保守主義の哲学---愚かなり!浅学 谷田川 惣による、碩学 中川八洋氏への「ゴーマニズムな批判」 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、谷田川 惣(やたがわ おさむ)氏がその著書『皇統は万世一系である』の著者において逆賊小林よしのりの漫画『新天皇論』を論駁しようと試みられたことには敬意を表するものである。

 しかしながら、谷田川 惣(やたがわ おさむ)は自著出版後、何を勘違いしたのか解らないが日本国バークとも言える中川八洋 筑波大学名誉教授の著作『小林よしのり「新天皇論」の渦毒』について以下のような「ゴーマニズム的な批判」をしている。

 谷田川 惣は言う、

 「一言で印象を述べるなら、中川八洋氏はインターネットをわかっていない。

 それに尽きるでしょうか。

 ・・・今回の皇統論争における新田均先生による攻撃の破壊力は、

 ①コラムブログ「小林よしのり氏公認ゴーマニスト宣言」、

 ②チャンネル桜「さようなら!小林よしのり・ゴーマニスト宣言」part28

 そして、

 ③『正論』(平成226月、8月号)、『別冊正論14』からなります。

 つまり、コラムブログ、動画、論文、という3点攻勢によって、攻撃力が完成しているのです。

 3点のうち、2点はインターネットです。

 この3点攻撃によって、女系論のおかしさに気付いた人は、どれだけ多くいることか。

 そして、小林よしのり氏まったく反論できない状態に追い込まれている(→?愚かな・・・)

 ・・・また、中川氏は「本には本で対抗するしかありません」と述べ、それが戦い方の常道であるという。

 それは学術論の話であって、小林氏は印象操作による宣伝工作を仕掛けているのです。

 相手のプロパガンダには、戦いの常道など通用せず、あらゆる戦術を駆使しなくてはならないことから、3点攻撃をフル活用された新田先生が一番槍で最も戦績を上げられた功労者ということになる(→?愚かな・・・)でしょう。

 特攻どころか、完勝により小林氏の言論生命すら奪う勢いとなっています(→??)。

 中川氏による小林氏の過大評価は、ネット(光回線)普及以前になら、だいたい通用した話でしょう。

 『新天皇論』10万部以上というのは、私が関係者から聞いている範囲では、店舗や倉庫に山積みにしてあるものも含めての数字であるということです。

 一方で、新田先生のブログの訪問者衛星放送動画視聴者、『正論読者総計すると、それを上回ることでしょう。

 残念ながら、最終的に中川氏は『新天皇論』に対しては、一連の新田先生による破壊力の何分の一以下の攻撃力も見せることができないだろうと思います

 (→愚かなことを言うのではない!中川八洋氏の天皇皇統4部作の説得力に対抗できる男系男子皇統論など日本国には1冊もない)。

 おそらくこれまで中川氏のことが好きな読者は満足させることができるかもしれませんが、『新天皇論』に納得している人を、こちらに振り向かせることは難しいでしょう

 一方、中川氏が述べる小林よしのり氏の攻撃力とは販売部数であるという。

 それならば、中川氏はどれだけの部数を上げられるのでしょうか(→中川氏の天皇皇統論三部作、その他の保守哲学の書も含めて考えるべき)。

 僭越ながら、新田先生や不肖私の著書などは、たとえ『新天皇論』に納得している人であっても、少しでも読んでいただければこちらに転向していただけるものであるという自負があります(→「転向」?)。

 なぜなら、わざわざ相手の土俵にまで下りていって、投げ倒しているからです。

 それは相手の土俵の観客を意識しているということです。

 それができるのは、新田先生も、も、かつてゴーマニズム宣言」のファンだった(→?真正保守主義者は、小林の「ゴーマニズム」には嫌悪しか持てないはず)からです。

 ・・・なるほど、中川氏によると、小林氏の漫画が共感を呼ぶのは、高森氏から洗脳を受けた内容はデタラメばかりであっても、それでも必死に学んだ痕跡が漫画から伝わるという。

 しかし、結局のところ中身で勝負ということではないならば、それはプロパガンダ合戦のレベルの域を脱しないでしょう。

 それならば、プロパガンダによる洗脳から脱却するための、数々の材料を用意しなければならないのであり、我々はネットメディアを駆使して、それらを潤沢に用意してきたのです。

 それに対して、中川氏の著書は、新田先生ほど『新天皇論』の個別事項についての具体的論考を重ねていないどころか、女系天皇論と最前線で戦う兵士(→?誰のことか)に、後ろから鉄砲で撃つに等しい行為

(→全く逆。敵前で敵に背中を見せて、敵に寝返り反転し、敵の盾となった者を邪魔だから、どうしても退かぬなら、槍で突くまで!と考え直すチャンスを与えたまで)

 であると思いました。

 最後にもう一度、端的に感想を述べるということであれば、“がっかりした”の一言に尽きるでしょう」(→谷田川 惣 小林よしのり「新天皇論」の禍毒(中川八洋著)~を読む を参照)

 愚かなるかな谷田川 惣

 中川八洋氏の男系男子皇統論はその著、(『皇統断絶』ビジネス社、2005年)、(『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、2006年)、(『悠仁天皇と皇室典範』、2007年)及び保守主義関係の多数の著作における重装備の理論基礎を於いており、はっきり言えば、上記の皇統関係三部作を精読すれば、女系天皇論男系女子女性天皇論は、歴史歪曲虚偽虚構に過ぎず理論的に破綻しており、単なる天皇制廃止革命詭弁論に過ぎないことは、既に論駁し尽くされていることは明白である。

 新田均谷田川 惣の言論や著作が如何なるものであっても、碩学バーク保守主義者である中川八洋氏の上記皇統三部作等による「保守哲学の理論に基づいた重厚皇統論」が既に存在しているからこそ、新田均谷田川 惣の著作が読者に伝わるのである。

 そのような暗黙の前提条件すら谷田川 惣には解らないのか?

 そもそも、谷田川 惣『皇統は万世一系である』の引用図書中川八洋氏の上記皇統三部作と(『保守主義の哲学』、PHP研究所、2004年)が含まれているではないか?

 谷田川 惣は「この中川八洋氏の引用著書全く世に出回ってなかったとしても、は自著『皇統は万世一系である』が書けた!」と主張できるのであれば、中川八洋氏を批判するのは解らないでもない。

 が、〔=ブログ作成者〕が『皇統は万世一系である』を読んだ限りでは全く不可能であったろう。

 特に、第二部の保守思想については、中川八洋氏の保守主義の哲学関係の著作なしでは全く記述不可能である。

 なぜなら、谷田川 惣『皇統は万世一系である』の参考資料には、バーク『フランス革命の省察』やハイエク『ハイエク全集』、アレグザンダー・ハミルトンら『ザ・フェデラリスト』、ウォルター・バジョット『英国憲政論』、アクトン卿『自由の歴史』、トックヴィル『アメリカのデモクラシー』等々+デカルトルソーヘーゲルマルクスサルトルハイデカッカーフーコーデリダなどの左翼極左思想などの哲学的著作一冊も挙がっておらずあるのは唯一つ中川八洋(『保守主義の哲学』、PHP研究所、2004年)という「保守主義の哲学への入門書のみであることから明白であろう。

 少なくとも、バーク保守主義者である〔=ブログ作成者〕から言えば、この第二部はバークハイエクヘーゲルマルクス程度は、「かじる程度でも」読まなければ書けないが、参考図書にそれらの図書が一冊も記載されていない

 例えば、『皇統は万世一系である』の207頁の「法と法律の区別」はバーク、特にハイエク理論である。

 208頁の「皇室の家法は法律ではない」の“”はコーク『英国法提要』、バーク『フランス革命の省察』、ブラックストーン『英国法釈義』に記載される英国憲法の思想である。

 210頁「すべてのことには根拠がない」はハイエクの「デカルト的設計主義的合理主義批判の借用である。

 211頁〈大義の有無は誰が決めるのか〉とはハイエクの「正義社会的正義」論の一般主義的功利主義(=法の支配)か、個別主義的功利主義(=命令法主義)かの法哲学の問題で、例えば一般主義的功利主義を詳しく知るためには、コークバークハイエクヒューム等々を読まずには決して語れない。

 217頁「国民主権の前提はおかしい」とはハイエク法の支配の理論における「主権批判そのものであり、〔=ブログ作成者〕などはそれについて、2年前からブログ、ホームページで主張している。

 保守思想については概ねすべてこのような具合である。

 それでは、参考図書に上記の英米系保守主義者著作1冊もない中で、谷田川 惣はこれらの保守哲学の基礎の基礎を何(誰)から学んだのであろうか?

 つまり、はっきり言えば、中川八洋氏の著書から保守主義の哲学リンゴの皮程度を学んだにすぎない浅学谷田川 惣が、現代日本碩学中碩学である中川八洋氏の著作を批判するとは笑止千万身の丈を知れである。

 谷田川 惣は、中川八洋 筑波大学名誉教授に謝罪すべきであろう。

 それでも納得がいかないのなら、〔=ブログ作成者〕が提案しよう。

 チャンネル桜で、「男系男子皇統護持及び保守主義の正論」について、生放送(編集一切なし)で「谷田川 惣VS中川八洋の公開討論」を企画して放送して下さい。

 おそらく、K-1好きの谷田川 惣の「敵前逃亡」か「1ラウンド失神KO」で勝負は終わるだろうが。

 謝罪なしテレビ討論の企画放送なしならば、谷田川惣の「敵前逃亡」の不戦敗とみなしましょう。

 愚かなるかな谷田川 惣

 〔=ブログ作成者〕は谷田川 惣にこそ、失望させられました。

【平成23716日】

エドマンドバーク保守主義者より  


保守主義Series-3--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;憲法の保守と改良 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 3は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“憲法(=国法、国憲、国体)の保守と改良”についてのバークの主張を拾い上げた。

 目も当てられないほどに無様かつ傲慢かつ無能菅直人民主党政権醜態晒し続ける間に、バークの『フランス革命の省察』を拡散しておくことがいずれ、民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに破壊的打撃をあたえるであろうことを〔=ブログ作成者〕は確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させ、拡散していく所存である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部を〔=ブログ作成者〕が更訂して理解しやすくしたものである。なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 It is far from impossible to reconcile, if we do not suffer ourselves to be entangled in the mazes of metaphysic sophistry, the use both of a fixed rule and an occasional deviation; the sacredness of an hereditary principle of succession in our government, with a power of change in its application in cases of extreme emergency.

 Even in that (if we take the measure of our rights by our exercise of them at the revolution) the change is to be confined to the patient part only; to the part which produced the necessary deviation; and even then it is to be effected without a decomposition of the whole civil and political mass, for the purpose of originating a new civil order out of the first elements of society.7)

  7) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France” , Dover publications, Inc, pp.19.(『フランス革命の省察』、みすず書房、29頁に対応)

 我々が机上の空論のような詭弁の迷路の中で惑わされることさえ無ければ、不変の法と一時的な(法からの)逸脱という両者の効用を調和させること

 ――英国の統治における世襲の原理による王位継承の神聖性(=不変の法)と、極度の緊急事態が生じた場合に、その不変の法の適用について変更を加える権限とを調和させること――

 は決して不可能なことではありません。そして、そうした極度の緊急事態においてすら

 〔英国民が自らの権利の程度を、英国民が名誉革命に際して行使した際の権利の程度と比べて判断するならばの話しですが〕、

 変更は疾患した部分、つまり(不変の法から)止むを得ざる逸脱をもたらした部分のみに限定されるべきです。

 更に、その場合ですら、社会の第一要素(=中間組織の紐帯が破壊され、ばらばらのアトムとなった個人)から新規の国家体制を創出する意図をもって私的公的集合体全体を分解する、などということ無しに遂行されねばなりません。

 Key words and phrases;

 a fixed rule

 the change is to be confined to the patient part only

 without a decomposition of the whole civil and political mass, for the purpose of originating a new civil order 

  ―――――

 A state without the means of some change is without the means of its conservation.

 Without such means of it might even risk the loss of that part of the constitution which it wished the most religiously to preserve.

 The two principles of conservation and correction operated strongly at the two critical periods of the Restoration and Revolution, when England found itself without a king.

 At both those periods the nation had lost the bond of union in their ancient edifice; they did not, however, dissolve the whole fabric.

 On the contrary, in both cases they regenerated the deficient part of the old constitution through the parts which were not impaired.

 They kept these old parts exactly as they were, that the part recovered might be suited to them.

 They acted by the ancient organized states in the shape of their old organization, and not by the organic moleculae of a disbanded people.

 At no time, perhaps, did the sovereign legislature manifest a more tender regard to that fundamental principle of British constitutional policy, than at the time of the Revolution, when it deviated from the direct line of hereditary succession.

 The crown was carried somewhat out of the line in which it had before moved; but the new line was derived from the same stock.

 It was still a line of hereditary descent; still an hereditary descent in the same blood, though an hereditary descent qualified with Protestantism.

 When the legislature altered the direction, but kept the principle, they showed that they held it inviolable. 8)

 8) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.19-20.(『フランス革命の省察』、みすず書房、2930頁に対応)

 (極度の緊急事態においてさえ、不変の法の適用において)何らかの変更手段を持たない国家には、自らを保守する手段がありません。

 そうした手段を欠いては、その国家が最も大切に保持したいと欲している憲法の構成要素を喪失する危険すら冒すことになり兼ねません。

 英国に国王が不在となった王政復古と名誉革命という二つの危機的な時期に際して、保守と修正(という変更)の二原理は力強く働きました。

 これら二つの時期に際して英国民は、古来の大建築(=英連合王国、英国憲法)の中にあった統一の紐帯(=英国王/憲法原理)を(一時的に)喪失しましたが、それにも関わらず、建築物の全体構造(=英連合体制/英国憲法の構造)を分解しませんでした。

 それどころか、いずれの場合にも、古い憲法の欠陥ある部分を、損なわれなかった諸部分(=諸憲法原理)によって再生させたのです。

 英国民は、(憲法の)それら古い諸部分を厳格にかつてのままに維持しましたが、それは、再生された部分がそこに上手く適合するためでした。

 英国民は、昔の組織の形のままの、古来に構成された国家単位で行動したのであって、国民がバラバラに分解した一個人単位で行動したのではありません。

 恐らくこの名誉革命の時期――王位の世襲継承が直系の系統から逸脱した時期――にもまして最高権限をもつ立法部が、英国憲法政策の根本原理(である王制、立憲君主制)に対する親愛なる敬意を表明したことはなかったでしょう。

 王位はそれまで辿ってきた系統の外に多少出ましたが、新しい王位の系統は同じ血統(=ジェームス一世の血統)に起源を持つものでした。

 それは依然として世襲相続された系統であり、その世襲相続にプロテスタンティズムという限定が加えられはしたものの、依然として同じ血統の中での世襲相続でした。

 立法部は、(英国憲法の)方向(=王位とその系統)を変更しながらも、その原理(=王位の血統)は保守した時、王位の世襲継承を神聖不可侵(な英国憲法の根本原理)であると判断していることを明示したのです。

 Key words and phrases;

 the two principles of conservation and correction

 On the contrary, in both cases they regenerated the deficient part of the old constitution through the parts which were not impaired.

 They kept these old parts exactly as they were, that the part recovered might be suited to them.

 When the legislature altered the direction, but kept the principle, they showed that they held it inviolable.

【平成23716日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)