保守主義の哲学---(第一回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
最初に、読者の皆様に吉報がある。
小林よしのり 氏の漫画『新天皇論』の虚構については、20世紀の日本国におけるエドマンド・バークの再来と言っても過言ではない、中川八洋 筑波大学名誉教授が近々、月刊誌『撃論』で学術的に完全論駁されるという情報を得ているので、読者の皆さまは是非、碩学 中川八洋先生の論駁に期待して頂きたいと思う。
さて、今回の私〔=ブログ作成者〕の一連のブログでは、「保守主義の父」エドマンド・バーク及び中川八洋先生の保守主義を信奉する自称エドマンド・バーク保守主義者である私〔=ブログ作成者〕の目線から、小林よしのり 氏が、『新天皇論』において用いている「すり替え理論」・「転倒語法(理論)」など、ルソー主義者やマルクス主義者の常套手段を指摘して漫画『新天皇論』の虚構を解き明かしてみたい。
ただし、『新天皇論』の内容すべてについて、虚構を解き明かす紙幅はないし、私〔=ブログ作成者〕のブログ上で『新天皇論』のすべての虚構に対して反駁している時間的余裕もない。優先して掲載すべき現在進行中の政治的・経済的課題が山積みだからである。
よって、上記のとおり『新天皇論』に対する学術的な完全反駁は中川八洋 筑波大学名誉教授の月刊誌『撃論』での論文に期待することとし、私〔=ブログ作成者〕のブログでは、論点を3~5点程度に絞り込んで、シリーズ数回に分割して『新天皇論』の内容の真偽の検証を試みるものである。
さて今回のシリーズ第1回目は、
『(1) 万世一系、男系男子皇統とは、歴史事実を貫通する“世襲の法”の成文化にすぎない』
という題目で解説したいと思う。
最初に、『明治皇室典範義解』を掲げておく。
明治皇室典範義解
第一章 皇位継承
第一絛 大日本國皇位は祖宗(そそう)ノ皇統(こうとう:天皇の血統)ニシテ男系男子之ヲ繼承ス
恭て按ずるに皇位の繼承は祖宗以來既に明訓あり。和氣淸痲呂還奏の言に曰く、「我國家開闢以來、君臣分定矣、臣を以て君と為す未だ之有らざる也、天之日嗣(ひつぎ)、必ず皇緒立てよ(注1)」と。
皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり。
上代獨り女系を取らざるのみならず、神武天皇より崇峻天皇に至るまで三十二世、曾て女帝を立つるの例あらず。
・・・是を以て上代既に不文の常典ありて易ふべからざるの家法を為したることを見るべし。
其の後、推古天皇以來皇后皇女即位の例なきに非ざるも、當時事情を推原するに、一時國に當り幼帝の歳長ずるを待ちて位を傳へたまはむとするの權宜に外ならず。
之を要するに、祖宗の常憲に非ず。而して終に後世の模範と為すべからざるなり。
本絛皇位の繼承を以て男系の男子に限り、而して又第二十一絛に於いて皇后皇女の攝政を掲ぐる者は、先王の遺意を紹述する者にして、苟も新例を創むるに有らざるなり。
(注1)續日本紀、巻三十「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢より以來君臣定まりぬ。臣を以て君となすことは未だこれあらず。天つ日嗣は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除すべし。清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。
祖宗の皇統とは一系の正統を承る皇胤(こういん:天皇の血統)を言ふ。
而して和気清麻呂の所謂皇緒なる者と其の義解を同じくする者なり。
皇統にして、皇位を繼ぐは必ず一系に限る。
而して二三に分割すべからず。
天智天皇の言に曰く、「天雙(ふたつ)の日無く國二人の王なし(注2)」と。
故に後深草天皇以來數世の間、兩統(=持明院統と大覚寺統)互いに代わり、終に南北二朝あるを致ししは、皇家の變運にして、祖宗典憲の存する所に非ざるなり。
以上本絛の意義を約説するに、祖宗以來皇祚(こうそ:皇位)繼承の大義炳焉(へいえん:明白であること)として日星の如く萬世に亙りて易ふべからざる者、蓋し左の三大原則とす。
第一 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は皇胤(=皇統)に限る。
第二 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は男系(=父親の血統が皇統である系統のこと)に限る。
第三 皇祚は一系にして分裂すべからず。
(注2)日本書紀、巻二五、「天に雙の日無く、國に二の王無し。是の故に天下を天下を兼ね併せて、萬民を使ひたまふべきは、唯だ天皇のみ」。
(1) 万世一系、男系男子皇統とは、歴史事実を貫通する“世襲の法”の成文化にすぎない。
小林よしのり 氏は、漫画『新天皇論』82頁で次のように嘯いている。
『天皇の血筋は「男系」が一貫して尊重されたという誤った説がある。
「男尊女卑」感情が根底に流れる「万世一系」ならぬ「万世男系」説が、例えば「愛子様が天皇になられても、いいんじゃないの?」というような素朴な庶民感覚を封じている。
皇統は「万世男系」だったか?もちろんそんな事実は全くない』
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→私〔=ブログ作成者〕の意見:
天皇の血統は、「男系」で一貫しているのが歴史事実であり、「男系」が「尊重」されたか、されなかったかという「平等イデオロギー」とは無関係である。
誰も動かせぬ万世一系、男系男子皇統の歴史事実
① 歴史上の女性天皇は以下の表の8名10代のみですべて男系女子である。
② その他の歴代天皇はすべて男系男子の皇統である。
③ ゆえに、女系の天皇はゼロであり、女系の皇子もゼロ、女系の皇女もゼロであった、という歴史事実も不動である。
これらは、歴史事実であるから、誰も動かすことはできない。
ここで特筆すべきことは、この「歴史事実」とは、現代の憲法学者や歴史学者などの学者の言説だけではなく、明治皇室典範の制定時及びそれ以前の江戸時代(さらにそれ以前の学者や万人らも含め)すべての時代の壁を乗り越えて継承されてきた見解であり、多くの史料に基づいて科学的に真実が確定したのであり、異論も異説も存在しないという事実である。
例えば、中野正志 氏(→マルキストで皇統廃止論者:中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、22頁~参照)
の「万世一系は明治政府の構築したイデオロギーにすぎない」と同種の見解を小林よしのり 氏は主張する(→『新天皇論』253~255頁)が、巌垣松苗が記した江戸時代の『国史略』(巻第一、1826年)に、「歴正天皇 正統一系、亘万世而不革」との記述があり、『国史略』は、明治初頭、評判がよく版を重ねていた。
このように、1889年制定の大日本帝国憲法第一条の「万世一系」は明治政府がつくった新語でもないし新しい概念ではない。
それ以前から、万人がそうとしか理解できない周知の歴史事実を『国史略』にあった上記の四文字熟語に託して表現したにすぎない。
『日本書紀』にも「万世無窮」という語が存在するのは周知の事実であろう。
この異説や異論を唱えるのは、共産党系、あるは反共マルキスト、ポストモダン思想系などの天皇制廃止運動グループに属する者ばかりである。
これらの者の氏名や言説は、紙幅の都合上ここでは取り上げないが、その内容を知りたい者は、例えば中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、15~75頁など中川先生の皇統に関する書籍を参照せよ。すべての疑問が解明するだろう。
ここでは、一例として、共産党系の天皇制廃止論者の「女帝論」の本心を現わす確信的な言説を知っておくだけで十分であろう(→中川八洋『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、16頁より)
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奥平康弘は言う、
「ポピュラーな政治家たちに誘導されて典範第一条を改正して〈女帝〉容認策をかちとることに成功したとしよう。・・・この策は、天皇制のそもそもの正当性根拠であるところの〈萬世一系〉イデオロギーを内において浸蝕する因子を含んでいる」
「男系・男子により皇胤が乱れなく連綿と続いてきた(→私〔=ブログ作成者〕の意見:奥平は萬世一系の歴史事実をあっさりと肯定している)そのことに、蔽うべからざる亀裂が入ることになる。・・・〈萬世一系〉から外れた制度を容認する政策は、いかなる〈伝統的〉根拠も持ち得ない」
「女帝容認論者は、こうして〈伝統〉に反し〈萬世一系〉イデオロギーから外れたところで、かく新装なった天皇制を、従来とは全く違うやり方で正当化してみせなければならない」
「〈女帝〉容認策を盛り込もうとする政治勢力には、頼るべき伝統、それに対応した既存の正統のイデオロギー、のいっさいが欠けている。彼らは、日本国に独特な天皇制哲学を案出し、そのことについて〈新しい人びと〉の同意を調達しなければならない」
(→出典:奥平康弘「天皇の世継ぎ問題がはらむもの――〈萬世一系〉と〈女帝〉論をめぐって」『論座』2004年8月号、71~72頁)
これが、女系天皇論の真意の「化けの皮」の典型である。
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小林よしのり氏は、『新天皇論』83頁以降において持統天皇が天皇になられた「政治的な目的や感情」を持ち出して「男系」が「尊重されなかったから男系でない」と嘯き、さらに元正天皇が譲位の宣命で聖武天皇を「ワガコ」と呼び、聖武天皇が即位の宣命で元正天皇を「ミオヤ」と呼んだから「擬制を含む直系だ」とか「古代の皇位継承では、実際の血縁が、男系であっても、女系継承とみなした実例まであったのだ!!」と馬鹿げた小学生レベルの愚論を展開する(→『新天皇論』99頁)。
その論理の幼稚さと馬鹿らしさゆえに、反論する気すら失せるが、仮に「ワガコ」「ミオヤ」呼び合ったのが事実であるからといって、その事実と「男系の皇統という歴史事実」は一切無関係であることは小学生でも解ることであろう。
小林よしのり 氏の論理は例えば「私は自分のお母さんが嫌いだから、私はお母さんの子供ではない」などというダダをこねる「子供の屁理屈」と何ら変わるところがない。
だから私〔=ブログ作成者〕は「小学生レベルだ」と言っているのである。
「男系が尊重されなかったから、男系でない」とか「男系であっても、女系継承とみなした」などは小林よしのり 氏の妄想であり、幻想にすぎない。
どんなに屁理屈をこねても、歴史事実は唯一不変であって「聖武天皇は文武天皇の皇子であり、男系男子天皇である」ということでしかない。
『新天皇論』のこの箇所における論理展開は、ルソー主義、マルクス主義に特有の「すり替え理論」の典型である。
つまり、男系男子の定義をすり替えているのである。
そもそも「男系」とは小林よしのり本人が『新天皇論』112頁で述べているように、ある天皇Jを起点にして、「自分(=天皇J)の父の、父の、父の、・・・」と父系を遡って行けば、男系男子の皇統に辿りつくこと、つまり皇祖「神武天皇」にまで到達する場合、天皇Jは男系男子の皇統を継承(世襲)する者である、という歴史事実を指すことにすぎず、それ以外の何ものでもない。ましてやイデオロギーなどではない。
まず、この点を抑えておくことが極めて重要である。なぜなら、イデオロギーでないなら、そもそも議論の余地はないからである。
○ 万世一系、男系男子皇統とは歴史事実の集積の中に発見される皇祖皇宗の法(=遺訓)を示すことにすぎず、イデオロギーを意味するのではない。
男系男子の皇統とは、歴代天皇の個人の「意図」や「思想」や「感情」などとは全く無関係であり、歴史事実の連続つまり、ある時代において、それより過去の皇祖皇宗によって積み重ねられてきた歴史事実(=遺訓)を畏敬の念を持って省察・考察し、それらの歴史事実全体を貫通する普遍の“世襲の法”を発見し、それを言葉で成文化し「万世一系、男系男子の皇統」と表現しただけのことにすぎない。
すなわち、冒頭に掲げた『明治皇室典範』とは、その成立の時代において、その時代より過去の皇祖皇宗の遺訓としての“世襲の法(不文の法)”を歴史事実の連続の中に“発見”し成文化した法典にすぎない。
つまり、ここまでの私〔=ブログ作成者〕の解説を理解して頂いた、読者の皆さまは、小林よしのりが『新天皇論』256頁で吐く妄論である「男尊女卑という感情論」というイデオロギーが明治皇室典範(=歴史事実の積み重ねの中に発見された“法”を成文化した皇位継承法)の成立とは何ら無関係であることが容易に理解できるのではないか。
また、明治皇室典範の規定とは、歴史事実に基づいて、皇室典範の起草者らが発見した“皇位継承の法”の成文法典にすぎないことを理解すれば、小林よしのり 氏が『新天皇論』255頁で嘯く、
「日本の歴史上初めて、皇位継承者を男系男子に限ると明文化した旧皇室典範の規定は、歴史とも伝統とも無縁にできあがった。当初は、素直に歴史や伝統に学び、女帝も認めるべしとする意見が多かったにもかかわらず、時代の『男尊女卑』の感情から、あるいは甥を天皇にしたいという計算から、無理やり男系男子に限定されてしまったのである」
という主張が全くの出鱈目であるかが容易に解るであろう。
すなわち、“皇位継承の法”である皇室典範とは、過去の歴史事実の集積の中に発見するものであるから、「その時代」の「男尊女卑の感情」などとは無関係である。
最後に、万世一系、男系男子皇統を支持する者の呼称について。
私〔=ブログ作成者〕は、万世一系、男系男子皇統という“皇位継承の法”の遵守者でしかない。
したがって、小林よしのり 氏が【ごーまん、かまして言う】ところの穢れた造語、「男系主義・男系絶対主義・男系固執集団・男聖教・カルト、オカルト」などとは全く無縁の者であるが、小林よしのり 氏が、敢えて私〔=ブログ作成者〕のことを万世一系、男系男子皇統のイデオローグと決めつけたいのであれば、私〔=ブログ作成者〕を“法の遵守主義者”つまり、“エドマンド・バークの系譜にある保守(自由)主義者”あるいは、F・A・ハイエクのような旧ホイッグ主義者と正確に呼称して頂くのが最も適切であることを申し添えておく。
しかしながら、小林よしのり 氏が、純粋な“万世一系、男系男子の皇統支持者ら”を一括して「男系絶対主義者、オカルト」等々と決めつけて呼称するのは自身が皇統を全く理解できていない明白な証拠にすぎず、論理転倒した妄論・幻想にすぎない。
むしろ、過去の歴史事実の全体を「すり替え理論」や「転倒語法」を用いて歪曲する「女系天皇論者」こそ、「歴史歪曲・偽造」のイデオローグであって、そのイデオロギーの出自は、私〔=ブログ作成者〕がこれまで何度もブログ掲載してきたとおり、「ルソー主義」、「ヘーゲルの歴史主義、観念弁証法的歴史哲学」、「マルクス主義、唯物弁証法、唯物史観」、「ポストモダンや脱構築などの価値相対主義」の極左イデオロギーそのものにすぎない。
さて、皆さん『シリーズ第2回目』以降、「バーク哲学の神髄、続けて語ってよろしいか?そしてもっと知りたいですか?」
次回、シリーズ第2回目(→近日中に掲載予定)では、小林よしのり 氏の描く“明治皇室典範”の内容と“井上毅”の人間像について、氏の見解の真偽について解説したいと思っている。
ただし、若干程度、ブログの題目と内容を変更することもありうるので、その点はご了承頂きたい。
【平成23年5月18日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)