保守主義Series-6--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;“法の支配”と「専制権力」 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 6は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“法の支配」と「専制権力」”についてのバークの主張を拾い上げた。

 目も当てられないほどに傲慢かつ無能に加え、国民騙しを続ける卑怯首相菅直人の率いる民主党政権醜態晒し続ける間に、エドマンドバークの『フランス革命の省察』における最強保守哲学日本国民拡散し、徹底周知しておくことがいずれ、民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに破壊的打撃与えるであろうことを〔=ブログ作成者〕は確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させる所存である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部を〔=ブログ作成者〕が更訂して理解しやすくしたものである。なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

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 I shall beg leave, before I go any further, to take notice of some paltry artifices, which the abettors of election as the only lawful title to the crown, are ready to employ, in order to render the support of the just principles of the our constitution a task somewhat invidious.

 These sophisters substitute a fictitious cause, and feigned personages, in whose favour they suppose you engaged, whenever you defend the inheritable nature of the crown.

 It is common with them to dispute as if they were in a conflict with some of those exploded fanatics of slavery, who formerly maintained, what I believe no creature now maintains, “that the crown is held by divine, hereditary, and indefeasible right.”---These old fanatics of single arbitrary power dogmatized as if hereditary royalty was the only lawful government in the world, just as our new fanatics of popular arbitrary power, maintain that a popular election is the sole lawful source of authority.

 The old prerogative enthusiasts, it is true, did speculate foolishly, and perhaps impiously too, as if monarchy had more of a divine sanction than any other mode of government; and if a right to govern by inheritance were in strictness indefeasible in every person, who should be found in the succession to a throne, and under every circumstance, which no civil or political right can be.

 But an absurd opinion concerning the king’s hereditary right to the crown does not prejudice one that is rational, and bottomed upon solid principles of law and policy.

 If all the absurd theories of lawyers and divines were to vitiate the objects in which they are conversant, we should have no law, and no religion, left in the world.

 But an absurd theory on one side of a question forms no justification for alleging a false fact, or promulgating mischievous maxims on the other. 13)

 13) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.23-24.『フランス革命の省察』、みすず書房、3435頁に対応)

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 議論をいくらか前進させるのに先立って、選挙こそが唯一合法的な王位継承資格であると煽動する連中が――英国憲法の正しい諸原理に支持する仕事を、何か不愉快な事のごとく(聴衆に)感じさせるために――使いたがる下劣な策略に注意を向けるのをお許し頂きたいと存じます。

 この詭弁家たちは、貴方が王位の相続性を擁護しようとすれば忽ち、虚偽の大義と架空の人物を替玉として登場させます。

 そしてこの詭弁家達は、貴方をこれらの虚偽の大義と架空の人物の手先にでっちあげるのです。

 「王位は、神授、世襲かつ破棄できない権利によって保持される」とは、隷属狂信者が昔日主張しましたが、すでに論駁されてしまった主張であり、今ではそんな主張をする人間はどこにもいないはずですが、この詭弁家たちの常套手段は、(詭弁家たちが)恰もそうした隷属狂信者のうちの誰かと論争しているかのような口ぶりをすることです。

 唯一の(法の支配の下にない)専制権力のみを奉ずるこれら昔日の狂信者たちは、世襲の王権のみがこの世で唯一合法的な統治権でもあるかのように教義を作り上げましたが、それは、民衆の(法の支配の下にない)専制権力を奉ずる現在の新狂信家連中が、民衆の選挙だけが唯一合法的な権力の源泉であると主張するのとまさに同じことなのです。

 確かに、昔日の国王大権狂信者は、(法の支配の下にない)専制君主権は他のどんな統治権の形態に勝って神的な根拠を有していると愚かにも――そして、おそらく(神に対して)不敬虔にも、と付け加えるべきでしょうが――推量しました。

 彼らはまた、相続によって統治する権利は、王位継承権を有するすべての者毎に、如何なる状況の下でも、破棄できない厳格なもの――そのようなことは、どんな私的公的権利にとってもあり得ないのですが――であるかの如くにも推量しました。

 しかし、(現在では、これらの昔日の歴史から学んで)理性的であり、かつ確固たる法の諸原理と政策に根拠を置いている人に向かって、王位に対する国王達の世襲権について不条理な意見を述べ立ててみても、些かも影響するところはありません。

 もしも(昔日の)法学者や神学者たちの不条理な理論

 (=法の支配下になく、世襲の不可侵権と神授権のみを根拠とする専制君主権論)

 がすべて、彼ら(自身)の論じている対象

 (=前者の場合は“法”、後者の場合は“神と宗教”である)

 さえも無効にできるなどというならば、そもそも(現在の)この世には法も(神と)宗教も(専制君主権によって破壊されてしまい)残っていなかったはずです

 (が、実際にはしずれも現存しているのです)。

 しかし(現在の新狂信家たちは)問題の一方の側(=国王による統治権の問題の側)では、(存在しなかった)不条理な理論(=法の支配の下にない専制君主権論)を立てておいて、他方の側(=民衆による統治権の問題の側)では、虚偽の事実(=法の支配の下にない、専制君主権の存在)の主張や有害な行動原理(=前者の虚偽を前提とした民衆専制論)の宣伝などの正当化の根拠にしようとするのですが、それは無理な話です。

 ※ 邦訳文中の〔=ブログ作成者〕の補足説明;(法の支配の下にない・・・)は(立憲主義の下にない・・・)と置換しても全く問題ありません。

 Key words and phrases

 the just principles of the our constitution

 substitute a fictitious cause, and feigned personages, in whose favour they suppose you engaged

 those exploded fanatics of slavery, who formerly maintained, what I believe no creature now maintains, “that the crown is held by divine, hereditary, and indefeasible right.”

 single arbitrary power

 monarchy

 our new fanatics of popular arbitrary power, maintain that a popular election is the sole lawful source of authority.

 If all the absurd theories of lawyers and divines were to vitiate the objects in which they are conversant, we should have no law, and no religion, left in the world.

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 〔=ブログ作成者〕の意見

 要するに、立憲君主制自由主義国家において国民自由と諸権利保障するためには、君主の側においても、民衆国民)の側においても、“法の支配”や“立憲主義”の制限下にない専制権力(=主権)は附与されてはならないということであり、

 社会主義者共産主義者などは「市民(民衆)の選挙による多数決の決定どんな決定でも絶対である市民のみが主権者である」などと言い、

 皇室典範有識者会議の『報告書』では

 「皇位継承法(=“憲法”)成文法典である皇室典範主権者である国民(一部の学識者らの集団)が自由に改変してよい

 などという天皇制廃止マルクス主義革命思想現実行動に移すために皇室典範恣意的に改悪しようとした暴挙であった。

 (→日本国民は、日本国政府及び内閣府男女共同参画局内閣法制局〉・法務省宮内庁厚労省文科省などの動きを常に監視し、このような国家反逆的暴挙二度と起こさせてはならない。)

 が、それらの思想起源は、すべて主として「人民主権」「国民主権」の概念にある。

 また、東日本大震災後、強いリーダーシップ必要性から、それを実現できると勘違いして理解され、しきりに叫ばれている「国会の一院制化」や「首相公選制」や「憲法改正手続きを定めた憲法第96条のみの改正」という打算的な動きにも充分な警戒を必要とする。

 これらの思想動きすべて、“法の支配”、“立憲主義”を超越する権力、あるいは超越しやすくする手段を、日本国民や少数日本国民代表者らに与える道開こうとするものである。

 エドマンドバーク18世紀既に論駁・予言しているように、君主に対してであれ、国民に対してであれ、“法の支配”、“立憲主義”を超越したリーダーシップのための権力与えること(=政府の権力国会の権力安易拡大すること)は、悪徳者権力の座に就いて議会の多数派制したとき、そのリーダーシップ180度反転して、専制権力行使へと豹変するということは、世界史の史実から日本国民は既に学んでいる筈であろう。

 18世紀のフランス革命ジャコバン党)、20世紀のロシア革命共産ロシアレーニンスターリン)、20世紀のナチスドイツヒトラー毛沢東中共)、21世紀の北朝鮮金日成正日)等々の社会主義共産主義国家すべて君主殺害あるいは追放した自国をして、人民主権民主主義国家であると主張していること

 そしてそのような民主主義国家において大多数自国民がいかなる大惨劇に襲われたかは、今更述べることでもあるまい。

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【平成23725日掲載】

 エドマンドバーク保守主義者(神戸発)