保守主義の哲学---中川八洋 筑波大学名誉教授の「新刊本」の発刊についての情報 [政治]
私〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆様及び初めて来訪の皆さまへ。
中川八洋 筑波大学名誉教授による小林よしのり氏『新天皇論』に対する「反論本」が今月中に発刊される見込みのようです。
私〔=ブログ作成者〕は、前回及び前々回のブログ末尾において、この件にき、
「なお、中川八洋筑波大学名誉教授は、近日発売の月刊誌(『撃論』オークラ出版)にて、小林よしのり『新天皇論』を学術的に完全論駁されると聞き及んでいる。非常に楽しみである。どうぞ、私〔=ブログ作成者〕のブログの読者の皆さんも読んで頂きたいと思う。」
と、入手情報の取り違えによるミス情報を掲載してしまいました。
正しくは、中川八洋 筑波大学名誉教授は「撃論(2011年4月号)」183頁で「小林よしのり氏『新天皇論』に対する反論本を刊行予定である」と述べられており、その新刊本が今月中にも発刊される見込みとなった、いうことでした。
情報を訂正させていただくとともに、読者の皆様ほか多くの方々にご迷惑をおかけしたことに深くお詫び申し上げます。
読者の皆様におかれましては、ぜひ、この中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊本に御期待頂きたいと思います。
【平成23年5月22日】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)
保守主義の哲学---(第三回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
(3) 明治皇室典範は、古来の“皇位継承の法”の明文化であり、その思想は英米系の“法哲学”に由来する。
最初に、前回のブログに於いて、私〔=ブログ作成者〕は以下のように述べた。
『それ故に、8名10代の男系女子天皇はすべて、皇祖皇宗の遺訓として、これらの厳格な“皇位継承の法”の遵守義務を毅然として果たされたのである。
もし、この8名10代の男系女子天皇を「男系女子の皇統」と呼ぶのだ、と強弁する者がいたとしても、“中継ぎ”に伴う“ご懐妊の禁止の法”と“お独りの身の法”によって、すべての男系女子天皇は皇子・皇女はお一人もお産みにならず、「男系女子の皇統」は1代で断絶し、「男系男子の皇統」へと復元され繋がれていったのであるから、やはり“中継ぎ”の男系女子天皇も含め、日本国の皇統は、神武天皇を皇祖とする万世一系、男系男子の皇統が護持されてきたとしか言えないのである』
この部分で私〔=ブログ作成者〕が述べた“皇統”、“皇位継承の法”について、すべての読者の皆さんに“共通認識”を持って頂くために箇条書きにして解り易く提示しておきたい。
つまり、私〔=ブログ作成者〕がこの部分で述べた“皇統”、“皇位継承の法”の歴史事実を纏めれば、次の通りである。
(ⅰ) 8名10代以外の115代の天皇は、男系男子天皇であり、すべて神武天皇を皇祖とする男系男子の皇統である。
(ⅱ) 8名10代の男系女子天皇もすべて男系の皇統に属する。決して女系ではない。
(ⅲ) 8名10代の男系女子天皇は、すべて前の男系男子天皇と後の男系男子天皇をつなぐという意味の学術用語である“中継ぎ”であるというのが歴史事実であり、“中継ぎ”8名10代の男系女子天皇が“お独りの身の法”と“ご懐妊の禁止の法”という厳格な“法”を遵守する義務を毅然として果たされたことで、男系男子の皇統を復元し護持することが可能となったのだ、という荘厳な歴史事実を忘れてはならない。
(ⅳ) ただし、初代神武天皇から125代今上天皇陛下に至るまでの男系の皇統の歴史事実を考察すれば、男系男子天皇115代、“中継ぎ”男系女子天皇10代であり、
男系男子の天皇の在位が“正常の法”であり、“中継ぎ”の男系女子天皇は“非常の法”と言える。
(ⅴ) 上記(ⅰ)から(ⅳ)の歴史事実の中に、女系の皇統とか、女系の天皇は一切存在しない。
(ⅰ)から(ⅴ)は、すべて歴史事実から、井上毅ら“明治皇室典範”の起草者が、“発見”して成文法典化した、古来の不文の“皇位継承の法”である。
さて、ここで『明治皇室典範』第一条の「義解」を読んでみよう。
( )内は、私〔=ブログ作成者〕の解説である。
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明治皇室典範義解
第一章 皇位継承
第一絛 大日本國皇位は祖宗(そそう)ノ皇統(こうとう:天皇の血統)ニシテ男系之ヲ繼承ス
恭(つつしみ)て按ずるに皇位の繼承(けいしょう)は祖宗(そそう)以來既(すで)に明訓(→不文の“皇位継承の法”)あり。
和氣淸痲呂還奏の言に曰く、「我國家開闢(かいびゃく:始まり)以來、君臣分定矣(くんしんのぶんさだまりぬ:君臣の身分は定まっている)、臣を以て君と為す未だ之有らざる也、天(あめ)之日嗣(ひつぎ)、必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)立てよ(注1)」と。
皇統は男系に限り女系の所出に及ばざるは皇家の成法なり。
上代獨り女系を取らざるのみならず、神武天皇より崇峻天皇に至るまで三十二世、曾て女帝を立つるの例あらず(→女系天皇なし。男系女子天皇なし。すべて男系男子天皇であった)。
・・・是を以て上代既に不文の常典(=不文の“正常の皇位継承の法”=男系男子天皇の皇位継承)ありて易ふべからざるの家法(=改変してはならない家法)を為したることを見るべし。
其の後、推古天皇以來皇后皇女即位の例なきに非ざるも(=男系女子天皇の即位の例もあったが)、當時事情を推原するに(=当時の事情を推察すれば)、一時國に當り幼帝の歳長ずるを待ちて位を傳へたまはむとするの權宜に外ならず(=男系男子天皇への一時的な“中継ぎ”にほかならなかった)。
之を要するに、祖宗の常憲に非ず(=“中継ぎ”の男系女子天皇は、皇祖皇宗の“正常の皇位継承の法”とは言えない)。
而して終に後世の模範と為すべからざるなり(=ゆえに男系女子天皇の即位は後世の範としてはならない)。
本絛皇位の繼承を以て男系の男子に限り、而して又第二十一絛に於いて皇后皇女の攝政を掲ぐる者は、先王の遺意を紹述する者にして、苟も新例を創むるに有らざるなり(=皇后・皇女で攝政となる者は、祖宗の遺訓を遵守し、天皇に即位してはならない)。
(注1)續日本紀、巻三十「清麻呂行きて神宮に詣づ。大神託宣して曰く。我が國開闢(かいびゃく)より以來(このかた)君臣定まりぬ。
臣を以て君となすことは未だこれあらず。
天(あま)つ日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒(こうちょ:天皇の継嗣・皇嗣)を立てよ。
無道の人(→僧:道鏡のこと)は宜しく早く掃除すべし。
清麻呂來り帰りて奏すること神教の如し」。
祖宗の皇統とは一系の正統(=唯一つ、皇祖神武天皇の皇統)を承る(=世襲・継承する)皇胤(こういん:天皇の血統)を言ふ。
而して和気清麻呂の所謂(いわゆる)皇緒なる者と其の義解を同じくする者なり。
皇統にして、皇位を繼(つ)ぐは必ず一系に限る(=皇統にある者で、皇位を継承するのは一系統のみにかぎり、同時に2系統〈2名〉以上の天皇を立ててはならない)。
而して二三に分割すべからず。
天智天皇の言に曰く、「天雙(ふたつ)の日無く國二人の王(きみ)なし(注2)」と。
故に後深草天皇以來數世の間、兩統(=持明院統と大覚寺統)互いに代わり、終に南北二朝あるを致ししは、皇家の變運にして、祖宗典憲(=皇祖皇宗の“正常の皇位継承の法”)の存する所に非ざるなり。
以上本絛の意義を約説するに、
祖宗以來皇祚(こうそ:皇位)繼承の大義炳焉(へいえん:明白であること)として日星の如く萬世に亙りて(=渡って)易ふべからざる者(=改変してはならない法)、蓋(けだ)し左の三大原則とす。
第一 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は皇胤(=皇緒)に限る。
第二 皇祚(=皇位)を踐む(ふむ:践祚する・継承する)は男系に限る。
第三 皇祚(=皇位)は一系にして分裂すべからず(=一系統から一人の天皇とし、分裂して同時に複数の天皇を立ててはならない)。
(注2)日本書紀、巻二五、「天に雙(ふたつ)の日無く、國に二(ふたり)の王(きみ)無し。
是の故に天下を兼ね併せて、萬民を使ひたまふべきは、唯だ天皇のみ」。
(参照1)
日本書紀、卷二二、「〔聖徳太子憲法〕十二に曰く、國司(みこともち)、國造(くにのみやつこ)百姓(おほみたから)に斂(おさ)めとること勿(なか)れ。
國に二君(にのきみ)非(な)し、民に兩(ふたり)の主(あるじ)なし。
率土(くにのうち)の兆民(おほみたから)、王(きみ)を以て主(あるじ)と爲(な)す。
所任官司(よさせるつかさみこともち)は、皆是(こ)れ王臣(きみのやつこ:天皇の臣下)なり。
何ぞ敢(あえ)て公(おほやけ)と與(とも)に、百姓(おほみたから)に賦(をさ)め斂(と)らむ」
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私〔=ブログ作成者〕の解説:
上記の明治皇室典範 第一条は歴史事実から不文の“皇位継承の法”を発見し、それを成文法典化したものであって、明治政府が明治皇室典範の制定時に、政府の意思や政治的恣意によって新しく創り上げた「人定法」のような規則ではないことが解るであろう。
だが、お気づきの方もおられると思うが、明治皇室典範の制定にあたり、明治政府は古来の不文の“皇位継承の法”を“法の枠内”で若干“改善・改良”している。
つまり、明治皇室典範では、男系女子天皇の即位を禁止し、男系男子のみとしたのである。
理由は唯一つであり、男系男子の皇統の護持を確実にする目的のためであり、そこには軽薄な「男尊女卑」の感情論など微塵も存在しない。
このような“法”の改善・改良とは
「国体(国憲)は変革・革新してはならず、改良・改善する場合でも“法”と“慣習”の枠内に限られる」という英国憲法(=国体)の保守哲学に通底する思想である。
例えば、エドマンド・バーク曰く、
「もし、自国の国体(憲法)を理解できない場合にはまずもってそれを崇敬・賛美すべきである。
このすばらしき国体という相続財産を遺してくれたわれわれの祖先は、このような国体の崇敬者であった。
・・・しかし決して、基本原理から逸脱することはなかった。
国王の法と憲法と慣習に深く根をおろさぬ国体の修正は決してしなかった。
このような祖先にわれらは見習い従っていこうではないか。
・・・(国体の)革新という絶望的な企てがなされないよう、いつも監視を続けようではないか」(Burke, “Appeal from the New to the Old Whigs”, pp.265-266)
さらに曰く、
「英国は国家を聖別して、適切に用心深く注意することなしには国家の欠点や腐敗を覗かないようにしてきました。
国家の改革を(フランス革命のように)その転覆から始めることなど夢にも考えたことはありません。
もしも国家のなした誤りに近付くときは、父親の傷口に近付くかのように、敬虔な畏怖と慄える憂いをもってしたものです。
このような英国の賢明な偏見(=国家聖別)のおかげで、フランスの子供たち(=革命家たち)が老いた父親(フランス王国)の肉体を瞬時に切り刻んで魔法使いの薬罐に投げ込み、毒草と野蛮人の呪文をもって父親の肉体を再生し生命を若返らせると信じている、フランスの革命を英国は恐怖をもって見ています」(バーク『フランス革命の省察』みすず書房、122頁)
つぎに、ハイエク『ハイエク全集』から“法”への批判や改善に関する基礎としての「内在的批判」に関する論説を抜粋しておく。
ハイエクを読み慣れていない人には理解するのが若干難しいかもしれない。その場合は読み飛ばして無視するかハイエク(『法と立法と自由〔Ⅱ〕』「社会正義の幻想」、春秋社、第七章など)を精読して頂きたい。
ハイエク曰く、
『行動のルールのある確立されたシステム(=体系)は、われわれが部分的にしか知らない経験に立脚しているであろうし、部分的にしか理解していない仕方で行為秩序に貢献しているであろうから、その全体を新たに再構築することによって改善することは望みえない。
もし伝統的ルールという形態でのみ伝えられてきた経験のすべてを完全に利用しようというのであれば、特定のルールの批判や改善の努力はすべて当面の目的からは正当化を要しないものとして受容されなければならず、与えられた諸価値の枠内で進めなければならない。
われわれはこの種の批判を「内在的」批判と呼ぼう。
この内在的批判は所与のルールのシステム(=体系)の内部で進展し、特定のルールをある種の行為秩序の形成を誘導する際の他の承認されているルールとの整合性と両立可能性とによって判断する。
いったん、そのような既存のルールのシステム全体が生み出す周知の特別な効果に帰着させることができないと認めるならば、この内在的批判は道徳的、法的ルールを批判的に検討するための唯一の基礎となる』(ハイエク『法と立法と自由〔Ⅱ〕』「社会正義の幻想」、春秋社、36~37頁)
→私〔=ブログ作成者〕の解説:
要するに、
① 人間は、“法”のシステム(=体系)のすべてを知っていないし知り得ない。
② ある特定の“法A”が人間社会の行為秩序にどのように貢献していのかという仕組みも知っているようで実は知らない部分が多い。
③ であるから、“法”のシステム(=体系)の全体を新規のものに改変する事は、改悪になっても改善されることは望めない。
④ けれども、伝統的ルールという形態で世襲・継承されてきた諸ルールについては、過去の祖先が皆、正しいと認めてきた法であり諸価値であるから、我々も正しいと承認することができる。
⑤ ある特定の“法B”が正しい行動のルールであるか否かは、その“法B”が「自己の目的B」をよりよく達成できるか否かではなく、ある種の行為秩序の形成を誘導する際の、他の正しいと承認できる既存の伝統的ルールや諸価値の枠内で判断すべきであり、“法B”は既存の伝統的ルールと諸価値との整合性と両立可能性において判断される。
⑥これをハイエクは「内在的」批判と呼んだ。
以下に、私〔=ブログ作成者〕が可視化を試みた、“行動のルールの体系”=“法”の概念図を示しておく。
ただし、そもそも“法”を完全に知ることなど不可能であるから、私〔=ブログ作成者〕が“法”を完全かつ詳細に図化するのも不可能である。
あくまで、“法”の「イメージ図」であると捉え、詳細な部分に誤謬があってもお許し頂きたい。
➝(第三回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう(続きを読む)