighbours in this land, who had kept alive the ancient principles and models of the old common law of Europe meliorated and adapted to its present state---by following wise examples you would have given new examples of wisdom to the world.

 You would have rendered the cause of liberty venerable in the eyes of every worthy mind in every nation.

 You would have shamed despotism from the earth, by showing that freedom was not only reconcilable, but as, when well disciplined it is, auxiliary to law.

 You would have had an unoppressive but a productive revenue.

 You would have had a flourishing commerce to feed it.

 You would have had a free constitution; a potent monarchy; a disciplined army; a and venerated clergy; a mitigated but spirited nobility, to lead your virtue, not to overlay it; you would have had a liberal order of commons, to emulate and to recruit that nobility; you would have had a protected, satisfied, laborious, and obedient people, taught to seek and to recognize the happiness that is to be found by virtue in all conditions; in which consists the true moral equality of mankind, and not in that monstrous fiction, which, by inspiring false ideas and vain expectations into men destined to travel in the obscure walk of laborious life, serves only to aggravate and embitter that real inequality, which it never can remove; and which the order of civil life establishes as much for the benefit of those whom it must leave in an humble state, as those whom it is able to exalt to a condition more splendid, but not more happy.

 You had a smooth and easy career of felicity and glory laid open to you, beyond anything recorded in the history of the world; but you have shown that difficulty is good for man.26 

 26) Edmund Burke, Reflections on the revolution in France, Dover publications, Inc, pp.34-35.(『フランス革命の省察』、みすず書房、4749頁に対応)

 貴方は私の尊敬すべき友人だからこそ申し上げましょう。

 私としては、何時も貴方がた(フランス国民)のことを、寛大で勇敢な国民であると考えてきました

 貴方がたは、そのように考える方が、誠実名誉および忠誠という高貴で物語風の感情によって、長い間、誤って導かれてきたために、自分たちは不利益を被ってきたのだ、などと考えるよりも賢明だったのではないでしょうか

 また、事の成り行きこそ不運だったにせよ、貴方がたはどんな偏狭、卑屈な気質にも隷属することはなかったし、貴方がたが最も献身的に服従する時には、公共心の原理に従って行動したし、貴方がたが尊崇したのは、国王のいる王国であったと考えたほうが賢明であったのではないでしょうか?

 どうして貴方がたは、この好感を抱ける誤謬

 (=誠実、名誉および忠誠という高貴で物語風の感情によって長い間、誤って導かれてきたと考える誤謬)

 に惑わされた時、自分たちが、賢明な祖先以上の昔へと遡ってしまったということを(人々に)理解できるようになさらなかったのでしょうか。

 どうして、古来より継承され現在に至る忠誠名誉精神保持している間に、貴方がたの古来の諸特権(=諸権利)を回復する決意であることを(人々に)理解できるようになさらなかったのでしょうか。

 あるいはもし、貴方がたが、ほとんど消滅しかかっていた祖先の憲法を明瞭に認識できなかったなら、どうしてこの国にいる隣人

 ――ヨーロッパの古きコモンローという古来原理規範とを改善し、現状に適合させて生き生きと保持してきた隣人(=英国英国民)――

 に注意を御向けにならなかったのでしょうか。

 賢明な実例(→英国の名誉革命)に従うことによって、貴方がたは、世界に対して新たな智恵の実例(→第二の名誉革命のごとき実例)を示すことができた筈です。

 すべての国家のすべての卓越した精神の眼前に、自由の大義尊重すべきものとして提示できた筈です。

 自由調和するばかりか、それ(=自由)が良く訓練された場合にはの補完物たることを示すことを通して、専制政治恥じ入らせてこの地上から退散させた筈です。

 抑圧的でなく、しかもしかも実りの多い歳入を得ていた筈です。

 その歳入を支える繁栄した商業を手に入れていた筈です。

 更に、自由の憲法、強力な立憲君主制規律ある軍隊改善され尊敬を捧げられている聖職者、貴方がたの美徳を抑圧するのではなく、導いていく温厚であるが勇敢貴族、そのような貴族模倣し、また貴族補給源ともなる自由な秩序をもつ庶民、保護され満ち足りていて、勤勉でしかも従順民衆

 ――境遇の如何を問わず美徳によって見出される幸福追求し、知るように教えられた民衆――

 等々を持っていた筈です。

 実際、人類の真に道徳的な平等とはこの美徳の中にこそあれ、何か怪しげな虚構(→革命フランス人権理論など)

 ――その虚構が、困難な人生を覚束ない歩みで進んでいくように運命づけられた人間(という存在)に、間違った思考空虚期待抱かせ、また決して取り除くことのできない、あの現実の不平等悪化させ、一層ひどくするのです。

 その現実の不平等とは、卑賤の境遇にとどまらねばならない人々に対しても、より華麗ではあるが、さりとて(それだけ多くの義務を負うなどして、必ずしも)より幸福だとは言い難い境遇上昇可能な人々に対しても等しく利益になるように文明人の秩序が定めた不平等なのです――

 の中(→怪しげな虚構の中)にはありません

 貴方がた(フランス王国)の前には、世界の歴史の中で記録された何ものにも勝って平穏気楽幸福と栄光の道が開けていました。

 それなのに、貴方がたは(革命を起こすことによって)艱難は人間にとって有益なものであるという怪しげな虚構を(世界に)見せつけてくれたのです。

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【平成23925日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発) 


保守主義Series-12--- Burke『フランス革命の省察』;祖先を尊敬してこそ、自分を尊敬できる [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 12は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“祖先を尊敬できれば、自分を尊敬できる”と題してバークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。

 〔=ブログ作成者〕は社会主義共産主義思想唯一無比強力解毒薬である保守主義の父エドマンドバークの『フランス革命の省察』の最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに徐々に破壊的打撃与えていくであろうと確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から邦訳して、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させるスタンスを保守する所存である。

 読者の皆さまにおかれましては、我々祖国日本社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制議会制デモクラシー”の真正日本国の姿へと救出奪還復活するため、「極左カメレオン政党変色擬態

(→野田内閣発足早々に予測通り、国家公安委員長厚労相・財務相経産相などの“暴言暴論”でその反日極左社会主義の本性露呈し始めた。)

 に決して惑わされることなく、“バーク保守哲学”、“真正保守自由主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部について、前後段落等のバークの論旨忠実に従って、〔=ブログ作成者〕が補足更訂して理解しやすく改善したものである。

 なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 なお、今回のブログの末尾に、「英国の偉大なる宰相、MARGARETTHATCHERバーク保守主義」と題して、Mサッチャー英元首相の著作『サッチャー回顧録[上][下]』、『サッチャー私の半生[上][下]』に記された、サッチャー英元首相保守哲学英国実際に施行された膨大施策記録の中から、〔=ブログ作成者〕の個人的独断で抽出して繋ぎ合せて、「真正保守自由主義政党の掲げるべき政治思想施策読本(以後、「サッチャー保守主義読本と呼ぶ)」的なものを作成して〔=ブログ作成者〕のHPに掲載した。

 日本国天皇皇室)及び日本国民悠久の繁栄を消し去らぬために、民主党以後日本国政治が進むべき航路の“正しき羅針盤”として、〔=ブログ作成者〕のホームページに掲げた、英国労働党治療した正義に基づく強力な“サッチャリズム”のエッセンス抽出した「サッチャー保守主義読本」を自由民主党再起再生再興プロセスの参考として活用して頂きたいと願うものである。今回はこの「サッチャー保守主義読本」の作成の方に力を入れすぎたため少し疲れました…。

 You might, if you pleased, have profited of our example, and have given to your recovered freedom a correspondent dignity.

 Your privileges, though discontinued, were not lost to memory.

 Your constitution, it is true, whilst you were out of possession, suffered waste and dilapidation; but you possessed in some parts the walls, and in all the foundations of a noble and venerable castle.

 You might have repaired those walls; you might have built on those old foundations.

 Your constitution was suspended before it was perfected; but you had the elements of a constitution very nearly as good as could be wished.

 In your old states you possessed that variety of parts corresponding with the various descriptions of which your community was happily composed; you had all that combination, and all that opposition of interests, you had that action and counteraction which, in the natural and in the political world, from the reciprocal struggle of discordant powers, draws out the harmony of the universe.

 These opposed and conflicting interests, which you considered as so great a blemish in your old and in our present constitution, interpose a salutary check to all precipitate resolutions.

 They render deliberation a matter not of choice, but of necessity; they make all change a subject of compromise, which naturally begets moderation; they produce temperaments, preventing the sore evil of harsh, crude, unqualified reformations; and rendering all the headlong exertions of arbitrary power, in the few or in the many, for ever impracticable.

 Through that diversity of members and interests, general liberty had as many securities as there were separate views in the several orders; whilst by pressing down the whole by the weight of a real monarchy, the separate parts would have been prevented from warping and starting from their allotted places.24

 24) Edmund Burke, Reflections on the revolution in France, Dover publications, Inc, pp.32-33.(『フランス革命の省察』、みすず書房、4546頁に対応)

 貴方がた(フランス国民)は、もし望んだならば、英国の実例によって裨益され、貴方がたに相応しい尊厳ある自由を取り戻していたかも知れません。

 中断したとはいえ、貴方がた(フランス国民)の特権は、記憶の中から失われてはいませんでした。

 貴方がたが憲法を喪失している間、憲法が衰退し、荒廃していたのは確かですが、それでも貴方がたは、高貴で由緒ある城郭(=憲法・国体)の城壁の一部と基礎の全部とを失ってはいませんでした。

 貴方がたはその城壁を修復できたかも知れませんし、旧来の基礎の上に(城郭を)再建することができたかもしれません。

 貴方がたの憲法は、完成する前に停止させられてしまいましたが、望み得る限り、極めて最善に近い憲法の構成要素は備えていたのです。

 貴方がたの旧来の等族会議(三部会)には、貴方がたの共同体(=フランス王国)を適切に構成する様々の身分と対応する様々の構成部分(=聖職者、貴族、平民)がありました。

 貴方がたの(王国の)下には、利害の結合と対立、作用と反作用――自然の世界においても、政治の世界においても、意見の一致しない諸権力相互間の苦闘の中から、万物の調和を導き出す、かの作用と反作用――のすべてもまた、あの通りに存在していました。

 貴方がたが、貴国の旧憲法や我が英国の現憲法の大欠陥と見做したこれら諸利害の対立や葛藤は、実は、我々の早急軽率な決定行為に対して、健全な抑制となるものなのです。

 それによって、(我々は)熟慮するという選択ができるのではなく、必然的に熟慮せねばならなくなるのです。

 すべての変革を妥協の問題とさせ、そこに自ずと節度が生まれます。

 それは苛酷で粗野で歯止めの無い革新の甚だしい害悪を防止します。少数者の手中にあるか、多数者の手中にあるかを問わず、恣意的権力を向う見ずに行使することも永久に不可能となります。

 構成員や利害の多様性を通じて、社会全体の自由は、個々の身分がそれぞれ持っている考え方の数と等しい数の保障を得てきたのです。

 同時に、真正の王制の重みで全体を抑えておくことによって個々の構成部分が、各々定められた位置から逸脱しないようになっていました。

 You had all these advantage in your ancient states; but you chose to act as if you had never been moulded into civil society, and had everything to begin anew.

 You began ill, because you began by despising everything that belonged to you.

 You set up your trade without a capital.

 If the last generations of your country appeared without much luster in your eyes, you might have passed them by, and derived your claims from a more early race of ancestors.

 Under a pious predilection for those ancestors, your imaginations would have realized in them a standard of virtue and wisdom, beyond the vulgar practice of the hour; and you would have risen with the example to whose imitation you aspired.

 Respecting your forefathers, you would have been taught to respect yourselves.

 You would not have chosen to consider the French as a people of yesterday, as nation of lowborn servile wretches until the emancipating year of 1789.

 In order to furnish, at the expense of your honour, an excuse to your apologists here for several enormities of yours, you would not have been content to be represented as a gang of Maroon slaves suddenly broke loose from the house of bondage, and therefore to be pardoned for your abuse of the liberty to which you were not accustomed and ill fitted.25

 25) Edmund Burke, Reflections on the revolution in France, Dover publications, Inc, pp.33-34.(『フランス革命の省察』、みすず書房、4647頁に対応)

 貴方がた(フランス国民)は、古来の等族会議(三部会)の中にこれらの長所すべてを備えていました。

 ところが貴方がたは、まるで未だかつて文明社会を形成したことなど無いかのように、すべてのことを新規に始めなければならないかのように、行為する道を選択したのです。

 貴方がたの始め方は間違っています。というのも、自らのものすべてを蔑視することから始めたからです。

 貴方がたは全く資本なしで商売に乗り出しました。

 もし、(現世代の)貴方がたから見て、貴国(フランス)の先代(の国民)が大した栄光を示さなかったとしても、その先代を通り越して、それ以前の祖先たちに自分の主張の根拠を求めることもできた筈ではありませんか。

 そうした祖先たちを敬愛していたならば、貴方がたは想像力によって、目下の野卑な行動など及びもつかぬ水準の美徳と智恵が祖先たちの中にあると認識できたことでしょう。

 そして自らが願望する祖先たちの実例を模倣することによって、貴方がたは、向上できたことでしょう。

 貴方がたは、祖先を尊敬することによって、自分自身を尊敬することも教えられたことでしょう。

 フランス国民を目して、時代遅れの国民、1789年という解放の年まで惨めだった生まれの賤しい奴隷的国民だと見做すなどという選択をすることもなかったでしょう。

 貴方がた(フランス国民)の名誉を犠牲にしてまで、貴方がたの幾つかの残虐非道な行為を、わが英国にいて弁護する輩に対して口実を提供してしまうことはなかったでしょう。

 つまり、我が国の弁護人たちが、貴方がたのことを、西インド諸島の脱走奴隷の群れ――突然捕囚の家から解放され、それ故に、不慣れで分不相応な自由の誤用も許されるべきだ――などと口にするのを甘受することもなかったでしょう。

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【平成23919日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


保守主義の哲学---日本国民の前から消え失せろ! 嘔吐を催す腐敗政党「民主党」 [政治]

 読者皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、この度の野田佳彦政権発足早々の、鉢呂吉雄経済産業相の暴言による交代劇は、民主党の腐敗した本性の必然的露呈であろうが、経産相辞任後の野田佳彦首相および民主党幹部議員らの動きは、辞任劇に輪をかけて一層賤しく醜い

 次の産経新聞の記事をお読み頂きたい。

 【産経新聞】

 「報道のせいで…」 失言反省せず八つ当たり まるで政権末期(2011.9.12 22:17

 ―――――

 枝野幸男前官房長官が経済産業相に起用された最大の決め手は「ソツのなさ(→逃走上手、腕の立つ詭弁家の意味しかない)」だった。

 野田佳彦首相(→似非保守スーパー反日極左政権)は政権へのダメージを食い止めるため、迅速に鉢呂吉雄前経産相を交代させたが、枝野氏の起用が本当に「適材適所(→党内セクト横断人事小沢一郎実質的復権のこと)」なのか。

 輿石〔こしいし〕〔あずま〕(→旧社会党出身、日教組親玉)幹事長は、閣僚たちの「地金」(→マルクス主義マルクスレーニン主義のこと)が露出することを嫌い、政府・民主党内で異例の“言論統制(→ロシア共産党北朝鮮労働党中共同じ”に乗り出すなど、政権末期のような混乱をみせ始めた。〔加納宏幸、小田博士〕

 「鉢呂氏が辞任した経過も含め大変残念だ。報道のあり方→民主党の無責任無道徳責任転嫁)について皆さんももう一度考えてもらいたい

 輿石氏は12日、初の定例記者会見で記者団に注文を付けた。

 鉢呂氏の非公式な発言を記事にした方が悪いと言わんばかりで、報じた報道機関の幹部からの「事情聴取」(→「思想言論表現自由」などの自由主義制限という社会主義者典型的発想)も始めた。

 「報道のせいで何も言えなくなっちゃったよ」「何を書かれるか分からんからしゃべれんわ」(→小児的発想政治家として致命的

 12日昼の政府・民主三役会議終了後、党執行部の口は重かった。箝口令が敷かれたからだ。

 輿石氏は14日の両院議員総会で閣僚や党所属議員にも発言を慎むよう徹底する考えだ。

 失言反省せず八つ当たりをするのは政権末期の様相だ。首相の所信表明演説のための臨時国会を13日からの4日間に限ったが、いずれ「不完全な内閣」(平野博文国対委員長)を露呈しかねない。

 首相は9日の記者会見で鉢呂氏が東京電力福島第1原発周辺を「死の町」と表現した後、厳重注意にとどめる意向だった。しかし、記者団に「放射能をうつしてやる」と発言したことが同日夜に発覚すると、「更迭」にかじを切った。

 鉢呂氏と同じ旧社会党出身輿石氏は辞めるべきではないという考え持っていた」(官邸筋)。

 だが、いじめを助長する「放射能発言があっては、元教員(→ルソー教マルクスレーニン教狂信教師集団のこと)として抗しきれなかったようだ。

 首相は11日夜に枝野氏に経産相就任を打診し、輿石氏に伝えた。

 「官房長官として3年分働いたので休みたい。行革を一兵卒として支える」

 今月2日の組閣直前、枝野氏は周囲にこう漏らしていた。

 だが、弁護士出身だけあって目立った失言もなく、連日の記者会見をこなした「ソツのなさ」を逆に首相に買われた。

 だが、この人事が新たな波乱を生んだ。菅直人前首相による震災や原発事故対応の責任を、枝野氏も一蓮托生で負っているからだ。

 枝野氏は3月17日、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の観測結果について「情報はどこかで一元化し勝手に出さないように」と文部科学省や原子力安全・保安院に指示しており、住民への情報公開が遅れた張本人が枝野氏ではないかとの指摘もある。

 野党側は国会で枝野氏の「連帯責任」を追及する構えだ。

 首相のいう「適材適所」とはほど遠い交代劇を、民主党長老は皮肉った。

 「最近の閣僚は〔疑惑に関する〕身体検査よりも国語力検査

 (→国語力の問題ではない社会主義者共産主義者無道徳無宗教唯物論という致命的な人間性の欠陥問題である)

 が必要だ。国語力があれば後は役人が何とかしてくれる(→これが、野田首相の言う官僚を使うという意味か?)

 ※ 〔  〕内:新聞記者、(  )内:〔=ブログ作成者〕のコメント

 ―――――

 〔=ブログ作成者〕は、はっきりと申し上げる。

 日本国民の前から消え失せろ! 嘔吐を催す腐敗政党民主党」。

 次に、保守偽装の「泥に隠れる臆病どじょう野田佳彦本性露呈する記事を掲載して今回の短いブログを終了したい。

 【産経新聞】

 官邸発信「ご都合主義」 記者取材避けブログで一方的釈明(2011.9.13 00:33

 ―――――

 内閣発足から12日で10日が過ぎたが、野田佳彦首相が記者からの取材を拒み続けている

 自身に対する外国人からの違法献金という重大問題を「文書回答で済ませたかと思えば、重要閣僚の一人、鉢呂吉雄前経済産業相が失言で引責辞任したのに、記者会見にも出てこない

 さすがにまずいと思ったのか、12日には首相官邸の公式ブログとして「官邸かわら版」を新設したものの、ここでも一方的に釈明するだけ。どうやら「記者の質問」が嫌い(→「説明責任能力ゼロなようだ。

 ○「守り」行き過ぎ

 11日は節目の一日だったが、首相はなんら反応しなかった。東日本大震災から半年が過ぎたことも、米中枢同時テロから10年を経て世界で鎮魂の動きが広がっても、メッセージすら出さなかった

 確かに言葉の軽さで自滅した鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相を反面教師にすれば、「守り」に入りたくなるのは分かる。だが、それもやや行き過ぎている。

 首相は就任してから、記者団によるぶらさがり取材や声かけにも、まともに取り合おうとしていない。

 それなら定期的に記者会見を開くつもりがあるのかというと、それも未定

 「被災地にも行くなどしてさまざまに発信している。政権発足から間もなく、まだスローペース→この時期にスローペースが許されるという認識それ自体政権担当能力ゼロの証明)だ」

 震災半年に首相自らが記者会見して、被災者にメッセージを発すべきではなかったかと記者団に問われた内閣のスポークスマン、藤村修官房長官は12日の記者会見でこう弁明した。

 ○違法献金逃げ

 首相自らが違法献金問題への説明を行う必要性に関しては藤村氏は「ちょっと過去の例みてみる」と逃げを打った

 あの鳩山氏でさえ、首相時代の平成21年12月、自身の偽装献金問題で記者会見を開いて釈明しているのに…。

 首相は今回のブログ開始を「内閣の仕事ぶりを伝えるため、歴代の先輩首相にならった(→「他者をだしにする」という最も卑怯醜い責任逃れ発想)」と記述。

 先週末の視察を順番に書き連ねた上で、鉢呂氏の辞任を「実に残念です。信頼を取り戻せるよう、内閣が一丸となって…」と謝罪している。

 ところが「本来であれば駅前で、皆さんと顔を合わせながら話をしたいところですが、とりあえずはこの方法〔ブログ〕で始めてみます」と書き、当面、記者会見はしない雰囲気を漂わせている

 (→「駅前演説」など政治家の基本姿勢であって、取り上げて賞賛すべき美徳ではない。加えて、最も駅前演説好きなのが「日本共産党」であるのは、日本全国同じではないのか?)

 政権維持という「守り」に徹するあまり、一方的な情報発信という「ご都合主義」に陥ったようだ。〔村上智博〕

 ※ 〔  〕内:新聞記者、(  )内:〔=ブログ作成者〕のコメント

 ―――――

 最後にもう一度、〔=ブログ作成者〕は、はっきりと申し上げる。

 日本国民の前から消え失せろ! 嘔吐を催す腐敗政党民主党」。

【平成23913日】

エドマンドバーク保守主義者  


保守主義Series-11(2)--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;相続・美徳ある自由・家族 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 11(2)は、前回Series11(1)の続編として、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“相続美徳ある自由家族について、バークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。

 さて、反日極左マニフェストを掲げる民主党の首相が誰にChangeしようとも無関係に、〔=ブログ作成者〕は社会主義共産主義思想唯一無比強力解毒薬である保守主義の父エドマンドバークの『フランス革命の省察』の最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに徐々に破壊的打撃与えていくであろうと確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させるスタンスを保守する所存である。

 読者の皆さまにおかれましては、我々祖国日本社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制議会制デモクラシー”の真正日本国の姿へと救出奪還復活するため、「極左カメレオン政党変色擬態

 (→野田内閣発足早々に予測通り、国家公安委員長厚労相・財務相経産相などの“暴言暴論”でその反日極左社会主義の本性露呈し始めた。)

 に決して惑わされることなく、“バーク保守哲学”、“真正保守自由主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部について、前後段落等のバークの論旨忠実に従って、〔=ブログ作成者〕が補足更訂して理解しやすく改善したものである。

 なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 Through the same plan of a conformity to nature in our artificial institutions, and by calling in the aid of her unerring and powerful instincts, to fortify the fallible and feeble contrivances of our reason, we have derived several other, and those no small benefits, from considering our liberties in the light of an inheritance.

 Always acting as if in the presence of canonized forefathers, the spirit of freedom, leading in itself to misrule and excess, is tempered with an awful gravity.

 This idea of liberal descent inspires us with a sense of habitual native dignity, which prevents that upstart insolence almost inevitably adhering to and disgracing those who are the first acquirers of any distinction.

 By this means our liberty becomes a noble freedom.

 It carries an imposing and majestic aspect.

 It has a pedigree and illustrating ancestors.

 It has its bearings and its ensigns armorial.

 It has its gallery of portraits; its monumental inscriptions; its records, evidences, and titles.

 We procure reverence to our civil institutions on the principle upon which nature teaches us to revere individual men; on account of their age; and on account of those from whom they are descended.

 All your sophisters cannot produce anything better adapted to preserve a rational and manly freedom than the course that we have pursued, who have chosen our nature rather than our speculations, our breasts rather than our inventions, for the great conservatories and magazines of our rights and privileges.23

 23) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.32.(『フランス革命の省察』、みすず書房、45頁に対応)

 我々は、自らが築き上げた制度の中で自然に従うという例の方法を通じて、そしてまた、誤り易くか弱い理性の考案物を補強すべく自然の不謬かつ強力な摂理の援けを求めることで、英国民自由相続財産として考えることによって、他の幾つかの原理――それらは、多大の利益を有する原理です――を導き出してきました。

 あたかも列聖化された祖先見ているかのように思いながら何時も行動すれば、それ自体としてはルールから逸脱したり過度になったりしがちな自由の精神と雖も、畏怖すべき威厳によって中庸を得るようになるものです。

 (自分たちが)この中庸を得た自由家系子孫であると考えることで、英国民は常に英国固有の尊厳意識するのです。

 そしてこの意識が、どのような名声であれ、それを最初に獲得した人々に、ほとんど不可避的に付きまとってその品位を汚してしまう、あの成り上がり者的な尊大さ自制するのです。

 このような方法で、英国民自由高貴な自由となり、堂々として荘重な自由となるのです。

 我々の自由には家系図があり、それを証拠立てる祖先もいます。我々の自由には紋章紋章旗もあります。

 そして肖像画廊記念の碑銘記録証拠称号もあります。

 我々は、個々人をその年功やその祖先(の功績)を理由として、人を尊敬すべきことを自然に学びますが、我々はまさにその原理に基づいて、英国の国家制度に対する崇敬の念を抱くのです。

 英国民は、自らの権利特権の偉大な保存所および倉庫として、思弁(=人間の理性)ではなくむしろ自然(=神の摂理)を、発明の才(=意志恣意)ではなくむしろ胸中の感情(=古き偏見)を選びまた。

 貴国(=革命フランス)の詭弁家達の誰であろうと、道理に適った高潔な自由を保持するのに適した方法として、我々英国民が求め辿ってきた道筋以上のどんなより良い方法も産み出すことはできない筈です。

 ―――――

 (3) 英国憲法の基本原理---自由相続財産

 〔=ブログ作成者〕の解説

 これについては、中川八洋(『保守主義の哲学』、PHP研究所)の以下の解説を参照頂きたい。

 ―――中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、152153頁(ここから)―――

 「自由相続」という、英国憲法原理の一つは、このように「自由の大憲章〔マグナ・カルタ〕」によって形成されたのである。

 マグナ・カルタはのち、32回も国王によって再確認されて生命を保ち続けた。

 また、17世紀初頭であったが、(エドワード・)コークの『英国法提要』第二巻の冒頭での解説もあって、近代英国憲法の基本文書の一つとなった。

 「自由相続」という英国憲法の原理は、それ以来、不動である。

 さて英国が自由を「世襲の原理」において体現するという天才的発明に成功したのは、国家を代々続く家族〔「」〕からアナロジカルに把握し、国家家族複合的一体化して透視したからである。

 このことは、バークの「世襲の原理」の説明(→本ブログの前回、保守主義Series-11(1)本文最終行を参照のこと)によく現われている。

 (バーク曰く、)

 「この世襲相続原理を選択するに当たって、英国民は、血縁関係のイメージをもって国体の枠組み把握してきました。

 即ち、英国国体を我々の最も愛する家族の絆と結び付けて、英国基本法を我々の家族の愛情で包み込みました。

 そして、英国の国家暖炉〔=国民各個の家族〕と墓標〔=祖先〕と祭壇〔=宗教〕を相互に不可分のものにするとともに、それらを全英国民が一緒になって、相互に通じ合う慈愛をもって暖かく大事に育ててきたのです」

 自由の権利を「世襲の原理」をもってその正当性の根拠とするのは、英国憲法の普遍の哲理である。

 が、バークはこれに加えてもう一つ重要なことを提示する。

 それは「世襲の原理」に基づく自由のみが、単なる自由ではなく、自由が「高貴な自由」「堂々として荘重な自由」「美しき自由」「倫理ある自由になるという“自由の高級化”の働きについてである。

 そして政治は「世襲の原理」に従えば、祖先の叡智をフルに活用できるばかりか、絶えず祖先に対して恥ずかしくないかと自問する「祖先の見ている前の政治」となるから、最高レベルへと向上する。

 (バーク曰く、)

 「英国民自由相続財産として考えることによって、他の幾つかの原理

 ――それらは、多大の利益を有する原理です――

 を導き出してきました。

 あたかも列聖化された祖先見ているかのように思いながら何時も行動すれば、それ自体としてはルールから逸脱したり過度になったりしがちな自由の精神と雖も、畏怖すべき威厳によって中庸を得るようになるものです。

 (自分たちが)この中庸を得た自由家系子孫であると考えることで、英国民は常に英国固有の尊厳意識するのです」

 そしてこの意識が、どのような名声であれ、それを最初に獲得した人々に、ほとんど不可避的に付きまとってその品位を汚してしまう、あの成り上がり者的な尊大さ自制するのです。このような方法で、英国民自由高貴な自由となり、堂々として荘重な自由となるのです」

 ※ 〔  〕内:著者の補足説明 、(  )内:〔=ブログ作成者〕の追加補足

 ―――中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、152153頁(ここまで)―――

 →さらに、同著の中から、家族国体憲法)と美徳ある自由に関するバーク保守主義哲学の重要な原理を一部抜粋・掲載する。

 この中川八洋氏の著作中の、“家族”を最小単位の核とする“中間組織”が破壊された場合に、人間が陥る生の顛末」に関するニスベットの分析については、現在の日本国民が拳々服膺して熟読すべき内容であろう。

 ―――中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、170171頁(ここから)―――

 「すべての階級区分は、もしそれが適切に秩序づけられていれば、どんな政体であろうと専制行き過ぎに対する強力な障壁〔バリアー〕となるのは真実である。

 ・・・これなくして、中庸の自由を守ることはできない」〔バーク『フランス革命の省察』、みすず書房、234頁〕。

 個人は、自然的に成長してきた、階級という共同体家族親族という血縁の共同体教会を縁とする信仰の共同体を縁とする居住の共同体、・・・などの「中間組織」に何重にも属することによって、単なる「裸の個人」〔アトム〕にならずに済むだけではない。

 社会に浮遊する「裸の個人」になれば、国家権力が(法を無視して)個人に対する自由の侵害をするとき、自らの自由を守ってくれるバリアーは存在せず、直ちに自由を喪失する。

 個人は国家権力に対して砂粒にすぎない。

 また、民族伝統慣習、あるいはそれらがつくる権威は、これらの「中間組織」に宿っているのであり、「中間組織」で育たない限り、自己を認識できる健全な人格形成されない

 伝統慣習権威とが「人間を人格化する」のである。

 道徳的向上は、自卑心のなせるものだが、伝統慣習小社会共同体〕に生命を得ている権威への服従価値体系の共有〕において、この自卑心は生じるのである。

 ニスベットは次のように言う。

 「〔伝統的なしがらみからなる〕家族宗教団体地方生活共同体・・・〔という中間組織の〕から解放されたあとに人間が得るものは、自由と諸権利ではない

 耐え難い孤独恐ろしい不安悪魔的劣情への属である」〔ニスベット『共同体の探究』、梓出版社、28頁〕

 人間は(自分が)どう生きるかについての情報すら、「中間組織(→家族はその最重要基本単位である)」で訓練され学習しない限り、手にすることはできない。

 (祖先我々子孫へと世襲され、教育される)伝統慣習人間の行為の指針である。

 デモクラシー(の水平化・平等化原理)による、階級を含めた数多くの「中間組織」の解体弱体化は、必然的に人間の人格の破壊疎外深化もたらす

 「中間組織」が破壊されアトムを促すデモクラシー社会は、「根無草人間」「余白的マージナル」「憑依的妄想人間」「無規範アノミー人間」「孤独に苛まれる人間」〔ニスベット『共同体の研究』、梓出版社、18頁〕を増大させる。

 要は、自然発生的成長した種々雑多な「中間共同体」は、一切の過去から切断された(=「人間の意志」、「完成された人間理性」という妄想と傲慢に基づく)「社会契約」の人工的共生社会communeコミューン)〕

 ――レーニンの「人類世界共同体」やヒトラーの「民族共同体」――

 とは対極的に、過去から連綿とつづいている伝統・権威慣習棲息の場でもある。

 伝統権威慣習なくして個人自己を認識できない自己を発見できないから、「中間組織」を失った絶対的デモクラシーの共生社会では、精神的空虚冒され人格は空洞化ボロボロに崩れる虚無漂流する。

 荒涼たる原野を餌を求めてさまよう一匹の動物ごときものとなり果てる。

 「不安と孤独にさいなまれる人間」「無規範的人間無法者〕」「妄想人間」「幻覚人間」の増大は不可避となる。

 ※〔  〕内:著者の補足説明 、(  )内:〔=ブログ作成者〕の追加補足

 ―――中川八洋『保守主義の哲学』、PHP研究所、170171頁(ここまで)―――

 〔=ブログ作成者〕の解説

 ここで、中間組織の最小単位である家/家族の重要性についてSamuel Smiles, “CHARACTER”より一節を訳出して、紹介しておこう。

 ----- SAMUEL SMILES, “CHARACTER”, Serenity Publishers, LLC, pp.26-27. (ここから)-----

 Home is the first and most important school of character.

 It is there that every human being receives his best moral training, or his worst; for it is there that he imbibes those principles of conduct which endure through manhood, and cease only with life.

 It is a common saying that “Manners make the man;” and there is a second, that “Mind makes the man;” but truer than either is a third, that “Home makes the man.”

 For the home-training includes not only manners and mind, but character.

 It is mainly in the home that the heart is opened, the habits are formed, the intellect is awakened, and character moulded for good or for evil.

 From that source, be it pure or impure, issue the principles and maxims that govern society.

 Law itself is but the reflex of homes.

 The tiniest bits of opinion sown in the minds of children in private life afterwards issue forth to the world, and become its public opinion; for nations are gathered out of nurseries, and they who hold the leading-strings of children may even exercise a greater power than those who wield the reins of government.

 It is in the order of nature that domestic life should be preparatory to social, and that the mind and character should first be formed in the home.

 There the individuals who afterwards form society are dealt with in detail, and fashioned one by one.

 From the family they enter life, and advance from boyhood to citizenship.

 Thus the home may be regard as the most influential school of civilization.

 For, after all, civilization mainly resolves itself into a question of individual training; and according as the respective members of society are well or ill-trained in youth, so will the community which they constitute be more or less humanized and civilized.

 -----SAMUEL SMILES, “CHARACTER”, Serenity Publishers, LLC, pp.26-27. (ここまで)-----

 家とは、(人生における)最初で最重要の品性の学校である。

 人は皆、家において、最善の――最悪の場合もあるが――道徳教育(=躾)を受ける。

 なぜなら、人は、家において、品行の根本を学ぶが、それは、成人してから死ぬまで一生変わらないからだ。

 世間一般に、「礼儀作法を身に付ければ、人は一人前になる」と言われ、第二に「知性を養えば、人は一人前になる」と言われる。

 何れも正しいが、第三に言われる「家の教育(=躾)によって、人は一人前になる」というのが最も正しい。

 なぜなら、家の教育(=躾)には、礼儀作法と知性の教育のみならず、品性の教育も含まれているからだ。

 人は――主として、家の教育によって――心情を開花させ、習慣を形成し、智力に目覚め、品性を善良、邪悪のいずれにも為し得るのである。

 社会を支配する原理や格言は――直接であれ、間接であれ、すべて――家の教育という源泉から生起するのである。

 (国家の)法とは、(国家を形成する)家々の教育を反映した鏡像にすぎない。

 (家での)私生活において、子供の心に蒔かれた極めて些細な意見の断片が、その後、社会に向けて発せられて国民世論となる。

 というのも、子供が(成人して家の)子供部屋から外へ出て、社会に集合して国家となるからであり、子供を教導する権限を握った者が統治権力を掌握した者より、一層大きな権力を行使することができるからである。

 家庭生活は社会生活への準備であり、知性と品性が、家の教育において最初に形成されるというのは自然の道理である。

 将来、社会を形成する個々の子供は、家において、細やかに、その家の流儀で教育される。

 人の一生は家族から始まり、少年期から(社会人としての)大人へと成長していく。

 このように、家とは、最も影響力ある文明化(開花)の学校と言える。

 なぜなら、詰まる所、文明化(開花)とは、主として個々人の教育(の程度)に帰着するからだ。

 すなわち、社会全体の文明度(=善悪の程度)の大勢は、社会を構成員する個々人が青年期に受ける教育の善し悪しによるのである。

 ※ 邦訳:〔=ブログ作成者〕、(  )内:〔=ブログ作成者〕の補足説明。

【平成23910日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


保守主義Series-11(1)--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;神の摂理と偏見の哲学 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 11(1)は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“神の摂理と偏見の哲学について、バークの主張を拾い上げ、若干の解説を加えたいと思う。

 さて、反日極左マニフェストを掲げる民主党の首相が誰にChangeしようとも無関係に、〔=ブログ作成者〕は社会主義共産主義思想唯一無比強力解毒薬である保守主義の父エドマンドバークの『フランス革命の省察』の最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知し続けることが徐々に民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに徐々に破壊的打撃与えていくであろうことを確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させるスタンスを保守する所存である。

 読者の皆さまにおかれましては、我々祖国日本社会主義汚染から“道徳ある自由主義”・“確固たる立憲君主制議会制デモクラシー”の真正日本国の姿へと救出奪還回復するため、「極左カメレオン政党変色擬態」に決して惑わされることなく、“バーク保守哲学”、“真正保守自由主義哲学”の日本国全土への大拡散に、ご協力願いたい次第である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部について、前後段落等のバークの論旨忠実に従って、〔=ブログ作成者〕が補足更訂して理解しやすく改善したものである。

 なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 ―――――

 This policy appears to me to be true result of profound reflection; or rather the effect of following nature, which is wisdom without reflection; and above it.

 A spirit of innovation is generally the result of a selfish temper and confined views.

 People will not look forward to posterity, who never look backward to their ancestors.

 Besides, the people of England well know, that the idea of inheritance furnishes a sure principle of conservation, and a sure principle of transmission; without at all excluding a principle of improvement.

 It leaves acquisition free; but it secures what it acquires.

 Whatever advantages are obtained by a state proceeding on these maxims, are locked fast as in a sort of family settlement; grasped as in a kind of mortmain forever.

 By a constitutional policy, working after the pattern of nature, we receive, we hold, we transmit our government and our privileges, in the same manner in which we enjoy and transmit our property and our lives.

 The institutions of policy, the goods of fortune, the gifts of Providence, are handed down, to us, and from us, in the same course and order.

 Our political system is placed in a just correspondence and symmetry with the order of the world, and with the mode of existence decreed to a permanent body composed of transitory parts; wherein, by the disposition of a stupendous wisdom, moulding together the great mysterious incorporation of the human race, the whole, at one time, is never old, or middle-aged, or young, but in a condition of unchangeable constancy, moves on through the varied tenour of perpetual decay, fall, renovation, and progression.

 Thus, by preserving the method of nature in the conduct of the state, in what we improve we are never wholly new; in what we retain we are never wholly obsolete.

 By adhering in this manner and those principles to our forefathers, we are guided not by the superstition of antiquarians, but by the spirit of philosophic analogy.

 In this choice of inheritance we have given to our frame of policy the image of a relation in blood; binding up the constitution of our country with our dearest domestic ties; adopting our fundamental laws into the bosom of our family affections; keeping inseparable, and cherishing with the warmth of all their combined and mutually reflected charities, our state, our hearths, our sepulchers, and our altars.22

 22) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.31-32.(『フランス革命の省察』、みすず書房、43-44頁に対応)

 ―――――

 私には、この(英国憲法〈国体〉の不易の)方針は、深甚な省察から得られた(事実に合致した)正しい結果に見えます。というよりはむしろ自然

 (→ここでバークが用いる「自然」は、その定義を慎重に読む必要がある。下記の〔=ブログ作成者〕の解説を参照のこと。)

 に習ったための効果と見えます。

 自然とは、省察を要せずして叡智であり、またそれ以上のものなのです。

 革命好みの精神は、一般的には利己的性質や視野の偏狭さの結果です。

 祖先を捨てて些かも過去を顧みない(革命好きの)人々は、未来の子孫に思いを致すこともしないものです。

 それだけではありません。相続という観念は、確実な保守の原理確実な伝達の原理を涵養し、しかも改善の原理全く排除しないということを、英国民は熟知しています。

 相続の原理は、獲得を自由に行なわせますが、獲得したものは保障(=譲渡の自由は制限)してくれます。

 これらの原理に則って行動する国家が達成した成果はすべて、恰も、いわば家族継承財産の中にでもあるかのようにしっかりと施錠され、一種の死手譲渡として永遠に把持されます。

 自然という模範に習って作用する憲法の方針によって、英国民は自分達が財産や生命を享受したり、それらを(子孫へ)伝えたりするのと同じ方法で、英国の政府と諸特権を(祖先から)受けとり、保持し、(子孫へ)伝えるのです。

 (英国憲法の)方針によって生じた諸制度運命のもたらした財産神意の賜物(=神慮などは、同じ道筋と同じ順序で、(祖先から)我々に伝えられ、また、我々から(子孫へと)伝えられていきます。英国の政治制度は、万物の秩序と正しく対応し調和しています。

 それはまた、移ろい行く諸部分(=身体の各部分)によって構成される永遠の身体(=身体全体)に対してあるべく定められた生存様式に正しく対応し、調和しています。

 そこでは、偉大で神秘的な人間社会の形成に大きな影響を与えている驚嘆すべき叡智の配慮によって、社会全体が一度に老年であったり、中年であったり、若年であったりすることは決してありません。この社会全体変革不能恒常的状態にあり、(全体として恒常的状態を保ちながら、諸部分)、衰退没落修繕漸進という変化に富む不断の行程を辿りながら前進していくのです。

 このように、自然の方法を国家の行為の中に維持することによって、我々は(政治制度の)改善を行なうに際して、決して新奇ずくめとはならず、(政治制度を)保持するに際しても、決して、全部が全部古ければよい、ということにはならないのです。

 また、こうした方法と原理に則りながら自らの祖先に追従することによって、我々は――古物愛好家の迷信に、ではなく――哲学的な類比の精神に、導かれるのです。

 この世襲相続原理を選択するに当たって、英国民は、血縁関係のイメージをもって国体の枠組み把握してきました。

 即ち、英国国体を我々の最も愛する家族の絆と結び付けて、英国基本法を我々の家族の愛情で包み込みました。

 そして、英国の国家暖炉(=国民各個の家族)と墓標(=祖先)と祭壇(=宗教)を相互に不可分のものにするとともに、それらを全英国民が一緒になって、相互に通じ合う慈愛をもって暖かく大事に育ててきたのです

 ―――――

 →〔=ブログ作成者〕の解説

 今回引用したパラグラフには、バーク保守主義哲学原理が多く散りばめられている。

 それら各々について、詳細に解説する紙幅はないが、ここではごく簡単に〔=ブログ作成者〕の解説を列挙させて頂きたい。

 (1) このパラグラフにおけるバークの用語「自然(=nature)」の定義について

 このパラグラフにおいて、バークが使用する「自然」とは、ルソーを筆頭とするフランス啓蒙思想トマスホッブスジョンロックの思想における、「思弁上観念」としての「自然社会」や「自然法」が意味する「自然」とは全く異質の概念であり、むしろ「正反対の概念」であることを正しく認識する必要がある。

 このパラグラフを慎重に精読すれば、バークの使用する「自然」は以下のような意味で主張されているのが容易に解るはずである。

 ○ 「省察を要せずして叡智、またそれ以上のもの」

 ○ 「(英国英国民が)相続という観念に則って行動すること」

 ○ 「自然という模範に習って作用する憲法の方針

 ○ 神意の賜物(=神慮)、万物の秩序

 ○ 「自らの祖先に追従すること」

 つまり、簡潔に纏めれば、このパラグラフでバークが使用する「自然」とは、「“神の意志神慮)”を畏怖し、“古来祖先の叡智”を尊崇し、それらに従順であること」と言える。

 例えば、バークの「偏見〈=古きものへの尊敬〉」の哲学について、

 ―――――

 バーク曰く、

 In England we have not yet been completely emboweled of our natural entrails; we still feel within us, and we cherish and cultivate, those inbred sentiments which are the faithful guardians, the active monitors of our duty, the true supporters of all liberal and manly morals.

 (Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.85.(『フランス革命の省察』、みすず書房、109-110頁に対応)

 英国において我々は、自分達に自然に備わった臓腑を未だ完全には抜き取られていません。

 英国民は、今でも自らの義務の誠実な保護者、積極的な監視者であり、あらゆる寛容かつ高潔な道徳の真の支持者たる生得の感情を自らの内に感じ、それを慈しみ育んでいます。

 We fear God; we look up with awe to kings; with affection to parliaments; with duty to magistrates; with reverence to priests; and with respect to nobility.

 Why?

 Because when such ideas are brought before our minds, it is natural to be so affected; because all other feelings are false and spurious, and tend to corrupt our minds, to vitiate our primary morals, to render us unfit for rational liberty;

 Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.85.(『フランス革命の省察』、みすず書房、110頁に対応

 我々は神を恐れます

 畏敬の眼で王を仰ぎます

 議会に対しては愛着の、判事に対しては服従の、聖職者に対しては崇敬の、貴族に対しては尊敬の眼で見上げます

 何故でしょうか

 我々が心にそうした観念を抱く時、そのように心が動くのが自然だからです。

 それ以外の感情は嘘偽りであって、精神を腐敗させ、根本的道徳を損ない、我々を道理に適った自由に不向きにさせるからです。

 We are generally men of untaught feelings; that instead of casting away all our old prejudices, we cherish them to a very considerable degree, and, to take more shame to ourselves, we cherish them because they are prejudices; and the longer they have lasted, and the more generally they have prevailed, the more we cherish them.

 Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.86.(『フランス革命の省察』、みすず書房、110-111頁に対応

 我々英国民は、一般に教わったものではない感情の持ち主であって、我々の古い偏見を誰も捨て去るどころか大いに慈しんでいること、そして、さらに恥ずかしいことに、我々はそれを偏見であるが故に慈しんでいるのです。

 しかも、その偏見がより古くから持続してきたものであり、より広く普及してきたものであればあるほど、慈しむのです。

 ―――――

 〔=ブログ作成者〕の解説

 エドマンドバークは『フランス革命の省察』の中で「古き偏見」を、「諸国民諸時代共同の銀行や資本」(同著、111頁)、「偏見の中に漲る潜在的智恵」(同)、「理性折り込み済みの偏見」(同)などと述べ、それらが美徳ある自由が満ちる文明社会機能させ、永続させるための源泉であるとした。

 そしてバークは、ルソーヴォルテールらのフランス啓蒙思想(=理神論無神論の「理性主義」)における「人間の意志人間理性」を「各人が自分だけで私的に蓄えた理性」(同、111頁)、「偏見の上衣を投げ捨てた裸の理性」(同)、「誇大で傲岸な思弁」(同、49頁)「(文明・宗教の)不浄の火」(同、115頁)などと述べ、そのような「思弁」(同、49頁)・「思い上がり反宗教」(同)、「無智軽率」(同、60頁)は、文明社会を破壊し、社会を未開野蛮化し、無秩序を引き起こす狂気でしかないとして排撃したのである。

 実際に、ジャコバン党の主導する、フランス革命は国王・貴族・聖職者および革命反対派市民までを大虐殺するという、未開的な蛮行であった。

 (2) “相続世襲)の原理”は“国体憲法)”の“保守”と“改善”を両立させる

 バーク曰く、

 「この社会全体(=国体)は変革不能恒常的状態にあり、(全体として恒常的状態を保ちながら、諸部分)、衰退没落修繕漸進という変化に富む不断の行程を辿りながら前進していくのです。

 このように、自然の方法を国家の行為の中に維持することによって、我々は(政治制度の)改善を行なうに際して、決して新奇ずくめとはならず、(政治制度を)保持するに際しても、決して、全部が全部古ければよい、ということにはならないのです」

 →〔=ブログ作成者〕の解説

 古来国体憲法)は変革不能禁止)という恒常性保守しながらも、その諸部分が時代とともに“衰退没落修繕漸進”の行程繰り返すことによって、国体憲法全体としての“保守”と“改善”を両立させ得るということ。

 つまり、真正保守自由主義とは、この原理によって「全部が全部古ければよい、ということにはならない」のである。

 20世紀のノーベル経済学賞受賞者で、真正保守自由主義哲学者であるFA・ハイエク

 (→ハイエクは、エドマンドバークの名を挙げて、自身をバークと同じ「旧ウィッグ主義者〈旧を強調して〉」であると述べているから、真正保守自由主義者と表現して大きな問題はないであろう。詳細は『ハイエク全集Ⅰ-7』「自由の条件Ⅲ」、春秋社、193頁以降を精読されたい)

 は、これを“自由の規律”・“文明の規律”の“漸次的進化”と表現した。

 ハイエク曰く、

 「人間は自由のなかで発展してきたわけではない。小さな群れの成員は生き残るためその群れにくっついていなければならなかったが、少しも自由ではなかった

 自由文明の加工品(=文明社会の形成に伴う産物)であり、それによって、人間は小集団の枷から解放された。

 実際に、この小集団の時々刻々変化する雰囲気には、首長でさえ従わねばならなかった

 自由は同時に自由の規律でもある文明の規律漸次的進化によって可能とされた

 それは、非人格的な抽象的ルール(=“”)によって、人間を他人の恣意的暴力から保護する。

 また、それによって各個人は、他の誰も干渉することが許されない保護された領域を自らの為に築こうとすることができるし、その内部で自らの知識自らの目的の為使用することができる。

 われわれの自由はまさに自由に対するさまざまな制約おかげである」(『ハイエク全集』「法と立法と自由」、春秋社、223224頁)

 ―――――

 →次回は、保守主義Series-11(2)--- EBurke『フランス革命の省察』に学ぶ;“世襲の原理と高貴なる自由”(仮題)の予定です。

【平成2395日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


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