保守主義の哲学---これから、ハイエクと共に正義と不正義についての法哲学の話をしよう! [政治]
私〔=ブログ作成者〕は日本国民として、
東日本大震災で犠牲になられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災者の皆様に対し心よりお見舞い申しあげるとともに、避難所での私的自由空間なき極めて厳しい生活環境が早急に改善されますように願ってやみません。
また、地震・津波による被災地の救援活動と原発事故という未曽有の難題の処理に携わるすべての人びとに深く敬意と謝意を捧げたいと思います。
なお、読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
さて、私〔=ブログ作成者〕は今回のブログを書くに当たって、その内容をほんの少々重みのある哲学的論考にしたつもりである。
その理由は、東日本大震災及びそれに起因する原発事故からの復旧・復興論議のどさくさ紛れに、
「超法規的措置」、「法ではなく人による政治」を無思慮に公言したり、
震災の火事場泥棒的に「健忘・権謀政治家」が要職へ復帰したり、今後復帰してもよいなどの論調が高らかに叫ばれたり、
“正統の憲法原理”を全く知らない政治家らがこの期を逃すまいと憲法改悪論議を活発化させてみたり、
フランス革命のジャコバンなどを想起させる暴論・愚論にすぎない一院制議論が活発に行われ始めたり、
震災復興の財源確保の目的とはいえ国会議員たるものが公然と「政府は強盗してでも予算を集めてこい」などと「強盗」を煽動したり、
計画○○、△△計画などの計画主義的施策を乱発したりと、
震災復興の名目であれば「政府・国会は翼賛政治的に何を決定するのも許される」とか「震災復興のためという大義名分を掲げさえすれば、日本国民は政府の決定したあらゆる施策について挙国一致で協力しなければならず、この期に及んで政府の施策に異議をとなえる日本国民は震災を他人事だと考える利己主義者だ」などという驚くべき幼稚で暗愚な言動が全国規模で活発化していること危惧するからである。
このような思想傾向こそ、一歩間違えれば、ハイエクが危険視し、世界の自由主義国家に対して常時警戒を怠らぬように警鐘を鳴らし続けた「全体主義思想」に一直線に繋がりかねない「危険な思想傾向」であって、エドマンド・バーク保守主義者である私〔=ブログ作成者〕は、そのような言動を「してはならない」とは言わないが、法を無視した行き過ぎを黙視して許すこともしない。
そこで今回はハイエクの著作『隷属への道』を引用しながら、全体主義へ繋がる思想とは何なのか、自由主義を守る思想とは何なのかについての哲学・思想の入り口程度の内容でしかないが、私〔=ブログ作成者〕なりにまとめてみた。
つまり、今回は、時事問題の考察というよりも、純粋な哲学論(=哲学のお話し)に近いが難しくない程度に記述したつもりなので興味ある方は読んで頂きたい。
おそらく、読者の皆さまが今後本格的に始まるであろう震災復興に関する国会論議における政府・政党・政治家の政治的言動の背景に潜む思想や哲学を透視するための智恵の一部を身に付けるのに、ほんの若干程度は役立つのではないかと思っている。本文内容は紙幅の都合上、ホームに掲載させていただいた。
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【平成23年(2011年)5月3日】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)