保守主義の哲学---(第四回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
はじめに、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊情報についての情報が混乱しておりますことに、情報発信者として深くお詫び申し上げます。
さて、現(平成23年5月29日)時点におきまして複数筋から入手できた最新情報をお知らせいたします。
中川八洋氏の新刊 『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版 が本年6月30日に刊行されるという情報を入手いたしました。
今後も、出来る限り確実性の高い情報を読者の皆さまに御提供できるように努力していきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
オークラ出版・近日発行情報
http://www.oakla.com/htm/news_book.html
さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ四回目は、『(4) 女系天皇論、双系主義制度論の永久封印』という題目で解説したいと思う。
今回から、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の「暴論」・「妄論」の数々について項目毎に検証し、“虚偽の永久封殺”する作業に入りたいと思う。
なお、『新天皇論』における「暴論」・「妄論」の論駁のために、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作から多くを引用させて頂きたいと思う。
余談であるが、中川八洋 筑波大学名誉教授の著作を引用する理由は、中川八洋氏は日本国におけるエドマンド・バークの保守哲学に関する研究の第一人者であり、エドマンド・バークの保守哲学とは“法”・“憲法”・“国体”を保守する哲学だからである。
すなわち、“皇統”とは日本国の歴史事実としての“皇位継承の法”であるから、中川八洋氏は“皇統”についての“真正の学識者”である。
中川八洋氏の学識と叡智の深淵性と正統性は、“法”や“法の支配”について全く無知か、あるいは意図的に無視しようとする天皇(皇室)学の「権威者・学識者・専門家・評論家」と呼ばれる左翼天皇制廃止論者らの知的レベルを遥かに超越している。
このことは中川」八洋氏の著書『皇統廃絶』、『女性天皇は皇室廃絶』、『悠仁天皇と皇室典範』を精読すれば一目瞭然である。
ところが、「中川八洋氏は、天皇(皇室)学の専門家でないから、その論理は聞くに値しないとか、理系出身であるから、その政治哲学は異端である」など批判する向きが極左・左翼の学識者・専門家・評論家などの中に(保守系の学者の中にも)多いが、そのような劣等な屁理屈をこねて、中川八洋氏の正論を直接反駁することもできずに無視を煽動・宣伝することしかできない事実こそが、既に彼らの「不戦敗」を確定しているのである。
(4)「女系天皇」と「双系主義」は歴史事実に反する虚構であり、以後、永久封印されなければならない。
小林よしのり氏は漫画『新天皇論』112頁、113頁で嘯く。
『「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違うという考え方がある。
現在まで125代の天皇に「女帝」は8人おられた。
・・・つまり、「女系」は一人もいないとされている。
「男系主義者」たちはこう主張する。女系を認めたら「万世一系」の伝統が崩れる!女系容認は皇統断絶と同じだ!
だが、実際は、女系も皇統に含まれているのだ。皇室典範の第一条を見よ。
「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」明治の旧典範でも、この規定の主旨は全く同じである。
この条文は、「皇統」には男系・女系の両方が含まれるという前提の条件で、皇統に属する者のうち、男系男子が皇位を継承するとしか読みようがない。
「皇統」が男系のみならば、(「男系男子」と書かずに)「血統に属する男子」とだけ書けばよいことになる。
女系は、決して皇統の断絶を意味するものではない!』
私〔=ブログ作成者〕の解説:
第一に、初代神武天皇から今上陛下に至る125代の皇祖皇宗はすべて男系の皇統であり、女系天皇は一人も存在しないのは“動かせぬ歴史事実”である。
ゆえに皇室典範第一条の「皇統」には女系は含まない。
歴史上に実在した8人10代の男系女子天皇(=女性天皇)と歴史上に存在しない女系天皇(=男子も女子も)は用語の定義上全く異質の別用語であり、歴史事実においても前者は実在したが、後者は一人も存在しない(=ゼロである)。
ゆえに、『「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違うという考え方がある』のではなくて“「女系天皇」と「女性天皇〔女帝〕」は違う”という事実だけがある、というのが唯一正しい。
同様に、『女系は一人もいないとされている』のではなく“女系は歴史事実として一人もいない”のである、というのが唯一正しい。
このように“真実”や“定説”についてさえ「絶対的に正しいと言えるものはない」として、すべての学問の基礎である“真実”や“定説”を転倒して否定し破壊する論理はフーコーのポスト・モダン思想やデリダの脱構築思想などの「価値相対主義」者が使用する「騙し・詐欺」の常套手段である。
第二に、女系天皇は歴史上存在しないから、皇室典範 第一条の「皇統」には「女系」は含まない(明治皇室典範も同じ)。
皇室典範 第一条の「皇統」について、小林よしのり氏の『男系・女系が含まれるという前提条件・・・しか読みようがない』などというのは歴史事実を無視した「虚偽」である。
そう読むのではなく、皇室典範 第一条は、“皇位は(直系〈正系〉と傍系とを含む)皇統に属する万世一系の男系男子がこれを継承する”と読むのが唯一正しい。
このように読めば、皇室典範 第一条の“皇統”の定義は歴史事実と一致するし“男系男子”という規定の「同義反復」という矛盾は解消する。
では、そもそも歴史上存在すらしなかった「女系天皇」論の出典は何なのか?という問題になる。
すると皇位継承における「双系主義」の制度という虚構の論理が浮かび上がってくる。
―――中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、2005年、22~28頁(ここから)―――
妄言や流言庇護にすぎない「女性天皇」論がこれほど広がってしまった原因には、民主党が憲法違反の「天皇の政治利用」をして“女性天皇支持”を選挙公約としたり(2004年6月)、「女性天皇」キャンペーンで原稿料を稼ぐ自称「皇室の専門家」高森明勅(たかもり あきのり)、高橋紘(たかはし ひろし)、笠原英彦(かさはらひでひこ)たちの弊害も大きい。
しかも、これら「女性天皇」宣伝屋の言動に、次の二つの重大な論理矛盾があることは、その反・天皇の悪意〔鎧〕を衣の下にのぞかせている。
第一は、「女性天皇」と不可避な「皇婿」問題を、決して真面目には論じないこと。
第二は、「皇婿」問題とは「旧・宮家の皇族復帰」問題なのに、驚くべきことに、この皇族復帰問題に躍起になって反対すること。
しかもそのあげる理由が、理のない、ただ奇々怪々な詭弁に過ぎないこと。
そこで、「女性天皇(=男系女子天皇)」にとどまらず、(歴史上に一人も存在しない)「女系天皇」まで、熱く語り続ける、高森明勅(たかもり あきのり)の不可解な言説を取りあげよう。
・・・皇室典範に関しては高森には何か怨念のようなものがある。
何が何でも皇室を潰し日本から天皇を消したいという情動が、その言説の地下水脈として滔滔と流れている。
まず、「双系主義の制度」という、高森オリジナルの虚構の奇説を例としてあげる。
「明治以前、制度の上では、男系と女系の両方が機能できる双系主義を採用してゐたこと」(高森明勅「皇位の継承と直系の重み」、『Voice』2004年9月号、83頁)
「明治以前における双系主義の制度的枠組みを確認した」(同、84頁)
この空前絶後の嘘「法律上は古来より双系主義が定められていた」を“論の根拠”にして、高森は「これからの皇室は双系主義で行くべきである」を大キャンペーンする。
「女性天皇(=男系女子天皇)」を飛び越え、次の段階の「女系天皇」である。
・・・この「双系主義の制度」があった根拠として、高森が挙げるのは、「女性天皇の皇子」を認めていると、高森が強弁する養老令〔の「継嗣令」〕の一条文のみである。
だが、仮にこの条文がそう解釈されるとしても、「制度」化とは言わないだろう。
しかも、この「女帝子」を「女系天皇の皇子(=女系の皇子)」と読解するのは、そもそも全く無理がある。
「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)皇子(みこ)。皆為親王(みこ)。女帝子亦同。・・・」
高森はこれを、「天皇の兄弟・皇子は皆『親王』とせよ。女系の子も、これと同じ扱いをせよ。・・・」(同、84頁)と読む。
「女系の子」などとは、何ともいかがわしい読み方だろう。
いかがわしさの第一は、757年に施行された養老令〔718年制定〕の下で、(男系女子天皇である)孝謙天皇/称徳天皇/明正天皇/後桜町天皇のうちお一方もなぜ、ご「皇配(→配偶者と考えればよい)」をもたれず、皇子・皇女がお一人も産まれていないのか。
つまり、もし高森流の曲読が仮に成り立つとすれば、現実には皇室はこの「女帝子亦同」の規定を完全に空文化したことになる。
「制度」化しなかったのである。
第二のいかがわしさは、この高森流の意図的誤読は、こじつけの域を出ないからである。
なぜなら、この継嗣令のどこを読んでも、「女系天皇の皇女」の皇位継承に言及した部分はない。
「女系天皇」そのものについての言及が一切ない(=無視している)。
養老令は、“女系天皇の排除”を自明とした皇位継承法である。
「女帝子・・・」は、「女帝(じょてい)の子・・・」と読むのではなく、「女〔皇女〕(ひめみこ)は帝〔天皇〕(すめらみこと)の子」と読むのだろう。
「亦同」は「また皇子に同じ」との意によむ。
つまり、「皇女も帝(天皇)の子だから、皇子と同じに親王〔内親王〕とせよ」と読むのである。
この「女帝子亦同」は、主条文「皇兄弟皇子」を補足する補条文である。
実際にも、字体を小さくして、主条文とは同列にはしていない。
補足であるのははっきりしている。
高森明勅(たかもり あきのり)がもし学者ならば、「(その後の歴史事実において)当該条文がなぜ空文化したのか、その理由」という問題設定をするはずである。
それ以外の問題設定は、不可能である。
あろうことか、その逆に「女系天皇の制度の規定」などとは、荒唐無稽さも限度を超えている。
・・・高森のこのような無教養と杜撰は、この継嗣令の当該条文の「その後(の歴史事実)」を知らないことにも明らかになっている。
「その後」の経過は、まず、天皇が即位の後に、兄弟姉妹子女すべてに「親王宣下」する制度となり、次に平安時代には「親王宣下」が無ければ皇子ですら「親王」にはなりえない制度になった。
「親王宣下」とは、(自然に天皇の皇子・皇女の資格を得ると定めた)継嗣令の当該条文を全面的に無視した制度である。
裏返せば、継嗣令の当該条文が「制度化」したという、高森の奇天烈な暴説は、(明治以前に)「親王宣下などの制度はなかった」との主張である。
・・・高森明勅(たかもり あきのり)のお粗末さは、「女系」という意味を全く理解できない知的レベルの問題においても露呈している。
次の短い文のなかですら、「男系の皇女」のことを、二度も「女系」と談じている。誤記ではあるまい。
「傍系の継体天皇の皇位継承に際し、第24代仁賢天皇(けんにんてんのう:男系男子)の皇女で、先帝武烈天皇の姉にあたる手白香皇女〔たしらかのひめみこ〕との結婚が重視されてゐた事実は、見逃せない。
この結婚は、傍系出身の継体天皇を女系を介して直系につなぐ意味を持ってゐた・・・」(同82頁)
仁賢天皇は男子である。よってその皇女の手白香皇女は「男系の女子」である。
かくも明らかな「男系の女子」を「女系」だと嘘のレッテルを張るのは、高森の「女性天皇」キャンペーンが、なんらかの政治的意図に基づき展開されていることを現わしている。背後に組織の影もちらつく。
「男系と女系の混合である双系主義が存在し、制度化されていた」という、架空の創り話、つまり捏造の戯言を、かくも宣伝して歩くのは“皇統廃絶による天皇制廃止”を信条としていない者に可能であろうか。
仮に高森流「双系主義」が導入され、「女系の天皇」がもし2代重なれば、それだけで皇統は大混乱する。
4代重なれば、血統は全く不明となる
その場合の、血の錯綜はピカソの絵のようになって、皇統は全く証明できない。
つまり、女系が2代から4代つづく間に必ず、天皇はいらない、との声が起こる。
天皇制の完全な自然消滅状態になるからである。
森高の狙いはこれであろう。
歴史事実に反する虚構「双系主義」を振り回す森高のプロパガンダの害毒は大きい。
※ 本文中の〔 〕内は、著者の補足説明であり、( )内は私〔=ブログ作成者〕の補足説明である。
※ 本文中の皇統の系図は私〔=ブログ作成者〕が挿入したもの。
―――中川八洋『皇統断絶』、ビジネス社、2005年、22~28頁(ここまで)―――
私〔=ブログ作成者〕の解説:
そもそも、男系の定義を歪曲しない限り、歴史事実としての女系天皇は存在しないから、「双系主義」なる「イデオロギー」を学説とすること自体において高森勅明(たかもり あきのり)氏には「学術的素養」と「学者としてのモラル」が欠損している。
養老令の継嗣令の「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)皇子(みこ)。皆為親王。女帝子亦同。」について、中川八洋氏はさらに詳しく解説されている。
―――中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、232~235頁、ここから―――
しかし、いずれにしてもこの「女帝子」を「女帝(じょてい)の子」とは読めない。
第1の理由は、大宝令(701年)であれ、養老令(718年)であれ、「女帝」という和製漢語がまだできていないようだからである。
しかも唐には「女帝」という法令用語はない。
つまり、輸入漢語ではない。・・・平安時代(794年~)に入った頃にはかなり散見される。
すなわち、「女帝」という和製漢語が701年までに日本で創られていたと証明されない限り継嗣令の「女帝子・・・」を、「女帝〔じょてい〕・・・」とは万が一にも読んではならない。
第二の理由は、日本では「天皇」は、男性天皇(=男系男子)/女性天皇(=男系女子)を問わず用いられるので、(「女帝子」の意味が)「女性天皇の子」ならば「女帝の子・・・」の註は全く不要である。
なぜなら、条文の「皇(すめらみこと)兄(あに)弟(おと)〔皇〕子(みこ)」に女性天皇の子は含まれている。
この意味ならば、この二行書き註は同義反復になるだけだから、この註をつくること自体が理に合わない。
「女性天皇の兄弟」説も同様に間違いである。
なぜなら、条文に「皇兄弟」とあるから、これも同義反復で不要である。
では、何故にこの註が必要かと言えば、この条文が、遣唐使が持ち帰った唐令の封爵令を藍本とした以上、シナでは「兄弟」は文字どおり「姉妹」は決して含まないし、「子」もまた「皇子」だけを指して、決して「皇女」が含まれないから、「姉妹」と「皇女」を含めるためには(「女帝子亦同:ひめみこもすめらみことの子亦同じ」の註が)絶対に必要だったからである。
〔唐令の封爵令〕 「皇兄弟皇子、為親王」(仁井田陞『唐令拾遺』〔初版は1933年〕、東京大学出版会、304頁)
シナでは皇女は「公主」(と言うの)であって、「内親王(ひめみこ)」は、純然たる和製漢語である。
すなわち、「女〔ひめみこ〕も帝〔天皇、すめらみこと〕の子〔こ〕また同じ〔に親王とせよ〕」という註がない限り、日本独自の「内親王」の制度は万が一にも定めることができない。
なお、「姉妹」は「先帝の皇女」であるから、この註があれば「内親王」になりうる。
〔日本の継嗣令〕
※ 本文中の〔 〕内は、著者の補足説明であり、( )内は私〔=ブログ作成者〕の補足説明である。
―――中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、232~234頁、ここまで―――
私〔=ブログ作成者〕の解説:
以上によって、「女系」天皇、皇統が男系と女系の混合であるとする「双系主義の制度」論は完全否定(=以後、封殺)されることは自明であろう。
読者の皆さんは、今後「女系天皇」論、「双系主義(の制度)」論はすべて歴史事実に反する虚偽・虚構であり、そのような虚偽の学説を唱える学識者・専門家などの(似非)知識人については、まず「天皇制廃止のイデオローグではないか?」と疑うべきである。
次回(シリーズ第五回)は、皇位継承における直系と傍系に関する「直系主義」という虚構を徹底検証する予定である。
【平成23年5月29日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)