保守主義の哲学---(第六回)小林よしのり氏の漫画『新天皇論』を検証してみよう [政治]
読者の皆さまには、いつも私〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。
最近、毎回お知らせしておりますが、中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)が本年6月30日に刊行予定です。
多くの日本国民におかれては、天皇(皇室)及び“皇位継承の法”について正しく理解して頂くために、ぜひ中川八洋(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)をお読み頂きたいと願っております。
(参 照)→オークラ出版・近日発行情報
http://www.oakla.com/htm/news_book.html
さて、小林よしのり氏の漫画『新天皇論』の虚構を検証するシリーズ六回目は、
(6) 「“皇位継承の法”に〈直系主義なるもの〉は果して存在するのか?北畠親房『神皇正統記』の暗号=法の解読(其の一)」
という題目で解説したいと思う。
今回、私〔=ブログ作成者〕は北畠親房『神皇正統記』の記述の中にある“皇位継承の法”を発見する作業を試みた。
そして、その中に「直系主義」なるものが果した発見できるのか否かを考察したので、その内容について話してみたいと思う。
――――――――
神皇正統記に曰く、
「・・・(天竺〈印度〉や震旦〈支那〉など他国とは異って)唯(ただ)我國(わがくに)のみ天地(あめつち)ひらけし初(はじめ)より今(いま)の世(よ)の今日(こんにち)に至(いたる)まで、日嗣(ひつぎ)をうけ給(たまふ)ことよこしまならず、一種姓(いちしゅせい:唯一の血統)の中(うち)におきてもおのづから傍(かたはら:傍系)より傳(つたへ)給(たまひ)しすら猶(なほ)正(ただしき)にかへる(=正系に転ずる)道ありてぞたもちましましける。
是(これ)併(しかしながら)神明(しんめい)の御誓(おほんちかひ)あらたにして餘國(よこく:他国)にことなるべきいはれなり。」(北畠親房『神皇正統記』、岩波書店、26頁)
―――――
→私〔=ブログ作成者〕の解釈:
(要 旨)我が国は天地開闢以来今日まで皇位継承に邪道はなく、唯一の皇統(正統)は、稀に傍系よって継承された場合でさえ正系に転ずるという道理・秩序があることによって保たれてきたということ。
つまり、傍系であっても、正系であっても、唯一の皇統を継承する天皇はすべて“正統”である。
――――――――
神皇正統記に曰く、
「大祖(たいそ)神武(じんむ)より第十二代(だいじふにだい)景行(けいかう)までは代(よ)のままに繼體(けいてい:皇位を継ぐこと)し給(たま)ふ。
日本武尊(やまとたけるのみこと)世(よ)をはやくし給(たまひ)しによりて(=夭折されたので)成務(せいむ:日本武尊の弟)是(これ)をつぎ給(たまふ)。
此(この)天皇(てんわう)を太子(たいし)としてゆづりましまししより代(だい)と世(せい)とかはれる初(はじめ)なり。
これよりは世(せい)を本(もと:根本、根拠)としるし奉(たてまつる)べきなり。〔代(だい)と世(せい)とは常(つね)の義(ぎ)、差別(しやべつ)なし。
然(しかれ)ど凡(おほよそ:単なる普通)の承運(=運命の受け継ぎ)とまこと(=真)の繼體(けいてい:皇位継承)とを分別(ふんぶつ:判断)せん爲(ため)に書分(かきわけ)たり。
但(ただし)字書(じしよ)にもそのいはれなきにあらず。
代(だい)は更(かう)の義(ぎ)なり。
世(せい)は周禮(しうらい)の註(ちう)に父(ちち)死(しし)て子(こ)立(たつ)を世(せい)と云(いふ)とあり。〕」(北畠親房『神皇正統記』、岩波書店、58頁)
―――――
→私〔=ブログ作成者〕の解釈:
(北畠親房によれば)
日本武尊が夭折され、弟の成務天皇が第十三代として即位されたが、これが代と世が一致しなくなった発端である。
「代と世とは常(つね)の義(ぎ)、差別なし」
→代と世とは、通常の定義上、区別があるわけではない。
しかしながら、「代」とは「凡(おほよそ:単なる)の承運(=単なる運命として承る皇位)」のこと、「世」とは「まこと(=真)の繼體(けいてい:真の皇位の継承・世襲)」のこととして判別する為に書き分けた。
字書によれば、代とは更(=皇位が交代すること)が字義であり、世とは周礼の註に、父が亡くなって子が(血統を)世襲すること(=血統の世襲という連続性のこと)」とされている。
つまり、字書の字義では、「代」は皇位の交代(=更新)のこと。
「世」は血統(皇統)の世襲(=連続性)のこと。
→私〔=ブログ作成者〕が纏めてみると、
「代」=「凡(おほよそ)の承運」=「通常の運命としての皇位の交代のこと(代わること)」を意味する。
「世」=「まことの繼體(けいてい)」=「真の皇位継承・世襲の根本・根拠(=本)」=「血統の連続性の継承」。
つまり、北畠親房は『神皇正統記』において、皇位継承の「正統」の「根拠・根本(=本)」とは「単なる皇位の交代」にあるのではなく、「皇位の血統の世襲による連続性」の方にあると主張しているのである。
ゆえに、以下のような皇位継承の例は皇位の単なる交代ではないが、(男系男子の)皇統(血統)の世襲による連続性において「正統」とされるのである。
(例1)第十二代 景行天皇→(日本武尊:夭折、即位なし)→第十三代 成務天皇(日本武尊の御弟)→第十四代 仲哀天皇(日本武尊の第二子)
この場合、第十四代 仲哀天皇の父である日本武尊は皇位に卽かなかったが、仲哀天皇は第十二代 景行天皇→日本武尊の男系男子の血統を継承・世襲しているためその皇位継承は「正統」であるのである。
(例2)本ブログで後述する、繼體天皇の皇位継承の場合(『神皇正統記』72~73頁)
同様に、第十六代 應神天皇→(隼總別皇子)→(大迹王)→(私斐王)→(彦主人王)→男大迹王=第二十七代 繼體天皇の皇位継承の場合。
傍系の繼體天皇も應神天皇の男系男子の血統を継承・世襲しているため、その皇位継承は「正統」であり、その後の皇統史では「正系」となる。
ここで余談であるが、新田均(「小林よしのり氏の皇統論を糺す」『別冊正論(Extra.14)』産経新聞社、43~45頁)に掲載されている河内祥輔(『中世の天皇観』山川出版社、34~35頁)からの引用である「世」と「正統」の概念における「正統」の概念の部分の解説については明白な謬論である
(→ただし、謬論とは、新田均先生の男系皇統支持の英邁な論文の中における、この河内祥輔氏の論文からの引用の部分のみに限定しているので、読者の皆さまには誤解なきようお願いしたい)。
なぜなら、『別冊正論(Extra.14)』産経新聞社、44~45頁の次の記述から得られる結論はどう考えても誤謬としか言えないからである。
―――『別冊正論(Extra.14)』産経新聞社、44~45頁(ここから)―――
「第一に、『正統』の理念の系図はすべての天皇が一筋に繋がっているというものではない。
(→私〔=ブログ作成者〕が、同著45頁の図【「正統」の理念による天皇系図・「神皇正統記」の場合】と同主旨の図を作成したので下記を参照のこと)
〈幹〉とたくさんの〈枝葉〉に分かれ、しかも〈枝葉〉の天皇の系統はそれぞれの所で断ち切られている。
『一系』として続いているのは〈幹〉の天皇だけである。〈幹〉は連続し、〈枝葉〉は断絶する」
→私〔=ブログ作成者〕の意見:『神皇正統記』に基づけば、人皇初代 神武天皇から第125代 今上陛下までの男系男子天皇はすべて、皇統(血統)において『正統』である。
上記の図における〈幹〉に属する天皇も〈枝葉〉に属する天皇もすべて『正統』である。
『正統』を〈幹〉と〈枝葉〉に分別すること自体が疑問であるが、最も問題なのは、「〈幹〉は連続し、〈枝葉〉は断絶する」というヘーゲルの『歴史哲学』やマルクスの唯物史観の歴史法則に汚染された歴史観の方であろう。
もし訂正させて頂けるならば
「過去に断絶した系は〈枝葉〉と確定し、現在でも連続している系が、現在の〈幹〉あるいは〈枝葉〉である。
そして現在の〈幹〉も将来には〈枝葉〉となる可能性があるし、その逆も然りである」
というのが正しい歴史の学び方・読み方であると思われる。
「第二に〈幹〉は何によって作られているかといえば、それは血統である。皇位ではない。そのことは〈幹〉の中に天皇に即位されていない者が入り込んでいる(→含まれている、と表現すべきでないか)点に明瞭である」
→私〔=ブログ作成者〕の意見:
皇統(血統)の継承・世襲による連続性が北畠親房『神皇正統記』の主張する『正統』の定義である。
ここでの問題点は、上記の天皇系図において〈枝葉〉に属する歴代天皇も『正統』の定義においてすべて『正統』なのであり、〈幹〉に属する天皇のみが「正統」なのではないということである。
「幹、枝葉、何、作られている」などの用語が妙に唯物論的に思えるのは、私〔=ブログ作成者〕の思い込みか?
「第四に〈幹〉をつくるのは男性のみである。『正統』は男系主義を特徴とする。女性天皇はすべて〈枝葉〉に付けられる(から『正統』ではない)」(同書34-35頁)
→私〔=ブログ作成者〕の意見:
「〈幹〉をつくるのは男性のみである。『正統』は男系主義を特徴とする」→「女性天皇は〈枝葉〉に付けられる(から『正統』ではない)」ならば〈枝葉〉に属している男系男子天皇である仁徳天皇、天武天皇、聖武天皇・・・などは『正統』ではないことになってしまうではないか。
この論理と結論は、誰がどう考えてもおかしいであろう。
そもそも、北畠親房『神皇正統記』(26頁)においては、「傍系」が「正系」に転じ、「正系」が「傍系」に転じることによって、正・傍の両系で『正統』が護持されてきたと主張しているのであり、皇統(血統)を〈幹〉と〈枝葉〉に分類して〈幹〉のみを『正統』と分類するような記述は一切ない。
北畠親房『神皇正統記』の「世」の概念とは、人皇初代神武天皇から125代今上陛下までのすべての男系男子天皇の「皇統(血統)」の『正統』を確定する概念であって、歴代天皇を〈幹〉と〈枝葉〉に分別して、〈幹〉のみを「正統」とするような概念ではない。
むしろ、第十四代 仲哀天皇や第二十七代 繼體天皇の場合のような特殊な皇位継承のケースでさえ「世」の概念によって皇統(血統)の『正統』が確保されているのだと考えるべきであろう。
―――『別冊正論(Extra.14)』産経新聞社、44~45頁(ここまで)―――
次回は(シリーズ第七回)、(7)「“皇位継承の法”に〈直系主義なるもの〉は果して存在するのか?北畠親房『神皇正統記』の解読(其の二)」に続く。
【平成23年6月13日掲載】
エドマンド・バーク保守主義者(神戸発)