保守哲学---(1) 與謝野晶子 評論集:「自由思想家」 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて現在、〔=ブログ作成者〕は本ブログ「Series エドマンドバークフランス革命の省察』に学ぶ」において、保守主義バイブルであるエドマンドバークフランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次掲載し、日本国中復活させ、真正保守自由主義哲学拡散していく作業を試行中である。

 そして、今回からこの作業に加えて、日本国真正保守自由主義者であった、與謝野晶子評論集(→現代日本社会では、全く公表されない與謝野晶子真像を表現した小論集である)を逐次公開していきたいと思う。

 〔=ブログ作成者〕は、この與謝野晶子評論集における思想が、必ずや現代日本国民の忘れてしまった大切なこと”を思い出させてくれるであろうと期待するものである。

 ―――『定本 與謝野晶子全集 第十九巻 評論 感想集 六』「自由思想家」、講談社、217219頁、昭和五十六年)―――

 自由思想家

 人は誰も一面には自由思想家であって欲しい。教育も此事(このこと)を標的として種種の科目を授けるものであって欲しい。

 自由思想家とは、愛を以て同情することが出来、趣味性を以て感激することが出来、理性(りせい)を以て思索することが出来ると共に、頑固(がんこ)で無く、狭量(きょうりょう)でなく、柔軟に自己を展開し、該博(がいはく)に外物を摂取(せっしゅ)し得る人である事を意味する。

 こう言う人は情味に於(お)いて思想に於いて共に奥行きがある。世の中が如何に変化しても自ら狼狽(ろうばい)すること無く、社会からも尊敬せられて重きを為すであろう。

 殊(こと)に青年は自由思想家でなければならない。白紙の頭脳に色色の知識、感情、思想を染めて、自ら豊麗(ほうれい)な人格を完成する意欲の旺盛(おうせい)なことが青年期の誇(ほこ)りである。

 青年が早くも功利思想に感染して、一身の利福の為(ため)に純情と正義とを閑却(かんきゃく)し、少少の邪道(じゃどう)や権道(けんどう)は目を塞いで飛び越えようとするならば、青年の自由を拠(よ)って却(かえ)って固陋旧式(ころうきゅうしき)の道を踏むものである。

 資本主義時代の初期にある我国では、何かにつけて唯物(ゆいぶつ)的傾向が勢力を持っている。大抵の人が経済的収穫を標的として多く行動し、自由に思想すべき青年までが早くも就職(しゅうしょく)に便利な学業を選ぼうとする。

 衣食の生活の不安に脅かされない者は殆(ほとん)ど無いと言う時代に此(この)事はや已(や)むを得ない現象であろうが、この傾向にのみ拘泥(こうでい)し、この以外に幾多(いくた)の思想のあることを疎略(そりゃく)にするならば、思想上にも実生活の上にも畸形(きけい)な生き方であろう。

 マルキシズム(→マルクス主義)よりレエニズム(→マルクス・レーニン主義、共産主義)へと言うのが、優秀な大学生間の近頃の研究題目であり、経済組織に由(よ)って左右される社会生活を不可抗力的のものと見て、其等(それら)の唯物思想を肯定し、其(それ)を人生の唯一の準拠(じゅんきょ)として万事を批判し照準(しょうじゅん)する傾向が著しい。

 この考え方は余りに冷たく且(か)つ非人間的である。言わば人間が物質に負けて隷属(れいぞく)した形である。併(しか)し思想は抽象的(ちゅうしょうてき)のものに外ならぬ。

 血あり肉ある人間の実生活には、人情があり、正義の欲求があり、物質を手段として人間の独立(どくりつ)を確保する自尊心(じそんしん)があって、是等(これら)のものが重要な勢力になって働いている。

 此事を忘れて、新しい一つや二つの唯物思想を其(そ)のまま実際社会に適用しようとするのは、鍋蓋(なべぶた)を以て海を蓋(ふた)しようと考えるのに等しい。人生は其等(それら)の思想の外(ほか)に洋洋としている筈(はず)である。

 人間をブルジョワとプロレタリアの二階級(かいきゅう)に分けて考える事なども一つの思想にすぎない。実際の社会には此の二階級が黒と白のように截然(せつぜん)と対立しているのでは無い、個人の頭の中にも、社会にも此の二つの思想が縺(もつ)れ合っている。

 現に私自身の思想にしても、ブルジョワに属(ぞく)した部分もあればプロレタリアに属した部分もあり、また其等の何れにも属しない部分もあって、私は自(みずか)ら二階級の何(いず)れに専属(せんぞく)しているとも断言が出来ない。

 現実を重んずると言う人達が案外(あんがい)この現実を正視(せいし)しないで、抽象的(ちゅうしょうてき)に分けた二つの階級をさながら具体的(ぐたいてき)に分立(ぶんりつ)し、対立して存在する事実のように速断(そくだん)している。

 傾向思想の中から参考(さんこう)となるものを選び採るのは善いが、其中の一つや二つを取上げて、其れ以外の考え方を古いものとして度外視(どがいし)するのは、人間自身を狭く窮屈(きゅうくつ)にするものである。

 新しい思想に感激して其れの魅力(みりょく)に牽(ひ)き付(つ)けられるのは意義ある事ながら、其れを絶対最善のものと思い込んではならない。

 また次にどのような新思想が現われるかもしれない、否(いや)屹度(きっと)現れて来るのであるから、目前(もくぜん)の傾向思想に囚(とら)われない心掛(こころがけ)が必要である。

 どの思想も必ず古くなる。レエニズムなど恐らく数年後には影が薄くなるであろう。その思想の本国であるロシヤには既に反動(はんどう)思想が発酵(はっこう)していると言うことである。

 飽迄(あくまで)も人間が主で、其他(そのた)の事物はすべての人間が自家用(じかよう)の為(た)めに駆使(くし)し取捨(しゅしゃ)するものである以上、どの思想にも惑溺(わくでき)すべきで無い。唯物思想に偏(へん)することも一(ひとつ)の迷信(めいしん)である。

 金銭の価値に人間が左右される大勢(たいせい)にあるのは事実ながら、この大勢を正しいものと決めてしまう訳にはいかない。

 この大勢に対して誰(だ)れも不満を実感している。誰れも出来る事なら、或る程度に経済生活の安心を得て、其れ以外の豊富な精神文化の生活を建設し享受(きょうじゅ)したいと願っている。此の欲求を生かす為(た)めには自由思想家の教養と態度とが必要である。

 目前流行の階級意識や唯物主義や過激(かげき)な破壊思想(はかいしそう)を超越(ちょうえつ)して大きく豊(ゆたか)に考え得る人間であらねばならない。私は此(この)意味で、欧米の国民が、日本の青年の近状(きんじょう)ほどにロシヤから来た一つの新思想に熱狂(ねっきょう)しないのを羨(うらや)ましく思っている。

 〔昭和2年(1927年)1011日〕

 ※ 旧漢字は、〔=ブログ作成者〕が、読みやすさを配慮して新漢字に改めた(→国文学者である與謝野晶子には叱られるであろうが)。

 また( )内の漢字の読み仮名や補足説明は、〔=ブログ作成者〕が挿入した。

 〔 〕は原文中にある( )を、〔=ブログ作成者〕が付した読み仮名や補足説明の( )と区別するために、〔 〕に置き換えたもの。

 なお、比較的簡単な漢字にも読み仮名を付したのは、意欲ある小中高校生、大学生、高齢者の方々などにも読みやすいように配慮したためである。

 ―――『定本 與謝野晶子全集 第十九巻 評論 感想集 六』「自由思想家」、講談社、217219頁、昭和五十六年)―――

【平成23717日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


保守主義の哲学---愚かなり!浅学 谷田川 惣による、碩学 中川八洋氏への「ゴーマニズムな批判」 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、谷田川 惣(やたがわ おさむ)氏がその著書『皇統は万世一系である』の著者において逆賊小林よしのりの漫画『新天皇論』を論駁しようと試みられたことには敬意を表するものである。

 しかしながら、谷田川 惣(やたがわ おさむ)は自著出版後、何を勘違いしたのか解らないが日本国バークとも言える中川八洋 筑波大学名誉教授の著作『小林よしのり「新天皇論」の渦毒』について以下のような「ゴーマニズム的な批判」をしている。

 谷田川 惣は言う、

 「一言で印象を述べるなら、中川八洋氏はインターネットをわかっていない。

 それに尽きるでしょうか。

 ・・・今回の皇統論争における新田均先生による攻撃の破壊力は、

 ①コラムブログ「小林よしのり氏公認ゴーマニスト宣言」、

 ②チャンネル桜「さようなら!小林よしのり・ゴーマニスト宣言」part28

 そして、

 ③『正論』(平成226月、8月号)、『別冊正論14』からなります。

 つまり、コラムブログ、動画、論文、という3点攻勢によって、攻撃力が完成しているのです。

 3点のうち、2点はインターネットです。

 この3点攻撃によって、女系論のおかしさに気付いた人は、どれだけ多くいることか。

 そして、小林よしのり氏まったく反論できない状態に追い込まれている(→?愚かな・・・)

 ・・・また、中川氏は「本には本で対抗するしかありません」と述べ、それが戦い方の常道であるという。

 それは学術論の話であって、小林氏は印象操作による宣伝工作を仕掛けているのです。

 相手のプロパガンダには、戦いの常道など通用せず、あらゆる戦術を駆使しなくてはならないことから、3点攻撃をフル活用された新田先生が一番槍で最も戦績を上げられた功労者ということになる(→?愚かな・・・)でしょう。

 特攻どころか、完勝により小林氏の言論生命すら奪う勢いとなっています(→??)。

 中川氏による小林氏の過大評価は、ネット(光回線)普及以前になら、だいたい通用した話でしょう。

 『新天皇論』10万部以上というのは、私が関係者から聞いている範囲では、店舗や倉庫に山積みにしてあるものも含めての数字であるということです。

 一方で、新田先生のブログの訪問者衛星放送動画視聴者、『正論読者総計すると、それを上回ることでしょう。

 残念ながら、最終的に中川氏は『新天皇論』に対しては、一連の新田先生による破壊力の何分の一以下の攻撃力も見せることができないだろうと思います

 (→愚かなことを言うのではない!中川八洋氏の天皇皇統4部作の説得力に対抗できる男系男子皇統論など日本国には1冊もない)。

 おそらくこれまで中川氏のことが好きな読者は満足させることができるかもしれませんが、『新天皇論』に納得している人を、こちらに振り向かせることは難しいでしょう

 一方、中川氏が述べる小林よしのり氏の攻撃力とは販売部数であるという。

 それならば、中川氏はどれだけの部数を上げられるのでしょうか(→中川氏の天皇皇統論三部作、その他の保守哲学の書も含めて考えるべき)。

 僭越ながら、新田先生や不肖私の著書などは、たとえ『新天皇論』に納得している人であっても、少しでも読んでいただければこちらに転向していただけるものであるという自負があります(→「転向」?)。

 なぜなら、わざわざ相手の土俵にまで下りていって、投げ倒しているからです。

 それは相手の土俵の観客を意識しているということです。

 それができるのは、新田先生も、も、かつてゴーマニズム宣言」のファンだった(→?真正保守主義者は、小林の「ゴーマニズム」には嫌悪しか持てないはず)からです。

 ・・・なるほど、中川氏によると、小林氏の漫画が共感を呼ぶのは、高森氏から洗脳を受けた内容はデタラメばかりであっても、それでも必死に学んだ痕跡が漫画から伝わるという。

 しかし、結局のところ中身で勝負ということではないならば、それはプロパガンダ合戦のレベルの域を脱しないでしょう。

 それならば、プロパガンダによる洗脳から脱却するための、数々の材料を用意しなければならないのであり、我々はネットメディアを駆使して、それらを潤沢に用意してきたのです。

 それに対して、中川氏の著書は、新田先生ほど『新天皇論』の個別事項についての具体的論考を重ねていないどころか、女系天皇論と最前線で戦う兵士(→?誰のことか)に、後ろから鉄砲で撃つに等しい行為

(→全く逆。敵前で敵に背中を見せて、敵に寝返り反転し、敵の盾となった者を邪魔だから、どうしても退かぬなら、槍で突くまで!と考え直すチャンスを与えたまで)

 であると思いました。

 最後にもう一度、端的に感想を述べるということであれば、“がっかりした”の一言に尽きるでしょう」(→谷田川 惣 小林よしのり「新天皇論」の禍毒(中川八洋著)~を読む を参照)

 愚かなるかな谷田川 惣

 中川八洋氏の男系男子皇統論はその著、(『皇統断絶』ビジネス社、2005年)、(『女性天皇は皇室廃絶』徳間書店、2006年)、(『悠仁天皇と皇室典範』、2007年)及び保守主義関係の多数の著作における重装備の理論基礎を於いており、はっきり言えば、上記の皇統関係三部作を精読すれば、女系天皇論男系女子女性天皇論は、歴史歪曲虚偽虚構に過ぎず理論的に破綻しており、単なる天皇制廃止革命詭弁論に過ぎないことは、既に論駁し尽くされていることは明白である。

 新田均谷田川 惣の言論や著作が如何なるものであっても、碩学バーク保守主義者である中川八洋氏の上記皇統三部作等による「保守哲学の理論に基づいた重厚皇統論」が既に存在しているからこそ、新田均谷田川 惣の著作が読者に伝わるのである。

 そのような暗黙の前提条件すら谷田川 惣には解らないのか?

 そもそも、谷田川 惣『皇統は万世一系である』の引用図書中川八洋氏の上記皇統三部作と(『保守主義の哲学』、PHP研究所、2004年)が含まれているではないか?

 谷田川 惣は「この中川八洋氏の引用著書全く世に出回ってなかったとしても、は自著『皇統は万世一系である』が書けた!」と主張できるのであれば、中川八洋氏を批判するのは解らないでもない。

 が、〔=ブログ作成者〕が『皇統は万世一系である』を読んだ限りでは全く不可能であったろう。

 特に、第二部の保守思想については、中川八洋氏の保守主義の哲学関係の著作なしでは全く記述不可能である。

 なぜなら、谷田川 惣『皇統は万世一系である』の参考資料には、バーク『フランス革命の省察』やハイエク『ハイエク全集』、アレグザンダー・ハミルトンら『ザ・フェデラリスト』、ウォルター・バジョット『英国憲政論』、アクトン卿『自由の歴史』、トックヴィル『アメリカのデモクラシー』等々+デカルトルソーヘーゲルマルクスサルトルハイデカッカーフーコーデリダなどの左翼極左思想などの哲学的著作一冊も挙がっておらずあるのは唯一つ中川八洋(『保守主義の哲学』、PHP研究所、2004年)という「保守主義の哲学への入門書のみであることから明白であろう。

 少なくとも、バーク保守主義者である〔=ブログ作成者〕から言えば、この第二部はバークハイエクヘーゲルマルクス程度は、「かじる程度でも」読まなければ書けないが、参考図書にそれらの図書が一冊も記載されていない

 例えば、『皇統は万世一系である』の207頁の「法と法律の区別」はバーク、特にハイエク理論である。

 208頁の「皇室の家法は法律ではない」の“”はコーク『英国法提要』、バーク『フランス革命の省察』、ブラックストーン『英国法釈義』に記載される英国憲法の思想である。

 210頁「すべてのことには根拠がない」はハイエクの「デカルト的設計主義的合理主義批判の借用である。

 211頁〈大義の有無は誰が決めるのか〉とはハイエクの「正義社会的正義」論の一般主義的功利主義(=法の支配)か、個別主義的功利主義(=命令法主義)かの法哲学の問題で、例えば一般主義的功利主義を詳しく知るためには、コークバークハイエクヒューム等々を読まずには決して語れない。

 217頁「国民主権の前提はおかしい」とはハイエク法の支配の理論における「主権批判そのものであり、〔=ブログ作成者〕などはそれについて、2年前からブログ、ホームページで主張している。

 保守思想については概ねすべてこのような具合である。

 それでは、参考図書に上記の英米系保守主義者著作1冊もない中で、谷田川 惣はこれらの保守哲学の基礎の基礎を何(誰)から学んだのであろうか?

 つまり、はっきり言えば、中川八洋氏の著書から保守主義の哲学リンゴの皮程度を学んだにすぎない浅学谷田川 惣が、現代日本碩学中碩学である中川八洋氏の著作を批判するとは笑止千万身の丈を知れである。

 谷田川 惣は、中川八洋 筑波大学名誉教授に謝罪すべきであろう。

 それでも納得がいかないのなら、〔=ブログ作成者〕が提案しよう。

 チャンネル桜で、「男系男子皇統護持及び保守主義の正論」について、生放送(編集一切なし)で「谷田川 惣VS中川八洋の公開討論」を企画して放送して下さい。

 おそらく、K-1好きの谷田川 惣の「敵前逃亡」か「1ラウンド失神KO」で勝負は終わるだろうが。

 謝罪なしテレビ討論の企画放送なしならば、谷田川惣の「敵前逃亡」の不戦敗とみなしましょう。

 愚かなるかな谷田川 惣

 〔=ブログ作成者〕は谷田川 惣にこそ、失望させられました。

【平成23716日】

エドマンドバーク保守主義者より  


保守主義Series-3--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;憲法の保守と改良 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回Series 3は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、“憲法(=国法、国憲、国体)の保守と改良”についてのバークの主張を拾い上げた。

 目も当てられないほどに無様かつ傲慢かつ無能菅直人民主党政権醜態晒し続ける間に、バークの『フランス革命の省察』を拡散しておくことがいずれ、民主党社民党共産党その他の社会主義政党などに破壊的打撃をあたえるであろうことを〔=ブログ作成者〕は確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく邦訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させ、拡散していく所存である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、細部を〔=ブログ作成者〕が更訂して理解しやすくしたものである。なお、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 It is far from impossible to reconcile, if we do not suffer ourselves to be entangled in the mazes of metaphysic sophistry, the use both of a fixed rule and an occasional deviation; the sacredness of an hereditary principle of succession in our government, with a power of change in its application in cases of extreme emergency.

 Even in that (if we take the measure of our rights by our exercise of them at the revolution) the change is to be confined to the patient part only; to the part which produced the necessary deviation; and even then it is to be effected without a decomposition of the whole civil and political mass, for the purpose of originating a new civil order out of the first elements of society.7)

  7) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France” , Dover publications, Inc, pp.19.(『フランス革命の省察』、みすず書房、29頁に対応)

 我々が机上の空論のような詭弁の迷路の中で惑わされることさえ無ければ、不変の法と一時的な(法からの)逸脱という両者の効用を調和させること

 ――英国の統治における世襲の原理による王位継承の神聖性(=不変の法)と、極度の緊急事態が生じた場合に、その不変の法の適用について変更を加える権限とを調和させること――

 は決して不可能なことではありません。そして、そうした極度の緊急事態においてすら

 〔英国民が自らの権利の程度を、英国民が名誉革命に際して行使した際の権利の程度と比べて判断するならばの話しですが〕、

 変更は疾患した部分、つまり(不変の法から)止むを得ざる逸脱をもたらした部分のみに限定されるべきです。

 更に、その場合ですら、社会の第一要素(=中間組織の紐帯が破壊され、ばらばらのアトムとなった個人)から新規の国家体制を創出する意図をもって私的公的集合体全体を分解する、などということ無しに遂行されねばなりません。

 Key words and phrases;

 a fixed rule

 the change is to be confined to the patient part only

 without a decomposition of the whole civil and political mass, for the purpose of originating a new civil order 

  ―――――

 A state without the means of some change is without the means of its conservation.

 Without such means of it might even risk the loss of that part of the constitution which it wished the most religiously to preserve.

 The two principles of conservation and correction operated strongly at the two critical periods of the Restoration and Revolution, when England found itself without a king.

 At both those periods the nation had lost the bond of union in their ancient edifice; they did not, however, dissolve the whole fabric.

 On the contrary, in both cases they regenerated the deficient part of the old constitution through the parts which were not impaired.

 They kept these old parts exactly as they were, that the part recovered might be suited to them.

 They acted by the ancient organized states in the shape of their old organization, and not by the organic moleculae of a disbanded people.

 At no time, perhaps, did the sovereign legislature manifest a more tender regard to that fundamental principle of British constitutional policy, than at the time of the Revolution, when it deviated from the direct line of hereditary succession.

 The crown was carried somewhat out of the line in which it had before moved; but the new line was derived from the same stock.

 It was still a line of hereditary descent; still an hereditary descent in the same blood, though an hereditary descent qualified with Protestantism.

 When the legislature altered the direction, but kept the principle, they showed that they held it inviolable. 8)

 8) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.19-20.(『フランス革命の省察』、みすず書房、2930頁に対応)

 (極度の緊急事態においてさえ、不変の法の適用において)何らかの変更手段を持たない国家には、自らを保守する手段がありません。

 そうした手段を欠いては、その国家が最も大切に保持したいと欲している憲法の構成要素を喪失する危険すら冒すことになり兼ねません。

 英国に国王が不在となった王政復古と名誉革命という二つの危機的な時期に際して、保守と修正(という変更)の二原理は力強く働きました。

 これら二つの時期に際して英国民は、古来の大建築(=英連合王国、英国憲法)の中にあった統一の紐帯(=英国王/憲法原理)を(一時的に)喪失しましたが、それにも関わらず、建築物の全体構造(=英連合体制/英国憲法の構造)を分解しませんでした。

 それどころか、いずれの場合にも、古い憲法の欠陥ある部分を、損なわれなかった諸部分(=諸憲法原理)によって再生させたのです。

 英国民は、(憲法の)それら古い諸部分を厳格にかつてのままに維持しましたが、それは、再生された部分がそこに上手く適合するためでした。

 英国民は、昔の組織の形のままの、古来に構成された国家単位で行動したのであって、国民がバラバラに分解した一個人単位で行動したのではありません。

 恐らくこの名誉革命の時期――王位の世襲継承が直系の系統から逸脱した時期――にもまして最高権限をもつ立法部が、英国憲法政策の根本原理(である王制、立憲君主制)に対する親愛なる敬意を表明したことはなかったでしょう。

 王位はそれまで辿ってきた系統の外に多少出ましたが、新しい王位の系統は同じ血統(=ジェームス一世の血統)に起源を持つものでした。

 それは依然として世襲相続された系統であり、その世襲相続にプロテスタンティズムという限定が加えられはしたものの、依然として同じ血統の中での世襲相続でした。

 立法部は、(英国憲法の)方向(=王位とその系統)を変更しながらも、その原理(=王位の血統)は保守した時、王位の世襲継承を神聖不可侵(な英国憲法の根本原理)であると判断していることを明示したのです。

 Key words and phrases;

 the two principles of conservation and correction

 On the contrary, in both cases they regenerated the deficient part of the old constitution through the parts which were not impaired.

 They kept these old parts exactly as they were, that the part recovered might be suited to them.

 When the legislature altered the direction, but kept the principle, they showed that they held it inviolable.

【平成23716日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


保守主義Series-2--- E・Burke 『フランス革命の省察』に学ぶ; “法の支配”と「権力者の恣意」 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 さて、今回は、エドマンドバークフランス革命の省察』の中から、短いパラグラフではあるが“法の支配”と「権力者の恣意」についてバークの主張を拾い上げた。

 目も当てられないほどに無様かつ傲慢かつ無能菅直人民主党政権醜態晒し続ける間に、バークの『フランス革命の省察』を拡散しておくことがいずれ、民主党社民党共産党などに破壊的打撃をあたえるであろうことを〔=ブログ作成者〕は確信して、エドマンドバークの『フランス革命の省察』を真正保守自由主義の立場から正しく翻訳しなおして、逐次ブログに掲載し、日本国中復活させ、拡散していく所存である。

 なお、邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎として、〔=ブログ作成者〕が更訂したものであり、邦訳文中の( )内は〔=ブログ作成者〕が補足説明したものである。

 It is true that, aided with powers derived from force and opportunity, the nation was at that time, in some sense, free to take what course it pleased for filling the throne; but only free to do so upon the same grounds on which they might have wholly abolished their monarchy, and every other part of their constitution.

 However they did not think such bold changes within their commission.

 It is indeed difficult, perhaps impossible, to give limits to the mere abstract competence of the supreme power, such as was exercised by parliament at that time; but the limits of a moral competence, subjecting, even in powers more indisputably sovereign, occasional will to permanent reason, and to the steady maxims of faith, justice, and fixed fundamental policy, are perfectly intelligible, and perfectly binding upon those who exercise any authority, under any name, or under any title, in the state.

 The House of Lords, for instance, is not morally competent to dissolve the House of Commons; no, nor even to dissolve itself, nor to abdicate, if it would, its portion in the legislature of the Kingdom. Though a king may abdicate for his own person, he cannot abdicate for the monarchy.

 By as strong, or by a stronger reason, the House of Commons cannot renounce its share of authority.

 The engagement and pact of society, which generally goes by the name of the constitution, forbids such invasion and such surrender.

 The constituent parts of a state are obliged to hold their public faith with each other, and with all those who derive any serious interest under their engagements, as much as the whole state is bound to keep its faith with separate communities.

 Otherwise competence and power would soon be confounded, and no law be left but the will of a prevailing force.

 On this principle the succession of the crown has always been what it now is, an hereditary succession by law; in the old line it was a succession by the common law; in the new by the statue of law, operating on the principles of the common law, not changing the substance, but regulating the mode, and describing the persons.

 Both these descriptions of law are of the same force, and are derived from an equal authority, emanating from the common agreement and original compact of the state, communi sponsione republicae, and as such are equally binding on king, and people too, as long as the terms are observed, and they continue the same body politic.6)

  6) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.18-19.(『フランス革命の省察』、みすす書房、2728頁に対応)

 なるほどある意味において、その(権利の章典の制定)時の、英国民は強制力とそれを振るえる機会とがもたらしてくれた権力の助けに頼めば、王位を補充するのにどのような方針をとるのも自由でした。

 しかしながら、英国民がそうする自由があったとしても、そのことは同じ根拠において、彼らが王制だけでなく、その他すべての憲法原理も全面的に廃止することができたかもしれないという意味に他なりません。

 ところが英国民はそうした(英国憲法の)大改変をすることが、自分達に委任された権限の範囲内にあるとは考えませんでした。

 なるほどその当時、英国議会が行使できた最高権力を、単に抽象的権限として見なせば、そこに制限を設けることは困難であり、恐らくは不可能でしょう。

 しかし、(コモン・ローとしての)道徳的意味での権限と見なした場合の制限――それよりも遥かに疑問の余地無く至高な権力においてすら、時々の恣意を抑えて永遠の道理に従わせしめ、さらに、信義、正義、確固たる根本方針などの不変の行動原理に従わせしめもする制限が何処であるかは、完全に理解可能なのであって、この制限は如何なる名称、如何なる肩書きの下にあれ、国家においていかなる権限を行使する人々をも完全に拘束するのです。

 例えば、上院は下院を解散する権限を(コモン・ローとして)道徳上持ってはいません。

 否それどころか、上院は自らを解散せしめることすらできませんし、たとえ望んでも、英王国立法部内での役割を放棄することもできません。

 国王は、彼自身として退位しようとしても、王制の国王としては退位するなど不可能です。

 同じほど強い理由、否一層強い理由から、下院は自ら分け担っている権限を放棄することはできません。

(文明)社会の約束や契約――それらは通常、憲法と呼ばれています――が、そうした(王国行政部や立法部の権限に対する)侵犯やそうした放棄を禁じているのです。

 国家(=政府)が(国家を構成する)個々の社会組織(→「中間組織」という)との間で信義を保持する義務を負っているのと同じく、国家を構成する諸部分(=中間組織)は、自分達(中間組織)相互の間で、また自分達(=中間組織)との約束の下に何らかの重大な利益を得ている人々(=個人)との間で、公的信義を保持する義務があります。

 さもなければ、(信義を保持する義務を伴う)権限と(義務を伴わない)権力はたちどころに混同され、法は残らず、(その時)支配を揮っている強制力の恣意のみが残るでしょう。

 この原理に則って、王位継承は昔も今も変わりなく、法による世襲継承でした。

 ただ、古き王統においては(不文の)コモン・ローによる継承であったのに対して、新しい王統においてはコモン・ローの原理に従って働く制定法(成文法典)による継承となりましたが、それによって(王位継承法の)実質が何らかの変更を受けたのではなく、(王位継承の)様式が規定され、かつ(王位継承権を有する)人物が明記されただけです。

 コモン・ローと制定法というこれら二種の法は、二つながら同じ強制力を有し、等しい権威に由来しているのであって、国家についての共通の同意と(英国王と英国民との間の王制の)最初の合意――「国家全体の共通の約束」――から発生し、またそのようなものとして、同意事項が遵守され、かつ英国王と英国民が同一の(王制という)政体を継承していく限り、等しく両者を拘束するのです。

【平成23712日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)  


保守主義Series-1--- E・Burke『フランス革命の省察』に学ぶ;天皇陛下(皇室)と日本国民の関係 [政治]

 読者の皆さまには、いつも〔=ブログ作成者〕の稚拙な小論をお読み頂き、深く御礼申し上げます。

 中川八洋 筑波大学名誉教授の新刊(『小林よしのり「新天皇論」の禍毒』、オークラ出版)が平成23630日に発刊されました。

 〔=ブログ作成者〕は、ようやく読了いたしました。

 今回は、上記著書を読了した〔=ブログ作成者〕が、日本国皇祖皇宗今上陛下皇室)の地位及び皇位継承法としての皇室典範と、天皇皇室)を戴く我われ日本国民自由諸権利との在り方関係性について、読者の皆さまにも考えて戴きたく思い、英国エドマンドバーク『フランス革命の省察』から、1689年『権利の章典(→正式名称:臣民の権利および自由を宣言し王位継承を定める法律)』と1701年『王位継承法(→正式名称:王位をさらに限定し臣民の権利と自由をよりよく保障するための法律)』の制定に関する記述の部分を抜粋し、英語原文〔=ブログ作成者〕の邦訳併記して掲載したものである。

 邦訳文は、半澤孝麿訳(『フランス革命の省察』、みすず書房)を基礎としながら、〔=ブログ作成者〕が更訂した。

 読者の皆さまに考えて頂きたいのは、英国の王位継承法日本国の皇位継承法内容相違についてではなくて(→国家の成立と成長の歴史により相違するのは至極当然であるから)、非常時に、それぞれの“国法”・“伝統”・“慣習”に接する場合両国民の態度比較についてである。

 『フランス革命の省察』におけるエドマンドバーク国法(=国憲国体)に関する力強い主張は、現在直面している男系男子皇統永続危機皇室典範改正問題に対して現在世代日本国民が、どのような態度で臨むべきかを教示してくれている。

 If the principles of the Revolution of 1688 are any where to be found, it is in the statue called the Declaration of Right.

 In that most wise, sober, and considerate declaration, drawn up by great lawyers and great statesmen, and not by warm and inexperienced enthusiasts, not one word is said, nor one suggestion made, of a general right “to choose our own governors; to cashier them for misconduct; and to form a government for ourselves.”1)

 1) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.14.

 もしも1688年の革命(→名誉革命)の諸原理がどこかに発見されるとすれば、それは権利の章典と呼ばれる英国法の中に他なりません。

 そして偉大な法曹家と政治家が――(革命教会の紳士諸君のような)興奮し易く無経験な熱狂家ではありません――明文化した、最も(祖先に対して、その)智慧を尊重し、厳粛に受け止め、しかも(子孫に対する)思いやりに満ちたその権利の章典の中では、「我々の統治者たちを選出し、失政の故を以て彼らを罷免し、我々自身のために政府を形成する」という一般的な権利など一言半句はおろか示唆一つされていないのです。

 This Declaration of Right (the act of the 1st of William and Mary, sess. 2, ch.2) is the cornerstone of our constitution, as reinforced, explained, improved, and in its fundamental principles for ever settled. It is called “An act for declaring the rights and liberties of the subject, and for settling the succession of the crown.”

 You will observe, that these rights and this succession are declared in one body, and bound indissolubly together.2) 

  2) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.14.

 この権利の章典(ウィリアム・メアリー治世第一年第二議会第二法令)は、英国憲法の礎石であり、それを補強し、明徴し、改善して基本原理を永遠に確定したものです。

 それは「臣民の権利及び自由を宣言し、王位継承を定める法律」と呼ばれています。ここからもお判り戴けるように、これら臣民の権利と王位継承とは一体のものとして宣言され、双方が不可分に結びつけられているのです。

 A few years after this period, a second opportunity offered for asserting a right of election to the crown.

  On the prospect of a total failure of from King William, and from the Princess, afterwards Queen Anne, the consideration of the settlement of the crown, and of a further security for the liberties of the people, again came before the legislature.

 Did they this second time make any provision for legalizing the crown on the spurious Revolution principles of the Old Jewry?

  No. They followed the principles which prevailed in the Declaration of Right; indicating with more precision the persons who were to inherit in the Protestant line.

 This act also incorporated, by the same policy, our liberties, and a hereditary succession in the same act.

  Instead of a right to choose our own governments, they declared that the succession in that line (the Protestant line drawn from James the First) was absolutely necessary “for the peace, quiet, and security of the realm,” and that it was equally urgent on them “to maintain a certainty in the succession thereof, to which the subjects may safely have recourse for their protection.”

 Both these acts, in which are heard the unerring, unambiguous oracles of Revolution policy, instead of countenancing the delusive, gypsy predictions of a “right to choose our governors,” prove to a demonstration how totally adverse the wisdom of the nation was from turning a case of necessity into a rule of law.3)

  3) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.14-15.

 この時期の数年後、王位を選挙で決定する権利を主張できる第二の機会が訪れました。ウィリアム王及び後のアン女王である王妃に世嗣が御出来にならないとの見通しが付けられたので、王位継承と臣民の自由の保障とをどうするかの問題を、立法部は再び考慮せざるを得なくなったのです。

 果たしてこの二度目の折に彼ら立法部は、旧ユダヤ人通りの(革命協会の紳士諸君の唱える)いかさま革命原理に従って王位を(人民の選挙によって)法的に公認する条項など一つでも作成したでしょうか。

 いいえ、全くそのような事はしませんでした。彼ら立法部は権利の章典を貫く原理従いました。そして、プロテスタントの血統の中から、王位継承権を持つ者を一層正確に指定したのです。

 この法令もまた、(権利の章典と)全く同じ原理に則って、英国民の自由と(王位の)世襲継承を一つの法令の中で結合させるものでした。彼ら立法部は、英国の国体を英国民自身が選択する権利どころか、その血統(つまりジェームス一世より発するプロテスタントの血統)内での継承こそ「英王国の平和と静謐と安全のために」絶対不可欠である、と宣言したのです。

 また、「英国民が自らの保護を安心して依頼できるという、まさにそのために王位継承の確実性を維持する」ことが英国民にとって同じく肝要である、とも宣言したのです。これら二つの法令を通じて聞こえてくるのは、「英国民が英国王を選出する」などという、まやかしの詐欺師的な(革命教会の紳士諸君の)予言を支持する声ではなくて、誤解の余地のない明快な名誉革命政策の宣託です。

 この二つの法令こそは、必要から生じた特定の事例が(普遍的な)法の支配に取って代わることに、真っ向から反対したことにおいて、英国民の叡智が如何に優れていたかを証明しているのです。

 The two houses, in the act of King William, did not thank God that they had found a fair opportunity to assert a right to choose their own governors, much less to make an election the only lawful title to the crown.

 Their having been in a condition to avoid the very appearance of it, as much as possible, was by them considered as providential escape.

  They threw a politic, well-wrought veil over every circumstance tending to weaken the rights, which in the meliorated order of succession they meant to perpetuate; or which might furnish a precedent for any future departure from what they had then settled for ever.

 Accordingly, that they might not relax the nerves of their monarchy, and that they might preserve a close conformity to the practice of their ancestors, as it appeared in the declaratory statues of Queen Mary and Queen Elizabeth, in the next clause they vest, by recognition, in their majesties, all the legal prerogatives of the crown, declaring “that in them they are most fully, rightfully, and intirely invested, incorporated, united, and annexed.”

 In the clause which follows, for preventing questions, by reason of any pretended titles to the crown, they declare (observing also in this the traditionary language, along with the traditionary policy of the nation, and repeating as from a rubric the language of the proceeding acts of Elizabeth and James) that on the preserving “a certainty in the SUCCESSION thereof, the unity, peace, and tranquility of this nation doth, under God, wholly depend.”4)

  4) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.16-17.

 ウィリアム王の法令(権利の章典)において、貴族院と庶民院の両院は、彼ら自身の統治者を選択する権利を主張する良い機会を見つけたことを神に感謝したのではありませんでした。況や、選挙が王位に対する唯一の法的資格を与えるなどという主張は言うまでもありません。

 そうした外見すら最高度に回避できる状況にあったことについて彼らは、神慮によってなされたのだと考えたのです。

 彼らは、改善を加えた王位継承法の下で彼らの諸権利を永続させようとし、その諸権利を弱体化する可能性のある事柄――彼らがその時点において古来確立していたものから、将来逸脱して先例を提供するかもしれないと思われた事柄――すべてに対して賢明に細部まで不問に付したのでした。

 従って、次の一節において、彼らは英国の王制の信念を弛緩させないために、またメアリー女王とエリザベス女王が宣明した英国法に表現されている彼らの祖先の慣習への厳密な一致を維持するために、彼らは王位にまつわるすべての法的大権が両陛下に存することを承認して帰属せしめ、「それらは最も完全無欠かつ正当かつ全面的に両陛下に賦与され、体現され、統合され、所属するものである(=権利の章典の条項)」と宣言したのです。

 続く条項においては、王位継承権へのあらゆる僭称から生じる問題を防止するため、(この場合においても英国の伝統的な方法に加えて伝統的な言葉を遵守し、それに先立つエリザベス女王とジェームス王の法令に由来する法規集の用語を繰り返しながら)彼らはこう宣言しました。

 曰く、「神のみもと、英国の統一と平和と安寧は、王位継承の確実性」の維持に「すべてが懸っている(=権利の章典の条項)」

 They knew that a doubtful title of succession would but too much resemble an election; and that an election would be utterly destructive of the “unity, peace, and that tranquility of this nation,” which they thought to be considerations of some moment.

 To provide for these objects, and therefore to exclude for ever the Old Jewry doctrine of “a right to choose our own governors,” they follow with a clause, containing a most solemn pledge, taken from the preceding act of Queen Elizabeth, as solemn a pledge as ever was or can be given in favour of an hereditary succession, and as solemn a renunciations as could be made of the principles by this society imputed to them.

 “The lords spiritual and temporal, and commons, do, in the name of all the people aforesaid, most humbly and faithfully submit themselves, their heirs and posterities for ever; and do faithfully promise, that they will stand to, maintain, and defend their said majesties, and also the limitation of the crown, herein specified and contained, to the utmost of their powers,” &c. &c.

  So far is it from being true, that we acquired a right by the Revolution to elect our kings, that if we had possessed it before, the English nation did at that time most solemnly renounce and abdicate it, for themselves and for all their posterity for ever.5)

 5) Edmund Burke, “Reflections on the revolution in France”, Dover publications, Inc, pp.17.

 王位継承の資格が疑わしければ、結局この上なく選挙紛いの事態になってしまうこと、そして選挙は彼らが少なからず、熟慮に値すると考える英国の「統一と平和と安寧」を文字通り破壊しかねないこと、こうしたことを彼らは承知していたのです。

 こうした目的に備えること、従って「我々自身の統治者を選出する」などといった旧ユダヤ人通りの(革命協会の)教義を未来永劫排除するために彼らは、かつてのエリザベス女王の法令から採用された極めて厳粛な誓約を含む一節を続けて置きました。

 それは、世襲の王位継承を擁護してこれまでなされた――また、将来にもなされ得る――最も厳粛な誓約であり、この革命協会によって彼らに帰させられた原理に対する及ぶ限り最も厳粛な否認でもありました。

 曰く、「聖俗の貴族および庶民は、上記全国民の名に於いて、我等自身並びに我等の相続人及び未来永劫子々孫々に至るまで最も謙虚かつ誠実に(世襲の王位継承に)従います。また、英国民は上記両陛下、及びここに明記され収められた王位の限定を、全力を挙げて護持する旨を誠実に約束します」云々。

 我々が名誉革命によって我々の国王を選挙する権利を獲得したなどというのは、全く真実からかけ離れています。仮に革命以前に我々そのような権利を所有していたとしても、英国民はその(権利の章典の制定)時点で、自らと自らの子々孫々すべてに対して未来永劫、極めて厳粛にそれを否認し放棄したのです。

 なお、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』については、最近愚劣な翻訳本が出版されているようであるが、今後随時、〔=ブログ作成者〕がバークの真意をできる限り正確に翻訳してブログで紹介していく予定である。

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【平成23710日掲載】

エドマンドバーク保守主義者(神戸発)